風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

時の流れ

2007-11-20 | 風屋日記

1枚の古い写真がある。
今年のお盆、親戚の家の仏壇を拝みに行った時
その家に伝わってきた写真の複写をいただいたものだ。
かつて親父が若い頃お世話になったという
その親戚の伯母さんももう90歳間近で
娘さん(と言っても私よりずっと歳上)から
「もう母もこんな歳だし、お盆の行き来は今年きりで」
と言われた際にこの写真も「思い出に」といただいたのだった。

写真の子ども達は伯父たち。
その年齢から推し量って、恐らく大正3~4年頃のものだろう。
大正12年生まれで末っ子の親父はまだいない。
女性に抱かれた赤ちゃんは、
はじめは昨年91歳で亡くなった4番目の伯父だと思っていたが、
抱いている女性が祖母ではないこと、
そしてお盆に行ったO家にあったことなどから
昨年亡くなった伯父と1歳違いのOのおじさんかも知れない。
もうすでに昭和58年に亡くなっている
親父の従兄弟にあたるおじさんだ。

手前の子ども達のうち真ん中で座っているのは親父の長兄。
親父より20歳も上のこの人は、
旧制中学時代は秀才の誉れが高かったらしいが
この写真の10年後、22歳の時に結核で亡くなっている。
死の直前、いろいろと気苦労が絶えなかった母親に
「母さんもオレと一緒に逝かないか?」と尋ねたらしい。
その時祖母は
「私が一緒に逝ったら、誰があなたの供養をするの?」
と答えたのだとか。すごい、そして哀しい話だ。
私の親父の結核は2歳の時にこの兄の看病で感染したと思われる。
なお、この伯父の顔を見たうちの母ちゃんは
「あたなの小さい頃にそっくりだねぇ」と言っていた。そうかな。

レンズを睨み付けている右側の子どもは2番目の伯父。
東大を出た後、戦中の中国あちこちを歩き回り
戦後は長らく政界で睨みを利かせて数年前に96歳で亡くなった。
その人生の片鱗がこの写真の眼差しにもある(笑)
左の子は3番目の伯父。
心中未遂をしたり、突然出奔したり、
小説のような人生を送った挙げ句30歳過ぎに結核で亡くなった。
この伯父が、実は一番頭が良かったとのこと。

祖母は後ろの左端にいる。
祖父は右から2番目の、白い洋服姿で粋に帽子を被った人だ。
祖母は昭和20年に、祖父は27年にそれぞれ亡くなった。
右端は恐らくOの伯父さんのお父さん。
私の祖母の兄に当たる人で、この数年後突然病死している。
その後母親もひとり実家に帰ってしまったため
Oの伯父は幼児のうちに孤児となり他家で育ったという。
そんな甥を不憫に思った祖母は、
自分の息子のひとりのようにOの伯父を可愛がったのだと
今年もOの伯母が泣きながら話してくれた。
「生きている頃はよく、
 あなたの家には世話になったのだと言ってたのよ」と。

この写真を時々取り出して眺める。
ここに写っている人達はみんな既にこの世の人ではない。
でも90年前、確かにこんなひとときがあったのだ。
そしてこの人達から私、そして私の息子達に至るまで
種がつながり、血がつながっている。
今、私がこうしている時間もすぐに過去のものとなり、
いつか「こんなひとときがあった」と思い出されることになる。
息子達の子ども、そしてその孫達に
私たちはどのように思い出されるのだろうか。
コメント (4)
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