吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

デジタル化ばく進の日常生活とレジャー

2012年05月31日 | Weblog
日本生産性本部の「レジャー白書」が”デジタル化するレジャー”をまとめている。レジャーがデジタル化? と問う方々も多いかもしれないが、いまやデジタル・ライフは日常の生活にどっぷり浸透している。

別にデジタル化がイコール”おたく”化ではない。逆で、結構自宅外で過ごす生活時間が増えている(NHK生活時間調査)のだ。主に中学生や高校生の10代の自宅外生活時間は、平均11時間になろう(平日)としている。20/30代のそれは9時間、40/50代主婦あたりで7時間半。60/70代で平均4時間強自宅外で暮らしている。外でも、デジタル・ライフなのだ。

情報通信機器やデジタル機器の普及率は想像をこえて高く、いまやケイタイ電話は90%(全人口平均)を超える。スマートフォン40%、タブレット端末20%だが、これを後押しするパソコンは、ノート型70%強、デスクトップ型60%強だ。ケイタイ型のゲーム機器50%、ケイタイ型の音楽端末40%だが、家ではテレビ・ゲーム機が50%普及(所有)している。


レジャーのデジタル化を示す総家計消費支出費(平均年350万円)に占める自由時間関連支出の割合は21%(75万円)になる(総務省、家計調査)。情報通信デジタル機器を利用した生活の筆頭は”メール”で、平均50%強。ブログやHP(Webサイト)の閲覧45%、インターネットショッピング40%、ゲーム30%などが主だが、これにケイタイ電話やスマートフォンを利用した検索やサービス利用が加わる。

つい5年ほど前の余暇活動のNo.1は、外食(非日常参加人口7000万人)で、2位が国内旅行(6000万人)だったが、いまやナンバーワンは、PCやデジタル機器を利用したゲームや通信(8000万人)なのだ。外食は、国内旅行やドライブにつづく4位(6000万人)に下落している(レジャー白書)。

デジタル化激しい私たちのレジャーや暮らしなのだ。
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ファッション女性誌表紙の綾瀬はるか・・・この時期に、その透き通る爽やかさ。

2012年05月30日 | Weblog
ただいま、テレビのコマーシャルといえば武井咲だが、通勤電車の女性誌の中吊り広告や駅売店を飾るファッション女性誌の表紙は、綾瀬はるかだ。以前のこのブログ(2012年2月28日)でわたくしは、このお二人の人気をその”透明感”にあると書いた。

政治や世の中の淀んだ空気、明るさのない新聞の社会面に加え、このところの荒れた異常気象。かなりの上空らしいが、居座りうねる大寒気団と南から流れ込む暖気がイタズラするという積乱雲。いままでになかった強烈な竜巻や稲妻と一緒にやってくる道路や家屋にはねる大雹と強風を伴う暴雨。あがると、それは梅雨と真夏が一緒に来たような蒸し暑さだ。

このような暑いジメジメした梅雨期には、この透明で爽やかな綾瀬はるかしかないということなのか、彼女を起用したファッション女性誌の表紙が多い。中吊りにみるアン・アンや週刊女性やモア7月号だけではない。フラウやバイラの6月号やマキア7月号に加え、男性がよく読む週刊ポストやプレイボーイの表紙にも登場する。透明感振りまきなのか、フレッシュな爽やかさ振りまきなのか、クリアな笑顔がいい。


クリアと言えばこの季節のバラ(花)にも、そのような印象で魅惑するものが多い。その花の色に”クリア”と形容するとピッタリするバラだ。その純白(ホワイト)をクリア ホワイトと言ってよいプリンセス デューやホワイトクリスマス、クリア レッドと表するのがふさわしいイブ ピアッジェやクリア ゴールドなゴールデン メダイヨンおよび紫がクリアなレディ・エックスなど、バラ(花)の綾瀬はるかだ。


とにかく、この蒸し暑いジメジメ梅雨空をスッキリ爽やかに、日々したい。(自称 綾瀬はるか応援団)

