吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

戦略的互恵関係ってなんだ?

2010年10月31日 | Weblog
中国のわがままで、調整していた首脳会談もできなくなる。このところの中国の勝手はどうにかならないか。ベトナム訪問中の菅総理と中国の温家宝首相が立ち話の10分会談をしたらしい。お互いの戦略的互恵関係を発展させることで一致したという。

中国と日本の戦略的互恵関係の推進は、いつごろから言われるようになったのか忘れるほどに、日中両国間の祝詞になっている。歴代の日中首脳会談は、きまって戦略的互恵関係の発展で一致する。具体性やイメージがわかない戦略的互恵関係だ。

大体、わたしはあえてよく使われている”戦略的”という言葉が、好きになれない。この戦略的という言葉の真の意味をわたしは知らない。関係をすすめようとする二者や当事者にかかわらない第三者を意識した言葉だから戦略的なのだろうか。自分たちを特別関係づける意図と自分たち以外をアウターにする意図あっての戦略的なのかと、こころ穏やかにはなれない。

互恵とわざわざ抽象的にいうことも理解に苦しむ。互恵の具体的内容をどのように確認し、構築推進していくのかが両政府のスタッフワークなのだろうが、いつまで経っても”戦略的互恵関係”といわれているだけの関係や外交がわからない。いい加減に戦略的互恵関係という言葉で終わる首脳会談や外交をやめてほしい。

それにしても多い政治や役所の”戦略的”という言葉。いい加減に使用を控えてほしい。どうしても使いたい人には、その”戦略的”という言葉の定義を具体的に添えてほしいと、お願いする。
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T P P(環太平洋パートナーシップ協定)展望

2010年10月30日 | Weblog
今週の新聞テレビは、事業仕分け一色だ。たまに出る中国との尖閣列島問題やAPECがかすむ。依然回復の兆しが見えない米国経済やオバマ与党の苦戦さえ、小さなトピックス扱いだ。

一つ先週あたりの印象が残る話題といえば、TPPだろう。4~5年前チリー、ブルネイ、シンガポール、ニュージーランドのわずか4か国でスタートした経済貿易の自由化連合協定への周辺国の関心が大きく高まった結果だ。このTPP、日本語にすると、環太平洋パートナーシップ協定となるが、ただいま、オーストラリア、ペルー、マレーシア、ベトナムとアメリカの5か国が参加を表明している。来年中に、環太平洋9か国のFTA(自由貿易協定)連合ができそうなのだ。

いつの間にか後退した感のある鳩山前政権の「東アジア共同体構想」だが、東アジアと環太平洋の見方の違いからでもあるまいに、世の中はあいまいさや覚悟が見えない日本イニシアティブをスルーし、”環太平洋”コンセプトで歩き出しているようだ。

自由貿易や関税撤廃を骨子とした貿易経済自由化連合を目指す会議や協定は多い。二国間の関税や規制を撤廃しようとするFTA(自由貿易協定)やこのFTAをさらに進めて労働や投資の自由化までを含めるEPA(経済連携協定)などがあるが、TPPはこれらを包括する”例外なき関税撤廃”を目指す協定連合だ。

ASEANやAPECといった協力会議を超えた経済共同体や連合なのだ。小さな国土(0.3%)の食糧自給率40%の日本の農業をどのように展望するかや国民の食糧や生活の展望をどのように展望するかのビジョンも出ていない政府は、TPP参加問題をどのようにするのだろうか。菅(環)だ小沢だの問題ではないのだ。

おそらく”参加”が、世の中の潮流だろうが、そのための農業政策や国民の生活展望を明確に示すことが急がれよう。日米問題および農家個別保障や保護、補助の問題ではないのだ。
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創立110周年のお祝い行事

2010年10月24日 | Weblog
2010年10月23日(土)早朝6時の地下鉄に乗った。途中、飯田橋から東西線に乗り換えて25分、地下鉄葛西駅を出て環七口に出た。きょう乗せてもらう約束の先輩SWさんのクルマが、待っていた。

地域同窓会で会長をしていただいているSWさん運転のクルマで、首都高から常磐道に向かった。週末だからか、向かう先に事故でもあったのか、首都高はすでにかなりの渋滞。やっと入った常磐道もいつもより渋滞していた。

予定より30分遅れで、母校の校門をくぐった。たまにお会いする人々ばかりで、顔とお名前が一致しない。適当な挨拶ばかりをくぐって控えの会場で、一休みしたのもつかの間、メイン会場の講堂に案内された。約500人の在校生と同数ほどの地元や教職員OBおよび各地からの同窓生などの卒業生や来賓のお客様で、総勢1000人ほどの式典になった。

