吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

世の中照らす若い世代の活躍

2014年01月30日 | Weblog
このところ、若い人たちの活躍が目につく。ビジネスの世界の私の周りも、若い人々が多く活躍している。孫子のような世代の人々と交流できている自分がうれしい。アベノミクスの成果ではないでしょうが、最近の若い世代の活躍はうれしい。希望的になる。

あと一週間に迫ったソチのオリンピックへの希望は、たくさんの若い選手の出場だ。そして今朝、朝刊の新聞やテレビのニュースの興奮。まだ30歳だという若い女性研究者がクローズアップされていた。あの山中教授のiPS 細胞につづく”画期的な研究発見”として、理化学研究所の小保方晴子女史が紹介されていたのだ。新型の万能細胞STAP細胞の今後の研究や可能性を希望することしか知らない素人の私だが、このような研究成果が若い若い世代によってもたらされたことに感動と希望を得た。「梅の香に スタップ細胞 乗せる女史(ひと)」。

わたくしの好感度No.1、ソチ・オリンピック・ジャンプ代表の高梨沙羅さんは、まだ17歳。スノーボードの平野歩夢君(15歳)や角野友喜君(17歳)も私の孫世代。フィギア・スケートの羽生結弦君や村上佳菜子さんは、ともに19歳。7回もオリンピック大会に連続出場した41歳の葛西紀明さん(ソチ五輪、選手団長)は、中高年の希望でもあるが、多くの若い選手たちが希望をくれていることに感謝する。

スポーツでも、研究でも、ビジネスの世界でも、若い人たちが台頭してきてくれていることがうれしい。高齢のわたしなどが、思いもつかない着想や活動が照会される。ふだんの想像を超える発見や処方が照会される。将来が希望的になる。感謝している。「梅便り 暫し待ってと カレンダー」。
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中山間地の棚田廃耕田化をみる。

2014年01月26日 | Weblog
わたしのふる里田舎は、典型的な中山間地。山裾の狭い畑と棚田での小さな農業の集落。昔は村字、いまは市町だが、ほとんどが兼業。いわゆる限界集落の典型地域でもある。一年に3~4回、帰るたびに心が痛む。里山などのイメージが遠い中山間地の山は、とても山林とは呼べない。人手が入らなくなって50年、荒れがひどい。「寒中の 荒廃原野 元棚田」。

葛や藤などの蔓性の雑草に覆われる原野や棚田廃耕田が目立つ。農業ではとても暮らせない零細農業は、兼業でも後継者がいない。現業者の高齢化は、すでに限界、80代90代になっている。後継者もいない。耕す人や手入れをする人がいないのだから、廃耕田が増える。山林の手入れなど、する人がいない。原野も荒れる。棚田での耕作をする人がいない。棚田が雑草化を越え、蔓草に覆われた荒野になる。

中山間地の里には、無人家屋も多い。人のいない廃屋と朽ちて崩壊しそうな物置小屋が、限界集落化を加速させる。子供たちは、農業を後継がない。都会に出て行く。地域で働く人は、いま高齢者だけになる。耕したいが、耕す体力がない。棚田が廃耕田になる。山裾の畑が、原野になる。人の住まなくなった家の庭先に、赤い実がアクセントする。緑濃い葉の南天も紅い葉の南天も、真っ赤な小さな実をつけ、無人家の庭先を飾る。「大寒に 赤きを燃やす 薮南天」。

荒れた棚田脇を里山に登れば、樹齢4~500年の椎の老大木とモミの木が鎮座する。荒れた原野や廃耕棚田を見つめる。何をどうすれば、ヒトが戻り、棚田が戻るか知恵が出ないが、これ以上 きれいな田舎の景色が壊れないよう祈る。願う。
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寒中の赤い小さな実

2014年01月23日 | Weblog
寒さが厳しい冬は、赤い小さな実が花になる。冬の季節花というと どのような花があるのか、よく知らない。蝋梅や福寿草などのような黄色や黄金色の花が気になる。新年を祝うには、黄金色や黄系の花がピッタリの感じもするが、ツワブキや背高泡立ち草では、どうも”めでたさ”を感じない。