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好天に誘われ、ぶらり伊奈町のバラ祭り(バラ公園)訪。

2012年05月26日 | Weblog
昨日から家内が北京あたりの旅行に出かけたので、きょうの週末はひとりだ。いつも以上に早い目覚めで、初夏の好天を仰ぐ。思いつきで行ったこともない埼玉中北部の伊奈町に行ってみることにした。バラ園があり町のバラ祭りが明日あたりまでだと聞いたからだ。

東武東上線成増から朝霞台、JR北朝霞から武蔵浦和まで武蔵野線で行き、埼京線に乗って大宮駅についたのは、家を出て30~40分後の9時45分。大宮からそれはかわいい電車のニューシャトルにのり伊奈中央を過ぎた終点内宿駅に10時15分ごろ着いた。かなりの乗継だが、ちょこちょこ乗り継ぐのも楽しいと知った。徒歩10分、伊奈町制施行記念公園にあるバラ園についた。

バラ園より覗いた住宅街
300種、4500株以上のバラが咲き誇っていると言うだけあって、想像以上の”咲き誇り”具合だ。バラ園入場料200円は安い。素人目には、レイアウトや植栽の仕方や導線などもなかなかの線に見えた。バラの手入れや清掃は町の奥さん方のボランティアでやっているようだ。種類なのか、育種家なのか、色や香りなのか、混然ランダムな植栽で、回遊に工夫が要りそうだ。

パパメイアン
300種全部デジカメに収めることは難しいが、咲き加減のいいバラの花75ほどを撮った。咲き加減や香りや自分の好みでシャッターを切った。パパメイアンなどのフランス・メイアン社が育種したものが15、ドイツ・タンタウが10、同じくドイツ・コルデス10、イギリス・オースチン社10、アメリカ・J&Pその他で10、京成バラ園芸社のものが10とオランダその他などあわせて10種ぐらいだ。何となく、伊奈バラ園の花園の景色が想像できよう。

ヘリテージ

この町に着くまで、自分は日本にはまだ○○郡何々町や村があるのかなどバカなことを思っていったが、どうして私のふるさとの市などより、余ほど街並みが近代的だ。(ちなみに、日本には1781の市町村があり、うち町805、村193だ。郡は87もある。)

この町(伊奈町)が、バラで明るく元気で、美しい街に発展していくことを願う。午前11時ごろだったと思うが、初夏の好天に太陽を中心にした大きな二重の輪の虹(日暈/日輪)を見た2012年5月26日でした。


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縁遠い世界の接近と自分。

2012年05月25日 | Weblog
 自分の知識や生活の範囲からほど遠いと思っていた世界が近寄ってきている。オバケや科学ほど遠い世界はないと思っていた私には、このところの世情はオソロシイ。茫漠として理解の外だ。今朝(5/25)の新聞にみる福島第一原発事故が大気中に放出した放射性物質の総量が、90京ベクレル(試算)だという。

 やっと一万円札が発行された事情が分かりかけてきた自分には、億(円)という単位あたりが理解できるようになった最近なのだが、その頃(いま)の国の予算は90兆円、国の借金は900兆円だと聞いてまたビックリ。国会の予算審議などをテレビで聞くに”何々に何兆円”などと喧騒している。そしたら、兆の上の京(けい)などが出てきた。

 数の単位も通貨や物理や情報などの単位もごっちゃの自分には、京は○がいくつつくのか(?)などと悩む。これ(90京ベクレル)でチェリノブイリ事故での放出放射性物質の17%だというのだが、地球全体やその上の大気中にある放射性物質はどのくらいなのだろうか。わたしの生活空間の総放射性物質はどのくらいあって、そのうち今回の原発事故でどのくらい増えたのだろうか。別に考える必要もない数字なのだろうか。

 上に向かう大きさの単位にも上限がなさそうだが、下に向かう単位もナノテクとか何とか言われ、わたしの理解の外だ。時間や長さの単位の10億分の1を”ナノ”というらしい。ナノセカンドやナノメートルぐらいは聞いたなと思っていたら、最近はピコとかテラなどの単位も使われるという。上(大)も下(小)も極がついたり超がついたりと、分からなくなってきた。

