カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

視線の先のこと

2024-04-08 | 睦月ちゃん

 散歩していると車からの視線を感じる。もちろん実は僕に対してではなく、睦月ちゃんを見ている人がいるのである。おばさん率が圧倒的に高いように感じるのだが、しかし男性もいる。基本的に運転中の人はチラ見だろうけれど、信号待ちの場合だとその率はがくんと上がる。横断歩道で信号待ちしているときは、ほぼ見られている。睦月ちゃんはまた信号の意味を本当には理解していないし、道路との小さな段差を気にしてるし、アスファルトの色のコントラストも気にしている。点字ブロックは踏まないように歩いているし、信号機の根元の匂いも気になる。しかし僕は立ち止まっていて、その意味は読み取りにくい。そうして僕は、わずかな視線を気にしているわけだ。
 犬を見ているのは、睦月ちゃんが可愛いからに他ならないが、特に熱心に見ている人は、あるいは犬を飼っている人かもしれない。自分も犬を飼っているので、散歩している犬が気になる。実を言うと僕もそうで、散歩している犬は間違いなく見ている。もちろん運転の範囲であるが、よそ見をしているともいえるかもしれない。睦月ちゃんは少し黒っぽいところがあるので、黒っぽい犬は特に気になる。大きさも睦月ちゃんくらいの小型犬が気になる。つまり何となく比較している、ということなのか。そう多くは無いが、同じようなミニチュア・シュナウザーだと、いわゆるガン見である。おお、同志よ! とまで考えているのか分からないが、飼い主ももちろん見る。僕のような年代の男性だと、なにか親近感も持つかもしれない。よく分からないが、少なくとも好みは似ているところがある訳だ。酒を飲み交わしてもいいかもしれない。もちろん運転中なので声まで掛けないが。
 熱心に見ている人の中には、この黒っぽい塊は何だろうと、素直に疑問に思っているらしい感じの人もいる。確かにちょっと分かりにくいコントラストであることは分かる。そういう犬種である。そうして何やら焦りながら先を急いでリードを引っ張っている。この犬はいったいなんだろう。もう少しよく顔を見せてくれ。まあ、そういったところか。車の中から眺める風景の中で、何やら不思議な物体が歩いている。そうして黒くて得体がしれない。そういうものの興味を引く存在が、睦月ちゃんなのかもしれない。
 若い女性は、小学生の高学年くらいから30歳前半くらいまで、ほぼだいたい「かわいい」とだけ言う。これはほとんど多様性が無い。反射的にそう言うように訓練でもされているように。しかしその後の興味の示し方には、多様性がある。目の追い方に本気度が現れる。自分の気まぐれに見ただけの人から、いわゆるお近づきになりたい人まで、グラデーションがある訳だ。本当に近づく人はほとんどいないが。
 男の場合だとこれは、ほぼ無視が多数を占める。こういう反応は、男には向かない分野なのかもしれない。たまに動きのある人は、なんだか見たことがあるぞ、という感じかもしれない。確かに散歩中に見たことがある人のような気もする。それは本能的な確認欲求のようなものかもしれない。男は「かわいい」とつぶやかないし、そういう習慣が形作られていないのかもしれない。感想はあるはずだが、それは心の中にしまわれている。表に出す訓練は、それなりにむつかしい道のりがあるのではないか。
 まあ、実のところ視線の多くが、実際に好意的なのかどうかはわかり得ない。見られているのは睦月ちゃんだから、僕が意識すべき問題ですらない。しかしながら僕が一人で歩いているときには、決して感じ得ない視線の力がある。芸能人なんかは、いったいこれをどう処理して生きているのだろうか。まあ、分からなくても特にどうでもいい事なのだが。
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