お決まりのお祝い挨拶がつづき、校歌イベントなどでセレモニー前段が終わる。引き続いて、いまを生徒し、学ぶ母校の生徒に寄せるパネルディスカッションが、本日のメインイベント。パネラーの世代バランスなどを別にするとなかなか”成果した”イベントになったような気がする。企画者や出席者に感謝したい。

式典のあとは、昼食後しばらくしての”お祝い”の会。近くの宴会場にバス移動した。半ば、セミ同窓会の雰囲気に、久しぶりの”いなか”を享受した。自分もそうだが、皆さんの”加齢”を実感した。役目がら、この11月25日の地域(首都圏)同窓会を告知しながらの会話になった。

夕食は、久しぶりの実家で高齢な母親と二人でとった。翌朝、24日湯河原に旅行するという母とAKさんのクルマ&バスに同乗し、午前7時半常陸太田駅。水戸9時15分のスーパーひたちで帰京した。
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『桜田門外ノ変』(ワーナーマイカル板橋)を観賞。

2010年10月17日 | Weblog
2010年10月16日(土)映画『桜田門外ノ変』が全国一斉に公開された。早速近くの板橋ワーナーマイカルに見に行った。本来なら、当時体制のトップでもあった井伊大老の暗殺に及んだ水戸浪士は、さしずめ”テロリスト”なのであろうが、イメージは忠臣蔵の赤穂浪士に近い。

2001年9月11日のアメリカ・貿易センターに突っ込んだ航空機突入爆発事件は、”テロ”の脅威を全世界に知らしめた。以来、同時多発テロや自爆テロおよびイラクやアフガンの国内紛争も含め、”テロ”の抑止や撲滅と安全社会の実現に対する対策がテーマになっている。一方で、半ばテロを称賛するような映画やアニメおよびメッセージがはびこる。

このような時代タイミングでの『桜田門外ノ変』の映画化だ。浪士や暗殺を輩出した地元の感傷や興業者の意図は理解できても、ことの本質は昔の”テロ”なのだ。同期できたり、同情できたり、趣旨賛同できることと暴力や殺傷を容認することとは別問題だ。よく理解されて、映画が多くの人に観賞されることを願う。

忠臣蔵の赤穂浪士や吉良邸討ち入りもそうだが、水戸脱藩浪士の桜田門外の井伊直弼殺害事件も所詮は、主君や家主に対する忠義が、大儀の名を借りて肯定されたものかもしれない。テレビ『坂本竜馬』もそうだが、時代の若者たちが”時代”や国や体制の”変化”を模索するのは、いつの時代でも同じなのかもしれない。

主人公の関鉄之介・大沢たかおあたりを別にすると、キャスティングや展開にやや疑問を感じたりもするが、子役の加藤清史郎君の演技が光った。ありがとうございました。(10/16)
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ガンバレ、私の小さな先生の就活。

2010年10月16日 | Weblog
高齢による記憶力の低下をどのようにして抑えるかを悩んだ。つい10分前、しようとしたことを忘れる。思い出せない。置いた場所や探すものを忘れる。年金を受給する時期になって、そんなことが増えてきた。50年ほど離れていた”英語”というか英語の会話のレッスンを受けてみようと、2010年元旦、”ことし”を決めた。

そして、探しあてた私の英語会話の先生は、自分の孫年齢のCAちゃんだ。今年の1月12日より、週一ぐらいで英語に触れることになった。大学4年生の帰国子女が私の先生だ。しばらくは、ディズニー・ストーリィが教本。私が今日お願いするストーリィを2部コピーし、一部を先生に渡し、それを読んだり会話したり質問されたり、答えたりするのだ。いまは、教材を固定せず、その日の思いつきでレッスンを受けている。毎回一時間のコヒータイムでもある。

そのCA(カルシウムではない)ちゃんは、ただいま就活中。いそがしい。就職希望先を探し、コンタクトし、応募し、試験や面接を受ける。合間に卒論や授業があり、アルバイトもある。私のような生徒も何人かいるようだ。自分が合いそうな就職が決まらなければ、外国の大学院に行くらしい。何とかいい就職の内定の報が届かないかと毎日鶴首だ。

景気経済の低迷や何々氷河期に苦戦している就活学生や若者が多い。最初から事業を起業したりできる若者はいないのだから、働く場所を用意したり作ったりすることは社会の責任なのだが、政府はただ”1に雇用、2に雇用、3に雇用”とのみ空念仏だ。毎年、ちゃんと就職できない若者を増産している。