 太陽の直径がいままでより”より正確に測れた”と(今朝のNHK)報道された。139万2020km±40km なのだという。いままでは、139万1000km~139万2300km といろいろあり、付帯する誤差範囲も±50から±200km まで巾が大きかったというが、わたしにはどれも同じに見える。だが、少し太陽が身近に感じられるようになった今朝に感謝する。

 科学とは漠然として茫漠で”あいまい”なのだと、そんな理解に終わった自分がコワイ。縁遠いと思っていた世界とも付き合っていかなければならない昨今のようだ。
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古希を記念する故郷中学の小同窓会

2012年05月23日 | Weblog
1958年これから(戦後)復興期という昭和33年、わたしは小さな村の中学校を卒業した。15歳。2クラス、約90人の同窓生だ。卒業54年目の同窓会への出席者29人は、全同期生90人の3分の1。故郷地元から半分、東京方面から半分の出席で、男女も半々といったところだ。

小さな農山村だった村は、いまは”市”に格上げされ、地区は町になった。古希同窓会の会場は、少し離れたが昔懐かしい北関東自動車道のはずれの大洗。新設那珂湊大洗港に近い”かんぽの宿大洗”が本日の会場だ。雨模様の中、上野発13:00のスーパー日立で一路水戸方面に向かった。


風混じりの少々荒れた天気はやたら寒く、とても5月下旬とは言えない。途中一緒になった旧友と水戸でコーヒー・ブレークし、大洗鹿島線の電車で目的の大洗に向かった。宿の車でかんぽの宿大洗に入ったのは午後4時すぎ。すでに、何人かの旧友たちと幹事連が来ていた。

そろっての挨拶や顔合わせもそこそこに、温泉浴場。そして、宴会。もう、昔のクセや忘れかけの当時のトピックスを肴にして、何が何やらわからなくなっていた。宴会なのかカラオケなのか、ごちゃごちゃの昔中学少年たちの喧噪になった。70歳のオトコ13人、オンナ16人のやや女性上位は、いまも昔も変わらない空気だ。


翌23日、東京に帰るオトコ3人組は、コバヤシのつよい希望により大洗アクア・ワールドのサカナたちとアザラシやアシカやオットセイたちに挨拶し、那珂港やひたち海浜公園を経て、東京に帰った。みなさん、お疲れ様でした。多謝。
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このところのテレビ・CM放送の多いさが示すもの。

2012年05月22日 | Weblog
デフレ脱却が展望できない。長くつづく景気経済の低迷にもかかわらず、このところのテレビーCMは多い。バラエティ番組をみていた孫がいう。「しょっちゅうCMが入って、前のことが忘れちゃうよ・・・」。ドラマをみていた妻も「こう、CMが入ると前後がつながらず、興ざめするね・・。」という。とにかく、やたら多い最近のCM本数だ。

情報洪水が激しく、がれきゴミ情報が多い情報社会化にあたって、メディアは、自分たちは事実や話題や娯楽をたくさん提供し、視聴者にはその品質を自分の目や感覚でリテラシーし、選別してチャネルを回し視聴していただけばいいとふれる。それが、商業放送であり、自分たちの役目だという。

つづく景気低迷で、年々減るTV・CM広告収入に、CM価格を競争的に下げ本数を増やすことは自然な流れだとおっしゃる。広告収入が高まらないなかでのデジタル放送化やインターネットなどとの競争で、制作費や放送費なども高騰する。当然の傾向だとおっしゃるかもしれない。

番組内のCMも番組間のスポットCMも、やたら多い。ドラマなどなら、これをハードディスクにおさめ、ちょっと時間をずらしてCMを飛ばして見れるかもしれないが、そうしたりリテラシーしたりしてテレビを見なければならないようにしている放送企業は、何を品質やCSRの対象にするのだろうか。

とにかく、テレビのCMについて自省と自制をお願いしたい。
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”違い”を認め合うところから”共生”が生まれる。

