吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

バブルや危機づくり戦犯は、マスコミ?

2008年11月29日 | Weblog
 とにかくマスコミ週刊誌は、スクープ特ダネが好きだ。不安やスキャンダルも大好きだ。発行部数や購読拡販が事業目的だから当たり前と、自分たちの社会的影響や責任の自覚がない。CSRなどと、言葉だけの認識を広報する。

 各社競ってワイドショー記事をキャンペーン化する。ホリエモンや小室哲哉などは、格好の週刊誌ネタなのだ。にわか成功者の崩落は、大衆の興味に一番ヒットするからだ。大相撲や八百長や大麻および有名人のスキャンダルなど、どこかの週刊誌がスクープすると、つぎづぎにこれのコピー記事がつづく。

 ムードや雰囲気づくりの罪の自覚がない。いつも、自分たちは正確な情報を発信しているのだから何がわるいと、自己肯定している。反省がない。経済紙誌などは、ふだんの目線を逆にし下から目線大衆目線で、”難しい経済記事をわかりやすく”と、株価情報や企業情報をミーハー化する。そして、社会や世の中の雰囲気や景況感やトレンドづくりをしている。予測の根拠も適当な的外れな株価予想をミーハー記事化する。景気や情況の雰囲気作りをする。

 格付け会社などは、自分たちがしていることのCSR(社会的責任)の認識がない。見識もない。金融バブルをあおったのも、バブルの崩壊や金融危機を招来させたのも、自分たちとマスコミ紙誌の協働だったということの反省も認識もない。景気経済が、実体経済というより経済紙や週刊誌などのマスコミ・メディアの情報や雰囲気づくりの結果に起因しているということなど、考えもしない。

 景気経済のムードづくりとマスコミの影響を分析検証するスキルを持ち合わせていない自分が情けない。そのように感じている自分を勇気づける説明を求める。麻生総理の誕生ムードをつくったマスコミが、いま麻生おろしに加担し出した。支持率や人気を上げるも下げるもマスコミ。そういう社会的影響や責任と見識をマスコミの方々に求める。
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食の安全(問題)が、食品市場の新しいビジネスモデルをつくる

2008年11月22日 | Weblog
 問題やただのリスクマネジメント課題ではない食の安全。食品の製造・加工および輸入・販売に携わる企業にとって大きな学習年になった2008年。中国ギョウザの毒入りや事故米にメタミドボスを聞いたと思えば、冷凍インゲン(ニチレイ)にジクロルボスという殺虫剤を聞いた。

 何といっても大きな影響波及が消えないのは、中国粉ミルクからの牛乳や乳原料のメラミン。丸大食品(中国工場)、サイゼリア(ピザ生地)や日清医療食品の事故米/メラミンだ。JTフーズの冷凍ギョーザや伊藤ハムの地下水にトルエンが霞むほどのメラミンなのだ。

 9月から11月の約2ヶ月の既輸入食品の検査(結果判明分)2260件からの検出25件、輸入段階時の検査(結果判明分)1740件からの検出15件(厚生労働省食品安全部、11/20発表分)は、ともに概ね10%だ。ほとんど中国工場製造だが、グラタン(丸大食品)、エッグタルト(兼松)、チョコピローズ等(エヌエス)、たこ焼(住金物産)、冷凍チョコクロワッサン等(トップトレーディング)、フライドチキン(ジャパンフード)、冷凍ピザ生地等(睦川)、冷凍たこ焼(千葉フーズ他)、冷凍チーズケーキや冷凍パン生地および生キャラメルなどだ。

 検査、検査機関、監視、モニター、Gメン、食のリスクマネジメントなどの言葉とともに、どのように食の安全を確保するか、どのように防御するか、被害をミニマムにするかといったことと企業の(経営)リスクマネジメントの構築や重要性が提言されている。地産地消などでの手作りやスーパーマーケットのバックヤードなどの衛生や安全構築も含め、食の安心安全の確保に汗してほしい。

 いまや中国は、農産物や食品原料や生産食品の調達先というより日本の食品メーカーや食品販売企業の大きな標的市場になっている。食の安全についての関心や意識が急向上している中国消費者市場を、単に”大きい”というだけで臨むのではなく、日本も中国も 人々が求める安全安心(社会)は同じだという認識が大事だ。中国との食の輸出・輸入ビジネスが大いに発展していくことを希望している。
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”思いを巡らす”ことの大切さ