やはり花は赤やピンクかと思うが、冬は薔薇が遠い。山茶花や山椿が冬イメージだが、色がうすい。透明感を感ずる淡い色では、冬や正月が盛り上がらない。緑の灌低木の中に見つけた真紅の赤や熟れたアカの小さな実が、冬をイメージさせる。ことのほか小さな赤い実は、かわいい。とくに冬の緑のなかの小さな赤い実は、きれいだ。「赤い実を 見つけて騒ぐ メジロたち」。

ナナカマドやサンシュウのような中低木の赤い実もいいが、千両や万両のような緑の超低木の赤い実がいい。「千両避け 万両担ぐ 霜柱」。南天や梅擬などの赤い小さな実にホッとする。最も冬、低木になる小さな実が全部アカではない。黒や青紫なども多い。トウネズミモチ、シャンシャンボやヤブガラシの黒紫系の小さな実などは、結構野葡萄のような蔓系低木が多い。

落葉や茶系のバック景色には、アカより黒や紫系のほうがしっくりすると、これらの蔓木や低灌木が思ったのだろうか。とはいえ、冬の緑の森や緑の低木に映えるのは、やはりアカだ。赤い実は、濃い緑に映えるが、真っ白な雪景色に目立つ。コントラストがいい。寒中の心をアクセントする小さな赤い実の印象記でした。
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2014年初の四人茶話会

2014年01月19日 | Weblog
谷内田孝さんを中心にした四人茶話会。わたしが現代のダ・ビンチと呼んでいる何でも先生の師友・谷内田さんと私の人生の師匠・岡田さんと経営やマネジメントの師匠・能村さんとわたしの四人のオシャベリ会だ。年に2~3回のランチ茶話会なのだが、いつも楽しい。甲午2014年の初会は、赤坂は加賀料理「浅田」さん。

多くは岡田さんの調整で集まるのだが、年初とあって今回は能村さんアレンジで、いきおいゴチになった。2014年1月15日11:30AM、ほぼ同時刻に参集した。むかしなら今日正月の15日は、小豆粥の小正月。すでに松の内も明けシゴト100%にアクセルする時期だが、本日のところはご寛容に願いたいと、昼ビールでの乾杯。

メインの食事がでる前、いつもながら谷内田さんの墨彩画と禅語いろいろの話で盛り上がる。日本画や水墨画や墨彩画の区分や特質についての何かも知らず、西洋画と日本画の違いや琳派ややまと絵のそれなども知らない私だが、谷内田さんの絵は、いつもいい。「年初め あれもこれもと 禅語説く」。仏画もいいが、旅のスケッチ画も実にいい。

きょうのために描いたという2点の扇子画と長良川の石に描いたという黒馬画をいただいた。年賀のしるしにしては、重く過分だ。黒馬の縁起は、イギリス、エジプトや日本などでいろいろなイメージがあるが、肥沃や幸運の象徴と受けとめている。いただいた扇子絵のひとつ「心是道」は、平常心是道と解しているが、ふだんの心の持ちようが大事と思う。「新年の 円相を説く わが師友」。もう1点の「円相」は典型的な禅語で全拒否の徳全受容か、二宮尊徳の一円融合の理に近い気がする。

谷内田さん、正月早々の過分なお土産をありがとうございました。13時30分楽しいこの席を中座させていただき14:00、上野は全豆連ビルでの会合に出た。「友語る 禅語扇子絵 年初会」。
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ずっと昔の友5人でのランチ新年会

2014年01月18日 | Weblog
半世紀前の友5人が集まった。妻の介護で参集できなかった旧友が一人いたが、むかし二十歳(はたち)前後を一緒した友はいい。通う大学や出身郷里も異なって 何故か同室下宿したりした友もいる。あまり真面目にコミュニケーションもとらず過ぎた50年だが、同室したころの昔話しは尽きない。「眺望の 富士を肴に 新年会」。

集まった男子3人は、同じような職場ながらシゴトも違い、郷里や大学も違う。二人の女性も同様だ。全員同じ年齢で、この50年のシゴトや職場も違う。住む地域や家族の様子も違う。しかし、不思議に20歳前後のライフスタイルは重なる。山で遊ぶのも海で遊ぶのも一緒。ダンスホールやコンサートホールや夜の歌舞伎町も一緒だった。