2012年05月21日 | Weblog
よく共生することが大事だという。人間同士も、人間と動物も、人類と環境や地球も、共生するようにすることが大事だと言われるが、この共生(live together )どのようにすることで醸成されるのだろうか。何かを共有することで共生(共存/共栄)が育つのだろうか。何かを共感することが出発なのだろうか。

人類は、住む場所も違えば環境も違う。国も違えば、宗教や文化も違う。所得や生活レベルも違えばライフスタイルも違う。人類同士でこのように違うのだから、人間と動物や人間とその他の生物ではなお違いが大きい。多くはそれぞれ違う対象が同じなのだ。日本人などアジアの人々も、ヨーロッパやアフリカの人々も、同じ地球に住む。同じ地球環境に暮らす。環境が違う。

”違い”を認め、違う同じものを共有することが大切なのだ。違いを認めるところに共感( agree with )が生まれ、理解と許容が生まれる。わたしたち日本からは、かなり遠い中東辺りは、人種も違えば宗教や暮らし方も違う。しょっちゅう国内や街路で暴動や暴力が起こっているシリアやアラブ諸国やアフガンなどについて、国の政治や歴史および宗教などを知らずして、批判のみで騒ぐことは出来ない。

ヨーロッパやアメリカなどのキリスト教の国でさえ、国内に宗教や生き方の論争が起こっている。キリスト教や仏教の国の人とイスラム教の人々に、生き方や価値観の違いがあるのも当然だ。”違い”( difference )を認め合うところからしか理解や共感は生まれないし、共生( coexistence ) という二文字は展望できない。

違った国や土地に住み、違った宗教やイデオロギーを持つ。同じ人類、人間なのに、持つ資源や技術力が違う。同じ地球や環境に住み、人種や民族が違う。価値観が異なる。”違い”を共有したり認め合うとこから、相互理解し、そして”共生”に向かうことが大切なのだ。

身近な自分周りの日常にの中にも”違い”は多い。違いを認め合うことから、日々の生活をつくって行くことの大事さを思う。
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迷走する政治、低迷する経済、漂流する国民。

2012年05月19日 | Weblog
この国だけではない。ギリシャやヨーロッパを対岸視できないこの国の政治。熟慮熟慮(特別委審議)というだけで何も決められない国会にみる迷走政治。稼働出来ない54基の原発と大飯原発再稼働思惑を背景に、夏の電力節電を脅かす政府で、余計この国の政治が”規制”しか決められない情況を知る。

ビジョンや旗印がない政治は、何事につけても”丁寧に説明して・・・”といい、ご理解を得るという。脱原発への道程や行く先のエネルギーや経済の構想も示さず、”急には止まれない・・・”と惰性をリベラル化する。この国の現状を打破するには、何をおいても統治機構を変えなければと”維新”を旗印化するヒトもいるが、ただの遠吠えにも映る。

歳費削減や議員や公務員の給与も数の削減も決められず、厚生年金と共済年金一元化という年金改革も決まらず、社会保障と消費税の一体改革を熟慮国会している。この十年、国会議員の削減は選挙時の訴求だけになり、選挙制度改革どころか、0増5減比例区10減もきめられない。ときどき記事になる税制の抜本改革だという年金機構と税(国税庁)の一元化の歳入庁だが、”本気度”が見えない。

郵政も、子育ても、子ども(幼稚園/保育所)園も決まらず、雇用は高まらず、子育てしながらのパート就活も決まらない。打つ手も見えない少子・人口減少化だ。デフレ脱却や成長戦略は、いつも言葉だけの不作為に過ぎ、オンザデスクの成長数字並べが記事になる。2012年から20年までの成長平均3.6%(名目)実質2.2%などの数字がおどる。近々の1-3月期GDP1.0%は年率4%成長を示すなどと、浮かれる。

”赤が好き、黄色が好き”で、好きの理由やよって好きになった道筋も示さずの消費税論議や年金社会保障論議にしないでほしい。国会や審議や政府説明を、ただのオセロ・ゲームにしないでほしい。
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2012.5.13「国際バラとガーデニングショウ」に”香りバラ”を探索歩き。

