吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

モノサシを変えなければならない私たち。

2009年07月28日 | Weblog
 世界や社会が大きく変化している。人間の世界以上に大きく変化している自然。”不変”(普遍)と見られていた自然や地球(環境)が、実は大きく変化している。季節の変わり方、異常に急変したりする気候や気温、干ばつや豪雨、大型化するハリケーンや台風、多発する大きな地震や津波、頻発するゲリラ豪雨や竜巻など、いままでにはなかった”異常”だ。

 わたくしたちの社会や私たち自身の行動や価値基準も、日々変化している。半世紀もすれば大きく変わっていて当然なのだが、自身のことは意外に自覚していない。自分たちの変化に気づいていないぐらいだから、自然や事象の変化などに気づいていないのは当然かも知れない。

 だから、変化への対応処方など考えてもいない。自然を見る目や気象の予報の仕方など革新させなければならないのに、十年一日だ。予報や予想通りにならない気象や自然が、わたしたちに示唆していることを受け止めるべきだ。自然や地球および気象や環境が大きく変化しているのに、これを見たり分析したりする方法や理論が変わっていない。原理やモノサシが昔のままなのだ。ただ、気象衛星など道具が変わっただけなのだ。

 大学や研究者のモノサシも、科学者や企業の経営者やスタッフのモノサシも依然昔のままだ。対象が大きく変わっているのに、モノサシや観察手法は昔のままだから、計測も分析も何かズレているのだ。事象の本質や真実に接近できていない。本質や真実が、言葉や数字で表現できなくなっているのだ。

 定量だ定性だと言って、依然存在しない平均や存在しない事象を”言葉”にしているが、真実でないから人々を納得させられない。そりぁウソだろう、アンケートか何かだろといわれてスベる。対象や事象が変わり、数字や形容詞では説明できない真実になってきているのに、依然計量化やアンケート化の手法を脱皮できない。

 定量でも定性でもない、はいやいいえでもない、満足や不満でもないところに真実や問題の核心があるのに、満足度などといって本質を遠ざけたり、相変わらず平均や区間や単語で説明しようとしている。おそらく”定量や定性と数字や言葉など”のセットのような、DNAの姿をゲノムで説明したような”そんなところ”に真実の姿があるのではないかと、わたしの古い友人T君が言っていた。御意を得た。
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おいしい探検トピックスー駒込は、ふで春の”おわん”

2009年07月25日 | Weblog
 おいしいを独り占めすることは罪だ。いつも自分なりの”おいしい”を求めて食べ歩くのだが、いわゆるグルメ通ではないわたしは、大抵ヒトに教わる。連れて行ってもらう。

 よく案内役をかってくれるKさんと行く浅草の伊賀牛の水炊きも、それはおいしいのですが、ちょっとした裏町で出会う”おいしさ”はまた格別だ。ついこの間、よくゴチになるYさんにご案内いただいた駒込は「ふで春」での”おいしい”は絶品だった。

 『夏芋の豆乳仕立て』というお椀だ。わたしの田舎あたりで夏芋というと里芋なのだが、ここの夏芋はジャガイモらしい。3月ごろ播種して7月あたりに収穫するジャガイモの"夏芋”に対し、7~8月播種11月収穫のそれを”秋芋”というのだそうだが、その夏芋ベースのお椀なのだ。

 いわゆる豆乳仕立てに惹かれたのはシゴト柄だが、その仕立てというか豆乳あんのような柔らかい舌ざわりが夏芋のしっかりしたトロリ感と一緒になってなんともいえない味だ。このトロリ感はおそらくやさしいシズルで入っているじゅんさいが出しているのかも知れないが、冷たいあしらいを際立たせるマスコットのせいかも知れない。

 初めての”おいしさ”にびっくりしてよくレシピを尋ねることを忘れてしまった。この『夏芋の豆乳仕立ての冷お椀』以外のお料理もすべて甲乙付けがたいオイシサだが、あまり足を向けることがない下町や裏通りに、このような”おいしい”が隠れているのだと実感した。

 ふだんは、このような個人的なデイリーライフをブログすることはしないのだが、先日の「ふで春」さんは記録しておきたいと思い勝手した。Yさん、本当にゴチそうさまでした。 
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皆既日食あれこれ