いつの間にか、それぞれ結婚し家族を持ち、お爺ちゃんお婆ちゃんになり、二人生活になった者や一人生活になった者など、いろいろだ。50年の歳月による変化を思うが、会ってみると同じ何かを感じる。わたしは、経済やマーケティングの道に、彼は法律や金融の道に、もう一人の彼はスイーツや経営の道へと行く先来し方は違ったが、何も考えない昔は同じだ。同じように遊んだり勉学したりした昔が、懐かしい。

2014年1月16日(木)、遠くに富士山をかすみ見るパークハイアット40階でのランチ新年会は、11時30分から15時過ぎまでつづいた。バカした昔話しが終わらないのだ。
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2014年1月13日(月)は、成人の日雑記

2014年01月13日 | Weblog
むかし「成人の日」は、毎年1月15日だった。いつ頃からか1月の第2月曜日になった。調べれば、2000年(平成12年)のハッピーマンデー法による制定からだという。その昔の男子の元服や女子の結髪という成人儀式も、とくに定まった日ではなく、それぞれの個人や家庭の都合だったようだから、これでいいのかも知れない。「成人を 祝う式典 スマホかな」。

このように第2月曜日や第3月曜日を国民の祝日にしたハッピーマンデー法は、多くの国民に「土日と合わせ3連休を多く」(年4日増)し、、国民の平均労働時間を縮減した。30年前(1980)週平均176時間(年間約2100時間)だった国民一人当たりの労働時間は、20年後のハッピーマンデー法制度ができた2000年、週平均155時間(年間約1860時間)と週20時間近くも縮減した。それから12年経った2012年(平成24年)には、週平均147時間(年1760時間)に縮減した。

このように自由時間や自分や家族との時間が増えたことは、大変喜ばしい。また、むかし「成人の日」の1月15日(小正月)が、「小豆がゆの日」と重なるぐらいはいいとして、いちごの日、惣菜の日、中華の日や菓子の日など、多くの”食べものの日”と一緒では、あまりにも気の毒。やたら、何かの日がない(ことしの)1月13日が「成人の日」で、大変よかったと思う甲午の2014年でした。

52年前成人式もなく成人したわたしは昨日曜日、横浜美術館に下村観山展を観賞した。いつ追っかけてもいい大観・観山でした。


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友人の叙勲を祝って居酒屋新年会

2014年01月12日 | Weblog
むかし少年時代の友はいい。いたずらや無謀を遊びにした中学の頃の友だちもいいが、机を並べた高等学校時代の友だちも格別だ。学校の教科というより文庫本や評論本などを読んでの議論をしたり、受験勉強を材料にしたりの口論も懐かしい。

理系に行ったもの文系に行ったものと高校卒業後はいろいろだが、高校3年のときは、何となく同じ教科を勉強するクラスメイトだ。むかし同級生(3年5組)の大森君が叙勲を受けた。日頃、自分には縁も関心もない”叙勲”だが、親しい友が秋の褒章で叙勲を受けたと聞くと、それはうれしい。瑞宝小綬章。長いこと県立高等学校の校長として教育行政に貢献したかららしい。「旧友の 叙勲祝って 新年会」。

トシ明け早々の6日、「今週の金曜日10日大森君が上京されるようなので、彼の叙勲祝をやろう」というK君の連絡で、集まった昔3年5組のクラスメイトが6人、汐留の居酒屋に参集した。お祝いと言っても居酒屋での飲み会なのだ。友の叙勲祝いをネタに新年会をしたようなものなのだが、このような軽い乗りがここちいいのだ。

日本の叙勲制度や律令のころか明治からかは定かではない勲位や勲章などの制度がどうのとか、ただ今の旭日章や瑞宝章をメインにした叙勲制度がどうのとかの昔議論は棚上げだ。授章した彼の話もそこそこに、集まった6~7人のオシャベリが白熱した。「叙勲聞き 集う居酒屋 新年会」。

翌日はわたしの息子より若い若者の結婚式。何故招待されているのかハテナだが、”縁”を大事にと出席した。ITやネット社会の向かう先を教わるのは、大抵彼を通じてだ。多謝。
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2014松の内明けの通勤風景

