吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

これ以上国の借金(国債)を増やさないでほしい。

2012年04月29日 | Weblog
ついこの2月の金融緩和10兆円につづいて、日銀は5兆円の金融緩和を発表した。10兆円での結果は実感ずみだが、このたび5兆円規模の金融緩和を発表した。政治生命をかけるという社会保障と税の一体改革のための消費税増税に向けての景気刺激になれるのか不思議な日銀だ。

専門でもないので、この度の緩和策がどの程度のどのようなシロものなのか推量もできない。バブル崩壊での反省あってか、ずっとゼロ金利や引締め基調できた日銀がいままでを反省したのだろうか、それとも路線を変えたのだろうか。消費税増税につながらないまでも、44兆円と言われている国債を発行しやすくしたことだけは確かなようだ。

20~24兆円ほどは利払いになるのだというから、ただいまの私たちが使える歳出額は、20兆円ほどになる。累積国債850兆円か900兆円か正確には知らないが、また40兆円強が加算される。毎年、孫子へのツケとしての国の借金を増やしつづけているのだ。与党も野党も、与党の中の主流派も反主流派も、国の借金だけは減らせそうもない。約40兆円の国債から利払いを差し引いた20兆円を60兆円ほどの税収に加えて90兆円弱の歳出予算を組むことを惰性にしている。

むかしの人々は、100働き(生産付加価値)60の所得をふつうにした。差し引かれた40のうち30は税(年貢)で、10は社会に残った(実質成長)。その人々はもらった60のうち半分の30で暮らした(生活費)。残り30を貯金(推譲)した。この貯金30のうち15は、自分のための貯金(自譲)で、15が世の中や他人のための貯金(他譲)だ。小田原藩などの財政改革を成功させた二宮尊徳翁がシゴトしていた時代のことだ。

我慢や節約だけを良しとするわけではないが、将来の孫子への負債(借金)を積み増ししながら放漫して暮らす政治は止めにしてほしい。2012年の10兆円、5兆円の金融緩和策の行方をしっかり見ていき(検証)たいと思う。

いまも昭和が懐かしい昭和育ち人の昭和の日の朝ブログでした。
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東京ダウンタウンにバラ香る時節

2012年04月27日 | Weblog

さぁ、ゴールデンウィーク。5月1日2日に休暇をとれば9連休。海外に旅行する人も、今年はヨーロッパなど遠方が増えるという。国内組は薫風香る日本の五月を満喫できそうな、そんな天気予報。
昨日、渋谷HIKARIEがオープン。わたしが関係する5F・ビオクラスタイルに、ささやかなバラの香りグッズ発見。

大都会東京のビルの谷間にも、この時節、香りバラが咲いています。探しながら歩くのも、楽しい時節です。


今朝は、ほんのちょっとのインフォームでした。
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二者択一と民主主義

2012年04月25日 | Weblog
アナログからデジタルの世の中になった。民主主義があやしくなった。50年もつづいた保守自民党が下野し、リベラルだという民主党が政権についた。政権が容易に交代する制度をもって、民主主義が定着してきたなどという。万年野党だと思われた政治素人民主党が政権について3年半、日本の政治は迷走している。1300日、政治していない。

むかしの中選挙区制がよかった。AかBかや一人だけ選べと言われても、不安がつよい。二人や2番目を送ることができた昔が懐かしい。いつもマイナーな希望や意見を持つ自分には中選挙区制がよかった。ささやかだが、政治に参加できた気になる。

イギリスのように保守・革新の2大政党が交代して政治できる姿こそ民主主義だと、どなたかが大声を出した。託してダメだったら戻ればいいとその人は言った。マスコミや多くのヒトが同調した。そして、小選挙区制になった。託されて政権与党になった民主党が、託したように機能していない。政権与党にいる民主党の中が、バラバラなのだ。革新なのか、保守なのか、リベラルなのか、さっぱりわからない。わがままや一人よがりの幼児の集まりにも見える。

生物や動物の種の保存だって、二者択一とは言えない。絶滅か人工繁殖かの二者択一だけでは決められない。人工繁殖そして自然回帰で成功した好例が、佐渡のトキだ。食べものや農産物だって、何でも自然や天然がいいともいえない。遺伝子組み換えがすべて悪いわけでもない。農業や作物を育てる知恵や技術がない人々を助けたり、そのような地域や地球の飢餓を救うことができるかも知れない。

自分や自国だけの価値観ですべてを見ようとすると間違う。地球や人類の”広さ”を自覚することが大切だ。イエス・ノー以外の選択肢があってもいいではないか。タイトルから離れたことをご容赦ください。
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高齢社会症候群に陥らないマーケティングを・・・。