2009年07月19日 | Weblog
 2009年7月22日、日本は鹿児島県のトカラ列島で、64年ぶりの皆既日食が見られる。旅行会社の皆既日食ツアーは、すでに悪石島やトカラ列島のキャパを超えるほどの予約だという。

 狭いところに、住民の何倍もの観察観光客だ。泊まるところや見るところだけではない、水や電気やガスとトイレなど、どうなるのかと思う。商売にもしたいし、町や村の住民生活も守りたいしと、役場の方々と地域住民の方々のご苦労は大変なことだと思う。

 この7月22日の皆既日食は、46年ぶり(日本列島での観察)といわれているが、ずっと昔から50年や30年ぐらいの間隔で観察できたのであろうか。この日本が国らしく誕生したころの天照大神の天岩戸伝説に、太陽神化されたアマテラスオオミカミが天の岩戸に隠れて、その世の中が真っ暗になったとされた頃の皆既日食といまのそれとが同じだったと思うと、なぜか感慨深い。

 世界的に渇水や"水不足”になったり、温暖化で平均気温が少しづつ上昇したり、前よりゲリラ豪雨の頻度が多くなったり、さては大きな台風やハリケーンや地震などが多くなったりと異常気象傾向だが、月食や日食などの周期はどうなのだろうか。地球と月や太陽の距離などは、永久に変わらないのだろうか。わたしは、知らない。

 満月や七夕などの伝説やミステリーなども多いが、二宮尊徳の天変地異や大飢饉などの60年周期説や金環食や皆既日食などの地域周期など六曜やその倍数などで出来たイワレや神話や伝説など多い。ミステリー性を高めているが、全くいい加減でなさそうに見えるところが不思議だ。

 科学や実証ばかりが真実でもなさそうに見えるのが、いつも夏の夜だというのも不思議なのだが。
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ハイブリッド社会の一考

2009年07月16日 | Weblog
 ハイブリッド(Hybrid)って何だ、エコなクルマか。トヨタのプリウスやホンダのインサイトなど、リッター20km~30km以上も走るクルマの人気が並みの高さではない。ただいま購入(注文)しても、納車は半年以上先だという。地球温暖化ガスCo2の排出規制や政府のハイブリッド車推奨補助やエコ支援などが後押ししたこともあり、やや加熱気味だ。

 そして、このハイブリッド車”静かすぎてコワイ”困った事態に直面している。静かに走ることを究極の願いにして”ハイブリッド”開発に邁進してきた結果の過剰品質なのか、”願い”がわが身本位だった結果なのかわからない。お年寄りや目や耳に障害を持つヒトや狭い道を通学する子供たちにとって、エンジン音や走る音が感じられない”静かすぎる”クルマは、危険でコワイという。

 技術革新が天井近くまで発展したそのあとは、大抵”ハイブリッド”指向になる。原理や技術の二つ以上の組み合わせなどが機能を加算以上に高めることをハイブリッドと言っている。甘いものと辛いものをあわせた甘辛いものやアカとシロをあわせたピンクなどはハイブリッドとは言わないというが、世の中にはこのような”ハイブリッド訴求”も結構多い。バージョンアップとはいささか異なるのだ。

 「静かさや岩にしみいる蝉の声」は、静かな環境をより静かに感じさせる小さなセミの声を賛歌している感じだが、騒がしい街を走る静かすぎるハイブリッド車に”何かしら”の音を積むことを考えることが求められるのか、進歩という技術を少々後退させるのかわからないが、人類ただひたすらに進歩発展だけを求めても行き着くカベがあることを教えてくれている。

 いずれにせよ人類は、今世紀中に地球世界規模で考えても人口減少に向う。やみくもに生産力の増強や技術革新を考える必要もなくなる時期も近そうだ。少し落ち着いて”いま”に安んじてもいいのではないかと思ったりする。
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窮鼠猫をかむヒトや事件ばかりは、なぜか?

2009年07月14日 | Weblog
 都議選の大敗をキッカケに、麻生総理はやっと衆議院の解散を決めた。麻生総理では戦えないとする自民若手を中心とする麻生降ろし勢力や同胞与党の公明党や国の将来を託すわけにはいかないという民主党の即解散をけん制しての決定だ。

 こうならざるを得ないような最後の決定だが、総理までが窮鼠やキレで行動するようでは何かと”キレ”た結果の世の中を直すことなど想像も出来ない。若者のキレた行動、介護や生活にキレた親や子の親族殺害、おまわりさんや学校の先生のセクハラ行状、思いが届かずと親友を刺す中高生など、”キレ”ての事件ばかりが目につく。政治や世界の国も例外ではないようだ。

 北朝鮮のミサイルや核兵器の準備やイランなどの行状だけではない。G8やG20で地球温暖化に対するCo2抑制規準を同意しても、アフリカやブリックスなどが"反対”の大合唱では、人類地球の将来を静かに考え、持続的な地球環境づくりを共有する希望など、とても持てそうにもない。

 このように”キレる”世界やキレる人々が多くなった根本原因は、やはり格差だ。持てるヒトや国と持てないヒトや国の格差が、あまりにも開きすぎたからだ。自分や自分たちの持てない情況が限界点に達し、絶望的になった結果の”キレ"が多い。自由競争や平等という論理が公平でないと感じてのキレなのだ。絶望的に貧しい窮鼠をつくっている世界や論理が否定されているのだ。

 一人ひとりの違う考えや環境に思いを巡らさないと、正しいのは自分・自分が正義と叫ぶ政治家さんやどこまでも自分が思考し汗して稼ぐことが何故悪いとする人々ばかりが闊歩する世の中になる。生まれた地域や環境やDNAで”限界”をもがく人々がたくさんいる世の中を思うことができなくなるのだ。

 新資本主義よりもっと"新”な概念を体系化している時間もないいま、ひたすら貧困や限界で暮らす人々や国などに思いを寄せるリーダーや政治家の出現を期待する。期待するだけは誰でもできるとオシカリを受けるでしょうが、希望的に過ごしたい。
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しっかりしてください!鳩山由紀夫(民主党代表)さん。

2009年07月12日 | Weblog
 政治家の皆さんに特別の清廉さを求めたことはないが、つぎの政権与党になろうとしている政党代表の鳩山由紀夫さんには、政治資金の管理ぐらいしっかりして欲しかった。このところの始末はなんですか。ハズカシク思います。

 このようにご自分の行動などについて始末も出来ない種族の代表が、二世や世襲議員のような気にさせないでください。豊かで不自由なく育ち、地バン、看バン、かバンを譲り受け、事務所や秘書やサポーターに加え、お金の管理の仕方まで引き継いだからか、ワキが甘く”大きなコト”を前に泥に足を取られる傾向があるなどと思いたくないのだ。

 西松建設・公設秘書逮捕問題で退いた小沢一郎さんのあとを受けるときには、もう遅かったのですか。それとも甘いワキが、ご自分の政治団体やその資金管理などをレビューする気持ちにさせなかったのですか。資金問題でつまずいた小沢さんを擁護しているうちに、ご自分のそれをスベッてしまったのですか。

 現在の政治資金規正法(昭和23年立法と、意外に古い)も、時代時代にその規制や義務などをキビシクして改正を加えているが、いつも改正の余地があるほどユルイ自己(政治家)規制の法律なのだ。だから、資金管理団体としての政治団体以外にたくさんの後援会やその他の団体が出来る。5万円などで線引きするから鳩山由紀夫さんのように、やたら5万円以下の寄付者が多くなる。

 この世にいない人を寄付者にしたり、そこに住んでいない人や寄付をしてもいない人を寄付者にしたり、これらが架空だからといわれると、実際に寄付をした人まで寄付者でなくしたりと、いい加減に”何かを書類にすればいい”程度の政治資金等報告書は、金輪際やめてほしい。知りませんでした、秘書のミスで、秘書に任せています、弁護士になどという発言はしないでほしい。

