風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

2007-11-27 | 風屋日記
先日、中山可穂という作家を初めて知り、
読後に感じたこと。

男性を愛する男性、
いわゆるゲイと総称される方々が市民権(?)を得て久しい。
ニューハーフと言われるキレイな方々は
ほとんど毎日のようにテレビで姿を見られるらしい。
かつて(私が若かった頃)は日陰を歩くマイノリティの方々
・・・というイメージだったんだけど。
そして市民権を得た最大の理由は
女性達に受け入れられたことなんじゃないかと思っている。

なぜか彼ら(彼女ら?)は世の女性達に人気がある。
人気までいかなくても、そんなに抵抗なく受け入れている感じ。
なんでだろう。
うちの母ちゃんもニューハーフには興味があるらしく
かなり前、上京時に「ニューハーフショーを見て来た」と
なんとパンフレットまで買って来た(^^;
他の男性諸氏はわからないが、私はちと抵抗があるなぁ。
まぁトラウマみたいな思い出があるからだけど・・・(笑)

一方、女性を愛する女性はまだ市民権を得ていない気がする。
まぁ現代は様々な価値観がOKなので
そんなに抵抗があるわけではないと思うのだが、
それでも男性のゲイ達よりは目立つ存在ではない。
でもね、前述したこととは逆で
彼女ら(彼ら?)のことなら私は抵抗なく受け入れられる。
それどころか積極的に友人になりたいほどだ。
同じく女性を愛する存在として「こちら側」に思えるのかな。

現代の性は複雑だ。
これまで書いてきたような単純なものではないのだろう。
男性のままで男性が好きな人と
女性になって男性を愛したい人がいる。
もちろん女性も、女性として女性が好きな人と
男性になって女性を愛したい人がいるに違いない。
もしかしたら男性になって男性を愛したい女性もいるのかな?
たぶん女性になって女性を愛したい男性はいるよ。
複雑。

私は普通に女性が好きだけど(ってか男性は愛せない ^^;)
女性になってみたい気持ちはわからないでもない。
(浅田次郎氏の椿山課長を読んだ時には笑っちゃった)
私の場合「女性だったらこんな服を着てみたい」と思ったり、
「こんな生き方をするのもカッコイイ」と思ったりする。
ま、せいぜいそれだけの理由だ。
だから例えば性同一障害の方々の辛さは
どんなに想像してもたぶん爪の先ほどもわからないんだろう。
いろんな形の同性愛の方々、性同一障害の方々に
じっくりゆっくり話を聞いてみたい気も時々するんだけど、
女性を愛する女性達だと、割に気軽に話が聞けるように思う。
「こちら側」と思ってしまうからなのかも。

一般論としてだけど、
自分の恋人や妻などのパートナーを女性に奪われても
男性に奪われる時よりはまだ耐えられるような気がするな。
・・・とこの本を読んで思った。

今日の内容はシリメツレツ(^^;
コメント (6)
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