風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

涙そうそう

2005-08-30 | 風屋日記
昨夜、TBSドラマ「昭和20年8月6日」を見た。
受験生の長男も、部活で疲れ切っている次男も一緒に見た。
ささやかな日常、幸福、希望が一瞬のうちに、跡形もなく消え去る瞬間を見た。
現実はもっともっと過酷な生活だったに違いないのだが、
それでも事実の重さは充分に伝わってきた。

『安らかにお眠り下さい 過ちは繰り替えしませんから』
という平和公園の石碑の一文に対する西田敏行の語り
「本当にそういう世の中を作れているのでしょうか」という投げかけは重い。
イデオロギーでも、外交駆け引きでも、もちろん政治理念や理論でもない、
「あんなもん、人間の上に落としちゃいかんです」
という静かな慟哭も重い。

恐らく日本人100人に聞けば、
100人ともがヒロシマ、ナガサキの悲劇を悲劇として感じていると思う。
もちろん沖縄戦も、全国各地で遭った空襲も、その他すべての戦災も。
「二度とあんなことがあってはいけない」と思っているに違いない。
どの政治家も口を揃えて平和の大切さを説き、戦争を否定する。
でもね、その方法論はさまざまだ。
「だからこそ国防を考え、自衛隊の増強を考えなければ」とか
「いざという時に国を守るシステムを」とか言う人も多い。

本当にそう思う?
どんな名目であれ、どんな大義や正義を説いても
「戦争とは人殺し」だよね。
「正義の戦い」という名目でミサイルをに打ち込み、
イラクの一般の人達の「ささやかな日常、幸福、希望」を破壊した国がある。
それも「自国をテロから守るための先制攻撃」という「正義」。
それが「国防」「防衛」というものの実体だ。

高性能ミサイルや戦闘機や戦車の購入に、毎年たくさんの税金が使われている。
核兵器こそ日本にはないけれど、それでも先端技術の軍事力だ。
そしてそれらはすべからく「人殺し」に使われる道具だ。
1丁の銃すら、鉛の玉を人の体に打ち込み内臓を破裂させる。
それらを買うために私達の税金が使われているのだ。

「日本人の誇り」を失わないために自虐的史観を見直し、
愛国心を育てる憲法にしようという政治家の声が大きくなってきつつある。
本当の「日本人の誇り」は、
世界で類を見ない、戦力不保持をうたった、現「日本国憲法」であろう
・・・と私は思っているのだが。

ドラマのエンディングで「涙そうそう」の歌とともにタイトルバックに流れた
原爆で亡くなり、倒れ伏し、傷ついた人達の映像。
あの人達が元気で、笑顔で、ささやかに暮らしていた姿は思い出の中にしかない。

  悲しみにも 喜びにも 想うあの笑顔
  あなたの場所から私が 見えたら 
  きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
  
  晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
  想い出遠くあせても
  さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
  会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう

そして西田敏行の最後のセリフを忘れてはいけない。
「どんな理由だろうが、戦争はしちゃぁいかんです」
コメント (7)
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