吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

広がるインターネット(Web)調査の課題

2017年03月20日 | Weblog
簡単、早い、安いがウリで、広がるインターネットやWeb 調査。大量の調査や双方向調査も出来ると普及する。インターネットやWeb および P Cや端末機器の普及が、これを促進させている。大量のマスターサンプルや目的的パネルサンプル・ベースを用意している調査会社やWeb会社が、種々のソフトウエアを武装しているとセールストークする。調査の設計、実施、集計、分析などのシステムやソフトウエアが、インターネット(Web)調査の需要を支えているという。

しかるに疑念や不安が拭えないのはなぜか。インターネット(Web)調査をビジネスにしている調査会社のいまの技術武装の弱さだ。インターネット調査の精度や信頼性向上への取り組みが見えない。早さ、簡単さや安さで、営業促進をするのみで、インターネット(Web)調査の正確性や信頼性の確かな論証がない。調査目的や調査対象と調査母集団や対象者特性との真摯なすり合わせがない。性別や年代や職業および地域や業態などの照合は当然だが、この程度が精いっぱいの有様だ。

世の中の多くの人々や面接調査や会場調査などで協力回答してくれていた人々と、インターネットやWeb.調査に協力回答してくれる人々の最大の特性差を明確に説明していない。両調査対象(者)の行動特性や心理特性と調査協力への態度の違いを説明できていない。同じ目的や同じ地域や同じ調査項目の調査を 同じ時期に実験調査などをした両調査の結果差異分析研究などが公表されていない。

とにかく安い早い簡単と、ただ営業販売に走っている姿が インターネットやWeb 調査への信頼性が高まらない事由だ。調査で得られた回答や数値の裏にある調査協力回答者の特性を、人口学的な特性を越えて説明できる研究や仕組みへの取り組みを希望する。顔が見えない回答者の行動特性や心理特性を説明できることが、信頼感と安心感を醸成するだろう。関係者の取り組みを期待する。
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この10年、わたし周りの観察社会。

2017年03月19日 | Weblog
十年ひと昔と、人は言う。この10年、郵政解散や小泉チルドレンの小泉純一郎総理退陣のあとを受けて誕生した(第1次)安倍内閣発足(2006年)からの10年、世の中は停滞状況で過ぎた。10年を通しての格差社会やネットカフェ難民なる流行語につづき、リーマンショック(2008)や事業仕分けを挟み、草食男子や第3のビールやファストファッションなどが社会情況を形容した。アベノミクスを謳いデフレ脱却を掲げた第2次安倍内閣からの5年も、その実効を得ていない。

通算1000回を越えた私のブログ(goo.ne.jp)が スタートしたのが、ちょうど10年前の2006年。世の中にブログ・サービスが登場した翌々年でした。はじめた年2006年の3月、閲覧人約100人(週平均IP)月間閲覧(PV)数800だったブログが、その一年後約2倍に、そのあとの一年後その2倍と閲覧(者)が増え、4~5年後(2010~11)には、閲覧人600人月平均閲覧数5000~7000PV になった。その後の5~6年、このピークを越えていない。

2010年頃、いわゆるインバウンド需要市場ベースの訪日外国人数約500万人だった外国からの観光買い物客数は、ただいま(2016)5倍の2500万人。日本の総人口もこの10年12500万人前後と変っていないにもかかわらずの市場経済の停滞。20年前(1995)16兆円ほどあった(全国)チェーンストアの売上高は、その10年後(2005)14兆円。ただいま(2015)年13兆円と20%の減少。食料品の売上げは 横這いながら、衣料品や住関連品その他の売上額減少が大きい。

このようにウィークな社会市場状況にあって、自分が奉職している”豆乳”市場が この20年6倍市場に成長、この10年1.5倍に成長している。感謝に堪えない。


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こぶし満開の春彼岸

2017年03月18日 | Weblog
2017年のことしは、春に三日の晴れ有り。H29年3月18日(土)のきょうも快晴。風も穏やかな青天が、中日には少し早い墓参に誘う。休日なのに週日どおりの朝食を摂り午前8時、家をでる。一対の花束と線香その他を持って、郊外に向かう電車に乗る。

義父母の眠る墓は、いま辛夷が満開。降車駅のバス・ターミナルの辛夷の大樹が、それはそれは見事な花を咲かせている。駅から墓のある霊園への道路の左右は、こぶし並木。真白な花をつけた並木の間々に、所どころ紫花のこぶし。

霊園の左右の道路や雑木林にも、所どころ大きな辛夷の花が咲く。緑なす山桃や楠の木などをバックにした白い辛夷の花が、壮観だ。間あいだには、白や紫の梅花が、身を縮めるように咲く。まるで大樹に咲く辛夷のつゆ払いと太刀持ちのようだ。

墓碑洗いや左右の柘植株の剪定と周りの清掃をし、お茶や花を供え線香を焚いた。合掌し、霊園を辞す。再びのこぶし並木道を、路線バスで駅に向かう。『 青空を キャンパスにして 辛夷咲く』。こぶし満開の春彼岸でした。
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