吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

ストレス・テストを広げよう!

2011年07月31日 | Weblog
ストレスを感じたり、ストレス耐性が問題になるのは、何も原子力発電所だけではない。あらゆる生物や物質は、何らかのストレスを感じて生きている。存在している。道路のアスファルトやビルのコンクリートでも、われわれが日常使用しているカバンや靴なども、いつもストレスを感じている。

牛や豚などの家畜も、野山に生きる鳥や小動物たちも、ストレスを感じながら生きている。ビニールハウスに育つ野菜や花きも、田畑に育つ穀物や野菜も、日々ストレスを受け、これを感じている。原子力発電所や東京電力と同じように、大きなストレスが想定される(政治、行政)対象は、実に広い。

この度の原子力発電所が受ける(ストレス・テスト)と仮想されているストレスは、地震や津波や台風といった異常気象だが、原発を造った人間(人類)自身が与えるストレスもある。テロや核ミサイルの攻撃やキャパオーバーの過酷操業や誤作動などだ。

これらの突然襲ってくる異常ストレスに、どれほどの耐性があるかをシュミレーション予測検証しておくことは、安全(確保)の第一歩だ。今回の原発地震津波爆発事故対応のように、想定外ばかりの言い訳が横行しないようにするためばかりではなく、確実に安全を担保するために、シュミレーションテストは必要なのだ。

このたびの原発だけでなく、このようなストレス適応やストレス耐性で重要なことは、対象の非移動性だ。時間やお金や手段があり、移動自由の人々は例外だが、原子力発電所近くに定住生活している福島の人々や貧しく脱出移住もできないソマリアの人々などは、飼われている家畜や耕作されている農作物やその土地に育つ樹木や植物と同じく、非移動性でそこを避難移動できないので、ストレス(テスト)の対象(物)になる。

たまたまの原子力発電所に限らず政治や行政は、広くストレス・テストを考えてほしい。必要なストレス耐性やストレス適応を施策してほしい。

(2011年7月31日午前3時54分;まだ強い311の余震あり。震度5強マグニチュード6.4、福島県沖震源。)
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数字の裏側

2011年07月28日 | Weblog
 むかし、パーセントのお化け(社会)というブログを書いた(2006年5月7日)ことがある。よく発表される内閣支持率や世論調査のパーセントほど怪しいものはない。誰が答えたか不確かなインターネットや電話による調査が大方だからだ。どこの新聞社の支持率調査も回収率は60%強ぐらいなのも不思議だが、これで今週末の内閣支持率は何%という厚顔もいただけない。

 アンケートの回答%に限らず、数字はオバケだ。この間、ある会社のトイレ洗浄剤を見たら、除菌率99.99%と書いてあった。100%と書けないのか、書かないのかわからない。除菌というから、10000菌のうち1菌がダメなのか、0.01%は、除菌できないことがあるのかわからない。10000菌種のうち1種なのか、10000菌数のうち1菌なのかわからない。除菌モレする10000菌のうちの1菌をどのようにして分析、確定したのかわからない。

 この洗浄剤の主成分の水酸化ナトリウムがどう働くのか、次亜塩素酸塩がどう働くのか、わからない。何か根拠があるから100%でなく、99.99%なのだろうと思うがわからない。別の会社の柔軟剤だって「汗のニオイを99%おさえる」と言っている。1%の汗の何がしかの成分が抑えられない成分なのか、汗のニオイの量を測って言っているのかわからない。どちらの製品も要は、”こんなにすばらしいパフォーマンス”なのだといいたいのだろうが、数字で言うところがクセモノなのだ。

 このたびの放射線量(健康)生涯被曝量の暫定基準値100ミリシーベルトと国が定めた避難区域目安線量年間20ミリシーベルトだって、わからない。片方は生涯といっているのに、片方は年間だ。5年分で生涯になる根拠がわからない。ふつうのヒトは、5年の間に一回ぐらいは、胸部X線(レントゲン)をとる。10時間ぐらい飛行機にも乗る。これらとふだんに受けている自然放射線量をあわせると、何でもなくても10ミリシーベルトぐらいは自然被曝している。20や100ぐらいスグなのだ。

 今回肉牛の被曝稲ワラ摂取の問題で大騒ぎしたが、暫定基準の100ミリシーベルトであっても、外部被曝と内部被曝の割合などハテナだ。生涯の100ミリシーベルトなど、多くの人々が浴びてしまうのではないだろうか。破られる法律や破られる基準など、つくらないと思うが心配している。
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無いものねだりの持続安定モデル

