吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

政治(家)帰属者たちの特性覗き

2014年06月30日 | Weblog
国会議員も都議会議員も政治家。政治帰属族ともいえる。総理大臣も都知事も同じ政治家。地方の市会議員や町会議員も、同じ帰属者だ。みなさん、政治や政治への(直接)参加をシゴトにしている。

政治や政治家としてのシゴトのコツは、いかに本音を隠してタテマエに生きるかだ。何年かに一回の選挙で当選することが、大事。そのための選挙公約や選挙広報は、支持され当選できる訴求が重要になる。人々の希望と納得を得ることが大切なのだ。支持されそうもないホンネ主訴を隠し、タテマエ満載で自分を訴求しなければならない。

もともとホンネは、口に出さない本質があるので、タテマエで生活できる政治家帰属社会は、住み心地がいい。議会でも日常でも、毎日タテマエで過ごしていると、ストレスが高まる。たまには、発散したくもなる。野次る。裏を返せば、多くのヤジには、ホンネがともなう。中傷にもなる。この度の東京都議会の鈴木議員は平均的でマジョリティ、議員さんの典型なのだ。

このようなマジョリティ議員を選出し送り出したのは、都民や国民なのだからと弁解する首長や議長も実は、同じ帰属社会人だ。自分たちを批判する前に、自らを糺せと言っている。何年か先の次の選挙で審判すればいいという。忙しく生きる私たち国民や選挙民の選挙や民主主義実践の本質やリアルを知らない。知っていての”いま”なのか知らない。
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みどりの街路樹と楊梅(ヤマモモ)

2014年06月28日 | Weblog
初夏は青葉緑がまぶしい。緑うねる山波や郊外方面だけではない。早朝の都会の公園や街路の緑も光っている。ビルや道路の色が対照になって、余計まぶしい。街道や街路の並木にもいろいろある。常緑樹に限らず広葉樹や落葉樹や、樹木らしくない低木などもある。この時期は、みんな緑だ。 麹町FM通りのヤマモモ並木

ここ麹町付近の街路並木もいろいろ。新宿通りの両側には、長くポプラがつづく。鈴懸とも呼ばれる大きな葉の街路樹だ。永田町へのプリンス通りのイチョウ(銀杏)も、いま落ち着いた緑を放っている。新宿通りに並行するFM通りは、ヤマモモ(楊梅/山桃)の緑がいい。一枚一枚の葉もいいカタチだが、枝々にこんもり緑を集めて程よく繁っている。「雨上がり 歩道染めたる 楊梅の実」。 繁る葉のなかのヤマモモの実

俳句などで楊梅と書かれるとすぐヤマモモ(山桃)とは連想できないが、楊梅酒や楊梅ジャムなどと表現されるとフィットするから不思議だ。何かと優れもののヤマモモなのだが、2~30本に一本ぐらい実をつける雌木がある。うす紫の小さく壊れそうな実なのだが、いま、その実が熟れ落ちる。踏まれて、歩道が汚れる。「楊梅の 染めし街路や ウォーキング」。 雨に熟れ落ちたヤマモモの実

街路歩道に植栽され気の毒なヤマモモだが、このように都会で実をなす街路樹は多い。ポプラ(鈴懸)やトチの木の実なども時々見かけるが、イチョウ(銀杏)もワルサする。塩焼きして酒のツマミにすると ことのほか美味だが、熟れ落ち踏まれた銀杏は、始末がわるい。熟れ落ちて踏まれ歩道を汚しているヤマモモ(楊梅)だがゲリラ梅雨期の希望的みどりに免じて、付近の方々に清掃奉仕をお願いしたい。
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切れと間

2014年06月23日 | Weblog
2014年6月22日(日)は、勉強した。ホントに久しぶりの新宿西口。超高層ビル街に向かう歩道が昔と大違い。きれいに補修されていた。朝日カルチャーセンター(新宿住友ビル7階)の『俳句一日講座』は、「海程」編集長の武田伸一さんが先生。その講座でのテーマが、俳句の”切れ”。

