吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

いつまでも「こだわらない」ことの大切!

2006年08月27日 | Weblog
 こだわりやこだわるが、最近のはやりだ。マーケティングに携わっている人たちは、企業の理念や事業領域(ドメイン)および製品コンセプトやターゲット顧客の特性などを、はっきり自己確認することに執着し、この商品は「厳選された素材にこだわり・・」と言ったり、「使いやすさとデザインにこだわり・・」などといいます。
 ポジティブなことに使う言葉というより本来、ネガティブなことに使う言葉なのに「どこかオカシイ日本語で、嫌いな言葉(使い方)」と言っていたのは、テレビや週刊誌などでもおなじみの阿川佐和子さんだ。”この前私が言ったこと(失言)にはこだわらないで””いつまでも「あのこと」にはこだわらないで”というような使い方がもともとの使い方だと思うのだが、最近は「こだわる」というようにポジティブなことに使うことがほとんどだ。
 何かを作ったり、何かをしたりするためには、まるで”こだわりやこだわること”が、出発点で最も大切なこと(用件)であり、人々に受容されるコツはすべてコンセプト(こころや考え方)がしっかり確立しているかどうかだというのが、マーケティングやモノづくりをしている人々の常識なのだ。「食にこだわる、人にこだわる、洋服にこだわる、予算にこだわる、日取り(大安や仏滅)にこだわる、味にこだわる、外見や出身地にこだわるや学歴にこだわる」など、ポジティブに使うことが当たり前といった言葉の使い方だ。
 だからかも知れませんが、近隣の中国や韓国も「靖国や日本の歴史認識」にこだわり続けるのでしょうか。人が、つい起こしたミスや以前の失敗や失言を許して、"仲良く暮らそう”として使う「この前のことは、こだわらないでくださいね」「もうそのことにはこだわらないでいいですよ」という使い方を、”ふだんのこと”にしていた日本人の和や関係づくりの心を、もっと中国や韓国やその他の外国の人々にも教え、広げていくことが大切だと、一昨日神宮前の小料理居酒屋で一緒した中国出身のPh.Dr.(ブリストルマイヤーズ)の青田一夫さんに教わりました。
 ふだん言っていることですが、人でも国でも、お互いの理解や関係づくりの出発点は、自分のDNAというか素性やキャリア(歴史)を自分から話すことだと思うのですが、中国や韓国の文化を原点にした日本とその日本が中国と韓国という隣国と作ってきた歴史および先の戦争という失敗や原因を正確に相互認識することが、少し前の相手の失敗やお互いの失敗に”こだわらない”で、ポジティブな関係を構築することに繋がることになるのだと思います。
 靖国(首相参拝)の問題も日・中韓の”こだわり”問題というより、極めて国内の自分たちの問題なのだが、いままでの歴史やこれからの時間が解決してくれるであろうことをつよく期待しています。だからと言って、「何もしなくてもいいこと」と時間が解決してくれるということは別なのです。時間を主役にすることで、わたくしたち人間が「知」を尽くせば結局、お互いの理解や良好関係が得られると思います。
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離婚問題100万件、老老介護1000万人を抱く団塊の世代の憂鬱

2006年08月23日 | Weblog
 2007年や2013年問題は、いわば政府の泣き言の類だ。後ろを向いて、厚労省をはじめとする官僚たちがほくそ笑んでいる。団塊世代のリタイア後やその年金問題は、”天下りの場”や特殊法人づくりについて、彼らに正当な理由をもたらすからだ。「歳入が減り、歳出が増える」から大変だと言って心配している風を装い、自分たちの出番や働く場所が担保されさえすれば、「税収を増やすことや支出を抑えることは簡単なことだ」と思っているのだ。
 フトコロゆたかな団塊世代と言ったり、リタイアしてもまだまだ働ける団塊世代といい、いままでの貯えと退職金や年金で、ゆたかで自由と充足が約束されている団塊の世代のリタイア後だと囃す。海外旅行、世界遺産や美術館めぐりの旅、趣味やカルチャーそしてたまのボランティアをする人たちになると言う。パソコンやインターネットもできるので、投資信託や株式売買に幾分の資金を運用して小遣いや資産を増やしたりしそうだという。もっと、大変な問題が山積な世代になるであろうことを引いた甘言だ。
 なぜ、彼らが団塊の世代と言われているかといえば、昭和22,23,24年の「ベビーブーマー」世代だからだ。あの凄惨と銃火の戦争を生き延びた生命力強固な人たちを親にしているのが、団塊世代だ。彼らの親世代の長命は約束されているのだ。
 団塊の世代(S22,23,24年生まれ)700万人が65歳前後のときの彼らの親世代は95歳前後だが、介護対象で長命している。90歳以上の人口はただいま丁度100万人だが、2013年頃には約250万人近くになっているだろう。80歳以上にすると、700万人ぐらいと予想されるから、65歳を越えた団塊の世代は一人が一人を介護しなければならない”老老介護”になるのだ。自分が70歳、親が95歳の暮らしを考えてほしい。夫の親2人と妻の親2人の四人がすべてとはならなくても、それぞれ一人、2人の親を2人の夫婦子供で介護するのだ。
 このような姿をイメージするから、団塊の世代の”もうひとつの憂鬱”65歳過ぎの離婚問題が浮上するのだ。老後に備えての貯えや趣味づくりおよび近所での友達づくりなどが出来ている妻・女性は、それなりに一人老後も暮らせるが、ひたすら会社人間、仕事人間に専念し、隣近所には知る人もいず、趣味どころか家事ひとつできない夫・男性は、自分が老後”生きる”だけでも大変なところに、親の介護ができるでしょうか。どうにもならないことを見越しても”離婚”を迫られる65歳のリタイア団塊・男性です。
 自分たちの子供(団塊Jr.)には、親は親、心配せず「自分のこと」をしろと育ててきた手前、頼ることもできない。第一、団塊ジュニア世代は、非婚ライフを選ぶものやあれこれ「自分」適職を探しながらのフリーターやニートを受け入れて”大人化”しているので、とても「親のこと」まで出来ないのです。それでも、特養ホームや一般の老人ホームなどでの”ケア”暮らしを嫌がる団塊の世代は、どのような”自分暮らし”をつくるのでしょうか。リタイアを目前にした団塊の男性諸君、いそぎ、会社や仕事を離れた住接の友達を作ったり、趣味をもっとすすめたりしながら、一人で自活できるスキルや環境づくりに邁進してください。長い会社人間や仕事人間をただ”責める”種族を見返してあげられるように。
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汗しての価値創造より「お金の運用」でのそれを子供に教える銀行。

2006年08月20日 | Weblog
 個人金融資産総額が1500兆円を越えた日本。外資ファンドも大手銀行グループも「プライベート・バンキング」と言って、その運用の囲い込みにあの手この手だ。スパーリッチの大きくまとまった資金の運用や管理を受け、その手数料収入をいただくことが効率的という訳だ。マス・マジョリティ(一般大衆)からは、黙って稼ぐATM手数料がいいからだ。
 年間100人から500人ぐらい生まれるというIPO長者(新規株式公開による金融資産長者)を含む5億円以上の金融資産を持つ6万人とも10万人とも言われているスパーリッチ層のほとんどは、外資系ファンドも含む銀行グループのプライベート・バンキングの上顧客であり、ターゲット(標的顧客)だ。なかでも、20から30億円の金融資産の管理や運用を銀行グループに委託しているスパーリッチ層は、1万人とも2万人ともいわれている。これらの上顧客には、節税や相続税関係の相談や手続きなどもサポートするファイナンシャル・プランナー(FP)が、金融資産の運用アドバイスも含め何人も配置されている。
 このようなスパーリッチやIPO長者の裾野を広げようといわゆるマス・アフルーエント(大衆富裕層)といわれる金融資産1億円以上のプチ富裕層の顧客シェア獲り競争が激しい。72万人とも100万人ともいわれる世帯数があり、おおよそ100兆円から200兆円あると言われている。つづいて狙われているのが、2007年より(60歳)定年になる団塊の世代の退職金だ。平均2000万円としても約250万人といわれている団塊サラリーマンの退職金総額は、約50兆円にもなるのだ。
 これらの金融資産が、1500兆円といわれる個人金融資産に加わっていくのだから、このような個人資産の管理、運用をと目を光らせる銀行グループの関心はわかりますが、最近はこのような市場の将来を見据えての金の卵「子供たち」への教育的介入だ。「株のがっこう」「キッズ マネー アカデミー」「キッズ マネーキャンプ」など「子供たち」への”長者になる秘訣は、お金を上手に運用すること”だ、”汗してコツコツ貯めること”より”汗しないで頭を使って「お金」を運用すること”が「ヒルズ族」のようなリッチャーになる近道だと教え、そのように指向する人々に育ってもらおうとする構想(企て)なのだ。
 ひと昔前の小学校で流行った子供貯金や子供銀行および小遣い(家計)の上手な使い方や株式(投資)ゲームなどでは、”靴の上から足をかいている”ようだと言うのだろう。いくら「金融や金銭の取り扱い」が仕事の銀行とは言え、世界や日本という国の法人なのだ。銀行。
 これからの価値創造の労働や知のあり様を考えた国づくりや人づくりを考える社会的責任をシェアリングしてもらいたい銀行なのだが、それでも「子供たち」に子供のうちから”お金の運用”を教えることが、まずは大切だというなら、その本質を教えて欲しいと思うのです。
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Y世代をフォローすると「あした」がわかる!

2006年08月19日 | Weblog
 米国でジェネレーションX(X世代)というと30代世代を指しているが、日本の30代は、文字通り”団塊ジュニア”世代で、広くみると1950万人いて、とても「X」ではない、オー「O」型だ。その上の40代が、ずばりX世代にあたる。1550万人と人口数は少ないが、”ハナコ・ばなな世代”などと呼ばれ、高度成長期のファッションやライフスタイルをリードした世代だ。
 現在、注目されているY世代は、X世代につづく年代層で、10代後半から20代前半のいわゆるインターネット・デジタル世代(15-24歳)だ。約1400万人と人口数は極めて少ない世代だが、デジタル(デジタル・デバイス活用)をリードする20代前半と、アニメやゲームその他コンテンツをリードする10代後半で構成される。団塊ジュニアの子供世代をターゲットにしたチャイルド・プレミアム・ブランド「ナルミヤ」もやや沈静化しているようだが、その前の「ミキハウス」などは、経営困難から”再建”問題があがっている。
 働く女性を母親(団塊ジュニア)にしたY世代ですが、あまり汗をかきたくない省力(コンテンツ)や、ささやかに自分主張する「萌え」(アキバや近場系)などをかかげている。疲れるデパート(ショッピング)がキライだからと言って、原宿や渋谷やターミナル地域などのブティックや専門店を買いまわるのもシンドイと思うY世代は、駅ビルや駅ナカあるいは住接する近場での買い物を好むが、極めれば「インターネット通販」でショピングする。X世代の高い関心が、都心のデパートやタウン・ショッピングおよびテレビ(昼バラや昼ドラ)にあるのと比較すると、対照的なY世代の指向から、近い将来の消費生活者のライフ・スタイルやファッションの指向する方向がみえる気がする。
 レンタルDVD、インターネット、コンテンツなど”あまり汗をかいて、疲れる都心にまで出かけたくない”Y世代は、住接近場のコンビニ利用世代でもありますが、高齢者でも、バブル経済キャリアでもないだけに、「スローライフ」やこれからのマーケットをリードするかもしれない世代だと言えそうだ。
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品格も品位も最低の銀行!

2006年08月12日 | Weblog
 2006年5月、大手の銀行が過去最高益での決算(3月期)を発表した。多くの銀行が、金融再生(改正)法に基づき利用することになった巨額の公的資金の返済を実行した。20世紀、長きに渡り護送船団方式とかいう業界ぐるみの"官”の護衛を当然としてやってきた銀行は、21世紀に向けて自己資金などのグローバルスタンダードや金融の国際市場化というビッグバン(Big Bang)に備える「改革」の波を受けることになった。
 1998年、時限立法として成立した金融再生法に基づく金融再生委員会(金融庁)や竹中プラン(RCCへの不良債権売却の促進)などの推進により、多額の公的資金(税金)が利用され、これらのプログラムに続く金融制度改革などもあり、返済不可能な不良債権を抱えた銀行は破綻し、大手の銀行は合併やM&Aにより体力強化にサクセスした。政策金融銀行の統廃合や郵政民営化なども、結果として金融官僚と大手銀行の”意”を後ろ盾することになった。
 政府や財務官僚に護られた大手銀行はこの間、ゼロに等しい預金金利やシステム化の完成でタダ同然になったコストを語らず、顧客の労によるATMを増設し、その莫大な手数料収入益を得ていながら、景気低迷や与信の制約による企業への貸し出し収入減をカバーしようと、裏で大手キャッシングと連携し、高いグレー金利貸しによる収益を得るようになっていた。護送船団方式の終焉や戦後の官制金融界の解消などを思わせ、国民や社会に対する背信を続けていたのだ。
 そして最近、タンス預金化している約1500兆円という家計資産と、格差社会に現れた”富裕層”に偏在しているこの「富」に目をつけたのが、この度過去最高益をあげた大手銀行なのだ。金融制度改革をバックに、証券会社や信託銀行なども傘下に治めた大手銀行が、一般大衆がコツコツ貯めた”タンス預金”を社会化することが、景気や経済活性化のシーズ(Seed)なのだと、この1500兆円の運用を預かり、その巨額の手数料収入をすべて自分たちの収益源にしようと企んでいるのだ。どこで勉強したのか、ほとんどの国民におしなべて働きかけるマス・マーケティングは効率がわるいとして、BoBos族などといわれる新(プチ)富裕層(小生の06年3月21日ブログ)を後回しにし、資産5億円以上の約6万世帯のスーパーリッチをコア・ターゲットに、1億円以上の資産を保有するいわゆる”富裕層”72万世帯をセカンダリー・ターゲットに、プライベート・バンク業務よろしく、すべて自分たちが取り扱おうと画策、行動しているのが大手銀行なのだ。
 なんと、品格も品位もない銀行なのかとあきれるが、日本の最高経営者や超エリート・スタッフがマーケティング(最近)する大手銀行は、近いうちリタイア/シニア化する団塊の世代の退職金や老後資金まで”自分たちのもの”だと狙っているのだ。金融機関同士の争奪戦に乗るのも、眺めるのもわたくしたち庶民の自由なのは言うまでもありません。
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若い世代に「夢と生きがい」を!

2006年08月10日 | Weblog
 つい最近発表された「労働経済白書、2006年版」(厚生労働省)は、”20代の所得格差の拡大”とその固定化傾向を指摘している。20代へのアンケートなどでは、約6割の若者が、「5年前より所得格差が拡大している」と答えている。内容をみると、”正規社員として働くことができている者と非正規社員(フリーター)として働いている者”の賃金格差が、イコール所得格差になっているようだが、これに約64万人(政府)とも100万人ともいわれている「ニート」状態にいる若者を考えると、少子化や非婚化の問題を考える前の”緊急課題”として、若い人たち(20代から30代半ば年代)に対する所得格差の縮小や解消を施策化してあげる必要を感じます。この問題をスルーして、少子化や子育てサポート施策を考えていると、この後ろ世代の大きな圧力にその実効が引き下げられると思うからだ。
 一方で、ゆたかな団塊世代やプレ団塊世代の”ジュニア”でもあるこの年代の若者のなかには、親からの(遺産でない)経済基盤の譲渡やホットな支援を得て、結果として中高年世代より高い所得レベルにある者も多い。このような、いわゆる独身貴族は絶対数としては少ないかもしれないが、結構”目立つ”ために、フリターや低い所得レベルの若者やニートという状態にいる若者たちは、現在の経済体制や社会および外部や他人との関係社会から”腰を引いた”ような、軽い引きこもり状態になっていて、その活力が国や社会の価値化に生かされていない状況です。
 8月9日(水)の日経MJ新聞(調査)によると、団塊ジュニア(真性団塊Jrの20代後半より少し上の30代前半が対象者のようだが)は、とくに独身貴族でなくとも”独身生活”を希望したり、とくに結婚を望んだりしないので、いわゆる「非婚」(生活)率を高めているようです。結婚して家庭を持っている若者と独身の若者とでは、当然ながらそのライフスタイルや社会との関わりが異なりますが、単身ジュニアに目立つライフスタイルは、鑑賞、ゲーム、アニメ、漫画、音楽やパソコンなどの「インドア性」であり、既婚ジュニアは、国内海外の旅行、食べ歩き、DIY,ガーデニングなど「アウトドア性」にあるようだ。
 「モノ」に対する量的、質的希求が低く、鑑賞、観戦、音楽、コンテンツおよび知識など”モノでないもの”への希求が高いのが、この団塊ジュニア世代の特徴のようだ。結婚して家庭を持つということは、ある程度「モノ」に対する量や質への関心を高めねばならず、単身で非婚ライフを展望すれば、資格を取ったり、自分磨きしつつ、ある程度ゆるやかに「自分」(一人)が高齢化していくことへの”貯え”を考えるということでしょう。
 「子育て」インセンティブや「子育て」サポートの前に、団塊ジュニアやこの人たちより若い世代の若者たちに、結婚して家庭を持ったり、子供が生まれてファミリーライフすることの将来に「何か、自分たちの知らない、気づいていない素敵な価値があるのだ」と思える”夢や生きがい”が描けるような社会環境にして行くことや、”そのように思う”ことが、自然な生活やライフスタイルになるような世の中にすることが大切で、緊急なことだと思います。
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DNAをゲノムという単位でみると、生き物がわかる。

2006年08月07日 | Weblog
 中村桂子さんの「ゲノムが語る生命」という本(集英社新書、2004年11月)の衝撃は、私にとってはアルビン・トフラーやドラッカーの「本」以上でした。わかりやすく、やさしく、生命や生き物と”生きている”ということについて解いてくれたりしている以上に、科学や「知」のあり方を諭してくれた著作に出会ったのは、これがはじめてだったからです。難しい専門用語や数式がでたり、ただ厚いだけの専門書が多い時代にあって、「さわやかで、すてきな」出会いでした。
 DNAを遺伝子という最も小さな単位にまで還元して捉え、DNAを内包する細胞で出来ている生き物の構造や生命を、分析科学し極めた先生だからこそ言える”DNAのすべてを「ゲノム」として捉え、そのDNAから生き物の全体をみる”ことで、生きているさまを科学する生命誌科学に近づけるという教えは、ちょっとした社会科学をかじる私に、この上ない示唆を与えてくれました。
 先生が生命科学と言わないこの生命誌観は、自然や環境、社会や市場、人々や消費生活者あるいは、企業や企業が製品化、市場化している商品などについて、日々考えたり、工夫したりすることを仕事にしている私にとって、とくに「重ねる」というキーワードを通して教えられました。(「重ねる」は、中村先生の生命を基本とする知の可能性をさぐる7つの動詞「生きる、変わる、重ねる、考える、耐える、愛づる、語る」のひとつ)
 分析や予見可能性を科学と信じ、生き物の死骸(標本)や死データや死知識化した情報をコンピューター解析したりしていた態度を改め、予見不可能性や「ただ、ひたすら見つめる」という作業を”重ねて”みるようになりました。複雑で、解けない対象は、「ただ、あるがままを」見ればいいという私の態度は実は、中村桂子さんから教わった(本)”そのまま”だったのです。
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「やわらかさ」の革新と「軽さ」への希求

2006年08月06日 | Weblog
 昔は、鉄や合金のような重いけど丈夫なものが、耐久力があり、しっかりして安心できる材料だと思っていました。車のバンパーがプラスチックで出来ていると聞いたりすると不安を感じたりしましたが、それが「分厚い鉄板より丈夫」だと教えられビックリしたのは、ついこの間のような気がします。
 最近は、固体(Solid)というか堅いものや頑丈なもの(Hard)を追求し、丈夫さや壊れないものおよび耐久性を求めた重厚長大の鉄や鉄筋コンクリートの建造物やインフラ整備事業が、必ずしも時代社会をリードしてはいないようだと感じています。ポスト工業社会が、堅いものや堅い材料づくりを中心とするインダストリーから、軽さやソフトさをコンセプトにした材料や資材を求めるニーズを工業化するように変わってきたからでしょうか。
 破壊の中心が”戦争”という人工破壊(まだ、残っていますが)から、台風や地震などの自然災害および交通事故その他のような”破壊”に移ってきたからでしょうか。ただ、強固や剛や頑丈な堅い材料は、エネルギー効率がわるいからということで、軽いものやソフトなもので、そして丈夫なものを研究開発するようになったのでしょうか。堅いものや堅い材料が、破壊や自然災害に脆いということを体験したり、学習したからなのでしょうか。
 社会が”柔よく剛を制す”ということを強く意識するようになり、取り扱いやすく、成型しやすい”柔らかな”材料や素材を考えるようになったからでしょうか。重いものより軽いもののほうが、エネルギー効率がよいと思ったからでしょうか。建造物や重機や工業資材だけでなく、社会や人々が「ライト(軽量)化やソフト(柔らかさ)化」を求めるようになったからだと思います。
 単に、重工業から軽工業や化学工業に移行しているとか、プラスチックや合成樹脂や繊維および高分子や液晶やコロイドなどが”はやり”だからということではなさそうです。食料品も硬いものより柔らかいものが多くなってきたり、飲み物も濃い味より薄い味のものが選ばれているようです。世の中の人々が全体として、柔らかさや軽さを求めている結果だと思います。
 国と国や人と人の関係も、硬いより柔らかい関係のほうが”いい関係”なのかもしれませんね。やわらかでしなやかな関係は、これからの人と人の関係以上に、国と国の関係を考えるひとつの方向ですね。
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速さとゆっくりと、どちらを選びますか。

2006年08月05日 | Weblog
 「時間」の価値に注目が集まっています。多くの社会学や心理学に経済学者なども
加わって「時間」価値の研究をしています。この半世紀に変化した日本人の生活時間の配分をみても、概ね国民平均の「睡眠時間」が1時間(8時間から7時間に)短縮しています(NHK調査)から、”起きて活動している”時間が1時間、増えています。
 この1時間、何に使うようになったのでしょうか。何もしないで、ボンヤリしているのでしょうか。何か”経済的な価値を生み出すようなこと”をしているのでしょうか。平均でみると、週休二日制の浸透などもあり、労働(従事)時間も減っているのが実情です。”自分が自由に使える”時間が、増えているわけですから、総体的な時間価値は、増大しているとみられます。相対的(単位)時間あたりの価値ではありませんが。
 突き詰めていくと、時間価値は、”主観的なもの”です。誰にとっても「速いこと」がいいように思えるのですが、速すぎても/遅すぎても”ダメ”な場合も多いのです。タイムリーやジャスト・イン・タイムが重要だということは、工業社会やシステム社会が円滑に動く大切な要素になります。時間が経過すると「価値」が低下(コモディティ化)する品物もあれば、時間が経つと「価値」が高まる(ヴィンテージ化)ものもあります。「もう、終わってしまったの・・・」というような体験もあれば、「まだなの・・・」というような体験もあります。
 物理的、客観的な1時間を”量的1時間”とすると、感覚的、主観的な1時間は”質的1時間”と言えるかもしれません。クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)の向上とは、後者のような時間価値を向上させることなのかも知れませんね。
 ”いやなこと”は、早く済ませたいし、”楽しいこと”は、長く続いて欲しいのでしょうが、長すぎると疲れたり、飽きたりしたりし、本当に「時間価値」の評価は、難しいのです。速いのがいいのも、遅い(ゆっくり)のがいいのも「時間」という価値が、主観的であり、質的であるということからなのです。世の中、「時間」だけでなく、「モノやサービス」なども、”質的に、主観的に評価される”時代になっているということです。
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