カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

グラサンといえば…

2014-04-01 | 雑記

 サングラスといえばまず思い出すのはマッカーサーだ。実体験で無い僕がそうだから、多くの先輩方は、もちろんそうだろう。新たな日本の神様だと思った人も多かったらしいが、結局は失言によりその感情からは失墜したという感じはする。朝鮮戦争でも原爆を落としたがったことは有名で、名目は米兵を守るということだったかもしれないが、もっと違った思想を持っていそうだったことは想像に難くない。幸か不幸か日本の歴史には大きな意味のある人物だったことは間違いあるまい。
 そういうこともあってか、外国人とサングラスは、割合受け入れが素直である。白人は日光に弱いという話も聞いたことがあるが、そういう考えも認めてもいいが、基本はファッションだろう。目を隠すという意味のサングラスもあるのですべて変な印象を持っているわけではないけれど、日本人とサングラスは、何かちょっと強い印象を残しすぎるような感じがある。
 ヤクザな人がグラサンをしている、という場合も一時は多かった。カッコつけているということはあるが、基本的には自信が無いということもありそうだ。ガンをつける、という商売柄もあるから、目がかわいかったら支障があるのかもしれない。
 普通はだから、日本人のサングラスは、なんだか嫌な感じは付きまとうようだ。あんまり嫌な感じが無いような人といったら、多くの場合芸能の世界の人かもしれない。
 その代表格は他ならぬタモリだろう。最初は深夜のキワモノ芸人という感じだったけど、表舞台でも好印象を持って現在に至っているように思われる。僕としては下品なほうが好印象だけど、芸の割には悪い人そうでないところが業界を越えて愛されているということもあるだろう。もう働かなくなっても何の問題も無いと思うけど、こういう世界はそう思わない人も居るかもしれない。
 さらに歌手なら浜田省吾とか陽水ということになるか。両方ともオクテなのでしている感じはする。表に出なくてはならないけど苦手だとサングラス、ということはあるかもしれない。矛盾を抱えるのが人間だから、却って素直な反応と言えそうだ。浜田省吾はコンサートの会場のホールなどでグラサンをはずして客の流れを眺めていても気付かれないという話があって、そうであれば覆面レスラーと同じ装着物としてやっているのかもしれないけど。
 夏の海でグラサン姿のお兄さんが結構居るけど、あれは結構スケベ心が透けて見える気がするのは僕だけだろうか。
 しかしながら、やはりそんなに印象の良くない代名詞なのは、金正日の存在も大きいかもしれない。アジア的なかっこ悪さと色眼鏡の連携があって、すこぶる嫌な印象が決定づけられてしまったようにも思う。ああいうセンスというのは嫌悪の対象ではないだろうか。
 さらに最近のことを言うと、佐村河内というのが追い討ちをかけている。もうなんといっても怪しすぎる。スタイルを変えても別人にしか見えなくて、やはりそのままグラサンし続けて欲しいとさえ思う。悪い人間ならそれらしくグラサン人生を送るべきではないのだろうか。
コメント
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