風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

記録

2005-08-01 | 風屋日記
今日から8月。
TVや新聞などでは例年のように戦争の記憶の特集を始める。
まして今年は終戦から60年の節目の年なので、特別企画がめじろ押しだ。
だが60年ということは、幼い記憶が残っている人でも70歳。
自衛隊が他国へ派遣され、平和憲法が改正されようとしている今、
私達は60年前の戦争をどのように振り返ればいいのだろうか。

私が子どもの頃、大人達はみんな戦争を経験していた。
町や生活の周囲にも、まだまだ「戦後」がたくさんあった。
学校でも家でも、戦時中の話をよく聞いた。
戦時中に群の命令で殺された動物園の動物達を描いた「かわいそうなぞう」や
広島で原爆の直撃を受けて全滅した広島二中一年生を描いた「碑」を読み、
「ビルマの竪琴」や「二十四の瞳」の感想文を書いた。
私は、そういう教育を受けてきた私達の世代を「戦後1世」だと思っている。
戦争を実体験した人達がどんどんいなくなってきている今、
人間の愚かしさが招いた悲劇の歴史を後世に伝えるバトンは私達に渡されつつある。
「アメリカと日本が戦争をした」ことを知らない大学生や
ひめゆりの塔、原爆慰霊碑に落書きやイタズラをする若い世代の人達は、
私達「戦後1世」の子供達の世代だ。
だからこそ私達自身の責任は重い。

これまでたくさんの戦争に関する本や資料に意識して目を通してきた。
TVの番組も必ずチャンネルを合わせてきた。
沖縄戦の悲劇、原爆の記録、空襲の被害、出征の悲しさ、そして特攻隊。
インドシナ半島におけるインパール作戦や南方の島々での地獄、
中国における蛮行やソ連侵攻による逃避行、シベリア抑留・・・。
数えきれない悲劇があり、何年経っても、更に目にする記録の数を重ねても、
瞠目の思いは更に深まるばかりだ。

写真をよく見る。
心を打つ・・・というより、心が引き裂かれる写真がたくさんある。
死んだ幼い弟を背負い、気をつけの姿勢で荼毘に付す順番を待つ少年、
母が乳飲み子をしっかり胸に抱いた格好で、炭化するまで黒焦げになっている親子、
故郷から遠く離れた南方の地で、ぼんやり瞳を開いたまま野辺に草むす戦死した兵士、
これから特攻隊として出撃しようとしている学徒兵のうつろな顔・・・。

私がもっとも衝撃を受けた写真は、とある本の口絵にさり気なく載っていた。
一目見た時は不思議な光景に異様さを感じただけだが、
意味が分かった瞬間意識が凍りつき、ことばもなかった。
何かを考えることもできずに、すぐに本を閉じた。

30人近い人達が全員同じ格好で倒れていた。
上半身はちゃんと服を着ているのだが、下半身がむき出しだ。
大人から、どう見ても10歳前後と思われる子どもまで、
女性ばかりが下半身を晒し、足を立てて広げ・・・死んでいた。
侵攻してきた日本軍に襲われた小さな村での出来事らしい。
(強烈な印象だったためキャプションすらよく覚えていないが、南京侵攻時?)
餓えた日本兵達に襲われ、その格好のまま殺されたたくさんの女性達。
妙な表現だが、きちんとみんな揃って同じ格好をしている遺体たちに
その出来事の異様さを感じた。

誰が悪いわけではないと私は思う。個人を責めるつもりは毛頭ない。
アメリカも、中国も、日本も、ソ連も、ドイツも、イタリアも、イギリスも・・・
どの国の兵達も国の名誉と威信をかけ、愛する人達を守るために命をかけて戦った。
たくさんの人を殺し、残虐な行為を行い、略奪し、陵辱した。
それが戦争だから。
それが戦争だ。
コメント
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