戦争なき時代へ

2008-05-21 | 読書
●新・戦争論/伊藤憲一著/新潮新書/2007年9月20日発行/680円
 人間が人間らしい生き方を始めたのは、およそ1万年前だった。その後の歩みは、環境破壊の歴史であり、戦争の歴史であった。著者は、その歩みを冷静に振り返るなら、いまの人類は、大きな変化のうちにあることを見て取ることができるはずだと指摘している。すなわち、不戦の時代へと向かっていると。20世紀になって人類社会に起きている事象は、戦争の時代に別れを告げ、不戦の時代への明らかな徴候を示していると。
 2次にわたる悲惨な世界大戦を経験し、その行使が人類滅亡をもたらしかねない核兵器を開発し、現に戦争抑止の作用をしていること、経済を中心に世界諸国の相互依存関係が深まり、さまざまな国家間連携ができていること、グローバリズムが進むなかで領土の意味も変質していること、国際法規のなかでも、「不戦」がうたわれるようになり、戦争が起こりにくい国際社会体制へと移行しつつあると述べられている。
 このような著者の視点からは、たとえば、「イラク戦争」は戦争ではなく、「対イラク軍事制裁」と捉えられる。要するに、世界帝国ないし、世界政府というようなものによるによる国際秩序維持への移行時期にあるということになるのかと思う。現実にたちかえると、その秩序維持は、軍事的に圧倒的に世界トップの座にあるアメリカの存在によって成っているということになる。
 このような中で、日本はどうすべきかについても述べられている。戦争なき時代への移行をしっかり認識し、そのもとに外交戦略などを立てるとともに、なくなるわけではない諸紛争に国際社会と手を携え対処できるように、軍事力を整備し、世界平和に貢献していかなくてはならないというところに帰結していく。当然、集団的自衛権の行使は認めなくてはいけないとあった。
 友人たちと、この本について話し合った。「日本では、かつてのように藩どうしが争うというような考えられなくなった。統治体制による変化は確かにある。それでは、今後、フランスとドイツが戦争するということはあるだろうか」という疑問が出された。まあ、ここ50年くらいは、ほぼないだろうなというようなところだった。
 ここ1万年の人類の歴史のなかで、今、主流をなしている行動原理は、およそ3000年前に誕生した一神教によるものと見られる。地球に棲む人たちがみんな一神教信者というわけではないが、一神教の文明が世界を席巻した。その文明に翳りが出ている。今深刻な地球環境問題もそうだが、それは、誰かが正義を振りかざすことによって解決できるというものではない。ある意味で多神教の復権とも言えるかも知れぬが、人類は、そのような知恵を得つつあるのでないか。決して新しい知恵ではないが、そのウェイトが高まりつつあるのでないか。戦争が、社会現象とすれば、戦争が起こりにくい社会システムを育てていくことが大切ということになる。システムでというか、トータルで捉えるということの大切さということになる。

図鑑のなかの枇杷

2008-05-20 | 【樹木】ETC
 初夏にできる黄橙色の実で親しまれ、好まれているようなのに、枇杷は、樹木の図鑑を見ると、どれも扱いが小さい。ものによっては、掲載さえされていない。
 葉は、舟形で大きめ、厚く光沢がある。そのうえ、歴然とした葉脈が裏表ともに目立って、葉を波打たせている。そんな特徴ある葉もいいなあと感じるのだが、そうは感じない人も多いのだろうか。「深い感興を呼ばない木」と言うこともできるかも知れないが。どういうことなのか。そんなものなのか。
 枇杷は常緑高木、バラ科ビワ属の樹木。
 参考まで、犬枇杷(イヌビワ)は、枇杷と名にあるが、クワ科イチジク属である。

枇杷の実の季節へ

2008-05-19 | 【樹木】ETC
 枇杷(ビワ)の木は、その葉からも見分けやすい。木の種類にうとかった私も、以前から枇杷の木はわかった。もしかしたら、食い気がもとで、覚えたのかも知れぬ。幼い頃、枇杷の種を庭に植えたことがある。
 その枇杷の実が売られていた。五月下旬である。そろそろそういう季節なのだ。暖かい地方から届いたものだろう。
 近所の日陰の枇杷の木の実はまだ青い。去年つけた実が黒くなってついていた。
 枇杷はバラ科だ。

ユリノキの花高し

2008-05-19 | 【樹木】ETC
 チューリップ・ツリーの花は、朴の木以上にうえから見るということが、少ないのでないか。すくすく育った木の上の方に、上向きに咲いて、朴の花ほど大きくなくて目立たない。以前、駅までの道に、チューリップ・ツリーが何本も並んでいたのだが、今は伐られてない。先日、多摩動物公園のなかで、チューリップ・ツリーを見たら、花を咲かせていた。写真に撮ったのだが、小さな画像のなかで、その花はまるでインパクトがない。
 チューリップツリーという名は、その花がチューリップ型だから。英名である。日本ではユリノキである。別名、葉の形から、ハンテンボク(半纏木)。

朴の木の花と下駄

2008-05-19 | 【樹木】ETC
 多摩モノレールの多摩動物公園駅は、地上かなり高い位置にホームがある。そこから見おろすかんじで、朴の木がある。白い大きな花を見ることが出来る。その朴の木は、以前、木々の緑繁るなかに、白い花を見つけ、そこに生えていることに気づいたのである。しかし、その後、程久保川改修とその周辺整備で、手前にあった木が伐られ、目につきやすくなった。
 ただ、ホームから見おろすとはいうものの、花までは結構距離もある。よって、その立派な花を上から、よく観察できるというわけではない。朴の木の花を間近にうえからよく見たいという気持ちが前々からあって、こんなささいなことを書いてしまった。
 朴の木というと、朴歯の下駄のことが思い出される。まだ金沢にいた中学生の頃、よくはいていた。その木肌の感触のこと、歯の減り方のことなどなつかしくもある。今時、手に入れようと思うと、かなり高価である。以前、新宿の西口広場で売っていて、買おうかとためらったが、実際はく機会もほとんどないだろう、無駄遣いかなと思って諦めた。諦めたものの、ずっと気持ちのどこかにひっかかっている。

五月の蛙

2008-05-19 | 【断想】ETC
 草野心平の詩集「第百階級」から、“Spring Sonata 第一印象”の部分。

  狂信的な五月の夜を
  幾千万万の蛙があがる
  水絹色の満月めがけて 冒険の夢をめがけて
  光りをめがけて

  りーるるる りーるるる
  りら りら りら
  あがる あがる あがる あがる

 四川大地震の前に、震源地に近い道路上は、数十万匹という大量のカエルに覆われたという報道に接した。きっと、カエルは地の底の異変を感じていたのだろう。水絹色の満月をめざすというよりも不気味なものを。

青い目をした陰嚢

2008-05-19 | 【草花】ETC
 もう、その花の季節は過ぎているのかなと思いつつ、地を見ると、青い小さな花を咲かせていた。その色は、瑠璃色とかコバルトブルーと表現されている。花びらに縞がある。外国では、バーズアイ(鳥の目)、キャッツアイ(猫の目)と呼ばれるそうだ。
 日本では、オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)と名づけられている。名前だけから受ける印象は大違いだ。外国では花に、日本では、その実に着目したのである。
 われわれは、ひとつのものも、様々な角度で眺めることができる。より楽しく生きるには、結構、その角度がもつウェイトが大きい。

可憐な花が肩に落ちる

2008-05-18 | 【樹木】ETC
 エゴノキが一年で一番その存在を明らかにする季節だ。今、白い小さな可憐な花を鈴なりにつけている。その下に立って、花を見あげ、やさしい香りをかいだ。花が肩に落ちた。
 水牛のいる傍らで、程久保川の散歩道で、ベランダしたの小さな公園に。

タンポポの舌

2008-05-16 | 【草花】ETC
  旅人は待てよ
  このかすかな泉に
  舌を濡らす前に
  考へよ人生の旅人
 西脇順三郎の「旅人かへらず」のはじめの4行。
 タンポポの花は、舌状花。太陽の光や風、雨を、その舌でなめる。
 なめる前に何を考えるか、・・・・・・。

波止場のタンポポ

2008-05-14 | 【草花】ETC
 「汝等カルタゴの波止場に咲くタンポヽの毛を吹く者よ。」
 西脇順三郎の“LE MONDE MODERNE”「紙芝居」のなかの一行である。
 ここに登場するタンポポは、セイヨウタンポポ。自家受粉で種をつくり、綿毛は風に乗ってフワフワ、落ちた地に季節も気にせず芽を出すという繁殖力旺盛なタンポポである。
 一方、「和」の国に古くから育つタンポポ(カントウパンポポやカンサイタンポポ)は、蜂や蝶に花粉をはこんでもらう。自家受粉で種ができることはなく、単独でどこででも生きていくというたくましさはない。周りに仲間が群れていなくてはならない。まさに、「和をもって貴しとする」で「和」の国の草本。
 そう言うことで、人が行う開発で、人里から追いやられた。街中で見かけるのは、セイヨウタンポポ。日本在来のタンポポは、どちらかというと、人の少ない山里でひそやかに暮らしている。