聖書の「命の木」

2007-10-05 | 【樹木】ETC
 「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた」(創世記第2章)
 また、最後の審判のあと、新しい都が、天から下ってくる。そして、「川は都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す」(ヨハネの黙示録第22章)ということである。川べりの「命の木」の並木である。
 これら、聖書に登場する「命の木」とは、果たしてどんな木なのだろうか。
 エゼキエル書第31章には、レバノン杉をたたえる記述がある。「その枝は美しく、豊かな陰をつくり 丈は高く、梢は雲間にとどいた」「神の園の杉もこれに及ばず 樅の木も、その大枝に比べえず すずかけの木もその若枝と競いえず 神の園のどの木も美しさを比べえなかった。わたしが、多くの枝で美しく飾ったので 神の園エデンのすべての木もうらやんだ」ということである。
 「命の木」は、レバノンの香柏(レバノンスギ)には、及ばなかったということか。
 箴言では、以下のように使われている。第3章では、知恵が勧められ「彼女をとらえる人には、命の木となり 保つ人は幸いを得る」、第11章には「神に従う人の結ぶ実は命の木となる」、第13章には「かなえられた望みは命の木」、第15章で「癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く」。見逃した個所もあるかも知れないが、こんな感じである。
 もし、わたしが画家だったら、これらからどんな「命の木」をイメージし、描くだろうか。レバノンスギのように、背が高かったり、針葉だったりせず、こんもりとした楠や椎のような姿をして、桃や林檎や梨、無花果というような、柑橘系ではなく、甘みがあってそのまま食べられる実をつけた木を描くかな。ありきたりかな。
 ほんものの画家が、これまでどのように描いてきたか、そのうち調べてみよう。
※聖書からの引用は、日本聖書協会発行の新共同訳。

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