吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

アラサーに希望を託すポスト3.11、2011

2011年04月30日 | Weblog
4月27日のわたしのブログは、アラフォーの友人たちについての話でした。わたしが、アラフォー?というようなレスポンスやお叱りなどをいただきました。

昨日のテレビは、文字通りのアラサー祭りでした。イギリスのロイヤル ウエディングの主は、ウイリアム王子28歳とキャサリンさん29歳のお祝いでした。ただいまの世界中のアラサー(30歳前後世代)の星と言えます。

地球の反対側に位置する日本の巨大地震津波災害と原発事故への思いを寄せるウイリアム王子と一般庶民出のキャサリンさんのウエディングは、ここ日本の人々に多大な勇気と希望をくれています。貧しく暮らす人々や社会的によわい人々に思いを寄せる王子と質素でやさしい暮らしを希望するキャサリンさんの結婚は、いまどきのアラサーの代表にぴったりのイメージ。

わたしの一番下の息子もアラサー。ウイリアム王子と同い年です。ただいま、物性研究所というところで働いていますが、何を研究しているのか私にはわかりません。ただ 人にやさしく親切なところは、アラサー ウイリアム王子にそっくりです。自分より小さいヒトや何かができなくて困っているヒトを助けたり、手伝ったりすることにヘジテイトしません。

ただいまの日本のアラサーは、どちらかというと厳しい環境にいます。大学や大学院を出ても、なかなか希望する職業にも付けていない方が多くいます。超就職氷河期とか、100件就活とかの言葉が新聞や就職情報誌を支配しています。そういう中、東日本震災地で汗し泥しているボランティアに出ている多くのアラサーの方々を見ます。

もちろん、わたしの周りには他にたくさんの現在活躍されているアラサーの方々がいます。シゴトでお付き合いが多い農水省や消費者庁の方々は、多くが係長さんクラスでアラサーです。この人たちが、ただいまの日本のお役所の前線で働く人々なのだと実感しています。多謝です。

最近、アラサーからアラフォーの方々を”ミドルエイジ クライシス”と特集したNHKでした。時代的世代的な環境はそのようですが、アラフォーの活力とアラサーのやさしい心が、新しい日本や世界をつくって行ってくれることを希望しています。ガンバレ!アラサー。
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周りを見れば、アラフォー世代

2011年04月27日 | Weblog
できるだけ若い方々と一緒したい、若い方々の考えや思いを共有したいと努めたこの10年。ちょっと見渡せば自分のまわりは、たくさんのアラフォー世代の方々になった。わたしの長男と前後したり、同じぐらいのトシの方々だ。

少し前は、団塊ジュニアと呼ばれ世の中の注目をあびた世代なのだが、ただいまは”ミドルエイジ クライシス”などといわれ苦戦している。かれらは、就職氷河期などと言われたころ、大学を終え就活した世代。この20年近く、それぞれ厳しい環境を越えて、ただいまにいる。結構、つよい世代だ。

この世代のお父さん方も団塊世代とよばれ1000万人強を塊にし、この半世紀の日本経済や日本社会をけん引してきた。たくましく丈夫な世代DNAを引き継いでいるアラフォーなのだが、彼らはこの10年から15年の後退した経済や世の中の影響をもろに受けた世代でもある。相対的に賃金や所得が低い。そういう巡り合わせになり、気の毒でもある。

昨年(2010)米国視察や勉強ツアーで二度もご一緒させていただいた方も、この世代にちかい(本当はもっとお若い)。もう一人の親しい若者は、ただいま南米の最南端あたりをワンダリングしている。わたしと一緒のベンチャー会社をやっている女性もジャスト・アラフォーだ。日頃何かと後方(広報)支援してくれている女性陣も、多くはアラフォー世代。わたしの長女や息子夫婦もアラフォー世代だ。

自分が彼らの親世代でということかもしれないが、彼ら世代とのかかわりは多い。彼らが、ときどき、父親を見る目で接してくれるからからかも知れないが、結構先輩としてタテテくれる。この感じがいいのかも知れない。考えてみれば、ハズカシイ。ときどきは、50歳前後の活躍世代の方々に刺激をもらうこともあるが、アラフォーの方々との交流のようなここちよさは少ない。

 アラフォー、ガンバレ!遠慮などしないで、思いを進めてほしい。
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たくさんの一期一会づくりの僅か2日の旅

2011年04月24日 | Weblog
文字通りの一期一会づくりに、わずか2日の旅。2011年4月22日、名古屋岐阜方面に出かけた。目的は、谷内田孝さんの墨彩画展ー正眼寺への道ー 想い「恕」展に行くためだ。東京はJR東海新幹線口でその日8時45分の待ち合わせ。ご一緒したのは、わたしの尊敬する友人岡田良一さんとお嬢さんの和歌さん。

まずは、岡田良一さんのイトコだという黒木修爾さんの千音寺産婦人科医院を訪ねて名古屋で下車した。岡田さんの同級生イトコだという。なぜ、何ゆえもないはじめての方にお会いするハメになったのかわからない。先輩友人岡田さんの希望だ。しょっ中お会いしているらしいふるさとを同じくするお二人は、結構ふるさと延岡や高千穂のニオイを醸し出していた。実に、うらやましい。

実際の医院経営はお子さん夫婦にお任せしている黒木さん。ゴチになった名古屋駅ビルのお店は、魯山。おいしくランチには贅沢な魯山の寿司をゴチになり、名鉄で岐阜に向かった。2時すぎが4時になって、岐阜駅から乗ったタクシーが着いたところは斉藤道三ゆかりの鷺山近くのギャラリーaria さん。谷内田さんの個展会場だ。

きょうが初日だというが、静かなカントリー・ギャラリーは笑いや会話がいっぱい。谷内田さんの人柄かもしれない。ギャラリーのオーナー早川さんやずっと前お会いしたことがありそうな三ツ矢さんたちの出迎えにつづき、現代日本のダビンチこと谷内田孝さんにお会いした。彼の墨彩画が、ところ狭しと展示されていた。ひとつひとつのご案内を受けた。はじめて、臨済宗は妙心寺の偉いお坊さん、正眼寺の山川大師にお会いした。

そして、本日の茶会席は、鷺山の森崎亭。この地あたりでの裏千家茶道をリードされている方とだけ聞いた森崎由枝さんの凛とした静寂の中の温かいもてなしが印象的だった。一汁三菜の懐石料理のあと、老大師と谷内田さんとわたしたち東京から来た3人が、奥の茶室で森崎さんのお点前をいただいた。多謝。グラスアートの林さん、宮大工の小林さん、一級建築士の原田さんやその他多くのみなさんのやさしい会話や笑顔にも多謝。

昨夜のお礼と谷内田さんの墨彩画を再び目にするべく、朝10時小雨のギャラリーアリアを訪ねた。ほしかった偕楽園の梅花の墨彩画の扇子絵を2点ほどに、福井は勝山清大寺の絵を加えていただき、携え、岐阜から名古屋に向かった。行きも帰りも三ツ矢さんのクルマでした。ありがとうございました。ちょうど23日は正午ごろ岐阜から名古屋を後に、午後3時東京駅に帰った。満たされた近頃の2日間でした。
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人間が賢いなら、想定外を想定する。

2011年04月19日 | Weblog
何かをするとき、人は考える。何かをしない時でも、人は考える。人間以外の動物だって、考える。本能や反射なのかも知れないが、考え感じて行動する。感じたり思ったりする。よく考えるところが、人がほかの動物と異なるところだろう。

そして、科学だ。いろいろな物事の内容や道理を探求し、物事の本質や真理を見つける。そして、その論理や道理から、いろいろなモノやコトの内容や行方を推し量る。シュミレーションや予測などをして、自分たちの行動を考える。大方、予測と実際は違わない。予測と言っても予想と言っても大差ない。想像と言っても想定と言ってもいいのかもしれない。

しかし、この度の東日本大地震津波災害と福島第一原発事故への政府、保安院や東電の対応におけるはやり言葉は、想定外だ。自分たちが想定した範囲を超えた事故や現象だから、想定できなかったことだという。当初の計画想定外のことへの対処はできないのが当たり前だという。科学や技術や人智は、想定外には及ばないものなのだという。

素人の自分などは、想定外を想定するのが科学だと思っていた。わたしたち科学外の人間が想定できないことを想定してくれるのが科学だと思っていた。想像や予想や期待や予測は、みんな親戚だと思っていた。”考える”ことと同じだと思う。

考える、信じる、想像する、推測する、感じる、予期することや予測したり、予想することは、すべて考えたり、思ったりすることと近いものだと思う。イマジネーション(想像)といってもいいのかもしれない。思いめぐらすことなのかもしれない。

いろいろ考えたり、思いめぐらしたりする範囲が狭かったり、浅かったりしたことが、想定外を多くした原因なのではないだろうか。技術や科学が狭く、浅いなら、技術や科学の外まで考えることが大事で人智なのではないだろうか。想定外をなくすことが、科学なのではないだろうか。

文系の素人が勝手に思う想定外抄です。
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畏怖するもの(自然)と恐怖するもの(原発)と半壊と。

2011年04月18日 | Weblog
昔から地震、雷、火事、親父は、怖いものの代名詞だった。オバケ屋敷やスリラーや真夜中の墓地なども怖いが、自分に直接襲いかかることはない。フィクションやバーチャルと現実を区別しているからだ。このたびの地震や津波の怖さは、リアルだ。テレビで見ているのだが、自分が体感しているようなそんな怖さが迫った。

ゴメンナサイと伏し目の泣き声でテレビを見た。自然という八百万神の怒りの鉄槌をくらった怖さだ。少し忘れていた自然や天に対する畏怖がよみがえった。そして火事以上の原子力発電所の爆発事故だ。わたしたちが、進歩とハイテクの頂上をいただいたと思ってつくった原発が爆発したのだ。そこに住み慣れた家や土があるのに、そこに暮らすことはできない。ヨウ素131やセシウムなどという放射能への恐怖を政府やマスコミが煽る。畏怖はない、恐怖だけだ。

いつの間にかヒトがつくったものの恐怖が、自然以上のそれになった。畏怖をともなう自然観を、危険や恐怖をともなう便利観が超えた。その矢先にこの事故だ。わたしたちが、”畏怖するものとこころ”を失いかけたその時だ。反省や自省の念にかられ昨日、茨城北部の田舎実家に向かった。90歳の母が自然を畏怖し、ひとり暮らしている。途中、宮城や岩手や福島とは少し違った風景を感じた。

常磐線からやっとダイヤ復旧した水郡線方面に沿う水戸からのタクシーの窓が、いつもと違う家々の景色を見せた。いつもの甍の波に鯉のぼりが、ほとんど見られず10軒に1~2軒が、ブルーシートや土嚢カバーの屋根だ。地震でやられた瓦屋根の仮押さえなのだ。このたびの地震津波での家屋全壊は10~15万戸だと報じられているが、屋根などを主にするいわゆる半壊は、その10倍の100~150万戸ぐらいになるのではあるまいか。

10万戸の仮設住宅建設をすすめている間の100万戸ほどの屋根修復は、果たしてどのようにすすむのだろうか。瓦職人もいない、瓦工場や業者も減った、瓦をつくる土もない、工場生産のスレートや新屋根材なども東北の住宅建設向けに行くことになろうし、我が家の屋根補修は5年後になりそうだとの嘆きを聞いた。津波で跡形もなく流された東北方面の方々に比べれば何をそんなことでと、お叱りを受けそうだが、これからの梅雨期や台風期、どのように凌ぐかアタマが痛いだろう。茨城は、那珂から常陸太田にかけての景色雑感でした。

タイトルと中身のズレをご容赦ください(おわり)。
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東日本大震災(3/11)から一か月の今日の日記

