吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

千鳥ヶ淵の桜

2015年03月31日 | Weblog
2015年3月30日(月)の東京、ことし一番の最高気温23.6℃に誘われ、シゴト途中 半蔵門から千鳥ヶ淵に散歩。ヒト、ひと、人の午後2時、ほんの1キロも歩かないのに汗ばむ。文字通りの桜花爛漫、みごとな桜花だ。

かなりの年輪を刻んだ古木桜が多い。満開のさくらを映すお堀やお堀の緑が桜花をひきたてる。桜木の根元あたりに咲く薮椿や小さな紫花をつける草花もいい。さくら花々の背景をつくる菜の花や青空が、ことのほか桜花をひきたてる。さくらの波間から覗く青空のアオがきれいだ。

ところどころ、しだれ桜や染井吉野とは違う桜も見られるが、頭上を満たす桜花の天井画はすばらしい。半蔵門から九段の方に向かって歩く。人、人、人をかき分けるようにして、ゆっくり散策。上のほうばかり見ていると首がいたくなるので、対岸や土手のほうに目を移す。菜の花の黄色やハナダイコンの紫が緑に映える。

ぶらり3~40分ほどの桜散策だったが、帰路の歩道歩きは足がいたい。帰る人、向かう人それぞれラッスンゴレライ。ブルーシートや屋台がないのがいい。『 青天を 独り占めする 桜花かな 』。
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ふる里に アウサム探し さくら咲く

2015年03月30日 | Weblog
2015年未年は、3月28日(土)快晴。青天の陽気に誘われ、上野発9時30分の「ときわ」に乗る。老いて一人暮らしの母を、実家に訪ねる旅。春真っ盛りの梅香濃い偕楽園での下車を見送り、11時少し前JR水戸駅で下車。水郡線に乗継ぎ11時55分JR常陸太田駅に着いた。軽いランチをと、よく行くファミレスまで歩く。

ここに来て何もと言われそうなファミレス・ランチは、スペイン風メニュー。ころあいよろしくタクシーをお願いし、実家に向かう。小祭礼で交通規制されているいつもの街道を避け、別ルートで実家に入る。一人元気装いの母は、満95歳。

この地方の氏神様(東・西)金砂神社の大祭礼は、72年に一回(未年)だが、この3月26日から29日(日)は、6年に一度の西金砂神社の小祭礼。12干支丑年と未年に五穀豊穣や天下泰平を願って行われるお祭りだ。何故、6年に一回の丑年と未年なのか、問われそうだが、平安初期のこのころそのような時期に6年ごとあたりに凶作に見舞われたからだろうと推察している。

行列や田楽舞いなどが行われる小祭礼観光を避け専ら、とくべつ暖かくなった田舎の春や自然や草花を観賞しようと、農道や畦道を散策した。タイトル俳句(?)のアウサム(awesome)は、何かいいこと、特別いいことぐらいの意。はやり言葉は、俳句ではご法度かも知れない。ご容赦を乞う。
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2014年月季俳句集「はじめての俳句」出版を祝う会

2015年03月26日 | Weblog
はじめたばかりの俳句を絵本にした。2014年1月1日に、思いつきではじめた俳句(?)が、その年の12月20日に420句になっていた。毎月5句の添削指導をお願いした通信講座で、真っ赤にアカを入れられた俳句も約55句になっていたが、なかなか俳句が俳句にならない。

にもかかわらずPCに入力されていた420句から、自分なりに気に入っているものを50句選んだ。1月から12月まで、その年のその月を代表する句を12句選んだ。その句やその月の四季や自然や生活などについてのエッセイやコラムを挟んでみた。月季12句のイメージ画を、尊敬する友人の墨彩画でお願いした(関連ブログ3/15)。

ということで翌1月中旬入稿・初校2月中旬で、出来上がった拙速の俳句絵本(四六版ヨコ123頁)がこの本。とても売れるシロモノではないので、価格のバーコードは入っていない。その本の出版を祝う会を友人の森久氏が開いてくれた。2015年3月24日、ホテル ルポール麹町「サファイア」でのランチ・パーティに、44人の友人や先輩やわたしの敬愛する人々がお祝いに駆けつけてくれた。多謝。