2012年04月21日 | Weblog
すべてに、少子高齢化人口減少社会が形容される。少子化が、ますます社会の労働力人口の減少をすすめ、増え続ける高齢者人口への社会福祉負担が重くなる。積み立てる年金額増ではどうしようもなく、消費税や直接税の増税は避けられない。

バブル崩壊→リーマンショック→欧州危機→東日本大震災とつづき、Dエコノミー脱却の展望はない。そして、この世(日本)は、社会的老人病だ。つい先日みられたヤング・ファッションやプチラグジュアリー・ファッション市場などへの商戦が後退し、猫も杓子もアクティブ・シニア市場だ、高齢者市場だと喧噪する。

すでに3000万人(25%/12000万人)を超える(2010年)65歳以上高齢者人口は、20年後の2030年3500万人(30%/11500万人)になる。国民3人に1人が、高齢者だ。シニア市場が、マーケティング・ターゲットになるのも道理のように思う。しかし、ここに経済、社会および企業マーケティングの落し穴(高齢社会症候群)がある。

いままでこの社会を支えてきてくれたお年寄りに感謝し敬意を払い、そしてただいま社会的に弱者になったお年寄りを支え扶養することは大事だ。当たり前の道理だ。多くの企業がユニバーサル・デザインをすすめ、お年寄りや高齢者にやさしい社会づくりを指向することには、いささかの異議もない。

しかし、これと高齢者やアクティブ・シニアへのマーケティングを混同する誤りが多い。おおざっぱにいうと、お年寄りや高齢者は、文字通りの”シニア・ターゲット”の商品やデザインを良しとしない。受容しない。文字通りのお年寄りや高齢者にされたくはないし、なりたくないのだ。アクティブ・シニアやシニアの方々は、いつの時代でもいつまでも”若く”ありたいのだ。”若く”扱ってほしいのだ。

シニア・ファッション・マケティングの要諦は、ヤング・アダルト・ファッション・マーケティングなのだ。来週もまた、若い人々に混じってツバを飛ばす自分は、アクティブが遠いシニア世代の真っただ中。
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世界全人類の食料問題と中国東アジアの食糧需要

2012年04月15日 | Weblog
世界人口の75%が、アジアとアフリカ地域に居住する。全人口70億人のうち40億人強がアジア(60%)に住み、15%の10億人がアフリカに住み暮らす。今世紀半ば90億人になろうとする世界人口増加分の半分は、アフリカで増加する人口(+10億人)だ。その頃のアフリカの総人口20億人は、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカを合わせた人口(約20億人)に匹敵する。

急増する世界の食糧需要増は、多分にこのアフリカで急増する人口によるのだが、今後20年あたりの食糧需給問題の核心にあるのは、中国における中間富裕層の急増がもたらす食糧需要増であり、その内容の変化であろう。現在13億5000万人と言われている中国の今世紀半ばの人口が15億人と推計されても、この国の発展がもたらす中間富裕層はただいま(2~3億)に倍増するであろう(約5億人)。

ただいまの日本は、自国の農業や食料自給率およびTPPで喧噪だが、大きく世界全体の農業食料問題の渦中にあることを自覚することのほうが大事だ。世界全体の農業耕作地面積の0.28%の日本が世界人口の2%弱の食糧自給率(40%)や自国の農業生産のみの保護や生産に目を奪われていると、つい先の世界から取り残されるだろう。

イヤがおうでも、近い将来の世界の食糧需給のキャスティング・ボードを握る中国や約中国の2倍の人口を持つ東アジア諸国とどのように食糧問題を解決していくのか。および、農業生産の技術や可能耕作地も少ないアフリカ地域の農業生産支援や食糧問題に対する施策支援などを欠いて、わが国や世界の食糧問題は解決できないのだ。

たかだか穀物類全体の10%そこそこの大豆(全タンパク質食糧の15%には当るが)2億トン強の0.1%を自国生産している日本にあって、その10%程度(世界全体の0.01%)を原料使用している業界(豆乳)団体に勤めている人間の心配することではないが、・・・気になっている。


2010年10月、米国大豆畑視察
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定見も見識もないお役人性と保守なりゆきを、リベラルと錯覚する野田政権

2012年04月14日 | Weblog
公約をマニフェストと言って約束としない選挙広報し、政権についた民主党が、狂ってきた。脱官僚と言って官僚依存度を高め、なりゆきをリベラルと自己肯定する幼児性をさらす民主・野田政権に落胆この上ない。

何を勘違いしているのかこの度の関西電力大飯原発の再稼働問題。定式評価もハッキリしていないストレステスト結果ぐらいしかない情報やファクトデータをベースに、政権与党政府が関係閣僚会議で”安全性”や必要性をさんざん議論したと言って、大飯原発の再稼働方針をメッセージした。

そもそも原子力村や村周りの政府には、”安全性”という言葉しかない。原子力安全性・保安院が、ストレステストの妥当性を確認し、つづいて原子力安全委が、保安院の審査内容を確認したなどいうと、政府経産省が実施計画を出せなどと、”再稼働ありき”の環境をつくる。それに色づけするように政府の関係閣僚会議の繰り返し演出なのだ。

そもそも”安全性”は、政治家大臣の議論で確認できるシロモノなのか。安全性の判断基準を満たしていると判断したなどという枝野経済産業大臣の”判断基準”を開示してほしい。そのような日本語が、お役人の世界と異なるこの世にあるのかと思う”必要性が存在する”という枝野大臣は、たしか(?)弁護士さんのご出身。

前菅首相の脱原発(依存)を踏襲しているように装う民主野田政権だが、どうやら逆のようだ。そう唱えたくも、原子力村お役人なしでは、政治が出来ないのでしょうか。その枝野大臣や政府は、地元の理解や同意を得るために地元福井県知事やおおい町長を訪問するのだという。地元の範囲も不明瞭にして、大阪、京都、滋賀などの理解が得られるのか、なりゆき慣性と惰性で過ごすただいまの民主与党政権なのだ。でも、ガンバレ民主党!

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2012年3月18日(日)武蔵野十里ウォーキング大会参加模様

2012年04月08日 | Weblog

2012年3月18日(日)の第27回武蔵野十里ウォーキング大会(埼玉県東松山市/埼玉ウォーキング大会主催)は、曇りのち小雨模様のあいにくのお天気だった。十里の名のごとくの40kmコースは、早朝7時30分北浦和を出発してゴール地東松山ウォーキングセンターに向かう。28kmコース、12kmコース、8kmコースそれぞれも出発地、出発時間をずらして、みんなこのゴール地東松山ウォーキングセンターをめざす。

自ら歩くことに参加していないわたしがこのウォーキング大会に顔出すようになってもう6~7年になる。当日わたしといつも私をピックアップしてくれている古宇田さんが東松山ウォーキングセンターに着いたのは、午前11時。まずは、モーニングコーヒーand ランチをして、そしてゴールするウォーカーの皆さんの受け入れ準備だ。

毎年のことだが、(株)ナイガイの古宇田さんチームや筑波大大学院人間総合科学科宮本研究室(スポーツ医学)の方々と私(豆乳)チーム、コラボして作業に入った。わたしは、2つのアンケートを差配した。豆乳などについてのアンケートと歩くライフスタイル・アンケート。前者に約400人の参加者が、後者に約300人の参加者がご協力してくれた。お礼申し上げたい。

日本豆乳協会が引率した”ゆるキャラ着ぐるみ人形「ちょうせい豆乳」君”が人気だった。アンケートのお願いやお礼の豆乳配りに活躍した。特に今回多く参加した(卒業記念の)小中学生たちとの相性がバツグンだったようだ。参加者の中心は、60代70代の方々だが、子どもさんたちの親世代40代50代の方々や30代の方々などもたくさん参加していた。

みなさん、ふだんから健康意識が高く、健康を気遣っておられる方々だ。
高い血圧を気にしている方々は男女平均26%だが、男性は32.4%と女性より多い。また、ヒザ痛で困っている人は、女性に多く19.2%(男性16.8%)だ。このヒザ痛と少し様子がちがうのが腰痛で、意外にお若い方々に多い。30代29.7%、40・50代22.4%だ。筋力が弱っていることを気にしている人は女性に多く42.4%(男女平均35.6%)。30代45.9%、40・50代37.9%(60・70代33.6%)と若い人に多い。

このようなアンケート結果をいただき望外のうれしさだが、有効に活用させていただく。いつもボランティアで汗してくださっている埼玉ウォーキング協会の方々と本日の私のわがままにお付き合いくださった皆さんに御礼を申し上げたい。ありがとうございました。
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なんとなく年金(問題)の核心を避けるただいまの政治の背景

2012年04月07日 | Weblog
ここ四半世紀の政権政争のテーマは、年金だった。消費税が採用されたり、税と社会保障の一体改革といわれたり、消えた年金や年金記録が政争になったりしたが、目に見える革新や改善がなされた形跡はない。改革する、改善すると叫べば期待と票がえられると、政争の具にされてきた。

戻れば私が小学校に入った(昭和24年)ころ、いまは高齢者とされた65歳以上人口は400万人ぐらいだった。75歳以上のそれが、やっと100万人になった。あれから60年、ただいまの65歳以上高齢者人口は7.5倍の3000万人になり、75歳以上の後期高齢者人口は1500万人と実に15倍だ。

65歳以上人口が1000万人を超えた昭和50年代後半1980年代に入った頃(75歳以上400万人)から、年金財源や年金制度問題が展望されるようになったがその後の20年、厚生労働省や社保庁の問題のカモフラージュがつづいた。そして、ただいまの65歳以上高齢者3000万人・人口比24%や75歳以上1500万人・人口比12%あたりを確認するに至り、年金や福祉問題が避けて通れないと思うようになった。政争の具にした。

ほぼ20年後の2030年すぎ、65歳以上人口は30%、75歳以上人口20%になる。15歳未満の年少人口が10%を切り、15~64歳人口は60%を下回る。2人で1人の高齢者を養うようにみえるが、15~24歳の多くが未労働力とか失業や非労働などを考えれば、ほぼ1人に1人のイメージになる。

20年後などすぐだ。大変な情況を展望しながら、なぜか最近”年金”の核心にふれない。税と社会保障の一体改革をあいまいにして消費税増税を叫び、反対する。説明しない。構想をお示しにならない。AIJの年金基金消失あたりに目を向けさせ、本家本元の問題や構想から遠ざかって過ごす。年金が、オバケになったのだ。
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なぜ人類は、天空をめざすのだろうか?

2012年04月03日 | Weblog
この5月22日、東京スカイツリーが開業するという。見れば相当高い。東京タワーの倍ぐらいはありそうだと思ったら、634メートルだと聞いた。海外の様子に疎い自分は、”スゴイなぁ、世界一だ!”と思ったが、まさに井の中の蛙云々だった。

ただいま世界一の高さを誇るアラブ首長国連邦は、ドバイのブルジュ・ハリアは、この東京スカイツリーより200メートルも高く、828メートルもあるのだという。中国の上海タワー(632m)は、ほぼ東京スカイツリーと同じぐらいの高さだが、世界にはこれより高い超高層ビルが2つもある(インドのインディアンタワーと中国シンセンの国際金融センター)。

どうして、何故こうも高い建物やタワーをつくろうとするのだろうか。人は誰もなのか、人類はといったほうがいいのか知らないが、なぜ天空をめざすのか。ジャックの豆の木やむかし話の青(昇)竜ばかりでなく、「馬鹿と煙は、高い所に行きたがる」の図のごとく、人類はこぞって超高層ビルやタワーを建てる。時代に逆らって、”上から目線”をしたいのだろうか。

見下ろしたいのだろうか。見渡したいのだろうか。見渡して治めたいのだろうか。そういえば、わが国の地域を治める各県の県庁は、どこも高い。ランドマークよろしく超高層だ。電波という時代の必要を受けて建てられた東京タワーが、パリのエッフェル塔(312m)を抜いて世界一だ(333m)と騒いだあの頃が懐かしい。

情報を発信する(電波)と言えば、耳さわりよく時代性を感ずる。人々に眺望という爽快や満足をと言って、恐れや畏れを高さで演出する競争などはやめてほしい。そんなことを思ってインターネットを覗けば、米国はマイアミあたりでは、975メートルもある超超高層ビル(マイアポリス)を計画しているという。いつの時代にあっても、自分というランドや企業の存在IDを誇大表象したいのだ。高きにいたいのだ。

いやはや恐れ入ります。少々高所恐怖症のある高齢者の独り言でした。
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国も政治も内憂外患ーどう越える?

2012年04月01日 | Weblog
いつの間にか大地震による大津波の高さの想定が34メートルを越えそうだ。想定外が出ないように防波堤をつくるには35メートル以上になる。震度7や9が来ても崩落しないような原子力発電所や35メートル以上の津波が来ても大丈夫な原発をどのようにつくるか悩ましいことだろう。

がれきの処理も、自分たちの職場や住まいも不確かなのに、政治は消費税増税と政局だけに明け暮れる。国を任された方々が小事や選挙に顔を向け、地方を任された方々が国を変えるのだと本職を忘れる。刻々ぬかるみに向かう国の借金とデフレ景気を、ただ見守るだけの政治と国民なのだ。

仏教(般若心経)でよく言われる色即是空&空即是色は、現代オタクの生き方あたりに通ずるのかなどと思うが、そうではないらしい。虚無や厭世主義にでも通ずるのかと思ったら、そうではないらしい。国のいまや政治のただいまが難儀ばかりだと悲観するだけでは、何も解決しないということだろう。

ただいまの東北(東日本大震災や原発放射線問題)やただいまの日本(デフレや雇用問題)やただいまの政治(消費税増税や社会保障)にやりきれない閉塞感だけを覚えても、これも色であり空だと思えば、もっとポジティブになれよう。果たして、消費税増税法案は、成立するのか。「命を懸ける」と言った野田総理の野田政権は、いつどのようになるのだろうか。

総選挙モードなどと政局ばかりに向かうただいまの政治。2012年の政治の行方が気にならないと言えばウソになるが、国の行方を憂う。北朝鮮や日米安保など政治問題山積だが、内憂外患を乗り越えてほしい。
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