2011年07月25日 | Weblog
この時期にあって、まだ成長モデルから離れられない日本の経済界や政府のようだ。エネルギー問題や原子力発電の問題も、東電や関西電力の方々やこの度の九州電力のヤラセ問題も”根”は、成長モデルのみが有効だったことが忘れられないところにあるように映る。

まだ発展や成長の入り口にも至っていないアジアやアフリカの諸国も多いが、日本はすでにアメリカやEU諸国に先んじ人口減少社会に入っている。今回の震災やFUKUSHIMA原発事故災害があろうがなかろうが、いままでの成長モデルが有効な時勢ではない。一人ひとりの人々や農漁業や中小企業の方々にとっては、とてもイメージできない市場モデルや価値基準の変化だろうが、時代や社会の変化と変化への対応について、これをリードすることが求められよう。

どのように生きることがシアワセなのか。どのように(経済、収入)活動することが望まれるのか。どのような暮らし方がいいのか。震災や原発放射能後の暮らし設計をどのようにしたらいいのか。ささやかでも安心できる夢や現実をセットするのが政治だろう。成長がないことが”悪や制約”ではなく、成長がない世の中でも、シアワセな暮らしができる国の姿を提示してほしい。当座の復旧と来る復興の違いを、丁寧に説明しながら共有することが求められよう。

アメリカやECやBRICS諸国も近い将来日本同様人口減少社会に入る。いずれ戻る発展途上国への工場進出や企業移転はほんの当座にして、非成長人口減少のこの国での将来づくりに集中してほしい。国もそれを受容し、推進してほしい。付加価値は、結局労働(働く人口)の総和であるからして、人口減少と非成長持続安定モデルは、受け入れざるを得ないのでしょうから。

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カタカナ(複合)汚染

2011年07月24日 | Weblog
35年から40年前、日本は高度経済成長の真っただ中にあった。そのような時期、有吉佐和子さんの『複合汚染』が連載(朝日新聞)され、出版(新潮社)された。うすうす抱いていた”工業化成長”の不安と影を、ずばり小説にして世に問うた有吉佐和子さんに、感嘆した。

チッソ水俣病や森永ミルクヒ素混入事件などが前触れだったが、まだ実感していないホルムアルデヒトやアスベストに加え、界面活性剤やトリハロメタンおよび化学工場などと河川や海および土壌などの汚染不安を指摘した小説だった。チッソ水俣病の訴訟裁判が決着するのは、それから半世紀後のつい最近だ。

そして、このたびの福島第一原子力発電所の震災津波水素爆発による放射能汚染だ。当初は、ヨウ素(131)など昔からのチッソやヒ素などの延長イメージで喧噪だったが、キツイ攻撃は”カタカナ”で来た。プルトニウムとセシウム(131)だ。前者がウラン(濃縮)に準ずる化学毒性だといえば、後者はコバルト同位体ストロンチウム並みの毒性だとかいう。

チッソ、ヒ素、カドミウム、アスベスト、エイズウイルス(HIV)、ヨウ素、セシウムと、カタカナに攻められた21世紀初頭だ。チルノブイリやスリーマイル島で不安された言葉も、ストロンチウムやコバルトとアルファ線やガンマー線だった。カタカナ複合汚染の図だ。

ヒト免疫不全ウイルスHIVかと思ったウイルスが、最近はもっぱらコンピューターに入る。インターネットはIT社会のインフラだが、これが、コンピューターウイルスという他細胞で自己複製して悪さするウイルス(プログラム)に脅かされている。

同居(免疫)するのか、戦いを挑み殲滅させるのか、カタカナたちに選択を迫られる人類なのだ。
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復興担当(相)と原発担当(相)のこの夏と2011/12年。

2011年07月19日 | Weblog
菅内閣があとどのくらいやるのか、いつまでの菅内閣なのか知らない。まだまだ、皆さんがお望みのように職場放棄するわけにはいかないと、内閣府特命大臣を任命した。細野豪志原発担当相(消費者問題担当)と松本さんの後の平野達男復興担当相だ。

東日本大震災の復旧復興問題と福島第一原子力発電所爆発放射線被曝問題を一つに扱うことの難儀を回避するためだ。災害の性格の違いと対策復旧復興対応の違いからだ。それぞれに、効果的に対応し解決することが、結局効率的になるということなのだろう。