 ケアレスでも、秘書がしたことでも、ちょっとしたワキの甘さに見えることでも、ご自分が責任を持つ政治団体やご自分が”しでかしたこと”なのです。始末することぐらいしっかりやってください。そして、日本や日本の政治を希望的にリードしてください。世界や地球全体へのかかわりも心してください。( この日、民主党は都議選で過半数54人を当選させて圧勝(自民38人)したメモリアルディを得たことを付記 )
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沖縄伊計島の七夕祭りは,満月がお出迎えでした。

2009年07月09日 | Weblog
 2009年7月7日は陰暦の15日。満月が天の川の織姫・彦星をお迎えに昇る日。その日は、ほぼ一年ぶりの沖縄訪だから文字通りの七夕の彦星気分でした。

 前日、東京は「大田花き市場」でたくさんの”お花”を堪能させていただいたことでノリノリ気分が後押ししたのか、7日(火)は早朝6時起床、6時半の地下鉄に飛び乗って、JR浜松町経由モノレールで午前8時にはもう羽田第一ターミナル着だ。9時の出発には少々早いので、モーニングコーヒーをとカフェに入った。

 15分後、本日の沖縄行きをアレンジしてくれたMさん、ベンチャー会社社長のYさんとつい先日大手の監査法人会社を退職されたHさんとジョイント、遊び気分半分(失礼?)4人の沖縄行きになった。

 梅雨が明けた沖縄・那覇空港は快晴。午前11時半すぎ到着した空港では、大変なハイテク技術者の社長Kさんのお出迎えを得た。Ygさんの運転するワンボックスカーで那覇市経由北谷・嘉手納方面に向かった。久しぶりの方々も加わったランチは、ソーキそばセット。ビックリしたそばの相棒(セット)は、カツレツやチキンステーキでメタボの素そのままだが、おいしくいただいた。

 ちょっとシゴト風のミーティングを2時間ほどしたときには、すでに気分は初めての地・伊計島だ。再びYgさんのワンボックス車に乗せてもらい嘉手納、石川、うるま市あたりを通って目的地・伊計島に着いた。沖縄も伊計島もみんな”ゆるゆる島時間”というライフスタイルで、今晩お世話になるホテルもBIG TIME RESORTというノンビリ時間をスタイルにしているところだというのに、せっかちな仲間たちは午後6時のバーベキューパーティを待ちきれず、ビールなどをあけ始めた。

 ジャスト午後8時、沖縄は沈んだ夕日と入れ替わりの十五夜の満月が水平線に顔を出した。天の川が満天する時間までは、ゆっくり上る満月のワンマンショウ。午後10時クローズタイムも無視した仲間たち十余人は、別の場所でもうカラオケの用意だ。バーベキューの満腹を燃焼するつもりなのか夜中十二時までの大騒ぎ。沖縄の人たちは、午前3時4時までそのつづきだったというから何をか言わんやだ。

 翌8日の午後、無農薬有機栽培よろしく取れたての大きなマンゴーをいただいたりし、今回の沖縄行きを終えた。午後5時前にはもう那覇発、一路羽田に向かった。午後7時半、ちょっとした反省会を東京は新橋で行い午後11時、自宅に帰った。多謝。
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国政や国民が見えない東国原知事の国政進出への言動

2009年07月05日 | Weblog
 ご自分の思ったことやしたいことを”そのまんま”アナウンスする東国原知事に好感を持つ一人だが、今回の国政進出についての言動には落胆している。行政や地方自治のことを勉強しタレントから宮崎知事に転身した頃の彼は、輝いていた。日々、宮崎県を”どげんかせんといかん”と汗する彼が、光って見えた。

 しかし、宮崎県に居住しない者にとって東国原さんは、宮崎県の知事というより宮崎県のセールスマンにしか見えなかった。ときどき、地域誘導の高速道や国からの補助・助成金や交付金への要求などと行政部署の"隠し金”の調査透明化あたりが聞こえて来てはいたが、県財政や県行政および職員などが”こう変わった”という成果状況が聞こえてこない。タレンテッドさやメディアとの親近さを積極的に利用し、ヒト(ご自分)やモノ(地産物)の売りに手腕を発揮した今までにない知事さんという印象だ。