「・・や、・・かな、・・けり」などで説明される”切れ”だが、これら3つ以外の”切れ”についても、よくよくお教えいただいた。切れで一呼吸おいて読むと、その俳句が広がってイメージできるから不思議。言ってみれば、”間”の感覚と同じだ。

だいぶ前(2012年2月)のブログで私は、『間のとり方』について記事した。”間”の意味や事由も知らず、ただ日本家屋の間取りや部屋(間)と呼吸やタイミングなどとの関係を記事した。その”間”が、俳句の切れに通じることを知った。切れが読者に間を提起し、その間を意識して読むことで俳句の意識していることやイメージが深まることが理解できた。

もともと”切れ”は、自然の理の”断ち”。自然の理を断って、それ以上に昇華して芸術(アート)世界を創作することが”切れ”の目的なのだ。切り花を生け花にする華道、海山自然の石や砂利やその他を材料に造る枯山水庭園、狭小な茶室どの茶道、能楽や歌舞伎など、すべて”自然”を切り、芸術を創作している。

これらの”切れ”に共通しているのが”間”。一段落の所作を経て芸術作品になっている。俳句の切れに”間”を置いて詠みイメージすることで、その俳句の意図や景色などが浮かぶ。切れも間も、その人やその作品の意志や意識のようだ。俳句教室から、いろいろ学んだ6月22日(日)は、大安でした。

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戦後70年の平和日本が続くなら、”かっこよさ”など問わない

2014年06月22日 | Weblog
このごろの若者たちは、”かっこいい”生き方や国の姿を求めている。そのトレンドに国のリーダーや政治が乗っている。Noと言えたり、ダメと諫めたり、正義や自分を主張することが、正しく普通の生き方だと思っている。変わることや変革を求めた21世紀日本が、いま戦後70年の国の姿から脱皮しようとしている。

脱皮後の姿がイメージできているわけではない。脱皮すること自体を”かっこいい”と思っているのだ。戦争や戦後を知らない若い人たちや国のリーダーたちが、国の体制や政治を変えようとしている。敗戦により生まれた憲法やその時々の解釈で”適当”に過ごして来た日本を、”カッコ悪い”と思っている。

主体性や自主性を”かっこいい”と思い、自分たちの”正しさ”を表現する生き方が大事だ思う若い人やその傾向に乗ろうとしている政治家たちが、国をリードしている。集団自衛権や憲法解釈論議をすすめているただいまの日本の国会政治なのだ。会話外交より対峙や対抗を指向している。

尖閣や南シナ海や竹島などにおける中国や韓国、戦後70年経ての南京事件や戦争慰安婦問題などを出しているただいまの中国や韓国の勝手や不正義や不誠実は許さないことが大事だと”かっこよさ”に向かっている。だから集団自衛権であり憲法改正なのだというのでは、戦後70年の平和が無駄に帰すると思うのだ。
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よろず相談、何でも代行何でも便利屋ビジネスのはやり。

2014年06月18日 | Weblog
NGOやNPOに限らず”よろず相談”や”よろず代行”や便利屋さんビジネスがはやっている。必ずしもその道のプロや職人がやってくれるとは限らない。結構素人シゴトも多い。パートやアルバイトの若者がやっているわけでもない。とっくに定年退職し高齢になり、”シルバーサービスセンター”などに所属し、働いている人も多い。

住宅会社だけが、住宅クリーニングサービスをするわけでもない。屋根や植栽などの手入れなどもあわせてやってくれるハウスメンテナンス・サービス会社が、浴槽や水回り点検清浄をしてくれる。下水や水道などの洗浄サービス会社が配管の直しや交換までしたりする。熱帯魚や淡水魚の水槽掃除や水草や敷砂利の交換などを専門にする会社もある。

このような設備や機器などのメンテナンスばかりではない。いわゆる安全の維持や防犯など不安の除去などをやってくれるセコム・ビジネスの需要も高まっている。高齢や認知症などからくる”暮らし不安や不自由”に対応するサービスも多い。資産やお金の管理後見や各種手続き代行サービスなど。