アラ・サーやアラ・フォーの方々のシゴト先もさびしいが、若者やただいま卒業を迎え就活している学生たちに希望的な毎日をセットしてあげたいと思うがままならない。何とかしてください。菅総理や政治にお願いする。
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日本人二人のノーベル化学賞受賞に寄せる。

2010年10月12日 | Weblog
2010年10月6日(水)私たちは、「2010穀物&大豆および物流サミット」という会議最終日を、米国はミネアポリスで迎えていた。その地で聞いた今年のノーベル化学賞、米国バデュー大特別教授・リチャードヘック氏と共に受賞した日本の根本英一氏(同バデュー大特別教授)と鈴木章氏(63年からの十年、同バデュー大在職)は、栄誉だ。

バデュー大での3人は、金属のバナジウムを触媒とした炭素同士を効率的につなげる合成法を編み出し、プラスチックなど様々な有機化合物の製造を可能にしたのだという。「鈴木クロスカップリング反応」は、この分野での革新らしく、その後の産業分野での応用がスゴイと聞く。なるべくしてなった今回の受賞らしい。うれしい。

それにしても、日本人の海外での研究成果は高そうだ。なかでも米国における研究活動が成果したニュースは多い。特に多くのノーベル化学賞の輩出は、30年ほど前の福井教授、10年前の白川教授(2000)、野依教授(2001)や最近の下村教授(2008)など米国でのチーム研究成果が多い。

話題になっているノーベル平和賞の中国は劉暁波氏も,以前米国に滞在していたのだという。アメリカの自由と寛容が、多くの研究成果を生み出していることを否定する人はいない。

日本は、世界でもトップクラスの科学技術の研究レベルにあると聞く一方、その大半が海外で用意された研究施設や環境で生まれていると聞く。何が何でも、国内ですることや国内成果をのみ言うわけではないが、”環境”づくりが求められていることに同意する。国内や日本をと形容する時代ではないが、もっと若者や若い研究者が希望的な研究活動を国内で出来るように施策する必要を思う。

「No.2ではダメですか?」や「はやぶさ」などが話題した2009年10年でした。研究の最終目的地がノーベル賞だとは思わないが、日本人のノーベル賞が若い研究者のインセンティブを高めることを否定する人はいないだろう。

2010年10月4日から6日の「2010穀物&大豆と物流」カンファレンスでの米国の人々や東南アジアから来ている若者からの刺激に同期的感情をおぼえて、ノーベル賞受賞をブログした。
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38年ぶりのミネアポリス!

2010年10月11日 | Weblog
2010年10月4日のミネアポリスは、快晴だった。ミネアポリス セントポール空港への上空から見たここミネアポリスとセントポールの街は、赤や黄色の紅葉とその間に織り込まれた緑がきれいだった。

38年前に訪れたこの地の記憶は薄いが、昔もこのような景色だった。メネアポリスというより広大なトーモロコシや大豆畑とその周辺や所々に広がる紅葉は、アメリカ大地のゆたかさとすばらしい自然を思い出させてくれた。10月だというのに真っ盛りの秋景色のミネアポリスは、少々汗ばむほどの暖かさだった。

カレンダー通りならそろそろ冬支度と思い持参したセーターやジャケットが、少し負担に思えた。摂氏25度から28度ぐらいと思われるが、湿度が高くなく爽快だった。この10月4日から6日の「2010穀物&大豆と物流サミット」のために訪れたミネアポリスだ。

10月4日午後ミネアポリス セントポール空港からタクシーでセントポールの街を横目にミネアポリス ダウンタウン は、HYATT REGENCY Minneapolis ホテルに入った。少々の休みをとり、同行の立石さんとグローサリー・ホールフードマーケット に行った。お店もきれいだが、往復の街並みは、相変わらずきれいだった。

10月4日、5日、6日のカンファレンス終了後は、主催各社や団体のレセプションが夕食だった。午前8時から午後17日までつづいた英語のカンファレンスは、眠さと疲れの交流だったが多くの知識と学習を得た。

カンファレンス後の10月7日、8日は、ミネソタ州やウイスコン州の大豆やトーモロコシの収穫畑および検査や選別工場などを視察した。広大な穀物フィールドやミネソタの秋を視察したあとの夕食は、7日はダウンタウンの和食レストラン、8日はステーキハウスだった。

10月9日の朝食で同行したH林さんと別れ午前、メーシイなどでの買い物をし、立石さんとミネアポリス セントポール 国際空港に向かった。DELTA619便で午後14:30、帰国の途についた。シンガポールやインドネシアの若い人々やミネソタやウイスコン州の農業に携わる人々との交流が、私の加齢を抑えた。ありがとうございました。(KY)
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