吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

政治家と政治不信の増殖を憂う

2014年03月28日 | Weblog
みんなの党の渡辺喜美代表が何のための私的借入なのかハテナの8億円を借入していた問題。本人のテレビ会見を聞けば、ほとんど釈明になっていない。本人が厳しく批判した前東京都知事・猪瀬直樹氏の5000万円と、その構図は全く同じと思うが、本人は違うという。カバンに入った5000万円と、入らなかった3億円や5億円は、”違う”のだという。

猪瀬氏も当初、自分の個人的な生活のために借りた5000万円だといい、その後、選挙資金と思われても仕方ないと言った。渡辺氏も27日の会見で、3億円 5億円は、ともに政治家として生きていくために必要な資金を借りたという。3億円、5億円はともに、国政選挙の前年に借りているのだ。政治資金でも選挙資金でもないと、おっしゃっている。

理化学研究所のSTAP細胞の実験データや大手製薬会社のデータ(不正)操作など、世の中も捏造や不正が蔓延している最中、国民が最も信頼できなければいけない刑事司法の場において、証拠捏造や調書疑念が指摘され再審開始が決定された(袴田さん)。実に48年経って、明らかになったのだ。

このような世の中にあって、正義を守り 諸悪の根源・官僚機構をぶっ壊すとして自民党を飛び出した渡辺氏みんなの党よ「おまえもか!」と言いたい。
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あれから70年→歴史を学ぶ。

2014年03月21日 | Weblog
きょうは、春分の日お彼岸の中日だが、墓参の予定も出かける予定もない。この3月は多忙過ぎで、ノンビリ自宅は今月はじめてなのだ。ヒマにつき、わたしにも自覚がない70年ほど前を回顧してみたい。

無謀にも”進め!一億火の玉”を叫び、国民学校や月月火水木金金などに乗らない人々を、”非国民”などと非難した大政翼賛会や軍部がリードした真珠湾攻撃の翌年 海軍の街横須賀で、わたしは生まれた。

わたしが生まれた(1942)その年、日本軍の南下はマニラやシンガポールを占領、父たちの所属する海軍は、ミッドウェーやソロモン海戦からガダルカナル島の占領にまで拡大したが、ほんの一時占領したガダルカナル島やその周辺海戦で 米軍との戦いに敗れた。

大本営発のウソ情報がほころび、翌昭和18年(1943)日本軍はガダルカナル島を撤退した。神風特攻隊や学徒出陣や女子挺身隊から竹槍まで総動員したが、米国のB29や広島長崎への原爆が 日本を無条件降伏の敗戦に導いた。

東京裁判や日本国憲法公布などに自覚もない幼少年をすぎ、わたしは村の小学校分校に入った(1949)。あれから65年、まだ都会の生活に馴染めないが、不戦の平和だけが頼りだ。
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四季を(ブログ)綴って2810日目のきょうのメモリー

2014年03月17日 | Weblog
明日3月18日(火)は、彼岸の入り(彼岸の中日「春分の日」は3/21)。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、一昨日までの一週間は日中の最高気温10℃に届かなかったものだが、昨日は18℃(東京)。彼岸(入り)と聞いただけで、昼間の気温が10℃も上昇した。季節の変化や変わり目を示す雑節とは、よく言ったものだ。

節分(2/3)、彼岸(中日:春分の日、秋分の日)、八十八夜(5/1頃)、入梅(6/11頃)、土用(夏:7/20)や二百十日(9/1頃)など、農業人に限らず四季に暮らす日本人の生活指針になっている。初午や中元や盂蘭盆などや、いわゆる五節句などを加えてもよさそうだ。四季の移り変わりと農業で歴史してきた日本ならではの生活指針”雑節”だと思う。
2007台湾にて
話は変わるが、この私のブログも今回で893回目。8年前の2006年3月6日に第1回目のブログを投稿してから今日で2810日目だから、平均3日に一篇のブログを投稿発信してきたことになる。8年間お世話になったgoo ブログだが、わたしが参加した頃のgoo ブロガーは約100万人。その中で私のブログのアクセス・ランキングは、最高7000位。愛読者(IP)100人前後だった。
2013阿蘇山米塚にて
2014年3月のただいま、トータルgoo ブロガー約200万人中、わたしのアクセス・ランキングは最高8000位、愛読者(IP)は700人前後なのだが、おおむね700~1000人ほどの固定愛読者(IP)が、わたくしをして8年2810日893回ものブログをつづけさせてくれたと、感謝している。感動を覚える。多謝。
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理化学研究所の教え

2014年03月15日 | Weblog
STAP細胞論文騒動が長引いていて気分がわるい。昨日、理化学研究所の責任者の方々が揃って会見した。中間報告会見だという。あのノーベル化学賞の野依良治さんが理事長だということをその会見で知った。そのくらい研究という世界や分野を知らない。

