カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕が野球と決別した訳

2014-04-21 | 境界線

 野球放送を観たり聴いたりしなくなって久しい。嫌いになったわけではなく、たぶんいまだに好きなんじゃなかろうかとは思う。しかし意識的に興味を遮断している。もう好きになりたくないという思いがある気がする。そうしなければ、たぶん生活が荒れるような、そんな感じに近いかもしれない。そんなにギャンブル狂でもないけど、賭け事に対する態度に近いといえるだろう。自分が好きなくらいで大げさに聞こえるかもしれないけど、こういうキリが無い感じは思い切って断ち切ってしまったほうがいい。
 野球に対する記憶は、結構古いと思う。でも、最初は興味が無かった。親が野球好きということでもない。親戚で野球をやるような人も知らない。でもまあ子供の頃には、棒を振り回して遊ぶもので、その中に野球はあったと思う。適当に投げて打ち、駆け回っていた。
 変わったのは何かの拍子でラジオの野球放送を聞いていたという感じだった。たぶん広島と巨人戦だったと思われる。ラジオの中継なのに先が気になる。寝なければ怒られるのに、布団にラジオを持ち込んで最後まで聞いたのではなかったか。
 翌日は新聞である。そのラジオ放送の結果がちゃんと書いてある。そうして見慣れない表があるのだが、仔細に見てみるとなんとなく見方が分かってくる。昨日放送でヒットを打った人の記録も書いてある。さらにチームの順位表、打率成績やホームランの順位などの表がある。朝はそういう確認をして、学校に行った。しかしどうにもあの表が気になって仕方なかったように思う。学校が終わって家に帰って、過去の新聞を引っ張り出して野球の欄を見比べてみた。やはり成績は刻々と変わっており(当たり前だ)、遡れば違う記録になっている。
 そのうちに電卓を借りてきて自分で打率を計算するようになる。もちろん計算どおりのことが書いてある。厘以下の少数は省略してあるが、同じ打率で競っているときは、毛まで表記されることもある。実際にそうなのか確認しては、安心していた。
 ところがあるとき、いつものように新聞の打率表とにらめっこしていて、ある選手の打率の間違っているのを見つけた。誤植だったのか、更新のされ忘れだったのだろうけど、身震いするようなショックを受けた。新聞に書いてある間違った内容を、一小学生が発見したのである。誰もその感動を共有してくれる人はなかったが、実際に母にも学校の友人にも自慢したが、反応は冷ややかだったが、僕自身は興奮していた。発見は発見に違いないではないか。
 そういう日常を送っていると、その日以外でも結構間違いは見つけることがあった。単に新聞の記事が怠惰で更新していないというのは結構あるのである。そういう日はなんだか釈然とし無くてイライラした。出来ることなら新聞のスポーツ欄の記者に、抗議の電話を入れたいくらいだった。
 プロ野球はそれでも、移動日以外はほとんど更新してくれる。毎日が張りのあるようにさえ思える。ついでに新聞のほかの記事なんかも読むようになる。ほとんど訳は分かっていなかったかも知れないが、学級の新聞係りになったときに、バラエティにとんだ記事を書いてほめられる事もあった。インタビュー記事などは、親が手伝って書いたんだろうという先生もいた。真相は単に新聞をまねた構成で書いただけのことだ。たぶんその頃から作文も苦にならなくなって行ったのではなかったか。
 ただ不思議なのは、じゃあ野球の放送を熱心に見ていたのかというと、違うのである。たぶん他のきょうだいの影響でチャンネル権がままならないというのもあったのだろうとは思うのだけど、放送時間終了で尻切れになったり、やはり夜は眠くなったりということもあったのかもしれない。実際に放送を追っかけてみたり聞いたりすると、時間がかかってまどろっこしい。僕はどうもエラーというのが嫌いで、さらに審判の誤審くさいのも納得がいかなかった。イライラするので見るのは止めることにした。というか、見ているととても身が持たないという感じだったかもしれない。僕にとっては新聞記事の記録こそ野球のすべてだったのだ。
 しかしながらそういう記録を眺めて暮らしていたのに、オフシーズンになると、それはもうたまらなく寂しい気分になるものなのである。いったい何を励みに生きていけばいいというのか。スポーツ欄も野球以外だと相撲くらいしか興味が持てない。その喪失感や飢餓感が大きすぎて、何もやりたくないような気分になった。時々選手のことが記事に出ていたりするが、新たな打率の更新が書かれているわけではない。とても耐えられる心境になれなくて、やはり野球のことを考えなくていいように自分に暗示を掛けた。野球は僕を虜にしたが、それは悪魔の誘惑のようなものだったのだ。それに実際にいくら望んでも、冬場にプロ野球は開催されない。あきらめるより仕方ないのだ。
 そういうことは数年続いたのだが、結局はそれが僕の野球との最初の別れだった。何度か熱がまた上がりそうになるのだが、そのつらさを思い出して、できるだけ距離を置くことにした。そのうち音楽だとか漫画だとか、僕から逃げない楽しみが出来ていく。戻りそうになって、また新聞とにらめっこを始めそうになると、また自分に言い聞かせるのだ。いつまでもそんなことを繰り返していると、今に僕は壊れてしまうぞ。まあ、既にどこか損なわれていたものはあったのかもしれないが、そうやって何とか野球と距離を置くことに成功することが多くなるのだった。
 結局今も、見かけ上は野球とは決別している。時々試合も見るが、以前のようには新聞で記録を仔細に見るわけではない。もうほとんどの選手も知らないし、昨日の新聞と見比べるようなこともしない。今となっては、あの一時期の情熱はなんだったのかな、と思うこともあるくらいだ。おかげで自分の時間もそれなりに確保できるし、しあわせなことかもしれないとさえ思う。野球の記録の魔物から逃れられるのは、僕にとっては平安な日常となったのであった。
コメント
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