サルトルのマロニエ

2009-04-08 | 【樹木】ETC
 アルベール・カミュの著作は、かつて何冊か読んだ。文庫化されたようなものは、読んだと思う。先般、「シジフォスの神話」を本棚から取り出して開いたら、ほぼ全面にわたって、線が引かれていた。かなり、熱心に読んだようだ。書き込みもしてあった。
 同じ頃、ジャン・ポール・サルトルも定評が高く、小説や戯曲の作品があった。本屋に行けば、必ずその著作集が並んでいた。何冊か読んだ。確か、哲学書の方は、敬遠していたように思う。賢明な選択だったと思う。
 振り返ると、カミュのものは、今に残るものがあるが、サルトルに関してはない。文学作品としてのレベルが違うような気がする。
 ただ、このブログで植物のことを書くようになってから、サルトルの「嘔吐」に出てくるマロニエのことにいつか触れようと思っていた。サルトルの実存主義の哲学を示すという有名な箇所である。
 以下、白井浩司訳による、その部分の抜粋である。あくまで、参考まで。
 「さて、いましがた、私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に、深くつき刺さっていた。それが根であるということももう思い出せなかった。言葉は消えうせ、言葉とともに事物の意味もその使用法も、また事物の表面に人間が記した微かな目じるしもみな消え去った。いくらか背を丸め、頭を低く垂れ、たったひとりで私は、その黒く節くれだった、生地そのままの塊と向かいあって動かなかった。その塊は私に恐怖を与えた。それから、私はあの啓示を得たのである。・・・・・・・・・存在とは、事物の捏粉(ねりこ)そのものであって、この木の根は存在の中で捏られていた。というか、あるいはむしろ、根も、公園の柵も、ベンチも、貧弱な芝生の芝草も、すべてが消えうせた。事物の多様性、その個性は単なる仮象、単なる漆にすぎなかった。その漆が溶けた。そして怪物じみた柔らかい無秩序の塊――裸の塊、恐ろしい淫猥な裸形の塊だけが残った。」
 マロニエはいいけど、なんだかつまらない。俺には向かない。
 駅前のケーキ屋、確か「マロニエ」。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