カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

子供になった睦月

2023-11-16 | 睦月ちゃん

 いまだに噛みついてくることには変わりないが、睦月ちゃんはいくぶん落ち着いてきてはいる。少なくとも赤ちゃんとか幼児ではなくて、子供になったという感じだろうか(そういえば1歳になりました)。やんちゃでお転婆で悪い事ばかりしているには違いないのだけれど、なんとなく物事を考えるようにはなっていて、いわゆる僕らが何をしているのか、ということにも興味を持つようなところがある。その上で僕らと遊んでやったり、部屋の中を嗅ぎまわったりする、ということかもしれない。際限なくものを壊して散らかしてはいるが、テーブルの脚などを削るように噛むことは少なくなったし、ケージの中に入れられれば、水を飲んで諦めて寝ている。抗っても仕方ないし、また出されるタイミングというものも、なんとなく理解しだしている感じである。帰宅すると、だから激しく出すように促して暴れているし、ちょっと長時間の外出だと、その激しさは度を越していく。そういうところはなんだか切ない訳で、申し訳ないです。
 人間関係のようなものもなんとなく考えるようになっているようで、僕やつれあいや、母に対する態度もそれぞれに違う。散歩に行くと道行く人に対する反応も違う。おじいさんは無視するし、おばさん方には近づいてもいいようなしぐさをする。実際に近寄るとちょっとまだ怖いようで、すぐに離れてしまうけれど、熱心な人には身を預けるようなしぐささえ見せるようになった。単に吠えて威嚇するときも無いでは無いが、実際には噛みつくことは無いし、心持おとなしくもするようである。子供や猫だけは気に入らないようだけれど。
 しかし車の中では外にいる人に向かって吠える。それも結構激しい。これはおそらく自分の車の中という安全圏にあって、外の世界から攻撃を受けないことをわかっていて、そうして相手に対して威嚇してかっこつけている訳である。実際には何の自信も無く臆病だからこそ、いわゆる強がっているということなのだろうと思う。外の世界のことはいまだによく分かっていないし、車の外の人というのは、未知の人々だ。先に威嚇しておいて自分を守るようなところが、あるのかもしれない。それなら黙って静かにしていればもっと安全である道理があるはずだが、外の人に興味もあるし、怖いからこそ吠えてしまうのだろう。口を押えたり目の前を遮ったりすると、必死で暴れる。要するに甘えである。僕らは安全な存在なので、いくら暴れても大丈夫であることを知っている。そうしておそらく守ってもくれる。それなら外部の人々に対して吠えていい、ということになるのかもしれない。もっとも車の外にいる人が、窓を閉めた車の中で吠えている犬のことなんかに、関心を寄せるわけではない。単に車の中の人(つまり僕ら)が、うるさくて仕方ない思いをするだけのことである。こういうことがいつまでも続くものかどうは予断を許さないところであるが、以後それは報告いたします。
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