過日の報道で知ったSTAP細胞とそれを発表した小保方晴子さんには歓喜した。所属する理化学研究所での立ち位置や研究サポート体制などはもとより、共同研究者や共同執筆者などについては何も知らず、ただ割烹着の小保方さんがまぶしく見えたものだ。マスコミやテレビなどのお蔭だ。そのあとの今日など想像もしなかった。

そして触れた昨日の記者会見。”あせった。前のめりだ。倫理感の欠如。キャリア不足”などに加え、理事長の”カルチャーが変わった”というような会見には落胆した。日本の研究世界をリードする錚々たる研究所理事の方々のお役人的発言のオンパレード。重大な過誤があったお詫びはいいとして、事態の受けとめをカルチャーが変わったというに至っては、解決は遠いという感じだ。

いまごろ、倫理風土を改めたいなどという川合理事や前のめり体質を反省などいい、当研究ユニットをマネージしている竹市CDBセンター長など、揃って論文そのものや不正画像やコピペおよびSTAP細胞の存在についての疑義を、彼女一人にかぶせているのだ。多くの共同執筆者や当研究を彼女にリーダーさせ、推進し、発表させた理化学研究所や管理責任する方々の責任が見えない。

重なるボディ・ブローを受けている小保方さんの責任は多大だが、何とか立ち上がって再起し、STAP細胞の研究を再生してほしいと願う。
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コピペ文化とライター気質

2014年03月10日 | Weblog
情報社会の新しい職種とも言えるシゴトにライターがある。フリーランサーが多い。むかしは、広告のコピーライティングぐらいが多かったのだが、最近はタレントや政治家の自伝本や小説などのゴースト・ライターも多い。脚本やコラムおよび編集作業などにまで範囲が広がっている。代筆者というより代作者または代作著作家といったほうがいいかも知れない。

ゴーストライターとは少々違うように思うのが、この度のお騒がわせ佐村河内守氏のゴースト作曲に関連した問題なのではないか。18年ものゴースト作曲をつづけた新垣隆氏も結構なワルだが、絶対音感で創作作曲したなどという全聾の作曲家詐称の佐村河内氏の言い訳会見は見苦しい。このようなお騒がわせを招来した音楽出版社や単行本を出した出版などの業界にも、大きな問題がありそうだ。

インターネットや情報検索時代は、コピペの時代でもある。論文や文章の参照注記などに出典を複写貼り付けすることも、ただメール返信のために相手のアドレスをコピーし貼り付けすることもコピペという。IT/ PCの産物 Copy and Paste のことで、テンプレに近い。twitter や LINE や 2ちゃんねるなどでの簡易相互交流者が増えることで、ますますコピペ文化が増殖するだろう。

わたしも自分ブログを楽しんだり、シゴトで豆乳「レシピ・コンテスト」を主催したりしているが、応募レシピのコピペ・チェックや審査には神経を使う。簡便や手抜きでラクする傾向が高まったり、文化にならないことを願う。
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古里田舎は少年時代の郷愁

2014年03月08日 | Weblog
わたしの古里は、典型的な農山村。いまは村と言わず市になっている。少年期を過ごした里山や中山間地特有の棚田は、深薮原野化し足を入れることも出来ない。「ふるさとや 薮北の沢 蛙鳴く」「里山の 麓に見つけし 蕗の薹」。世の中が三種の神器やトヨペットクラウンで沸いているのを知らず、昭和30年わたしは父をなくした。

村の中学に進んだ私の少年時代、日本は戦後55年体制がスタート。”もはや戦後ではない”時代に入った。わたしには縁遠い神武景気社会だった。何かにつけ古里が郷愁されるのは、この時代の友達と過ごした中学時代との記憶に勇気づけられるからだ。利害も競争も差別もなく、時々はつまらないケンカなどして過ごした田舎暮らしが、私をして余ほどメモリアルだったからだろう。

都会なら気になったであろうその頃のはやり”太陽族”(「太陽の季節」慎太郎)や石原裕次郎のデビュー時映画などを関心の外にし、わたしは「リンゴ村から」や「哀愁列車」(三橋美智也)やフランク永井の「有楽町で逢いましょう」などを聞いていた。小説はもっぱら川口松太郎や山手樹一郎だった。

わたくしたち昭和30年中学の古里少年時代の同級生は男女約80人。このところほぼ毎年、同窓会や集まりをしている。わたしたちが、そろって甲午の72歳だから、当時の恩師が十年ほど先輩だったとして今80代半ばの先生も参加する。恩師を超えたトシ風貌の者、まだまだ70代にはほど遠く見える者などいろいろだが、話のほとんどは村の中学時代のアレコレだ。

ブログ・テーマが浮かばず、むかしを郷愁した。
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紹介→ちょうせい豆乳君

2014年03月06日 | Weblog
このところのゆるキャラ人気はすごい。ヒットしているアニメ並みだ。何と言ってもすごく商売しているのは、くまモン。ご当地熊本を超え九州どこの県に行っても、くまモンばかりだ。いわゆるキャラクター・グッズに限らない。饅頭、お菓子、キャラメルなどのご当地土産や日用品など、くまモン、くまモンだ。

くまモンを超えて人気が、ふなっしー。ゆるキャラ・グランプリでは、あまりの人気を承知で出場を辞退するも、TV-CM出演やゆるグラビアみたいな単行本(宝島社)になったりしてますますの人気だ。ふなっしーの辞退に乗じて2013年グランプリ1位になった さのまる君など、ローカルが全国区になった。

少し前だと、ひこにゃんやバリィさんがその年を人気したが、時代を超えて人気が高くつづいているのが、くまモンやふなっしー。その昔のオカザえもんや やななちゃんの人気まで加算されている感じだ。そのふなっしーのお友達を自認しているハテナゆるキャラのちょうせい豆乳君。神田須田町生まれのアキバ育ちなのだが、ご当地はない。

低カロリーランチ・カフェ issa 生まれの日本豆乳協会公認マスコットだが、住まいは相変わらず issa だ。狭いところで立ったまま就寝している。そのちょうせい豆乳君と住まいのカフェissa を取材したいと、昨3月5日フードリンクさんの取材訪問をうけた。ちょい付き添いしたので、ご紹介する。
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桜梅桃李

2014年03月02日 | Weblog
俳句を習い始めたせいか、自然や山川草木や季節の花々に気が向かう。春の兆しが感じられるこの頃だからか、桜梅桃李を想う。松坂桃李さんやSMAPの「世界に一つだけの花」などが、気になるのも同じオリジン。”一人一人違う種を持つ”から”その花を一生懸命咲かせればよい”は、文字通り桜梅桃李だ。

平たく十人十色などというが、Number One をめざす時代から Only One をめざす時代に来たこの頃を歓迎したものだが、最近の世界の動きには落胆している。モノ言わぬ桃李を徳に見立てれば、その木立の下には自然に人が集まる(成蹊)ところに帰属される方の自己が目立ちすぎるからだ。

この桜梅桃李、それぞれきれいな花で季節を伝え、それぞれ特徴的な実を成してくれる。桃はももの、す桃はすももの花の良さがあり、果実もそれぞれのオイシサがある。梅やさくらも同じ、花芽はもも匂いは梅などと言われるが、それぞれ独自の特性を生かして、われわれを癒やしてくれている。

城山三郎さんが『梅は匂い、人はこころ』(講談社文庫)を伝えてくれているが、これは間に「桜は花よ」などと入れてもよさそうだ。わたしにはそこまでの神髄は不案内だが、「梅は匂い、木立は要らぬ。人は心よ、姿は要らぬ」(江戸小唄)などと言われると、”そう言えるようになりたい”と思う。

2月の梅、3月の桃李、4月の桜のような季節感だが、これらの花の花言葉、意外に近いのだ。純潔、美、清純、教養、しとやか、高潔、上品、忍耐などだが、どの花がどんな花言葉なのか、整理してみてほしい。
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「たんぱく質を摂ろう」(出直し)メッセージ

2014年03月01日 | Weblog
2013年12月22日「豆乳で、もっと植物性たんぱく質を摂ろう!」ブログをやや反省している。シゴト柄にしては、やや正確性に欠けたことだ。出直しする。
わたしたちの食事や栄養にとってたんぱく質が大事なことは、加工食品の栄養成分表示などで、たんぱく質がエネルギー((kcal)のつぎに表示しなければいけない栄養成分になっていることからも理解できる。

だが、日本の国民一人当たりのたんぱく質摂取量は、一日平均70g。10年ほど前は80gでしたから、10g(率にして9%)も減っています。ところが一見、厚生労働省などがいう一日に必要とされるたんぱく質量が60gほど(体重1kg/ 1日/ 1g ミニマム/ 成人男女平均体重60kg計算)ゆえ、”足りている”と理解されます。

このように”平均視”することは、男女体重や働き具合や活動量など大きく分散していることを対象にしたとき、大変誤解しがちです。働き盛りの活動量が多い多くの人々にとっては、たんぱく質は 体重1kg/ 1日/ 1.2~1.3gぐらい必要だと言われていますので、体重60kgの人で約75グラム必要になります。また、スポーツなどで活動量がもっと多い人は、それ以上必要といわれていますから、85~95gほどのたんぱく質が必要となります。

大雑把に一日5~15グラムほど、たんぱく質の摂取量を増やしたいということです。実は、この平均70gの摂取たんぱく質は、動物性たんぱく質37g、植物性たんぱく質33グラムになっています。動物性:植物性を5:5が望ましいたんぱく質摂取量バランスだと言われていることからみれば、例えば植物性たんぱく質の摂取量をあと5グラム増やせば、37g:38gになり、しかもたんぱく質75gの摂取量になります。

豆乳(調製豆乳)200mlパック1個の飲用で、植物性(大豆)たんぱく質が6~7gほど摂れるのですから、たんぱく質の摂取量を補うには、豆乳を一日(200ml)1個か2個ほど飲めばOKということになります。
私たちが、『毎日、豆乳を飲もう!』を運動化している事由です。
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