足やヒザ痛などで歩行が苦痛の高齢者の買い物代行サービスは、いまやローカル・スーパーやコンビニの営業品目になりつつある。布団洗いや大掃除などは高齢者に限らず、ふつうの主婦にも重労働だ。大きな断捨離や片づけなどと同じく代行してくれるサービスを希望している。食事宅配サービスだけが、希望されるサービスではない。

お盆やお彼岸などに行われる墓石の洗浄や墓地の清掃などに加え、近年は”墓参”を代行するサービスなどもある。先祖代々の墓地だけが遠くて墓参できないのではない。東京住まいの人でさえ、ご縁を得て遠くにお墓を持っていたりするのだ。よろず便利屋代行サービスは、想像を超えて広がっている。

総務省の家計調査がいう保育や介護サービスなどを含む「その他の諸雑費」は20年前(8.7万円)の2倍(15.7万円/2010)にもなっている。これがゼロも含めた平均だからビックリ。この20年の年平均総消費支出額は、ほとんど横ばいなのだ。
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2014年、人生初めての俳句6か月を回顧

2014年06月16日 | Weblog
2014年「ことしは何をしよう」と迷い、はじめた俳句。元旦の朝の思いつきが、6か月つづいた。この間詠んだ俳句は、約150句。

朝日カルチャーセンターの通信講座「俳句教室」(武田伸一先生)を通じ、毎月5句ほどの添削指導を受けているが、毎回元の自分がなくなるほどビッシリのアカ(朱)をいただいている。トータル150句で、まぁまぁと自己満足しているものは10句にならない。

月3句ほどを抜粋し、記載する。

・2014年1月:「一人屠蘇 指折り数え 五七五」「静寂を 壊し砂利道 初 詣」「大寒に 赤きを燃やす 薮南天」

・2014年2月:「雪の朝 芋こじのごと 電車事故」「春告げる ビッグサイ トの ゆりかもめ」「春一番 はぐれ目白が 水を浴び」

・2014年3月:「古里や 薮北の沢 蛙鳴く」「昨夜(よべ)塗りし 田のク ロに跡 蛙かな」「潮干狩り 松葉の先を 噛むアサリ」

・2014年4月:「食育や 大豆を語る 穀雨かな」「春朧 すきやばし避け ろばたや次朗」「商談に ため口混じる クールビズ」

・2014年5月:「育種家と 庭師のコラボや 薔薇祭り」「蕗の葉を コッ プ代わりに 岩清水」「青葉雨 Tシャツ濡らし ハイキン グ」

・2014年6月:「雨上がり 木苺つまみ 沢歩き」「山菜を 探して迷い 森林浴」「薮北の 蛍袋や シジミ蝶」

俳句のおかげで、少し自然や季節や小さい生き物などへの関心が高まってきたことに、感謝している。毎朝の起床も早くなった。うれしい。
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豪雨つづく2014年梅雨期のふる里風景

2014年06月13日 | Weblog
『車窓より 飛び入る景色 青田かな』しばらくぶりのスーパー日立。老いた母(94歳)一人の古里実家に向かう2014年6月7日(土)も小糠雨。そして、ゲリラ雨。体調を崩していたために五月連休の帰省を、一ヵ月月遅れした格好だ。

雨足がゆるくなったとはいえ、夕べになっても止まぬ雨の中をビニール傘で散歩に出た。『ふる里や 夜の農道 蛍舞う』しばらく見ることがなかったホタルが、舞うほどでもなく飛び交う。農薬を使うことがなくなったからなのか、田植えする田圃が少なくなったからなのかハテナだが、水や緑がきれいになった田舎中山間農村がうれしい。雨音と蛙の鳴き声が睡眠導入剤になり、就寝。

『玄関上 古巣はみ出す 子燕五羽』いつもより低く飛ぶ親ツバメ夫婦がかわるがわる子燕にエサを運ぶ。実家直前の青田から里山方面に散歩。去年は気に留めなかった畦道横のグミの木に、真っ赤に熟れたグミの実がいっぱい。『里山や 真っ赤なグミもぐ 小糠雨』

『小糠雨 蛍袋や シジミ蝶』里山原野のあちこちに蛍袋。小糠雨を避けるように小さなシジミ蝶が、その蛍袋に入って行く。やさしい。里山の梅林の青梅が、いつまでも真っ青。黄みを帯びない。『青梅や 黄みを忘れし 長い雨』
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6月19日の「食育の日」に寄せて

2014年06月06日 | Weblog
毎月19日が食育の日で、6月は食育月間だという。政府(内閣府)などの”お仕着せ”のようでもあるが、年に一日ぐらい”食”を考えたり、農業してくれている人々に思いを寄せ感謝したりすることは、大変よいことだと思う。それにしても内閣府や消費者庁および行政各官庁が、食育ほど揃って取り組んでいる施策行事もめずらしい。

しかも今もって、”食育とは何ぞや?”が解らない。政府の食育の目的記述などには、”豊かな人間性を育み””健全な心と身体を培う”など他で聞いたような言葉に、”健康で文化的な国民生活と豊かで活力ある社会の実現をめざす”のが食育だと記されている。

何を言っているのかちっとも解らない。知育、徳育、体育などの教育に並ぶものなのか、加わるものなのか、独立したものなのかもハテナだが、このところの政府や行政がやっているイベントなどをみると、ただ”食”を材料にしてちょっとした”お祭り”をやっているだけにしか見えない。楽しく食事しようや健康長寿や地域食などをお祭りイベントにすることが”食育”なのか理解に苦しむ。

食事作法(マナー)を教えることなのか、食べ物(つくる人)への感謝心を醸成することなのか、食文化や食の安全などを学ぶことなのか、農業や食料への理解を深めることなのか、それともこれらの全部なのかや 栄養や食糧調達などにまで踏み込むことなのかわからない。需要者と供給者の相互理解や交流を考えていたら、ただの交流イベントやお祭りになってしまったのか、解らない。

6月19日(食育の日)を前に、政府や行政の方々に考えてもらいたいのです。少しなりとも、食育に関心を寄せ、食育(活動)をしている者の願いです。よろしくお願いします。
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この夏は、もっと 水を飲もう!

2014年06月01日 | Weblog
まだ5月だというのに連日”真夏日”。暑い。カラダが、水を求める。ヒトのカラダの60%は、水でできているのだという。体重50kgのヒトなら、うち30kgは 水。熱く暑い夏、わたくしたちは30kg以上の水を抱かえて歩いているのだ。キツイ。この水が、熱暑を受けて温度を上げるのだ。体温を超えてカラダが熱い。

カラダの中の水分が2%減ると、ノドや口の渇きをキツク感ずるのだという。30kg×0.02=600gだから、500mlペットボトル一本強だ。これが高まり6%も減ると、脱力感、意識朦朧、吐き気や頭痛をまで感ずるようになるという。さらに、これより多く水分が減ると、精神錯乱や幻覚症状をもたらすというから恐ろしい。

とにかく”健康”のためには 水なのだが、こう熱暑がつづくようだと、まずはカラダの中の水分補給が大事。熱中症対策だ。熱失神→熱疲労→熱痙攣→熱射病 と進むと、命にかかわる。通常の気温やふだんの暮らしでも、わたくしたちのカラダからは、平均2500ml(2.5ℓ)の水分が体外に出ている。食事(約1ℓの水分)以外1.5ℓから2.0ℓぐらいの水分摂取が大事になる。

500mlのペットボトルで3~4本、200mlぐらいのコップなら10杯ほどを飲まねばならない。ふだんの水の飲用量と比べて、足りなさそうだという量の水を もっと飲むように心してほしい。ヒトのカラダにとって命にも直結する脳や心臓、肺や血液などの水分(構成)比率は大体80%前後、骨でさえその20%が水なのだという。健康やカラダにとって一番大事な”水”を、もっともっと飲むようにしよう。
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