わたしが師友として敬愛する人々、企業経営やマーケティングに抜きん出ている先輩や若くしてその道のプロとして活躍されている方々や希望的な将来に向かってエネルギッシュにベンチャーに取り組んでいる青年の方など、多彩この上ない。お遊びが過ぎたような俳句絵本が、ご出席の方々に受容されたとすれば、ひとえに師友谷内田画伯の12枚の墨彩画のせいだ。感謝している。
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眩しきや 越後の山々 春の雪-越後湯沢へ温泉浴

2015年03月22日 | Weblog
2015年3月21日(土)は早朝も早朝、午前4時起床。朝陽まだの午前5時、迎えの長女家族のクルマで一路関越は、赤城越え越後湯沢に向かった。途中2か所の事故渋滞にもめげず、出発後3時間ほどで長い長い関越トンネルを越えた。

越後湯沢に入り わたしたち夫婦と娘の3人は、JR越後湯沢駅でクルマを下車、息子とこの春大学を卒業する孫の二人はそのままNASPAスキー場に向かった。長女とわたしたち夫婦の3人は、温泉や宿泊ホテルノチェックインにはまだ早い9時、越後湯沢の街を散策したり、CoCoLo湯沢や駅ビル内がらんぎどおりなどで、買い物歩きをした。

お店一斉開店の午前11時、わたしたち3人は駅中のへぎそば「小嶋屋」さんに入った。おいしいへぎ蕎麦と野菜の天ぷらをゴチになったり、古風な和風珈琲店んまやさんのソイラテなどでゆっくりしたあと、CoCoLo 湯沢のがらんぎどおりなどをウインドーショッピングをし街路をぶらり、本日の宿泊となるホテル スポーリア湯沢にチェックインした。

早速温泉や露天風呂にゆっくり入浴し、くつろぐ。夕方5時半、スキーを満喫した父娘2人のチェックインを待って 一同5人の夕食になった。食事オシャベリ満腹で21日(土)を終えた。翌朝は朝食後午前9:30、5人そろって湯沢の街を散策、CoCoLo湯沢の「がらんぎどおり」でショッピング、帰路についた。
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さくら咲き ラッスンゴレライ 俳句詠む

2015年03月15日 | Weblog
そう言ってよいか不安大だが、”俳句”を始めて丸一年を過ぎた。拙速で衝動的な自分は、この3月、私撰俳句本『はじめての俳句』(湘南社)を上梓した。全国の俳人や専ら俳句を詠んだり教えたりしている方のお叱りを受けそうな拙い俳句集だ。

2014年1月1日、はずみで詠んだ俳句(?)『一人屠蘇 指折り数え 五七五』を皮切りに年末の12月20日まで、420句を詠みパソコンに入力していた。毎月5句の添削指導を朝日カルチャーセンターを通じ武田伸一先生にお願いした。毎回5句すべて真っ赤に朱筆が入る。この度の出版については、お話するのを憚った。無謀この上ない行為をお詫びしたい。(PS:今もって表題俳句→17文字のうち7文字の無駄遣いでお叱りを受けそうだが、これもトライ。)

2014年は、わたしの6回目の午年で、しかも甲午。60年に一回の激動と激変の年甲午に自分を重ね、自分周りの日本の四季や自然と生活風景を年誌にしておきたいと、わがままを進めた。四季や自然と生活風景を描くには、拙い俳句だけでは心もとないと、師友谷内田孝さんに俳句景色の墨彩画をお願いした。

この俳句エッセイ本が、みなさんの共感を得たとすれば、ひとえに谷内田さんの絵と絵に添えていただいた素敵な書ではないかと思う。2014年の日本と日本の四季風景をみなさんと共有できたら、この上ない幸せである。
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東京は 五輪五輪や 暴れ春・・・有明ビッグサイトにて

2015年03月13日 | Weblog
2015年3月11日(水)の東京は、めずらしく晴天。まだ春一番ではないだろうに、風がつよい。地下鉄有楽町線は豊洲駅より、「ゆりかもめ」でビッグサイトに向かった。途中有明あたりは、右も左も工事中。至るところ、5年後の東京オリンピック施設の建設工事らしい。

午前11時ちょうど、国際展示場正門前(駅)よりビッグサイトに入った。同時開催の”健康博覧会2015”ではない。エフピコという会社が開催実施している「エフピコフェア2015」展を訪ねた。スーパーマーケットや弁当や食事仕出屋さんなどでみる生鮮惣菜食品のポリ(ポリスチレン)容器トレー専門会社の展示フェアだ。

