吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

情報社会化が、監視社会化では何が安全社会だ。

2010年05月30日 | Weblog
 i Padや i Phone が人気だ。ビルゲイツやマイクロソフトが世界の時代の寵児として語られているうちに、アマゾンがインターネット販売マーケティング市場のキングになった。i Pad でアップル社は復活頂点を得たようだ。

 クラウドや i Pad は、ますます情報化やネット社会化を進行させるだろう。いままで、スペースブローカーやタイムブローカーで拡大発展してきたようにみえるマスメディア広告は、どのように時代の変化をビジネス化するかに躍起だ。聞きなれない DPIなるネット履歴盗聴システムなどが注目される。

 インターネットでの個人別閲覧サイトをプロバイダーサイドで盗み読みし、その人その人にミートする広告を発信するためだ。アマゾンが、アマゾンの顧客履歴を自社サイト内で、自社の取引キャリアからシュミレーションし、”おすすめ”することとは違う。誰にも普及したインターネットに個人広告を効果的に貼り付けるためと言って、個人のインターネット閲覧サイトを根こそぎ盗聴し、これをデータベース化しようというのだ。そら恐ろしい。

 インターネット社会化や高度情報社会化を世界に遅れじと、ただ推進する政府・総務省は、形だけの個人情報保護法などの浸透に浮いたのか、利用者の合意が得られればこの DPIなる盗聴監視社会化への制度設計をすすめるという(5/30 朝日新聞)。安全社会をといってやたら設置する監視カメラも似たようなモノだが、安全や効率といって進められる監視や盗聴のシステム化は、結局は権力や何かの供給側の横暴と個人的権利の制限につながる。

 それでなくとも、最近のカード会社や保険会社の情報漏えいや個人情報流出事故が多い。学校の先生(通信簿情報など)や役所の吏員などが、パソコンに入れた情報を事故る話も多い。目的以外に利用したり漏洩することはないとして”記載する”情報のほとんどは、目的外に使われていると推量される始末だ。

 インターネットの便利をいま以上に高めてくれなくていい。インターネットの盗聴や監視など、いかなる目的でも進めてくれなくて結構だ。監視しなければ保護できない安全なら、安全も要らない。できるだけ、ほっといてくれとお願いする。

 
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ほっとする笠原耕三さんからの「季節の花便り」のご紹介

2010年05月29日 | Weblog
 ご紹介する「季の花」だより以外、そんなに頻繁にお会いすることのない友人・笠原耕三さん。わたしと近い(マケティング)専門やシゴトのようだが、細かくご本人のことを聞いたことがない。何かの集まりや友人の会社などで、ちょっとした機会にお会いする。

 東京は(板橋)近くの練馬区にお住まいのようだが、ご趣味がバラやガーディニングなどのようですから、結構な庭のある住居にお住まいだと思われる。マンション住まいのわたしには、遠い趣味だ。彼から送信されてくる”花”のメール通信がわたしの四季感を補う。

 5月6月は、春のバラが多い。先日もフリルの花ビラがやさしいノーウィッチキャッスルが届いた。どちらかというとチャーリィブラウンやナローウォータのような薄淡いピンク系のバラが多いと思っていると、ノーウィッチキャッスルのようなオレンジ系が届く。グリーンアイスやプリスタインのような淡い白色のバラも多い。彼からくる白色バラの典型は、マーガレットメリルや白秋だ。10月ごろは秋のバラメールも届く。

 白色といえば、彼の庭は結構”白い”花が多いのではないかと思う。白色が好きなのかもしれない。真っ白で可憐な鷺草や銀木犀に加え、白の曼珠沙華や白むくげなども届く。定番は薄いブルーピンクの紫陽花やホトトギスやエビネのような薄いピンク紫系の花のようだが、ときどきクリアなオレンジのノーゼンカズラやチョココスモスのような濃いえんじ色や黄も鮮やかな蝋梅や福寿草などの花メールも届く。趣味にカメラを加えていただいてもいいようだが、どうやら専門なのかもしれない。いつもプロらしいカメラ・アイだ。