 その地域セールスマン東国原英夫さんが、”総裁候補”を条件に自民党から次の衆議院選への出馬を検討するというのだ。ビックリした以上だ。一応、地方分権を旗印にしたようだが、地方分権ということで霞ヶ関官僚体制の日本を革新し、地方の人々や国民の”住みよい日本”が得られるとお思いなのだろうか。ただ、宮崎県から総理総裁ぐらい出してもいいだろう、タレント県知事の自分が一国のトップになってもいいだろうということなのか、結局脱芸能人を考えた最初からの意欲やわが道だったのか、理解できない。

 思いつきで拙速に発言したり、明日きのう言ったことと違ったことを言ったりするところは、麻生総理と近い。ご自分のそう考えた理由や思考過程を開示説明することが苦手なのか、その必要性や合理性を思っていないのかわからない。ついこの間、総務大臣をお辞めになった誰かさんが、”わたくしの正しさ”や"正義”は歴史が証明すると言って、どのように正しいのか、どのように正義なのかさっぱり説明できていなかったことと重なる。いつもご自分の拙速な考えが正しく、他人は不正義にしか見えないという姿勢がモロ出しなのが、馴染めない。思考や合理性や戦略性で説明理解を得るということではなく、すべてアカ色好みの相手に対して、わたしはキイロが好きという”嗜好”意見をして”正しいこと”とお思いのようだ。


 宮崎県知事は、いずれというか早めに国政に進出するステップだったということでは、県政や地方自治は何だったのか。東国原さんにとって宮崎県民は何だったのか、ご自分のファンクラブの方々と同じようにお考えだったのなら、何をか云わんやということだ。ここは、やはり”アタマを冷やして”お考えいただくしかないようだ。ものごとや人々のことをじっくり考え、隅々端々まで思いを巡らして、発言し行動するよう心がけて欲しいと、そう願っている。
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消費者も企業も『書いてあればいい』では、何のための説明書?

2009年07月04日 | Weblog
 とにかく、巷は情報だらけ。情報化時代だから仕方ないのかも知れないが、商品にも、店や町にも情報がいっぱい。洪水やゴミを越えて”始末におえない”障害物になっている。落書きや無関係の書き物ばかりというのではない。わたしや自分に必要であるはずの情報が、ノイズやゴミになっている。

 本体の新聞以上に重く、かさばる折込みチラシ。毎日、投げ込みされるおびただしいポストインちらし。食べ物や商品に書かれている細かい字の内容や原料産地や成分の名前。その箱や取り扱い説明書や賞味期限と消費期限や製造販売者などの表示。このような商品などに付帯する表示情報は、みんな消費者の希望で消費者を保護する目的で記述されているのだという。

 よく「商品の表示を見るか」などというアンケートがなされるが、「みる」「いつもみる」「よくみる」などという回答が多い。賞味期限や消費期限または製造年月日ぐらいをざっと見る程度のくせに「よく見る」などという。日々、忙しく買い物をするお母さん方は、大体いつも買っている商品について”よく知っている”から、読まなくても”見る”程度で十分なのだ。余分な情報は”目障り”なのだが、聞かれれば「いろいろ、あれもこれも表示しろ」という。

 実際、使用説明書や商品説明書ほど分厚く、読む気にさせない書き物はない。昔は、生命保険の約款というか契約書ほど読まないものはないと思っていたが、最近は違う。分厚く、わかりずらく、飛ばして読むしかない製品使用説明書は、携帯電話のそれだ。いろいろ気を使ってイラストなどを入れたりしているが、結局半分以上その人にとっては不要で、関心のないソフトや機能を説明しているのだ。「読もう」という気が起こるはずがない。

 メーカーや企業は、親切で十分な製品内容や機能や使い方の説明を”しなければならない”と表示や競争規約でリクエストされていることを全部盛る。PL法や消費者保護法などで盛られていることの欠落や不十分は、後日消費者の批判や法的制裁をうける可能性が高いからだ。自然、”書いておくこと”が大事になる。

 そんなに”揚げ足をとったり””ケアレスな欠落”を責めたりしませんから、もっと”読みたくなるような””読もうと思うような”わかりやすく楽しく読める説明書や使用の手引きを作ってください。説明書を読まなくても、説明書がなくても”使える”ような製品をつくってください。お願いします。
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