2008年11月15日 | Weblog
 人や人々に思いを巡らすと、人はやさしくなれる。動物や植物や自然に思いを巡らせば、地球環境を大切するようになる。モノに思いを巡らすと、モノを大切にする。歴史やコトに思いを巡らせば、文化的になる。何かに思いを巡らすことや何にでも思いを巡らすことは、何にでもやさしくなれることで大変よいことだと思う。

 いまの天皇陛下は、よく”思いを巡らす”ということを御言葉に使われる。陛下はよく歴史や過去に思いを巡らす。この国や世界の人々に思いを巡らす。地域や施設で働いている人々に思いを巡らす。何に対しても”やさしい”のだ。

 いま、世の中や政治で大切なことは”思いを巡らす”ことではないかと思う。このところの定額給付金にしても、高齢者医療保険にしても、年金や介護の問題にしても、これらの対象になっている人々や毎日をやっと暮らしている人々に、どれだけ”思いを巡らしているか”どうかが問われているのだと思う。

 自分や自分たちには関係ないようなことや遠いところや自分が知らない世界の人々やコトに対しても、自分や自分たちのしていることがどのような影響をするのか、よく考えることが”思いを巡らす”ということだ。

 混んだ朝の通勤電車で後ろを考えず雑誌や新聞を読むこと、ご機嫌なのだがたっぷりの酒気を吐きながら夜の電車に乗ること、街路や駅構内をキャリーバッグを長くして斜めに引いて歩くこと。自分では、ヒトへの迷惑を掛けないよう気をつけているつもりで、”思いを巡らす”ことが狭かったり、浅かったりしていることも多いのだ。

 事故米や偽装問題などのように役所や政府の不作為に起因している問題も”思いを巡らす”範囲などが狭く、浅いことが原因になっていることが多い。見えないところに思いを巡らすことまでは求めないが、出来るだけ自分より遠いところを見るように努め、思いを巡らして為政してほしいと思う。
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”考えない”人々が国のトップの不安

2008年11月14日 | Weblog
 先日、ある小さなパーティでキリンホールディングス(株)会長の荒蒔康一郎さんが、”考える”ことの大切さを語ってくれた。全く同感なのだが、長いことたくさんの社員のトップに立って企業経営に携わってきた人の話は、含蓄に富む。何も、今時の中・高生や若者たちだけに向けたメッセージではない。考えることをしない大人世代や社会的に人に影響を与える人々にも向けたメッセージのように感じた。

 現在、国のトップにいて活躍する政治家や官僚の皆さんや子供や学生たちを指導する先生たちに向けているようでもある。そのくらい”考えない”人々が増えているイメージなのだ。典型的なのは、この度の自衛隊トップの航空幕僚長・田母神氏の投稿論文だ。論理も、検証もない主観的ツギハギ作文を優秀論文に選出した方々も同類だったのかも知れない。呆れる。

 国会での参考人招致でも「いささかも(自分は)間違っているとは思わない」などと、まだ自分の論文が秀作だと思っている風なのだから困る。間違っている・いないなど以前の問題なのだとは、気づいていないのだ。ただ自分の思いや感情やいわゆる歴史観に合う俗説や他人の書き物を、ツギハギし、自分の歴史観なるものを述べているのだ。自虐的感情的主観が、何の論理性も検証もなしに作文されているだけで、ご自分の思考過程の展開が感じられないのだ。”考える”というアタマの作業行為そのことを知らないのかも知れない。

 何故、このような方が自衛隊トップの空幕長なのか、防衛省や自衛隊におけるトップや指導層はすべてこのような人種なのか。余りにも情けなく不安だ。おそらく自衛隊や防衛大学の教育や戦後の受験教育や官僚公務員試験採用の問題にまで遡る問題なのだろうと思う。

 はち切れんばかりに詰め込んだ知識情報を取捨たな卸しし、考えることに資する知識だけにアタマをスリムにし、考える頭面積シェアを高めてほしいと麻生総理はじめ官僚や政治家にお願いしようとしたが、むしろこれを自分の戒めにしたいと思う。
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「変革」を選択した米国民の勇気

2008年11月08日 | Weblog
 2008年11月5日が歴史的な日になったのは、アメリカの国民ばかりではない。「変化」を選択することは、大変勇気のいることだ。アメリカ国民の勇気に敬意を表したい。2008年11月5日、アメリカ国民は初のアフリカ系大統領オバマ氏に、国の変化と希望を託した。なかなか変化を選択できないでもがく世界中の国々の人々が、アメリカが選択した「変化」に希望をみた。

 変革や改革といって登場した小泉政権から十年近くになろうとしている日本は、ただいま「改革」を断念した。古き良き時代しかイメージできない非変化指向の日本の政治家のみなさんは、金融危機や景気経済の停滞に対しても”少し昔やったこと”以上の施策が浮かばない。経験したこと意外を考える力がないのだ。

 現状の拒否と変化を選択した米国民は、文字通りの多民族国家だ。日本以上に数倍する格差社会だ。現状肯定傾向や保守傾向が強い白人、まだまだある偏見の中で働く黒人や多くのヒスパニック系の人々が選択した黒人系の大統領は、人種を越えて新しい国づくりを提起した。自分をつよく支持してくれた若者から格差や不安にまみれる中高年の人々および肌色の違う国中の人々の結集を呼びかけた。

 肌の白い人も黒い人や黄色の人も、人種や生まれを越えて平等で公平を感じられる民主主義国家を目指せるアメリカを誇りにしている。アメリカという国の力や強さがこんなところにあったのかと思わせた。サブプライム問題や金融危機からアメリカ経済や社会の難題を解決するにふさわしい大統領オバマさんだ。

 未決や不作為と先送りに終始してきたここ十年の日本が見習うべきは、アメリカ国民の選択や行動ダイナミズムだ。当面の問題の処理的解決にさえ希望が感じられない現在の政権や政治だが、ほんの少し先の暮らしや社会への希望が感じられる程度でもいい、政治をしてほしい。お願いする。
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『似て非なるもの』を探求して40年考

2008年11月03日 | Weblog
 2008年11月3日は文化の日。ひとつも”いいこと”だと思っていない毎年の秋の叙勲が発表される日だ。ひとつのことに長く携わり社会貢献が顕著だった方々が褒章を受章する行事だ。ヒトや職業や仕事に序列をつける官制管理国家を示す典型行事なのだ。このような制度や慣習ひとつ、そのヨシアシや廃止の検討議論も出来ない政府や政治がこの国なのだと思っている。

 さて、わたしのライフワークとも言える製品(商品、サービス)開発やマーケティングという仕事の基本は、つねに「比と類のないもの」や「似て非なるもの」の探求にあると思っている。全く同じカテゴリー(市場分野)の商品を研究し、開発し、製造したり販売したりしているようでも、他者(他社)とは”似て非なるもの”を追求している。差別的優位性を探求しているのだが、基本は自社(自分)のアイディンテティとして「似て非なるもの」をつくったりしているのだと思う。

 この日、文化の日(2008年11月3日)の朝日新聞の朝刊一面中段にみた標題『メバル、実は3種』は、さわやかだ。京都大の中坊徹次教授(魚類学)らの調査研究論文の発表要旨が掲載されていた。われわれが大変おいしい釣りターゲットにしている近海魚のひとつ(カサゴ科)と思っていたメバルは、実は独立した3つの種に分類されるというのだ。
 少しぐらいの体の色やタテ縞模様の違いはあっても、”メバルはメバル”(1種)ぐらいに思っていたメバルは、アカメバル、クロメバル、シロメバルの3種に分けられ、それぞれ独立した種になっているという。

 ただ、体色が赤味のアカ、青黒色のクロ、やや薄い褐色のシロになっているだけではなく、胸ひれを支える軟条(小骨)の数が、アカメバルは15本、クロメバルは16本、シロメバルは17本と異なっているというのだ。『似て非なるもの』の典型だと驚嘆した。
 それぞれ独立した種で、3種の交雑はなく、群れのつくり方や生態などもかなり異なっているのだ(中坊教授)という。

 このような発見や探求が、いままでの理解や常識を覆し、新しい生態や体系の姿を理解し、生き物の生態や循環の持続的可能性を高め、地球環境の保全を正しく考えることになるのだと思う。

 まだまだ『似て非なるもの』の探求を仕事にして行きたいと思った11月3日(文化の日)でした。
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