カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

鯨の味は忘れてはいけんです

2014-04-04 | culture

 最近のニュースで、ショッキングでありながらなんとなく盛り上がりに欠けるような空気があったのは、国際司法裁判所で日本の調査捕鯨の禁止の判決が出たことだろう。控訴もできないらしいし、完全敗訴で実際に南海洋で調査捕鯨は中止されることになろう。日常的とまでは行かないまでも、世界文化遺産にある日本食が毀損されたことは間違いあるまい。まったくそういう矛盾に無頓着で傲慢な西洋文化にはあきれる思いだが、文化に上下があるようなことに抵抗が無い人たちに、何を言っても理解されないだろう。
 とまあ、息巻きたいところなんだが、実際はやはり冷めている。それというのも、日本政府としてもそもそも調査捕鯨は止めたかったというのが真相のようだ。国際司法裁判所では、たとえ訴えがあったとしても、受けなければ裁判は成立しないということで、さらに反捕鯨国ばかりが裁く側だったことから、日本が受ける時点で負けを想定していたふしがある。韓国との領土問題の舞台にさえならない場所に、あえて臨んで負けを認め、そうしてその通りにすることで、将来そういう問題でも有利にことを進めるという算段さえあるという話もある。日本がそこまでしたたかだったことはあんまり無いから驚きの理屈だけれど、負け惜しみとしては良くできた話である。
 というのも、そもそも調査捕鯨という方便に、無理があったことは間違いなかろう。そういうことにして表面上は収めて下さいよ、という了解の通じない社会なのに、日本的な甘えでそういう方向に動いてしまった失敗があったのだろう。自国の食文化に他国の干渉を許さないという態度をとっている他の北欧などの捕鯨国は堂々と商業捕鯨は続けているわけだし(ただし、南海洋までは出向かないようだけど)、完全に失敗した理論武装で勝負を続けられないということなんだろう。しかし国内的には止めるとはいえないし、止めさせられるという方向でお互いを収めてしまおうという卑屈さも感じる。まったく国内向けには、いろいろ卑屈な策を弄するということが平気な国なんだということだろう。
 相手のことを考えるというのは大切なことだとは思うけれど、対話というのはやはり、自分の正当性をある程度はストレートに主張できるようになる必要が、さらに確認されたようにも思われる。そういうことをいうとタカ派の主張のように勘ぐる人もいるようだが、いくら苦手だからといって、やはり対面対話を避ける策ばかりは、じわじわ後退して負けるという結果にしかなっていないのではないか。鯨はしつこく食い続ける努力は失ってはならないし(というか文化なので止める止めないの問題ではない)、この敗北の味は、やはり忘れてしまってはどうにもならないのではなかろうか。
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