2011年04月10日 | Weblog
東日本大震災のあの日(3/11)から一か月のきょうは、統一地方選挙(前半)の日だ。”地方”(主権)訴求ばかりが喧噪されていてたが、いまは防災や災害につよい街づくりが表にでた。少々静かな東京都知事選でさえ、防災や高齢者が訴求の中心だ。

地震にともなって来た予想をはるかに超えた巨大津波が、約500km2の土地を奪った。実に東京都や大阪府の平地(平地率、約10%)に匹敵する土地が流出したのだ。これらの土地とともに流出したり全壊し、がれき化した住戸が約5万戸(太平洋側東北4県と茨城、千葉域)だから、約16万5000人という避難者の数に納得する。(被災による死亡者1万2900人プラス行方不明者1万4900人は、あわせると約2万8000人にせまる。)

この16.5万人のうち約35,000人が、関東や西日本域などへの県外避難者。残りの約13万人が当該市町村も含む県内避難所で過ごしている。いっこうに進まない仮設住宅だが、いつまで避難所で過ごさなければならないのかと不安を膨らます人々が16万人を超えるのだ。同時にことを大きくした福島第一原発事故により、半径20kmや30kmと言われ県外に避難した人の数は、いまも不明だ。

宮城、岩手を中心にした巨大地震・津波災害の大きさは、住民の住宅、土地を奪い、農漁業や工場などの産業と人々のシゴトや職場を奪った。住むこと、働くこと、暮らすことについて、ただいま避難所で暮らす人々に展望を与えてほしい。それに加え、人災ともみえる福島原発事故で住む場所や農地やシゴト場を失くしそうな福島第一原発から20km、30kmと同心円され、避難している方々への展望がほしい。

そして、これら東北地方域から少し外れテレビや情報から遠い被災が、やけに大きいということにも耳目を向けてほしい。茨城の太平洋岸や北部あたりの被災も、野菜やサカナ以上に実害が大きいことを見てほしい。霞ヶ浦周辺や千葉の埋め立て地あたりの液状化被害の大きさにも目を向けてほしい。

がれきの撤去もままならない現況や長期戦覚悟の避難所暮らしを強いている情況を見るに、ただいまの与党政府や野党自民党が、復興か再生か、庁か院かなど論議に論議で過ごされている姿が不思議だ。一緒に頑張ってください。
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ダンナの田植えのような危機管理内閣もよう

2011年04月08日 | Weblog
一昨日、久しぶりの蕎麦屋焼酎会を終えた帰路、夜桜もようを観察しようと上野公園を散策。薄暗い公園をぶらりした。自粛ムードをこれでもかと演出するように暗い。ライトアップはない。100メートルに一個ぐらいのハダカ電球がサムイ。

8掛け生活どころか、5掛け以下のただいまの暮らしを代表しているようだ。元気がない。意気がない。電気やエネルギーの消費が世の中や市場の活況を表わしているなら、それ(80%)以下だ。復興やリバイバルなどとても、という世情だ。当座の危機管理内閣が、復興や希望設計内閣に移行することを歓迎したい。

ときどきテレビで見る防災服ジャンパー姿の閣議もようは、いかにもダンナの田植え的だ。よそ事のように会議している雰囲気に嫌悪を感じる。行動もようが伝わらない会議会議と、コメント発信だけが目立つ。展望と方針の見えないその場対応は、原発事故に対応する東京電力と同じだ。

国家危機意識のなさは、現役閣僚のちょっとした姿にも見える。直接、表に出ない大臣ということなのかも知れないが昨晩など、緊張感のない姿で何人かのオトモを連れ立って街の居酒屋ちゃんこに夕食に来られた大臣に隣席した。江田五月さんだ。むかしの庶民派代議士よろしくの居酒屋なのだろうが、ただいまの国難と内閣の情況をどのように自覚されているのだろうか。

そもそも、一時は参議院議長の職までなされて、ふつうは古希にもなれば後進や新しいリーダーを育てるべく隠居するのが日本風だろうに、現役の法務大臣をお引き受けになる。そして、よそ事的な危機管理内閣に所属されてのただいまだ。今日の居酒屋オシャベリ会夕食なのだ。ときどき聞こえる評論的当事者はずれの会話が、悲しい。

 公人は、世情を思って街にくり出してください。危機管理内閣・閣僚の麹町のひとコマでした。
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たとえば、NHKの先受け料金の戻し支払い(?)を、100%復興資金に。

2011年04月03日 | Weblog
この7月24日よりの地デジ化は、どうなるのだろうか。できるだけ予定通りの実施をすすめたいというのがホンネだろう。跡形もない地元テレビ局もあるのではないだろうか。送受信のアンテナはほとんど倒れているが、復旧できるのだろうか。いままであった電柱など見当たらないのだが、電気やテレビ放送は大丈夫なのだろうか。間に合うのだろうか。

それより何より、ほとんど流されたり壊れた地デジ受像可テレビは、どう手当てできるのか。被災された人々の多くはとても、それどころではないだろう。政府やNHKが、受像機を支援(支給)するのだろうか。被災地域のテレビ受像機は約200万台ぐらいと思われるから、1台5万円計算でも1000億円になりそうだが、いかがですか。

NHKは、視聴料金の自動引き落としを推進し、前払いを進めてきた。一か月の料金でさえ、先払い(先受領)を当たり前のこととしている。庶民のふつうの感覚は、モノやサービスを受けたらその後支払うのだが、NHKは違う。加えて、年払いをすすめる。年初に、そのトシの一年分を払えば少々は割り引くと、厚顔だ。

今回被災した方々が、宮城、岩手、福島を中心に4~500万世帯あるとして、NHK視聴を契約している世帯(台数でみれば少し増える)を仮に300万とし、年払いで視聴料金を支払ったヒト(世帯)が100万あるとすると、年料金3万円(?)のうち2万円(10/12)先払いした分が2万円X100万=200億円となる。視聴しない分や視聴できなくなった分(10か月分)を戻すのは、当たり前だろうと思うのが、庶民だ。

要は、このように厚顔した分を被災地復興などに戻すことが、何かをしたりする前にしなければならないことだろうと思う。お考え願いたい。
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ホラー映画や暗い所が苦手な自分のいま感想

2011年04月01日 | Weblog
 この度の大津波大震災や原発事故で、被災され避難生活を送っている方々のお叱りを受けるかも知れないが、わたしは暗いところが苦手だ。暗い世界や薄暗い空間がキライだ。明るい部屋や明るい所が好きだ。

 だから、近頃の街や駅や道路がいやだ。薄暗い。人々にお願いする節電では、足りないらしく始めた計画停電のせいだという。落ち着いていていいなどというヒトもいる。夜の銀座や六本木なども暗い。霞ヶ関や丸の内も暗い。みんな計画停電や節電に協力しているのだという。これからずっと、暗い都会になるのかもしれない。

 そうは言っても、いままでのように、やたら明るいのもイヤだ。発光ダイオードで使う電気は抑制できているのでとか言って、やたらイルミネーションする。ライトアップする。ずっと連なる街路樹にオコトワリもせず、たくさんの電球をぶら下げたり、配線を絡ませる。そんなライトアップも好きではない。

 薄暗い世界は、弱者にキツイ。やさしくない。2分の1か3分の1ぐらいの照明を外した私鉄やJRの構内は暗い。止まったエスカレーターのために昇降する階段も暗い。重い荷物を持ったり、カラダにハンデのある方やお年寄りにはシンドイ駅構内になった。いままでが、明るすぎたのらしい。

 街道や道路の暗さは、夜のタクシーなどで実感する。いままで目標にしていたコンビニが、閉店したり照明を落としたりしているので、つい見失う。乗客とトラブったりする。夜10時すぎの青山通り、明治通り、新宿通りなどに加えて、水戸街道や川越街道なども、大変暗い。

 オール電化などと人々の便利指向に悪乗りし、散々電気を使う生活を推進してきて、そしていま政府と一体になり「電気を使うな」という。薄暗いのは苦手なのだが、さて。
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