2014年01月09日 | Weblog
週日のシゴト通勤には、身についたルーチンがある。何時何分に家を出て何時何分に仕事場事務所に入るといった何となくの”きまりごと”なのだが、実際はもっと細かい。家を出ての地下鉄駅までの街路でも、どこあたりは右を歩き、どこは左側を歩くというようなクセなどもある。

駅の改札口やホームへの階段でさえ、どこを利用するとか右左どちらを歩くというようなクセや習性がある。電車の待ち方でも、前の方や後ろの方だけでなく何号車の何番目のドアでの列に並ぶとか、身についた習性やルーチンがある。しかし不思議に、少々長く休んだ後の通勤は、このルーチンが崩れる。

「風景が いつもと違う 初出勤」。「地下鉄の 乗るドア忘れ 初出勤」。むかしと違って、最近の仕事始め姿に女性の振袖晴れ姿をみない。オトコもオンナも皆さん”黒装束”だ。何のアクセントもない風景。ただ、電車の中の人々の立居姿が”一律”なのだ。

大方10人中8~9人が、スマホ。二人三人で同乗した人々でさえ、それぞれ自分のスマホだ。オシャベリしたり、スポーツ紙を広げたりしている人はいない。スマホ世界という自分世界に集中している。「初出勤 無言電車や スマホかな」。
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松の内の明けは、七種(草)粥の記

2014年01月07日 | Weblog
2014年(平成26年)の正月休みは”長い”など思っていたが、すでに一週間が経過。むかしは、松の内と言われる7日ごろまで”正月気分”だったが、このところは短い。ついこの間までは、三が日あたりまで食べていた”おせち”も、このごろは”元旦の朝”だけになってしまったようだ。元旦の夕食の定番に、ナベやすき焼きが座りそうなのだ。

1月1日も”奇数ゾロ目”節句のような気もするが、1月は特別に1月7日が人日の節句(七種)。3月3日上巳の節句、5月5日端午の節句、7月7日七夕の節句や9月9日重陽の節句なのに、1月だけは1月7日になっている。1日(鶏の日)から6日(馬の日)までの動物たちの日が明けた7日が”人の日”だかららしい。

人日の節句と言ってもピンとこないが、1月7日は七草(種)粥というのが一般的。九九や五七五七七要領で暗記したりした「セリナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ 春の七草」だが、春の七種の若草は 胃腸にやさしい食物繊維(野菜)入りヘルシー粥にぴったりなのだ。「胃にやさし 七種粥に 舌鼓」「セリナズナ 探しつ食す 七種粥」。

黒豆、田作り、蒲鉾などに屠蘇、ワイン、ビールを繰り返し傷めた松の内明けの胃に、七草粥は実にやさしい。胃腸やカラダを大事にした昔の人の健康意識に感心する。
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1月5日(日)は、ファミリー孫子ども会

2014年01月06日 | Weblog
2014年1月5日は、わが家のファミリー子供孫会。小寒とはいえ大寒なみの寒さのこの日、長女家族、長男家族、新婚の二男夫婦が集まった。長女のところの孫は、大学(ことし4年)研究室の新年会があるといって欠席。総勢11人のファミリー会になった。

この2日か元旦の夜かに新婚旅行から帰国した二男夫婦の、旅行先チュニジアや地中海マルタ島や中継のドバイあたりの話が中心なのだが、時々ことし6歳と3歳になる長男家の孫二人が、その話を中断させる。小さな自分たちが主役なのだと、はしゃぐことこの上ない。孫、子供、親たちそれぞれの話が交錯して、結局何が何だかわからなくオシャベリがつづく。

急ごしらえで用意したおせち料理や寿司膳などをつつきながら二男たちの結婚式やハネムーン旅行の写真を冷かしての談笑に騒ぐ。二人のお嫁さんや長女と家内など女性陣の盛り上がる会話を、二人の孫がさえぎる。

家内が工夫作成した11本のあみだくじへの梯子線引きが始まる。大小雑多のアタリ手土産がわりが11個。これは何だと開け広げ適宜の交換を終え、午後4時ごろ、わが家の2014年新年ファミリー会を閉じた。「孫子らが あみだで騒ぐ 新年会」。
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