風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

玉音放送の日

2005-08-15 | 風屋日記
今日は玉音放送から60年。
ポツダム宣言受諾は数日前に決まり、通達していたし、
降伏文書調印は9月に入ってからだから
8月15日は玉音放送があっただけの日。
あえていうなら、敗戦を国民が知らされた日。

  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

戦後60年、オラが戦争のごどを知りはじめでがら35年。
ようやぐ今日わがったぞ。
そういうごどだったのがってわがったこどどがある。

頭半分ふっとばさいで、内臓ふっちらがして、泥の中でのだうぢまわって
そうやって死んでいった人だぢが、なして名誉の戦死なんだがな。
爆弾で飛ばさいで、木の枝っこさ串刺しにさいで、
直径何cmもあるよな鉄の玉を体さぶちこまえで、
痛がべなぁ・・・、辛がべなぁ・・・、苦すべなぁ・・・
家族がそったな目にあったら考えるごどは2つだ。
死んだなぁ国のためだ。りっぱだったど誉めでけろっつーのど、
誰が殺した。嫌んたのぁムリクリ戦争さ連れでって。殺したのぁ誰だっつーのど。
誉めで欲し遺族の人達ぁ、死んだ人を神様にして欲しがべ。
「うぢの父さん(息子)ぁ国を守るっ気して命かげだのす」と
自分で納得して、自分を慰めてがべ。
誰が殺したのが恨みに思ってる人達ぁ、死んだ後まで崇められるのぁ嫌んたがべ。
死んでしまった後まで国を守る神様にさせらえるのぁ勘弁だべ。

「国のために死んだ」のが「国のせいで生を断たれた」のが、
死んだ人達だの残された家族だのによって違うど思うよ。
へづを一緒くたに神様にしてしまうづのもどうがど思うなぁ。
祀りだい人達は祀ればいい。
そう思わねぇ人達は、黙ってそっとしといでやればいいんでねーの?
それぞれの人達の鎮魂の思いもあるべし、納得の仕方もあるべ。
死んだ後だからっつーて、人間を神様に祀るなぁ、
オラあんまし賛成でぎない方だけど
(ンだって、神様には逆らえないべ。
 議論の余地がない存在を生きでる人達が悪用するどおっかねーよ)
でも少なくとも、戦死した人達で家族も望んだ場合はいいんでねーの?
神様どして崇めるっつーよりも、霊鎮めだべな。

ただひとっつ言わせでもらって良がべが。
オラ達が反論でぎないその「神様」を利用して
生ぎでる人間達を自分達の都合のいいように動がすべとしてる人達がいる。
「国を守って死んだ神様達に、お前達も続けー」と言われでる気がする。
そいづぁ、おっかねーごどだ。

一昨年、市ヶ谷の自衛隊の中に「殉職自衛官の碑」がでぎだそーだ。
イラクへの派兵が決まりそうな時のごどのよーだ。
「殉職自衛官」の慰霊施設に国費を使ったのは初めでだそーだ。
何だがなー、まだ「国のために死ぬ人」を出そうどしているみてぇだな。
有事関連法案見でも、まるっきり「国家総動員法」だし、
「国のために死ね」ど言われる時代になりそな気配がプンプンどするな。

もしゃげねーが、オラ神様になんぞなりたぐねぇ。
頭半分ふっとばさいで、内臓ふっちらがして、泥の中でのだうぢまわって
そんな思いして死にだくねぇ。

そんなごどを、ちゃーんと考えねばねぇ日だよ、今日は。
コメント (3)
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