カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

無茶なりの結果で前提をいじらない

2024-07-09 | 時事

 僕はふだん民放は観ないのだが、健康診断で缶詰になっていたので仕方なく画像を見ていたら、都知事選の話題ばかりでびっくりした。よその国の事なんでまったく興味もくそもない分野だが、この国はいったいどうしたのだろうか。出来レースという訳ではないのだろうが、小池さんが勝つだろうことは誰でも知っていたことだ。まあしかしこの民放局の興味は少し違って、二番目に入った石丸伸二という人に対してだった。僕もまあちょっと前のSNSで話題のどこかの市長さん、というぐらいは知っている。こんな人が近くに居ると、精神的につらいだろうなあ、とは思う。つれあいに聞くと「誰?」と当然知らなかったので、郷ひろみになり損ねたような感じの人、と教えておいた(それで正しいかはわからない)。数日前友人のてっち君が二番手は彼ではなかろうかと予想していたので、これは一般的にはみんな知っていることだったようだ。
 でもまあそのテレビでは、とにかく石丸氏を持ち上げるだけ持ち上げるのである。なんだかヒトラー崇拝みたいで、気持ちが悪いったらありゃしない。彼は政治の天才で、これからの政治の世界を変え得る人なんだそうだ。へえ~。まあ、最初からヒトラーはヒトラーだったわけでは無いので、当たらないとも限らないが。やっぱり政治家より怖いのは、メディアや世論という訳だ。
 で、まあ都知事選の候補者乱立の無茶苦茶なありようを振り返り、それでいいのか? と問う。答えは言わない。それでいい訳ないだろ、ということだろうから。でもまあ、日本の民主主義的なありようの排他的な有様がこれだというのは、どうもその通りのような様な気がしていて、選挙がこの方向に行くのはいいことのように僕は考えている。損をしても身銭を切って政治に混乱をもたらし、自らの主張に終始する姿は、人の言うことを聞かない個人主義的な日本人の姿を如実に表してもいる。自分だけ良ければそれでいいというのは、日本人の根本原理である。政治の世界というより、選挙のありようがそうなっていいという都知事選は、見世物としては興味が無いが、ありようとしては正直でいいのではなかろうか。
 そもそも政党政治とはあまり関係ない選挙だったのだから、自民党がどうという事ともあまり関係が無いし、すくわれて事実上の大敗北の立憲民主党がどうということも基本的にはあまり関係ないだろう。ショックは受けても、それが都民世論というものだ。世論を反映させるために投票率をあげろと散々言われていた結果がこうなので、投票率どうのこうのというのは、つまるところやはりあまり正論でないことも明らかだろう。政治的に皆が関心を持つと、ろくなことにはならない訳だ(またそういう時代こそ、人間にとっては不幸なことは明らかだ。どうでもいいほど平和なのだから)。以前から言っていることだが、最適解の政治を目指すなら、AIに任せるのが一番であろう。
 アメリカの大統領選を前に、かの国ではろくな人間を選べない不幸な国だとののしっている人を何人も見るが、その前にこの国だって同じだと思うことの方が先である。もちろんその前に、選ぶ前の選択をできるように何をやるべきかは、よく分からない。やはり選挙に出る人は自由であることの前提をいじるのは、それなりに危険なことなのでは無いだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする