吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

樹齢何百年に頭を垂れ、上を見て、巨木公園を散策す。

2019年01月31日 | Weblog
自然、巨木巨樹に頭が下がる。多くの巨木が古木ご神木だからかも知れない。神社の境内や林の巨樹やご神木でなくても、巨木に会うと自然に頭が下がる。大きいことイコール樹齢を重ねているということが、何百年もトシを重ねていることが、そうさせるのか?大樹巨木の基準は、地上130cm 位置での幹周300cm、すなわち幹周り3メートル以上をいうらしい。


ご神木も含めて何百年も樹齢を重ねた巨木巨樹には、屋久島の縄文杉のように秘境にあったり、辺境にあることが多い。日本の巨木といったら、クスノキ(大楠)やイチョウ(銀杏)やケヤキ(欅)が代表だろうか。神社に多いご神木は スギ(大杉)だろうか?この頃の公園林などでは、プラタナス(アメリカ鈴懸)やメタセコイアなども多くありそうだ。


杉檜や常緑樹の王様クスノキ(樟の木)などを別にすると、多くの巨木や巨樹は落葉樹。頭上いっぱいに枝々を広げる裸落葉の大枯木の存在感は大きい。この時期真冬の林や公園に、よくみる巨樹巨木は、何故かやさしい。思いつきで少しキツイウォーキングで来たここ光が丘公園は、公園の年齢を越えた樹木の年齢が多い。桜や欅など大古木、巨木が多い。珍しのは、かなりの巨樹巨木とみられるアメリカ スズカケの木がやさしい。


(最高)気温10℃で珍しく風もなかった今日(1/30)、ケヤキ、イチョウ、スズカケや桜などの大きな落葉樹の間と杉檜松の針葉樹や楠木の巨木の間をゆるり散策。公園をあとに40分ほどを歩いて帰宅した。穏やかな一日に感謝。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気源「スーパー〇〇」雑話

2019年01月28日 | Weblog
いま スーパー〇〇などといえば、あの尾畠春夫さん。スーパーボランティアだ。周防大島での行方不明2歳児探索発見で一段と有名になった彼。広島や熊本や東日本震災など大きな自然災害のボランティア活動など、多くの被災地の復旧ボランティアの活動をみた。ただいま、東京から大分県の自宅まで1,320km の「子どもの幸福を願う旅」徒歩旅の途中。1月20日頃出てまだ神奈川県を越えられない。


スーパー〇〇と言えば ひと昔は、スーパーマン。1980年代アメリカ映画のスーパーマンだが、シリーズやリターンズは2000年に入ってもしばらく続いた世界的人気のコミック映画。このころ青少年だったおじさんたちに”スーパー〇〇”と問えば、任天堂のスーパーマリオブラザーズのスーパーマリオや仮面ライダー・スーパー戦隊のスーパーヒーローを想起するかも知れない。少しアニメやゲームを離れてスパコンやスーパーカーを云ったり、ディスカウントストア スーパーヒーローなどというかも知れない。


ただいま、喜寿までトシを重ねた私。考えることは健康。ヘルシーフードやヘルシーライフだから、想起するのはスーパーフード。健康管理の基本は、何と言っても栄養バランスや栄養価。多くの人は、”抗酸化力”だという。だから、抗酸化力のあるものイコール スーパーフードだという。アサイーやアマニやなつめやクコの実などの木の実フードが、スーパーフードにあがる。


ふだん何気なく摂食しているブロッコリーやモロヘイヤなどもスーパーフード。ブロッコリー・スプラウトやそのスルフォラファンなどに加え、アセロアのようなレッドフルーツ類やココナッツオイル、カカオバターなども多くの人々に食されているようだ。スーパーフードは、健康のスーパーヒーローだ(?)など云っては、その道の人にお叱りを受けるかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナログ人間の嘆き

2019年01月23日 | Weblog
戦前生まれの私は、典型的なアナログ人間。日々の買い物や決済は、すべて現金。通信販売やアマゾン・楽天などのインターネット販売は、利用しない。プライバシーとかいわれる自分を晒すクレジットカードやストアカードも使わない。せいぜいスイーカやパスモなどを使うだけだ。


ふれて、さわって、対象の姿形や動きなどを推し量り、理解確認して、買ったり利用したりする。対面したり会話したりする相手の顔や仕草をみて、相手の考えや思考過程を理解して、自分の考えや態度を表現する。だから、ツイッターやラインなど、限られた言葉で〇×△を会話交流するような仕組みには入らない。使わない。


このような自分だから、いま革新中や発展中だというAI化傾向やカードや非接触決済化には、抵抗感がつよい。”みえない世界”で自分が裸にされ、現実の自分の行動が規制されたり、指示(?)されたりするのがイヤだ。自分なりの主体性や思考基準が奪われている不安が拭えない。


高速化や即時化も自分の意には沿わない。自分の”考える”時間が奪われる。”おそく手間のかかる”世の中を崩さないでほしい。モノや技術の急激な革新を好まない。昆虫を食べたり、”もどき”食べものを開発したりすることにも反対だ。肉、魚、米や野菜果物など、いままでおいしく食べてきた脂質、炭水化物、たんぱく質やビタミン類など摂って生きている人間社会を続けてほしい。保守アナログ人間のお願いです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アセビ(アシビ)という常緑低木の庭木花(馬酔木)閑話

2019年01月21日 | Weblog
アセビ(馬酔木)という丸っこい常緑低木を庭の隅々によく見る。冬のいまごろから春にかけて小さな房状の蕾花を、緑葉が見えなくなるほど咲かす。2月から3月頃にたくさんの小さな白い花をつける。うすい赤い花や赤白混ぜたような房花もある。


馬が酔う木(馬酔木)と書いて、アセビやアシビなどと読む。国内で多くの人々に愛好されている桜花や勿忘草のような5片や6片やあるいは八重に花びらをつけて咲く木花や草花とは異なり、栗の房花を小さくしたような房花をたくさんぶら下げて咲く。何とも花らしくない花なのに、多くの家々の庭や公園に植栽されている。


俳句誌や俳人会派などの名前にもよくみる。馬酔木なる文字がいいのか、馬だけでなく人が酔ったり中毒になったりするからなのだろうか?葉や樹皮や花に毒性をもつという有毒植物だと云われているにも拘らず、家々の庭の隅や公園の所どころに植栽されている。不思議な木花なのだが、花というよりこんもりと植栽される緑葉が観賞されているようでもある。


俳句誌や俳句会派などでは、水原秋桜子の「馬酔木」がよく知られていると思うが、高浜虚子の「ホトトギス」や加藤楸邨の「寒雷」など他の俳句誌や会派の人々にもよく詠まれる”馬酔木”だ。山口青邨の「月よりもくらきともしび花馬酔木」など、馬酔木は、よく俳句の対象になる。不思議。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成の三十年世の中回顧

2019年01月17日 | Weblog
平成という時代が終わる。戦後の復興から発展への40年余を受け継いで、バブル崩壊からの後退経済期を滞りなく平和に過ぎた平成の30年。その年々の凹凸はあったものの、平穏な世の中であった平成を振り返ってみたい。平成元年(1988)からの二十年の激動と平成二十年からの十年の安定のように思いますが、わたしなりの回顧をしてみたいと思います。

平成、それは昭和の終わり昭和60年代からのオーバーラップで始まったように思う。科学万博(つくば博)が観客動員2000万人を達成(昭和60年1985)、電電公社がNTTになり、専売公社が日本たばこ産業(JT)なったりと民営化がすすむ。PL学園の清原君や桑田君の巨人入りドラフトが話題になったこの時期、世間は団塊ジュニアやキャパクラ、おニャン子クラブで過ぎた。

そして平成元年(1989)、男女雇用機会均等法が成立、土井たか子社会党委員長の誕生にあわせ亭主元気で留守がいいと、バブルがピークになった。国鉄分割民営化でJR各社が発足した。石原裕次郎が52歳の若さで死去した昭和62年10月のブラックマンデー、ニューヨーク平均株価が23%下落した翌年、青函トンネルが開業するもプータローやフリーターが話題になった。

平成元年(1989)の日本が、消費税(3%)がスタートする中、中国の天安門事件や東ドイツのベルリンの壁が崩壊撤去される一方ソ連のゴルバチョフ書記長と米国ブッシュ大統領のマルタ会談で、戦後の冷戦構造が終結した。アッシー君やあげまんが世間の小話になり(平成2年1990)、成田離婚や結婚しないかもしれない症候群と冬彦さんが話題(平成4年1992)になった。

平成5年(1993)皇太子殿下の(小和田)雅子さんとのご成婚の年、非自民非共産8会派連立の細川内閣が発足し、あのロッキードの田中角栄元総理が死去した。同情するなら金をくれや引きこもりに合わせ、就職氷河期が訪れる(平成6年1994)。翌平成7年(1995)、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した年、村山富市総理の戦後50年侵略お詫び首相談話があるも、東京では青島幸男、大阪では横山ノックなるタレント無党派知事が誕生した。

消費税3%の5%への引き上げ年の平成9年(1997)、山一證券や北海道拓殖銀行が破綻。失楽園や貸し渋り(平成10年1998)につづき、リベンジならぬ自自公連立で小渕恵三首相が誕生、地域振興券が配布された。小渕首相の体調不良で生まれた次期森喜朗総理の平成12年(2000)、介護保険制度やナスダック・ジャパンがスタートした。出会い系サイトがIT革命の呼び水役になった。

こうして、2001年聖域なき構造改革の小泉純一郎政権が誕生。アメリカ・ニューヨークでの911同時多発テロの年、BSEとちょいワルオヤジの日本の21世紀に入った。その後平成20年(2008)までの日本の20年は、バブル崩壊の後遺症を受け激動の時代だったが、後半平成30年までの10年は 景気後退低迷なのかサステナビリティと言って、静かで落ち着いた時代になった。

あらためて人口学的に平成の30年を眺めると、平成元年(1988)核家族の標準「親と未婚の子」の世帯は総世帯の12%だったが、平成30年(2018)にはほぼ2倍の22%になった。伝統的な世帯類型3世代世帯が平成元年の41%から約3分の1の11%(平成30年)になった(30%減)のをみると、あとの20%分はどのような世帯になったのであろうか。ご推察のとおり「夫婦のみの世帯」(21%が32%に)と「一人(単身)世帯」(15%が27%に)の増加になっている。

平成という時代(30年)の日本は、総人口が変わらず(12,400万人→12,700万人)の中、国民総所得(ここでは、世帯年間平均所得)の激減(650万円→560万円)と「65歳以上のいる世帯」の激増(1000万世帯→2300万世帯)にみられる必ずしも暮らしやすい世の中とは言えない社会であったようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年1月3日は、箱根駅伝復路の街頭応援。

2019年01月05日 | Weblog
平成31年、あけましておめでとうございます。元旦まずは、近くの氏神様神社への初詣ということで、東武東上線は大山駅から5~6分ほど歩いて子易神社へ。お天気や国世の中が天災や外交で落ち着かない平成30年でしたが、わが家家族が恙ない一年であったことに感謝して拝礼。開運招福の御神矢を受けて帰宅した。


毎年のことだが2日は、明治神宮参内の予定。お世話になっている社長の森久氏と表参道はJR原宿駅で待ち合わせて午前10時、参道の砂利道を鳴らしながら南神門より本殿広場に入る。二拝二拍一拝とお賽銭を捧げ、家内安全のお札をいただいて北参道に出てJR代々木駅より池袋に。ふたりで初のお蕎麦ランチをいただき帰宅。


1月3日の箱根駅伝(復路)応援。昨年は日銀本店近くの常盤橋傍の交差点近くで応援したが、ことしは少し変えようと日本橋2丁目は丸善日本橋店前高島屋側で待つ。13時15分前ぐらいに待ち、待つこと40分ほど往路優勝の東洋大を逆転した東海大が、強い北風を切って走ってきた。8区でトップに立ち、そのまま悠々2位青山学院に4分ほどの差をつけて優勝した。


往路(優勝;東洋大)2位、復路(優勝;青山学院大)2位での総合優勝は、久しぶりらしい。自然(天候)や社会(外交)や景気(株価)の乱高下を反映してか、今年の箱根駅伝は大きく乱高下した。圧倒的なトップ予想の青学が往路で大きく出遅れ、昨年5位だった東海大が昨年を18分ほども短縮したレコードで優勝。昨年より5~6分ほども短縮した法政や帝京、拓殖や中央学院などが、シード(10位以内)件を奪取した。シード落ちした昨年3位や4位の早稲田、日体大の奮起を期待する。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俳句をはじめて丸五年ー嗜みにはほど遠い今。

2019年01月03日 | Weblog
ちょうど5年前の正月、70歳過ぎても何の趣味もない自分。絵や書も遠く、音楽やスポーツにも疎い私だが、何とかささやかな嗜みにしたいと始めたのが俳句。詩歌やモノ書きに挑むほどの才も勇気もなく、どうにかモノに出来るかと軽はずみで始めた。世の中の俳人や俳句を嗜んでいる方々のお叱りを覚悟で、朝日カルチャーセンターの俳句通信講座に入会した。平成26(2014)年2月、いまは亡き金子兜太先生の教室だったが、実際にアカを入れてくれたり、指導してくださる先生は、武田伸一「海程」編集長だった。


三年半ほど、毎月俳句らしくない私の俳句を月5句通信添削していただいたり、年に一・二度の教室での授業にも参加させていただいた。一日一句ミニマムをノルマっぽく詠句し、句帳がわりのPCに入力ファイルする。この5年数だけは目標達成、一年400句弱、この5年で2000句ほどがファイルされている。俳句の初歩的な約束ごとや詠み方も知らず、季重なりあり、説明詠みあり、散文調ありで、なかなか俳句にならない。甘く自撰しても年400句のうち、俳句らしく思えるものは、50句にもならない。


このようなレベルにもかかわらず、私はこの5年で自撰の俳句集本を四冊も上梓した。最初は平成27(2015)年3月発行の『2014年甲午私撰月季俳句集”はじめての俳句”』で、1月から12月までの月3~4句の年42句にエッセイを付けて本にした。2回目が平成28(2016)年発行の『平成27年吉澤兄一私撰月季俳句集”日々折々日々句々”』、平成27(2015)年一年の俳句ファイルより65句をまとめ本にした。3回目の本は、平成30年(2018)年1月発行の『吉澤兄一私撰俳句とエッセイ集”四季の自然と花ごころ”』。平成27年から29年までの句集PCファイルより144句を私撰して本にした。


同じ年(2018)の12月には、平成も終わる三十年と自分の喜寿を記念して平成三十年の句帳より月々の俳句8句+αの合計百句を自撰し、『平成三十年喜寿記念月季俳句”百句私撰集”』を出版した。平成30(2018)年1~12に詠みファイルした391句より百句を無理やり自撰しての本だ。こうして、自分の厚顔を顧みず自分をさらした5年だったが、一年一年少しでも俳句らしくなってきているのではないかと思っている。ことしも、これからもよろしくです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年;2019(平成31)年心することー「吾道一以貫之」。

2019年01月01日 | Weblog
平成の三十年、しばしば私のところに届いた言葉が「恕」。私の師友谷内田氏よりの色紙や短冊だが、多くは時節ごとにいただく彼の扇子書画や色紙書の「恕」だ。わたくしなりの解釈は、思いやりや仁。人に、事に、やさしく生きろという”いましめ”と受け止めている。


ことしは、少し違う。平成三十年の年の瀬、いただいたのは禅宗(臨済宗)は、岐阜の正眼寺住職 山川宗玄老師からの色紙書『吾道一以貫之』。不勉強な私でも、ちょっと触れたことのある言葉(論語)だ。ある学校では「吾道一貫」と教え、ある教材では「一以貫之」を教えている(孔子)。


いま風にいえば「私の道は、ただ一つのことで貫かれている」という意だが、この”ひとつのこと”には、いろいろの解釈があってよさそうだが、孔子のいう意は「忠恕」だ。いま様に言えば、忠とは”誠実”。自分が言っていることは、自分の心そのままということ。恕とは”心の如く”ということで「思いやり」だ。


忠(誠実)をもって人に接し、モノや自然や世の中に接すること。恕(思いやり)をもって、他者や社会に向き合って生きるということ。忠と恕、あわせて”仁”ということかも知れない。他者や社会やあらゆる生きものや自然に、誠実に己の心に正直にやさしく生きる2019年でありたい。多くの友人がこの忠恕を共有してくれたら、うれしい。ことしもよろしくお願いします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする