レ・ミゼラブル/トム・フーパー監督
これを観ながら思い出したが、子供の頃に「ああ、無情!」を観ていて、結構イライラした事があった。何で大して悪いことをしてないのに付け狙われて苦労して嫌な思いをして、さらに不幸に陥らなければならないのだろう。しかし何故かこの話は繰り返しいろんなバージョンで観る機会があって、全部をもれなく観たわけではないが、その都度決まってイライラした。そうして時を経てこのようにまた性懲りも無くこの物語を観てしまって、変わらずイライラしながら観終わったわけだ。まったく成長の無い人間とは自分のことである。もっとも、みなもと太郎の漫画だけは何故か妙に感心したのだが、それはこの物語にちょっとした意外性を含めて語られていた所為であろう。
さてしかしそれなりの評判を聞いて観る気にはなったわけだが、ミュージカルである。僕はタモリと同じで以前はミュージカルを見ているとなんとなく白けてしまうことがあったのだが、その後僕自身は大人になり、今となってはなんと!イライラしながら観ていたはずなのに、歌が始まるとなんとなく落ち着いたのだった。何たる不覚!何たる変化! とまあ、そんなに驚くべきことではないはずなのだが、作り物としてのジャンバルジャン物語が、ミュージカルだと却って活きている感じなのかもしれない。どの道作り物じみて、妙に左翼がかったお話である臭さというものが、何故だかミュージカルだと和らぐ思いがするのかもしれない。
ところでこのような不条理に僕の正義の心が揺さぶられてイライラするらしいというのは分かるのだけど、さらにイライラするのは、正当なほうが主張する精神論や感情論の不条理ということもあるのだ。たとえばシングルマザーが子を持ちながら働くつらさは理解しているが、不当解雇されてしまえば、その不当な部分では争わず、子供が居るのに!という感情論でことを運ぼうとすることに頭の悪さを感じるのだ。まっとうに戦えばチャンスがあるものを、むざむざ敵のどうでもいい部分に訴えて負けるのである。騙されていたり、相手の勘違いがあるのなら、そこのところをもう少し正確に突かなければ上手く物事は運ばない。結局物事は妙な複雑な絡みを持たざるを得なくなり、逆恨みなど別のベクトルでの感情論が更なる悲劇の連鎖を生んでしまうのである。どこかでそれを断ち切る事実に頼るべきなのだが、ジャンバルジャンは精神論で敵を許してしまう。まったくどうしようもない馬鹿である。そのことでまた人の命は粗末に失われてしまうのだった。
それでもこの物語が人の心を打つとしたら、やはり精神的な浪花節が、人々の感情を揺さぶるからかもしれない。僕にはこれが子供の頃から一貫して分からない。たとえ浪花節が海外のものであろうとも、日本人と共通の人間の心が分からないということなのであろう。まったく妙な確認のために繰り返しイライラさせられるわけで、損な人生を送っているような気分なのであった。