 団塊真っ只中の彼だから もうリタイアかなと思っていたら、どうしてどこかの大学で教鞭をとったり、若い人たちを集めてのカラーマーケティング(?)の講義や塾をやっていると聞く。専門にご趣味を加算して、ぜひ長く若い後継を育てて欲しいと願う。あまりお会いすることがないので、このような場面を借りて ふだんの御礼を申し上げたい。
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透明化は、決められないことの丸投げや演出デモ的公開ではないだろうに。

2010年05月24日 | Weblog
 民主党や民主党の国会議員諸氏の”反省や謝罪”のなさは、何だろうか。自分たちはそんなに”正しいこと”ばかりしていらっしゃるのだろうか。間違ったことや法律にふれることはしていないと繰り返す小沢さんに”ならって”いるのだろうか。

 いままで13~4年もかけて解決(移転)できていない普天間を自民党の無責任といい、50年何もレビュー改善していない官僚体制や天下り(独立/公益)法人づくりやムダづくりも万年与党自民党のせいと、すべてを”いままで”や”自分たち以外”のせいにして、自分たちの不足や間違いに触れようとしないいまの与党民主党に、落胆と憤りを感ずる。

 すべて、”お金とお育ち”に発する鳩山さんと小沢さんなるトップ2の世間知らずと自分知らずの傲慢さに起因している。いつも国家や政治のことを考えていると装って、ご自分と身内(選挙)のことに目がいっている小沢幹事長といつも”こんなに考えて”一所懸命汗していると演出して、何一つ国のトップらしいことをしていない鳩山総理が、ただいまの日本のトップ2なのだ。

 ただひとつの目玉の「事業仕分け」も、演出デモとしては”点数かせぎ”になっているようだが、わざわざ”透明や公開”を前面に出すシゴトであったのか、甚だ疑問だ。事業の廃止や縮減や見直しおよび見つけた埋蔵金の国庫返納とコンテンツをデモンストレーションしているが、期限や方法や義務権限など明示されていない。”何もしない”検討で時間を稼げば、そのうち政権も変わる的になっているのではないか。

 鳩山さんの沖縄訪問も事業仕分けも同じに見えることが悲しい。すべてに根源や本質に戻ってやり直すか、ただいまのやり方と逆にして取り組むか”考え直し”してほしい。
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ポスト7月11日、2010年の日本のハテナ。

2010年05月22日 | Weblog
 どうやら鳩山政権は、(2010年)7月11日を参院選の投票日にしたようだ。今国会を延長せず、この6月16日で閉会するらしい。マニフェストや子ども手当てに始まった民主党新政権は、高速道路の建設復活や新料金体系および米軍普天間飛行場の移設問題などでつまずいた。

 演出的デモ効果を奏効させた事業仕分けは、ことしの流行語大賞にでもなるかと思わせるほど、メディア効果も上げた。実際、この事業仕分けが国民に教えたことは大きい。官僚や政治のしている実情を透明化したことも大きいが、隠れ政治や官僚や天下りの一部をあらわにしたことが、いろいろな出発点をもたらした。

 予算や歳費のいい加減な立て方や国会審議の抜け穴と予算や税金のムダな使い方を教えてくれた。あやしげな年金財政やいい加減な郵政の民営化と国の税金の使い方のザル穴を教えてくれた。いままでの野党が与党になって教えてくれたことは多い。

 このような”よかったこと”を勘定に入れても、不十分や不満と”だまされた”という思いは大きい。政治家の皆さんには信用できないと思われている新聞各社の世論調査において、民主党新政権や民主党の支持率が大きく下落していることが、”なるほど”と思われるのは当然のような気がする。

 このような時勢における参議院議員選挙だ。7月11日がほぼいまの庶民の思いに近い形になることに異議を唱えるものは少ない。想像通りの結果になる選挙に、胸おどる何ものも感じられないのがさびしい。投票台に直面しての悩みもあるが、投票所に行く気持ちが高まらないのがこわい。ポスト7月11日をハテナする事由だ。
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「便利」を追求してきた結果の「不便」増殖

2010年05月17日 | Weblog
 この50年、わたしたちはひたすら便利を追求してきた。便利が経済と生活を向上させた。企業や経済の発展は、つくった便利の量の結果だった。人手や面倒を省くことの便利や使う時間を短縮したりすることの便利は、文明や革新とよばれた。私たちの文化的な生活は、便利の積算でもあった。

