カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

定着しないけど、それでも見られる文化

2014-04-03 | culture

 さすがに当日だと楽しんでいる人に悪いと思って控えていたが、なんとなく4月馬鹿というのは上手く定着していないようにも感じる。子供の頃にはそれなりに目をぎらつかせて張り切っている友人が居たが(まったく逆効果)、まあ、短いジョークの類で、なかなか続くものではない。誰かさんが呼んでたよ、というたわいないものが多かったし、そんなに笑えないめんどくささが残ったかもしれない。
 大人になっても、エイプリル・フールを楽しむというか、却って難しく感じたりする。基本的に仕事は信用第一だ。くだけた場で上手いジョークとしての担ぎ方というのは、なかなか考え付かないものらしい。一度キャンペーンで今日限定契約には豪華電化商品をつけるといわれたことがあったが、それでもいらないものだったのでむげに断って、却って白けたことがあった。分からない人間が悪いというのもあるが、やはり難しい。
 社会運動系の良いこと嘘というのがあって、動物愛護のリボンをつけようとか、そういう連鎖を促すちょっといいことをやろうという啓蒙を含んだようなのもあるようだ。それちょっといいね、というのがいいので、ネタとしては嘘でも、ほんとになったらいいのにね、という共感を呼ぶものらしい。そらぞらし過ぎない程度というのもあるけど、上手いこと考えると面白くなるかもしれない。
 時期もあるけど、4月から転勤しましたとか、どこか(リゾート地など)旅行に行ってます系もネットなんかでは多い。きれいな風景の写真が添付してあったりして、この人はこういうところに行きたいのだな、というセンスも分かったりして、いいかもしれない。これも、いいね!系なんだが、一緒にノッて展開しているのに、エイプリル・フールですね、とネタばらしする人が必ず居て、ちょっと残念。会話のテンポとは違うので、そういう掛け合いというのが難しいのかもしれない。
 メディアだと歴史的に火星人の襲来だとか、面白い嘘の風習の紹介だとか、また事件の捏造まがいのものなどいろいろあったようだ。どれもやはり海外のものが中心で、日本だと特にニュースのようなものでは、まだ無理という感じだ。それで当然ともいえるわけだが、やはり基本的な文化の違いだろう。銀行強盗や名画などの盗難など、いろんなことが過去の4月1日に起きたらしくて、もう、ちょっと構えている人には飽きられているのではなかろうか。
 西洋人が冗談が好きで、日本人がそうではない、という話は聞く。そのように見えるという印象だろうが、おそらく冗談の内容で、人を担ぐ系のものが日本では少ないだけではなかろうか。ほら話とかとんちものというのは物語としてはあるけれど、担いで冷やかして笑うというのは、いまひとつ定着しない感じがする。なんとなくどぎつい、ということなのだろうか。あちらの国ではおとり捜査というものもあるようだし、人を引っ掛けたほうが賢いという、勝負をかけるような感覚があるように思う。日本では悪い奴しか基本的に使ってはいけないという感じがするのではないか。
 また、パイ投げのようなものでも時々思うけど、ああいう具合に人を笑うというのも、いまひとつ入り込めない場合があるように思う。日本にだって羽根突きで負けたほうが墨を顔に塗るようなのがあるけれど、負けたんだから仕方が無いという感じのほうが大切である。あちらのパイは、巻き込まれたほうも大人の態度で笑って済ませる度量が無いと成り立たない感じであって、有名人だからというだけで狙われたりしている。してやったりということかもしれないが、そんなに面白いとは思えない。
 楽しければいいじゃん、ということに過ぎないけど、それでも騙すのは難しい。ちなみに僕は毎回つれあいに騙されているわけだが、そんなの嘘だろ、と思っても真剣な表情のままだったり困惑顔だったりするとへらへら笑ってもいられない。不安な時間が長いとその場から逃げ出したくなる始末だ。要するに根気が足りないのである。すぐにネタ晴らししてくれるから、開放感で助かったと思うので、一種のいじめである。もう過ぎてしまったので、かなり安心である。平常どおりが一番平和でいいのである。
コメント
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