こだわりやこだわるが、最近のはやりだ。マーケティングに携わっている人たちは、企業の理念や事業領域(ドメイン)および製品コンセプトやターゲット顧客の特性などを、はっきり自己確認することに執着し、この商品は「厳選された素材にこだわり・・」と言ったり、「使いやすさとデザインにこだわり・・」などといいます。
ポジティブなことに使う言葉というより本来、ネガティブなことに使う言葉なのに「どこかオカシイ日本語で、嫌いな言葉(使い方)」と言っていたのは、テレビや週刊誌などでもおなじみの阿川佐和子さんだ。”この前私が言ったこと(失言)にはこだわらないで””いつまでも「あのこと」にはこだわらないで”というような使い方がもともとの使い方だと思うのだが、最近は「こだわる」というようにポジティブなことに使うことがほとんどだ。
何かを作ったり、何かをしたりするためには、まるで”こだわりやこだわること”が、出発点で最も大切なこと(用件)であり、人々に受容されるコツはすべてコンセプト(こころや考え方)がしっかり確立しているかどうかだというのが、マーケティングやモノづくりをしている人々の常識なのだ。「食にこだわる、人にこだわる、洋服にこだわる、予算にこだわる、日取り(大安や仏滅)にこだわる、味にこだわる、外見や出身地にこだわるや学歴にこだわる」など、ポジティブに使うことが当たり前といった言葉の使い方だ。
だからかも知れませんが、近隣の中国や韓国も「靖国や日本の歴史認識」にこだわり続けるのでしょうか。人が、つい起こしたミスや以前の失敗や失言を許して、"仲良く暮らそう”として使う「この前のことは、こだわらないでくださいね」「もうそのことにはこだわらないでいいですよ」という使い方を、”ふだんのこと”にしていた日本人の和や関係づくりの心を、もっと中国や韓国やその他の外国の人々にも教え、広げていくことが大切だと、一昨日神宮前の小料理居酒屋で一緒した中国出身のPh.Dr.(ブリストルマイヤーズ)の青田一夫さんに教わりました。
ふだん言っていることですが、人でも国でも、お互いの理解や関係づくりの出発点は、自分のDNAというか素性やキャリア(歴史)を自分から話すことだと思うのですが、中国や韓国の文化を原点にした日本とその日本が中国と韓国という隣国と作ってきた歴史および先の戦争という失敗や原因を正確に相互認識することが、少し前の相手の失敗やお互いの失敗に”こだわらない”で、ポジティブな関係を構築することに繋がることになるのだと思います。
靖国(首相参拝)の問題も日・中韓の”こだわり”問題というより、極めて国内の自分たちの問題なのだが、いままでの歴史やこれからの時間が解決してくれるであろうことをつよく期待しています。だからと言って、「何もしなくてもいいこと」と時間が解決してくれるということは別なのです。時間を主役にすることで、わたくしたち人間が「知」を尽くせば結局、お互いの理解や良好関係が得られると思います。
ポジティブなことに使う言葉というより本来、ネガティブなことに使う言葉なのに「どこかオカシイ日本語で、嫌いな言葉(使い方)」と言っていたのは、テレビや週刊誌などでもおなじみの阿川佐和子さんだ。”この前私が言ったこと(失言)にはこだわらないで””いつまでも「あのこと」にはこだわらないで”というような使い方がもともとの使い方だと思うのだが、最近は「こだわる」というようにポジティブなことに使うことがほとんどだ。
何かを作ったり、何かをしたりするためには、まるで”こだわりやこだわること”が、出発点で最も大切なこと(用件)であり、人々に受容されるコツはすべてコンセプト(こころや考え方)がしっかり確立しているかどうかだというのが、マーケティングやモノづくりをしている人々の常識なのだ。「食にこだわる、人にこだわる、洋服にこだわる、予算にこだわる、日取り(大安や仏滅)にこだわる、味にこだわる、外見や出身地にこだわるや学歴にこだわる」など、ポジティブに使うことが当たり前といった言葉の使い方だ。
だからかも知れませんが、近隣の中国や韓国も「靖国や日本の歴史認識」にこだわり続けるのでしょうか。人が、つい起こしたミスや以前の失敗や失言を許して、"仲良く暮らそう”として使う「この前のことは、こだわらないでくださいね」「もうそのことにはこだわらないでいいですよ」という使い方を、”ふだんのこと”にしていた日本人の和や関係づくりの心を、もっと中国や韓国やその他の外国の人々にも教え、広げていくことが大切だと、一昨日神宮前の小料理居酒屋で一緒した中国出身のPh.Dr.(ブリストルマイヤーズ)の青田一夫さんに教わりました。
ふだん言っていることですが、人でも国でも、お互いの理解や関係づくりの出発点は、自分のDNAというか素性やキャリア(歴史)を自分から話すことだと思うのですが、中国や韓国の文化を原点にした日本とその日本が中国と韓国という隣国と作ってきた歴史および先の戦争という失敗や原因を正確に相互認識することが、少し前の相手の失敗やお互いの失敗に”こだわらない”で、ポジティブな関係を構築することに繋がることになるのだと思います。
靖国(首相参拝)の問題も日・中韓の”こだわり”問題というより、極めて国内の自分たちの問題なのだが、いままでの歴史やこれからの時間が解決してくれるであろうことをつよく期待しています。だからと言って、「何もしなくてもいいこと」と時間が解決してくれるということは別なのです。時間を主役にすることで、わたくしたち人間が「知」を尽くせば結局、お互いの理解や良好関係が得られると思います。