カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

木こりには友だちは……   怪物の木こり

2024-07-06 | 映画

怪物の木こり/三池崇史監督

 オープニングで、過去に誘拐された子供たちを使ったサイコパスの実験が行われた事件での、警察の踏み込み場面が流れる。そうして時は流れ、ふつうに暮らしているとはいえ(それぞれに問題は起こしている様子ではあるが)、実はサイコパスである人々が、何人もいるらしいことが示唆される。だが同時に斧で頭を割られて殺されるという、凄惨なる連続殺人事件が勃発する。そうして弁護士として成功している男が、斧を持った木こりの服をした男に襲われてしまう。弁護士の男は頭に傷を負うが、命は取り留める。連続殺人の犠牲者は、男女の別や年齢がバラバラで、一見何の共通点もなさそうである。しかし同じ施設ではないものの、養護施設出身者ばかりであることが、明らかにされていく。過去の誘拐サイコパス実験では、ほとんどの子供は実験に失敗し、死に絶えたと考えられていたが、生き残りは児童養護施設へ捨て子として預けられ、その後社会人として散らばって暮らしていたのだった。そうして実は弁護士の男も、事故であらためて脳チップが埋められていたことを知り、養護施設出身者でもあったのだ(だからサイコパスだったのだ)。
 その後も木こりの正体がはっきりしないまま、弁護士は木こりに襲われることになる。木こりの目的は、脳チップのためにサイコパスとなっている元子供たちを殺すことにあるらしい。そうして着実に、弁護士との距離も縮めている様子だ。弁護士の男は、恩があるが自分の利己的な利益のために殺した弁護士の娘と婚約している。一連の事件の中にあって、婚約者の娘と、本当の意味で感情的に距離を近づけていく。実は木こりに襲われて頭を負傷した折に、サイコパスを維持するための脳チップが壊れてしまったのだ。弁護士の男は、人間的に豊かな感情を徐々に取り戻していく中にあって(それも彼女の優しい感情に触れていくにつれ)、木こりという最大の脅威と、警察の捜査が伸びてくる中にある。元はサイコパスだったけれど、そうでなくなった今となって、いったい彼はどんな生き方をすべきなのだろうか。
 なかなかに重層的な物語が、それぞれの個人の事情と絡まって展開されていく。警察からはマークされているけれど、そもそもサイコパスとしても弁護士としても優秀な男は、仲間の医者のサイコパスと組んでもいて、人を殺すことなんてなんとも思っていなかった。一方サイコパスを次々に餌食として殺していく犯人の行く手は、一向に分からない。警察捜査は後手後手に回り、なかなか事件の核心に近づけていかないのである。
 そうしてクライマックスを迎えるが、観ているものにとって、一定の納得いく方向性に持ち込める提案がなされたように見えた瞬間、再度のどんでん返しが待っているのである。
 なるほど、してやられたものだ、と唸ってしまった。こうなってみると悲しい人間性の発露と残酷物語だった訳で、ご冥福をお祈りいたします。架空の人々だけど。
 キャストの面々から、なんとなくアイドル路線というか、テレビドラマ的な雰囲気があるが、作りとしては重厚的な大人の映画になっているのではなかろうか。サイコパスとしては恐ろしく見える男の哀愁が、見事に捉えられた作品になっているのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする