世界や社会が大きく変化している。人間の世界以上に大きく変化している自然。”不変”(普遍)と見られていた自然や地球(環境)が、実は大きく変化している。季節の変わり方、異常に急変したりする気候や気温、干ばつや豪雨、大型化するハリケーンや台風、多発する大きな地震や津波、頻発するゲリラ豪雨や竜巻など、いままでにはなかった”異常”だ。
わたくしたちの社会や私たち自身の行動や価値基準も、日々変化している。半世紀もすれば大きく変わっていて当然なのだが、自身のことは意外に自覚していない。自分たちの変化に気づいていないぐらいだから、自然や事象の変化などに気づいていないのは当然かも知れない。
だから、変化への対応処方など考えてもいない。自然を見る目や気象の予報の仕方など革新させなければならないのに、十年一日だ。予報や予想通りにならない気象や自然が、わたしたちに示唆していることを受け止めるべきだ。自然や地球および気象や環境が大きく変化しているのに、これを見たり分析したりする方法や理論が変わっていない。原理やモノサシが昔のままなのだ。ただ、気象衛星など道具が変わっただけなのだ。
大学や研究者のモノサシも、科学者や企業の経営者やスタッフのモノサシも依然昔のままだ。対象が大きく変わっているのに、モノサシや観察手法は昔のままだから、計測も分析も何かズレているのだ。事象の本質や真実に接近できていない。本質や真実が、言葉や数字で表現できなくなっているのだ。
定量だ定性だと言って、依然存在しない平均や存在しない事象を”言葉”にしているが、真実でないから人々を納得させられない。そりぁウソだろう、アンケートか何かだろといわれてスベる。対象や事象が変わり、数字や形容詞では説明できない真実になってきているのに、依然計量化やアンケート化の手法を脱皮できない。
定量でも定性でもない、はいやいいえでもない、満足や不満でもないところに真実や問題の核心があるのに、満足度などといって本質を遠ざけたり、相変わらず平均や区間や単語で説明しようとしている。おそらく”定量や定性と数字や言葉など”のセットのような、DNAの姿をゲノムで説明したような”そんなところ”に真実の姿があるのではないかと、わたしの古い友人T君が言っていた。御意を得た。
わたくしたちの社会や私たち自身の行動や価値基準も、日々変化している。半世紀もすれば大きく変わっていて当然なのだが、自身のことは意外に自覚していない。自分たちの変化に気づいていないぐらいだから、自然や事象の変化などに気づいていないのは当然かも知れない。
だから、変化への対応処方など考えてもいない。自然を見る目や気象の予報の仕方など革新させなければならないのに、十年一日だ。予報や予想通りにならない気象や自然が、わたしたちに示唆していることを受け止めるべきだ。自然や地球および気象や環境が大きく変化しているのに、これを見たり分析したりする方法や理論が変わっていない。原理やモノサシが昔のままなのだ。ただ、気象衛星など道具が変わっただけなのだ。
大学や研究者のモノサシも、科学者や企業の経営者やスタッフのモノサシも依然昔のままだ。対象が大きく変わっているのに、モノサシや観察手法は昔のままだから、計測も分析も何かズレているのだ。事象の本質や真実に接近できていない。本質や真実が、言葉や数字で表現できなくなっているのだ。
定量だ定性だと言って、依然存在しない平均や存在しない事象を”言葉”にしているが、真実でないから人々を納得させられない。そりぁウソだろう、アンケートか何かだろといわれてスベる。対象や事象が変わり、数字や形容詞では説明できない真実になってきているのに、依然計量化やアンケート化の手法を脱皮できない。
定量でも定性でもない、はいやいいえでもない、満足や不満でもないところに真実や問題の核心があるのに、満足度などといって本質を遠ざけたり、相変わらず平均や区間や単語で説明しようとしている。おそらく”定量や定性と数字や言葉など”のセットのような、DNAの姿をゲノムで説明したような”そんなところ”に真実の姿があるのではないかと、わたしの古い友人T君が言っていた。御意を得た。