2012年05月15日 | Weblog
第14回国際バラとガーデニングショウが、5/12~5/20の間西武ドームで行われている。5月13日(日)ぶらり観賞した。毎回のことだが、一堂に会するデザイニング・ガーデンとバラ(花き)の多いさは、壮観だ。キャス・キッドソンの秘密の庭や吉谷桂子さんのドラマチック・ガーデンや天使のアベニューなど、堪能できた。

毎年多くのバラ愛好家の注目を浴びているイングリッシュ・ローズ(デビット・オースチン社)だが、今年は華麗さより落ち着いた和風テイストが目についた。ガーデン(庭)もだが、育種展示されたバラ(花)につよく和風テイストを見た。河合伸志さんのブルー茶紫系の禅や君紫などを見た印象が強かったからかも知れない。


わたしのバラ(花)イメージは、濃い真紅色のそれだ。真紅といえば、アジェンダや真夜などのような濃い赤色(真紅)のバラもいいが、どちらかというとイブピアッジェや芳純のような鮮やかなアカのバラもいい。ダマスク系の香りがいいからかも知れない。


京成バラ園芸のサニーアンティークやロマンティックアンティークなど黄系のバラもよかったが、同じ黄系でもきいろが鮮やかなファースト・インプレッションは、その香り(ミルラ系)がいい。香りの代表といえば、芳純などのダマスク・ローズだが、ミルラ香のイングリッシュ・ローズも多い。セプタード・アイルやハーロウ・カーやサイレント・ラブなどが近い。


ことしの香りバラで気をひいたのは、京成バラ園芸の”薫乃”だ。ボレロや杏奈の間ぐらいにも見えるが、薫乃はやはりそのダマスク系のやさしい香りがいい。京成バラ園芸では、この薫乃の”香り”を再現したオードトワレ、ソリッドパフュームやハンドクリームを製品化、販売している。
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ブロガーは古希(満70歳)、ブログも古希(700回)、ブログ(週平均)IPも700 の5月14日777.

2012年05月14日 | Weblog
きょう5月14日(月)は、わたしの70回目の誕生日。ついこの間還暦(60歳)を迎えたはずなのに、もう古希(70歳)。この間の自分時間は、還暦前の10年の2倍(印象)の速さだ。2006年3月始めた私のブログも、このブログで700回になる。週平均閲覧者(IP)数も700になった(ちなみに、月平均アクセス(PV)数は5500)。

そしてこの2週間ほどの自分は、シゴトの合間をぬっては、最新のiPad でのぞく画像を楽しむ日々が多くなった。白内障なりかけになっている70歳の自分だが、iPad の超ハイビジョンの画面は鮮やかでキレイだ。新緑から深緑に向かう風景や多彩な花々の庭園や華麗さを競うバラの花など、何でもiPad に入れる。スケジュール管理やドキュメント・ファイルは、ほんの一部だ。どこかに出かけ、デジカメし、パソコンに入力し、ドロップボックスに移し、iPad で楽しむ。わたしの日課だ。

ブルームーン(2012.5.12)
週2回ペースで更新してきて700回になる私のブログだが、600回目までの分は、その年その年の世情映しで5冊の単行本になった。病気入院もなく健康でかように過ごしてこられた自分をシアワセだと思う。世の中や自分周りの人々に感謝している。老いた母や妻や子供たちにも感謝している。70年の感謝だが、とくに還暦後のこの10年は”とくべつ”の思いだ。多謝だ。

ちょっと、自分世代と世の中のことを一瞥するに、このところの子供数の減少やお子さんの災難に心をいためる。ことし古希の私たちのころの子供(出生児数)は、1年代150~180万人ほどだったが、最近は 1年代100万人ぐらいになっている。半分に近い(ちなみに、ことしの古希世代は、ただいまでも1年代150万人ほどだ)。ますます進みそうな少子高齢化と人口減少に、何の貢献も出来ない。ご容赦を願う。(2012.5.14早朝記)
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