美女たちとの「別れ」

2013-03-02 | 【樹木】エッセイ
 浮世はのう、所詮あそびか芝居小屋/くすむ心をさらりとすてて/かぶきたまえや
 それは御免と言いやるならば/忍びたまえや世の憂さを
 古代ギリシャの詩人、パルラダースの「浮世」という詩、沓掛良彦氏の訳である。
 まるで、酔っぱらいの繰り言のごとくでありながら、胸にグッと迫るものがある。
●浮き草稼業として
 第四六回衆議院選挙は、自民党の圧勝、民主党の惨敗で終わった。衆議院議員の多くが入れ替わった。
 開票日、選挙速報を見ながら、民主党の国会議員の秘書たる私は、国会を離れる議員のこともさることながら、議員会館からいなくなる同僚秘書たちのことが気にかかった。そして、自分もその一人になった。
 私は、民社党本部の書記を経て、昭和五十四年から平成二十四年まで、ほぼ三十三年間を衆議院議員の秘書として過ごしてきた。その仕事に区切りがつくことになった。
 秘書になった当時、先輩から、「お前は馬鹿だ」と罵られたことがある。また、「秘書は浮き草稼業でしかないぞ」と脅されたこともあった。未だに、その意味が判然としないところがあるが、先輩の言は、しつこく耳に残っている。
 これまでにも多くの秘書仲間が、いずこかへ消え、今回は大量に「消える」人が発生した。確かに、浮き草稼業と言えば、そうかも知れぬ。
●さまざまな秘書たち
 政治活動というのは、本来は、自分の政治的思いを実現するために行うものであろう。しかしながら、秘書になると言うことは、自分自身の思いに従うというより、ついた議員の考え方に従わざるを得ない立場に身を置くことになる。その上、議員の性格による影響を大いに受けることになる。
 政治的意見の基本線が同じであれば、多少の意見や性格の不一致はクリアできるであろうが。
 また、秘書の中には、所属組織の都合によってなる者もいる。政治への考えをもちあわせず、同志意識も希薄な単に職務としての秘書もできることがある。議員によっては、そんな秘書を求めもするが。
 「お前は馬鹿だ」と言われたのは、秘書になってしまうと、折角の自分自身の思いが、台無しになってしまうぞと言う意味だったのだろうか。●「あそび」ではすまなくて
 いずれにしろ、政治的意見が議員と対立する場合は、どうしようもなければ秘書をやめるか、許容範囲なら議員に合わすということになる。
 政治的見解を問われた場合、自分の意見があっても、議員ならどう思うか、その政治的立場にも配慮しての対応となる。
 そんなことどうでもいいじゃないか、「浮世は、所詮あそびか芝居小屋」と割り切ってもいいのだろうが、それもなかなか勇気のいること。秘書の本文をはずれることになる。
 結局、三十余年も秘書をやった私は、常識的でおもしろみのない奴ということか。だけどまあ、私は、ひとつの政治理念の流れに身をおくことができ、恵まれていた。
●スイートシェリーで
議員会館の片付けが一段落して、私の今後を気遣ってくれた男の旧友に誘われ一杯やった。ありがたいことであるが、勝手な思いこみであれこれ心配されるのは煩わしくもあったが。
 早々のお開きで、私はひとり、近隣の女性秘書による会合へ行った。私は、その女子会への参加をゆるされていた。美女たちに囲まれて、日頃、飲むことがない甘ったるいスイートシェリーを注文した。気分転換であった。私は、いつも通り、エロチックな話をして、「声が大きい」とたしなめられながら楽しいひとときを過ごした。
 もう、こういう機会もなくなるのだろうか。
※政策研究フォーラム発行、月刊誌「改革者」2013年2月号掲載

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