2011年6月24日、311から100日を経て復興基本法が公布,施行された。第二次補正予算に計上された復旧費は5年で12兆円だが、復興のためにはあと5~10兆円ぐらいは要りそうだ。復興庁構想なども出ているが、余ほど与野党の覚悟同意がなければ、ただいまの国土交通省、農林水産省、経済産業省や内閣総務省および各自治体などの権限調整を突破することは難しい。

あの松本龍防災大臣のあとをお引き受けになった平野達男復興担当相の頑張りに期待するほかはないのだが、当面は各自治体との協調を高め、がれきの撤去と処理を急ぎ、早期の避難所暮らしからの解放とシゴトや新しい生活のスタートに注力してほしい。フクシマ関係のこれからの生活支援も含めてほしい。

折しも発現した福島産肉牛の放射性セシウム問題は、原発問題の難しさを増幅させた。エサの稲ワラが被曝したものであったからだが、これはこれ以外の多くの問題を示唆した。第一次の工程表が達成できたとすることは少々の安堵を与えようが、汚染水の処理や建屋の耐震補強や原子炉自身の補強など、収束に向けてしなければならない課題は多い。

内閣や政府がどうなるのかしらないが、これらの大きな2つの問題に対しては、持続的に取り組んでほしい。ストップできないことですから。
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爽快・なでしこジャパン世界一!

2011年07月18日 | Weblog
ただいまの日本の世情を吹き飛ばすような情報は、2011年7月18日海の日の早朝、海を渡ってきた。なでしこジャパン、ワールドカップ世界一の偉業だ。

サッカーの女子日本が、世界の王者アメリカ女子を破った。澤選手や宮間選手の素晴らしいシュートも目に焼き付くが、あの海堀選手の反応(ゲートキーパー)はすばらしかった。

東日本大震災とフクシマ原発崩壊事故で、暮らしが不透明な中にあって彼女たちの偉業が人々に与えた勇気は大きい。フクシマの後遺症ばかりに不安する人々に一瞬の、しかし大きな元気を与えた。感激と感謝が同期している。

ふだんなら、リラクシング・デイして過ごす休日だが、メモリーブログしておく。アリガトウ、なでしこジャパン!
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小さな所有欲からの解放

2011年07月18日 | Weblog
まだ戦後がつづく1950年の早朝。早朝といってもまだ薄暗さが残る午前4時過ぎ、そっと起きる。イタズラっ気の残るわたしの小学校入りたての頃。ふだんなら、前夜仕掛けたうなぎのウツボ上げに向かうが、今朝は奥の山に向かう。わたしが何かにつけ敬愛するイトコと一緒だ。

30分から一時間近く山道から灌木や雑木林を歩き、つい2~3日前も来た山頂近くの雰囲気のいい低木あたりに着いた。まだ、6時にならない。つれて来たオトリ・メジロの鳥かごをかけ、トリモチを小枝に巻きながらオニギリを頬張る。2本ぐらいのトリモチ枝を低木にセットし、その場から少し離れてイキを殺す。

一時間ほどしたころ、メジロが飛来した。群れから数匹ほどが低木に来た。トントンと枝を渡り、二羽がトリモチ枝に付いた。逆さになったメジロ二羽を鳥カゴに入れ、またオニギリを頬張った。こうして、捕ったメジロやヤマガラを飼うことが、小学校入ったころの私の楽しみだった。熟した柿をエサにしたり、蒸して冷ましたサツマイモをエサにしたり、ヤマガラに芸を教えたりして、自慢気に過ごした。

友達より多くのキレイなメジロを持っていることやゲームで勝ち取ったたくさんのビー玉、ベーゴマやメンコを持っていることが自慢だった。小さな何かをヒトより多く持っていることや、ヒトが持っていないものを持っていることが、自慢だった。こうして、私のモノを多く持つことへの欲や価値が生まれ、そして世の中のモノ社会化に馴染んだ。

社会人になってからは、エコノミック・アニマルをし、物欲を高め、そろそろ50年になる。やっと、モノ離れできそうになってきたこの頃だが、幼いころの性のつづきから解放されたいと願う昨今でもある。
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熱中したいシンドローム

2011年07月17日 | Weblog
むかし、30℃を超える気温はめったになかったように思う。自分が関東は北の方の田舎に暮らしていたからかも知れない。この東京に暮らすようになって50年だが、東京でも35℃を超える猛暑など昔はなかった。身を持って思う地球温暖化なのか。

近年は、平気で35℃を超える。ときどきは、37~8度と体温を超えることもある。熱中症がシンドローム的だ。熱中症を警告する(高温注意報)天気情報や予報が、電力(需要)予報と一緒にテレビに出る。熱中症にもいろいろな種類というか症状がある。熱失神、熱痙攣、熱疲労、熱射病などだが、症状や(対処)手当てが違う。

熱波により起こるものは、このところ多いお年寄りに多い。高温環境で主に幼児がかかる熱中症もある。熱暑の労働や戸外活動で働く人々がかかる熱中症も、主に都会で多い。若い人たちは、炎天下のスポーツでかかる。適切な水分や塩分をとる程度では、クリアできない。救急車を要請するタイミングも大事だが、熱くなったカラダの冷却方法などを勉強しておくことも大切だ。

熱中症(heat attack)とフクシマ放射能(被曝)で喧噪された2011年の夏だが、このような世情と暑さが何かに”熱中すること”(be really into)を妨げる。シゴトも寄るトシが熱中させない。政治や正義にたいしても、冷めたココロが熱中させない。趣味やボランティアなどにも集中できない。熱中できない、夢中になれない自分の日々を責める。

熱中症にばかり熱中するようでは日々の意義を感じられないと思うが、この熱暑が、わたしをボーッとさせる。熱中対象の探索と集中探求が、わたしの2011年か・・・。(了)
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久しぶりにふだんの週末が得られ、サントリー美術館訪。

2011年07月10日 | Weblog
このところずっと、週末の自由がなかった。出張やかなわぬ用事で休み感覚が遠のいていた。2011年7月9日(土)は朝から熱暑の感じだったが、思い切って外出するつもりで起きた。

家内がサントリー(美術館)の切符が2枚あるよというので、出向くことにした。地下鉄は有楽町で日比谷線に乗り換え六本木は、ミッド・タウンに着いた。少し早目のランチを鈴波さんでいただき、サントリー美術館に入った。「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」はどうしても観賞したいと思っていた展示会だ。

よくわかってはいないが、わたしたち人間を守護してくれている架空の動物が4神あるという。このたびの鳳凰と獅子と、(唐)獅子とセットにいる狛犬と麒麟だ。やや麒麟の出番は少なかったが、獅子と狛犬および鳳凰が時代時代の絵や彫物になって紹介されていた。

獅子と狛犬の関係や獅子舞などのいわくも解説展示されていたが、何と言っても私たちが畏敬し奉る鳳凰の屏風絵や鏡ものや彫刻がすばらしかった。土地や時代や画家によって少々異なる想像神鳳凰だが、想像や空想が眼前に生きているように見えるから不思議だ。

自分用土産に、少々割高な漆に鳳凰箔絵の4GBのUSBスティック・メモリーを買って帰宅した。昨日の週末(土)ブログでした。
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この夏、勉強できる環境を子どもたちに!

2011年07月09日 | Weblog
この4月からの一学期、学校がない、家がなかった多くの子どもたち。東日本大震災津波は、子どもたちの勉強や学習環境を奪った。遊んだり、運動したりする環境も奪った。学校や運動場が使えなくなった。

避難所で暮らすお年寄りの健康が心配された。赤ちゃんを持つお母さんの気苦労は想像以上だ。ダンボールで仕切られた避難所のお隣さん同士の気遣いも、大変なストレスになっている。学校に通う子供たちだって、学校そのものが勉強に集中できる環境でない。

早いもので、あれ(311)から4か月一年の3分の1が過ぎた。被災避難されている方々の家族生活の再建も見えない。子どもたちのふつうの生活が戻らない。あと1週間もすれば、夏休みだ。一日中避難所で過ごすこともシンドイ。近くに補習したり、読書したりできる学校や図書館もない。

海水浴やハダカでの水遊びをする場所も見当たらない。土ぼこりをあげてサッカーや野球などをする場所もない。夏休みの宿題をしたり、勉強の補習や強化をしたくても、机や場所がない。少しは集中して勉強したいと思うが、そのような環境を避難所に求めることはゼイタクかもしれない。自分勝手だとお叱りをうけそうだ。

被災地の子どもたちに思いを寄せる。遠くにいて、支援物資や義援金ぐらいをささやかにして、”何かしている風”を装うことぐらいしかできない自分がナサケナイが、この地の子どもたちがたくましくこの恵まれない環境を克服して行ってくれることを願う。ガンバッテ、たくましく育ってください。
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