風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

地震

2005-08-16 | 風屋日記
いやーびっくりした。
最初数秒間ガタガタ縦揺れが来て、
「地震・・・」と思う間に大きな振り幅の横揺れが。
ボートの上でバランスとるような格好で「おー!!」とか言っていた。
ガンガン揺れたわけではなく、ゆったり大きな横揺れがしばらく続いた。

私は今日まで休みだけど、明日からの仕事に備えてアイロン中。
長男は野球部3年の打ち上げで、夕べは志戸平温泉泊まり。
地震の2時間ほど前に帰ってきたが、ほとんど寝てないとのことで昼寝中だった。
2人で玄関先に出て、中腰でバランスとりながら、
電話が不通になる前に・・・と今日から仕事の家内にTEL。
端から見るとかなり奇妙でおかしな格好だっただろうな(笑)
次男は県北に遠征中だけど、方面的には大丈夫だべ。

それからすぐに、長男と2人で私の実家へ。
築40年以上の木造家屋にお袋がひとりで住んでいる。
壁から落ちた絵やこぼれた水槽の水、割れた皿などを片付けながら
会社との連絡をとろうとするが、案の定電話がもう通じない。
便利なようで、いざという時は連絡とれないと困るよねー。
3~40分ほどして、ようやく連絡が取れたけど。

花巻市は震度5弱ながら大した被害はなし。
家の中では洗面所の化粧水が落下した程度だった。
盛岡は震度4ながら、会社ではエアコンのダクトが外れて水漏れがあったとのこと。
地盤が緩いんだよ、会社の辺りは。
昨日は大雨で会社の裏の川が溢れたらしいし、
(神楽の衣装に着替えたところに連絡があった)
なんなんだよ、このお盆休みは・・・。


・・・ということで、私は無事です。
mkさん、直後のメールありがとう。
仙台周辺にお住まいのmackさん、にっちさんは大丈夫だっただろうか。
花巻市内のまつたけさん、ktさん、お色気さん、せがたくは?
(バンド仲間のshishiさん、Mcatさん、べんちゃんは? 今晩の練習大丈夫?)
ka@さん、bittiさんはまだご実家ですか? 大丈夫ですか?
盛岡の春風さん、ご無事ですか? 
サワダ氏、お疲れさまでした。
コメント (25)
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知ること、記憶し続けること、伝えること

2005-08-16 | 風屋日記
今日の朝日新聞の文化欄に載っていた
大江健三郎さんの連載エッセイ「伝える言葉」より。

   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

靖国神社には1歳に満たない子どもが英霊として合祀されているらしい。
米軍の沖縄列島上陸時に渡嘉敷島で3百人以上、
座間味島で百数十人集団自決した中にいたものだという。
沖縄国際大学教授によると
「住民が日本軍に積極的に協力したという基準で適用されるのが
 『戦傷病者戦没者遺族等援護法』であり、
 その認定基準に『集団自決』がある」という。
戦闘の足手纏いになるために集団自決を強要され、
それが『戦闘参加者』として『積極的に日本軍に協力した』ことになるそうだ。

この2つの島の集団自決について大江さんが書いた文章により、いま大江さんは、
その2島の守備隊長だった方々の家族に名誉毀損で訴えられているとのこと。
「強要したわけではない」ということだろうが・・・。

   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

1985年、当時の厚生省が示した文章が書いてある。
「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、
 国民がその生命、身体、財産等について、
 その戦争により何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、
 それは、国を挙げての戦争による『一般犠牲』として
 受忍しなければならない」

   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

日本国憲法に「公共の福祉」は以下のように書かれている。
「すべて国民は、個人として尊重される。
 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
 公共の福祉に反しない限り、
 立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

ところが3年前、有事関連3法案審議中の特別委員会において、
当時の福田官房長官は「武力攻撃事態」において
「思想、良心、信仰の自由が制約を受けることはあり得る」と話した。
具体的な例として
物資の保管命令を受けたものが、思想、良心を理由に自衛隊への協力を拒んだ時
それは「公共の福祉によって制約される」ということになるという。


良心の自由を制限? ・・・申し訳ないが私には理解できない。
            国のために良心を捨てろってか?

   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

大江さんは
「広く、深く、いま何が考えられ、何がなされようとしているのかを知ろう」
と訴え、加えて
「それを記憶し続ける努力、新しい世代に伝える勇敢な努力をしよう」と書く。

私はできるだけイデオロギーに巻き込まれないようにしたいと思う。
その上で、客観的で純粋な疑問を持ち続け、
おかしいと思ったことは「おかしい」と言える勇気を身につけたい。
自分と違う意見を封じようとは思わないよ。
でも、例えば戦争についてなどは議論もする積もりはない。
聖戦だとか、正義だとか、口当たりの良い言葉を使っても
人殺しには違いないのだから。
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