耐熱耐油MFP容器、耐熱レンジングPPSA容器、その他嵌合グリル容器など、魅せるエコトレー容器がいっぱい。生即調理用「フレッシュレンジDeli」容器やPPSA電子レンジ加熱専用容器「蒸せるんです」のブースを巡回し、目的の食品添加物殺菌剤「ピースガード」ブースに立ち寄る。食品工場用システム品や加湿機用や一般スプレータイプなど多用途 次亜塩素剤だ。

営業の3D( Display,Demonstration,Discussion )として名を馳せるキスリー(株)の森久氏やエフピコ(商事)代表取締役の小松氏とちょいオシャベリをし、午後1時ビッグサイトを後にした。この日は、午後4時より日本豆乳協会の理事会。そのアフター6、会長主催の懇親会をゴチになり2015年3月11日を終えた。
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毎年定期一回ブログして5回目の311

2015年03月09日 | Weblog
あれ(2011.3.11)から4年。その翌日からブログして5回目の311。早いもので、あの日から1460日も経った。その日訪ねた幕張メッセのドラッグ・ストア・ショーからJR京葉線→新木場からの帰りの強烈な地震第2波は、地下鉄永田町駅で受けた。

大きく揺れる永田町駅ホームを脱出し、様子見に逃げ込んだ都市センターホテルの第3の揺れ。その日の帰宅を断念し、一泊した友人の事務所二番町ハウスの夜などをブログした。そして丸一年後、あの日の東日本大震災の被害概要を2012.311の朝日新聞から、ブログした。約2万人の犠牲者。約35万人の避難者、13万戸の全壊と25万戸の半壊などの被災概況だ。

余りにも膨大な人命や家屋、土地の喪失は、天災に人災(原発)が加わっての結果だ。防災が十分にいかない実際に、人々は減災の方法などをふれるようになった。地震につきものの大津波災害を防ごうと防潮堤や住居の高台移転などを施策した。それにしても、あまりにも膨大な津波瓦礫と原発汚染土の処分に茫然とした。がれき、伐採木、汚染廃棄物、汚染土の処分や置き場などに加え、当面の除染(福島原発)の進みの遅れなどが問題になった。

2年半後の2013年10月事後農地視察に訪問した相馬市では、津波塩害の田畑の表土除染や復土復旧した海辺近くの耕作地を視察した。宿泊先ホテル前の川を力強く遡上するサケと一緒に希望的なひと時を得た。そして500日のきょうは、あれから丸4年。国土強じん化計画や地方再生などが、地方創生と名を変えて、展望イメージがない。福島原発の行方も不安ばかりだ。
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それでも”考え、計画し、行動する”ことが大事。

2015年03月01日 | Weblog
ただいま超同期インターネット社会。地球の裏側の出来事や裏側の人々の生活や考えが、同期的にわかる。所得や豊かさの格差はあるが、情報や通信の時差はない。学び方やシゴトの仕方が変わってきている。事業や起業の仕方も変化している。

ビジネスの世界も、重厚長大企業のリードからITインターネット関連の企業のそれに変わってきている。技術革新や新規起業も、インターネット/グローバル市場の中で変化している。広く知恵が集まる、コストがかからない、速さが勝負になる。ベンチャーやインキュベーションが、競争的になる。

これからというより現代は、すべからく「ナウィストになれ」とMITメディアラボ所長の伊藤穣一さんがいう。予測をしたり、計画を立てたり、成功失敗をシュミレーションしたりする時間やコストのロスをせず、”すぐやれ”そして実行検証し、改良して行けばいいという。時代的なアドバイスだと評価している。

それにしても、ただいまの若い起業家たち、文字通りのベンチャー(冒険家)。多くの向こう見ずのベンチャーの挫折や失敗を多く見てきている。創造的革新的な技術での製品やシステムであればあるほど、市場の素人さんの受容性をチェックすることが大事になる。すべからく、市場需要の多くは”素人”なのですから。

起業し事業するという決心は大事だが、考え計画を練りチェックのマイルストーンをセットすることを省略しないのも、勇気だと思う。変化する時間をロスするのですから。
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