インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説/スティーブン・スピルバーグ監督
不思議なことに未見だった。厳密にはテレビの洋画劇場などでチラッと観たことはあったような気はする。トロッコ列車シーンくらいしか覚えてなかったので、ちゃんとは観てない可能性が高いし、またそのような記憶は無い。面白いという話は聞いていたし、当時もかなりの話題作だった。あえて観てないのか、何か事情があったのかさえも記憶に無いが、当時のスピルバーグの勢いということを考えると、やはりちょっと不思議な感じがする。
しかしながら今観てみると、さすがに撮影の映し方が古臭い感じもある。スピルバーグ自身が過去の冒険映画のオマージュを含めて撮影しているだろうこともあるし、いわゆる80年代的なセットのつくりというか、それはCG全盛になっている今からすると、却ってものすごい仕掛けなのだけれど、どこかお化け屋敷的な感じもあって、ちょっと今では観られなくなってしまった映像世界という感じがする。それはいい感じでもあるわけだけど、やっぱり時代というのは変わるんだなあ、というある種の感慨さえ抱かさせられるわけだ。
ものすごい迫力にアクションの連続技がこれでもかという畳み掛け方で続くのだけれど、あまりにも過剰ということになってしまって、まるで宮崎アニメを観ているような気分にもなる。つまり実写映画というよりほとんどアニメ描写に近い感じで、ありえないけどそうなってしまっているという迫力を楽しむことになる。まったく凄まじい映像世界の構築である。彼らスタッフの力量の高さは、本当に当時抜きん出ていたのだろうと呆れて感心する思いだ。
カラッとしているのでそんなにひどくは感じないが、しかしそれなりに暴力描写は強烈で、この映画がきっかけで、米国の暴力シーンの視聴年齢制限の機運が高まったともいわれている。当時の保守レベルの許容を超えてしまったのだろう。スピルバーグのどたばたアクションは後の恐竜映画などでも顕著なのだが、ほとんどホラー映画の域に達している。楽しいけど怖いという、ジェットコースター的なノリを突っ走っているということになる。それでも内容がすっからかんということでもないところが彼の偉さなのだけど、逆も含めてどうしても行き過ぎてしまう狂気が見え隠れしていて、そういう部分こそいい監督だと僕は思っている。たとえば宮殿の食事シーンなどは純粋にどたばた喜劇として楽しむための行き過ぎギャグなんだけど、それは同時に文化的な感情を逆なでしたり、偏見に満ちたものと捉えられてしまった不幸にも通じる。人間には偏見があって当然なのだし、単に無自覚なら罪だけれど、それを伴いながらも楽しんでしまえる寛容さが無ければ、彼の行き過ぎには付き合えないということかもしれない。それは大人だけど子供っぽさを含んでいることだと思うのだけど、既に大人になりきってしまった人間には理解されにくいことだ。後にどうしてもその無理解を越えたいという反動がスピルバーグ自身にもあったのだろうと思うのは、やはりその後の映画作りに反映されているように思うからだろう。
ちなみにこの映画のヒロインであるケイト・キャプショーと、スプルバーグは結婚する。映画監督と結婚した多くの女優は、その後夫の監督作品に普通に出演をするようになる。ところが彼女は、後のスピルバーグ作品には出ていないようだ。子沢山ということもあるかもしれないけど、そういうところも、あんがい彼らは良識のある人間ではないかと思ったりする。つまり、偏見に満ちた無知な人々なのでは無いと思うのだけど、まあ、それは勝手な想像に過ぎないですね…。