 その結果、私たちは不便のなかで暮らすやすらぎや不便の環境で暮らす平穏を失った。不便を当たり前にして暮らす技術やチカラを失くした。簡便にできる道具や工夫しなくてもできる便利が当たり前になった。生活環境や生活インフラも、住んでいる人々にとって"便利”であることが、ふつうになった。便利化が水準レベルに達していない環境は、不便な地域だとして避けられた。

 身近にあって生活に必要な品物が何でも買えるコンビニエンスストアやそこに行けば何でも揃うスーパーマーケットやショッピングセンターが利用できることが当たり前になった。公共の交通機関が整備されていたり、クルマがあって気軽に運転していけば、これらのお店や総合病院などの利用も簡単になっていた。近くの商店や何も考えず当たり前に利用していた乾物屋などのお店が、いつしかなくなっていた。

 ほんの四半世紀で様子が変わった。”バブルがはじけた”ことも大きなターニングポイントになったが、それだけが背因ではない。少子高齢化の進展は誰もが知っていて、政府や役所も将来を展望していた。生活インフラが古くなりリストラしたり、不足インフラの充実をしなければならなくなることを予想していた。経済が後退し、経営縮減やリストラがテーマになり、”便利”への追求も控えねばならないことを展望していた。

 農業などの一次産業人口が減少したり、中山間地域の限界集落が増えたり、クルマも乗れない一人お年寄りばかりになったりする地域が増える予測をしていた。年金や財源不足が深刻になったり、介護問題が大きくなる今日を予想していた。予想どおりになり、そして"予想”に対応する手立ては何もできていないで2010年やこれからの10年を迎えた。

 一人住まいのお年寄りや老老介護生活に苦しむ高齢者やホームレス直前の貧しい弱者の方々は、ただいま日々の”買い物”もできない不便環境にいる。近くの商店や移動商店もなくなった。インターネットや通販の利用の仕方もわからない。月にいっぺん連れて行ってもらうショッピングセンターは”広くて”買いまわれない。連れて行ってくれる人もいなくなりそうだ。

 とにかく”不便”な世の中になった。必要なものが必要な時に買ったり利用できる環境ぐらい「何とかなくさないでほしい」と願う。(週一回の買い物さえままならぬ山奥の限界集落に住む89歳の老婆の代理)
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地域ネコに限らず、野生の生き物への給餌はよそう!

2010年05月15日 | Weblog
 2010年5月13日、地域ネコへの給餌トラブル裁判で被告加藤一二三九段が敗訴になった。長いことトラブった地域住民とエサやり加藤一二三九段の争いは、住民側の勝訴になったのだが、これで決着ではないのだ。頑な加藤爺さんは、裁判で敗訴したからといってネコへの給餌はやめないという。

 根本には”捨て猫”問題があるのだが、だからといって”動物愛護”や”捨てた人間の罪滅ぼし”を錦の御旗にしての地域住民への嫌がらせに近い行為が許されるわけでもない。動物をペット飼いする人々の意識や認識こそ厳しくされなければならないが、厳しいだけではすまない。いつ飼い主が亡くなったり、事故やケガなどでペットの世話ができなくなるかもしれないのだ。ペットの動物は何時放置や放念されるかもしれないのだ。

 余ほどの見識と決心がなければ、ペットや生き物を飼ってはいけないのだが、最近は”気軽”すぎるペット飼いのようだ。トラブルの多いネコはやたら飼い主が知らないところでする排便や排尿だが、イヌにも近いようなトラブルは多い。少し前はカラスやハトへの給餌が住民とのトラブルを大きくしたが、鹿や狸などへの給餌もトラブルする。

 小さな生き物や野鳥や野山が住処の動物をペット飼いすることも、イヌやネコやブタなどをペット飼いすることも、”わたしのわがまま”を認識した覚悟が要るということを自覚してほしい。動物や生き物は、野山や海川などの自然に生きて自分で自分の食餌をとって生きているのだ。このような自然という生き物たちの住処を保全していくことが人間の務めだ。人間の食べ物や人工の餌食などを与えることは、同じ地球で生きる動物や生き物たちに対する冒涜なのだ。

 加藤一二三九段も加齢して名人から迷人になったわけではあるまいに、ご自分の”自分勝手”を返上してほしい。動物と仲良くすることも大事ですが、地域の周りの人々と仲良く静かなシルバーエイジをお過ごしください。

 
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人(雇用)がいらなくなっているのに、人(人口)が増える

2010年05月10日 | Weblog
 世界で人口減少国になっているのはまだ日本ぐらいで、しばらくの世界は人口が増えつづく。少なくとも21世紀の前半は、人口が増加する。人口減少時代に入っている日本や行き着くところまで発展した先進国アメリカは、年々高くなる失業率に悩んでいる。働く職場やシゴトがない人々が増えている。

 20世紀の後半から高度発展したいわゆる先進諸国のただいまの問題は、働こうとしている国民に職場やシゴトをセットできないことだ。この間の経済発展は、高度工業化であり”人手がかからない生産や仕組み”づくりによりもたらされた。オートメーションで人手がいらない工場、ロボットにとって代わられているサービスに加え、ITや高度情報化はスタッフワーク的なシゴトさえ激減させている。

 ”人手(雇用)を減らす”ことで利益し発展してきた先進国や日本を、ただいまの発展途上国もトレースしている。人口増加や働く場所やシゴトがないことで苦労している国々でさえ、人手のかからない工場や産業を増やそうとしている。世界中が失業問題や産業化問題で悩みながら、これが解決できそうな気配が見えないのはなぜか。

 世界や社会の体制に問題があるからではあるまいか。長くつづけてきた資本主義経済を中心とする国や世界のあり様に問題が出てきたためではないのか。社会主義諸国の体制崩壊や失敗があったからということが、資本主義経済社会化が直面している問題への考察を後退させてしまったからではないだろうか。

 ソーシャル・ビジネス社会づくりだけが処方箋ではないと思うが、国や世界のありかたの2025~50年あたりに向けた社会や経済のあり方を広く考えたほうがいい時期のような気がする。雇用と格差問題を解決しながらの地球世界のあり方が問われているのだ。
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奥村土牛画伯(山種美術館)に教わる。

2010年05月09日 | Weblog
 初夏のような(2010年)5月9日の日曜日、昨日の前下歯4本の抜歯とその縫合の事後が大分いい感じなので、少し外の空気を味わいたくなった。早めの柔らかい昼食を済ませ地下鉄に向った。先週より「近いうちに行こう」と言っていた奥村土牛(展示)を見に広尾の山種美術館に向った。

 少々蒸し暑いが5月の緑香が濃いJR恵比寿駅から広尾に向う駒沢通りを、家内と連れ立って歩いた。”土牛”よろしく、老いた牛のようにゆっくり歩いた。結構汗ばんだ感じで目的の広尾高校裏の山種美術館に着くと、ノドを潤すまもなく入館した。

 自然の景色や生き物へのやさしい眼差しいっぱいの奥村土牛の絵が飛び込んできた。土牛についての予めの自分の印象は、”彼の晩年”のようだ。年代順に展示されていた作品をみているうちに、そのことがよくわかった。一貫して伺える正確で性格を加えたような写生タッチが、ふだんの自分(?)を後押ししてくれているようで、勇気づけられた。

 わたしにはわからないが、奥村土牛の絵ほどトシを重ねるごとに完成度が高くなっているものはないと言われるが、本人は80歳をすぎて”まだまだ不足で未完だ”と自省している。芸術に完成はない。どこまで大きく未完成で終わるかが大事なのだと言っているが、実に味わい深い。

 「土牛、石田を耕す」の土牛(画伯)は、文字通りの牛歩をヨシとしている。名前のごとく、牛や生き物を性格に描写したり、自然や植物や花鳥を写生している。闘う軍鶏やきびしい山を描いてさえ、自然や対象を見る目がやさしい。少しでも”見習いたい”と思って帰宅した。
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ポスト2大政党制への不安

2010年05月08日 | Weblog
 英国を見習え、英国に学べということで進歩してきた日本の議会制民主主義と政治が、先行した。長いこと保守自民党にお任せしてきた日本の政党政治が変わった。2009年8月31日、民主党の圧勝が"与党”政権の変換をもたらした。保守自民党が下野し、民主党とその連立政府が誕生したのだ。

 2大政党制のはじまりかという思いが、もう先輩英国に追いついた錯覚を感じた。はしりとトライして選択した民主党の初めての政治に不安定と不足ばかりが目立ち、国民は日々ストレスを高めた。”2大制ハテナ”という思いもつのりぞくぞく誕生するポストみんなの党を歓迎していいのやら悪いのやら、政党政治や議会制民主主義の政治がわからなくなっている。

 また、長いこと与党政権をお任せしてきた自民党に戻ろうかと思うも、長い不信や不作為などがこれを阻む。経験したことのない”野党”がそうさせたのか、期待や希望には程遠いただいまの姿だ。つぎづぎに脱党した”保守”系の皆さんが、小さな新党づくりに走る。ついこの前までの与党公明党やただいまの与党社民党や国民新党をイメージするのか、ポスト参院選あたりの政界再編をにらんでいるのか、わからない。

 折りしも2大政党政治の先輩国英国の総選挙が、英国のいままでの体制の崩壊(?)を伝えた。いままで議会の過半数を得て与党の座にいた労働党がその議席を100近くも減らしたにもかかわらず、対抗の保守党も回復したが過半には達しなかった。安定受容されてきた第3の政党、自由民主党が60近い議席を確保し、これからの政権樹立のキャスチング・ボードを握った。

 民主党オバマ大統領も安定とはいえない米国(議会)や安定政権の見えない英国や日本などもEU諸国や多くの途上国も、世界中どこの国も安定している政権や政治がない。不安定やあいまいを受け入れて政治することが、21世紀政治のポイントなのかも知れない。
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ふたたび、「貧困は平和への脅威」という認識を!

2010年05月04日 | Weblog
 爆笑問題の太田光さんのインタビューに将棋の名人・羽生善治さんが答えている。『情報や知識は、料理の食材のようなものです』と。将棋界にあって、”永世”という称号をほしいままに得た(永世名人、永世王位や永世王将、永世棋王や永世棋聖など)羽生善治名人の言葉だから、きょうは”情報や知識の料理の仕方”のあれこれを書こうかと思ったが、止めときます。

 テレビが鳩山総理の沖縄訪問ニュース一色だが、それをBGM代わりにしてここ2日ほどブログしてみようと思っていた2006年ノーベル平和賞受賞のムハマド・ユヌス(バングラデシュ)氏の言葉や思いをご紹介しようと思う。彼の著書『貧困のない世界を創る』(翻訳本、早川書房)にあるノーベル賞受賞記念講演録からだ。

 「貧困は平和への脅威」・・・貧困は平和への脅威です。世界の所得配分は、まさに印象的な話です。94%の世界の所得は、世界の40%の人々のところに集まっています。一方では残りの60%の人々がわずか世界所得の6%で暮らしているというのにです。世界人口の半分にあたる人々は、一日2ドルで暮らしています。一億人を超す人々が、わずか一日1ドル未満で暮らしているのです。これでは平和はもたらされません。

 21世紀は、素晴らしくグローバルな夢とともに始まりました。世界の指導者たちが2000年に国連に集まり、2015年までに貧困を半分にするという歴史的な目標を採択したのです。・・・。 私はテロというものは、軍事行動では打ち負かすことはできないと信じています。テロは最も強い言葉で非難すべきです。・・・ 貧困とはまさに、あらゆる人権の不在なのです。

 このようなくだりで彼は、貧しい人々のための銀行「グラミン銀行」を創設することになった。物乞いで暮らすしかない人々に無利子のローンをするマイクロクレジットをはじめた経緯を説明されています。そして、いまでは多くのビジネスマンも知る「ソーシャル・ビジネス」を提案するようになったのだ。ひとり企業の利益最大を追求することから社会利益最大を求めるビジネス・モデルを提言するのです。

 憲法記念日(5/3)やこどもの日(5/5)に、ムハマド・ユヌスさんの『貧困のない世界を創る』(早川書房/猪熊弘子訳)をご紹介できることがうれしい。
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