吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

黄金比率の美顔率ガイド

2009年11月29日 | Weblog
 土門奏さんが『美顔率』(ベースボール・マガジン社)を出版された。地下鉄有楽町線、麹町駅4番出口真上ビルの2階で、土門治療院という鍼灸院をされている美人先生だ。筑波大学大学院准教授の宮本俊和先生の助手をされたりしておられる(筑波大学理療科教員養成科)ことが縁で、いろいろなプロジェクトでご一緒する。

 年に2~3回の埼玉ウォーキング協会主催のツーデー・マーチなどでのアフターウォーキング・ケアや体力測定およびお年寄りの膝痛やカラダ故障などのセルフケア講座など、宮本研究室の研究生の方々も一緒にシゴトさせてもらった。理療教員養成科のある茗荷谷ではよくビールや食事会などにも加わっていただいた。

 その土門奏さんの時機を得た素敵な本だ。オトコのわたしには、ターゲット外の美顔やフェイシャル美容についての本だが、なかなか面白くユニークな本だ。彼女なりの美顔のための黄金率が書かれている。オトコの私たちの黄金率とは少し違うようなのだが、美人顔の均整や女性の美顔のバランスなどをわかりやすく紹介しながら、美を求めてやまない女性に黄金比美顔を得るセルフ・フェイシャル マッサージのハウツーを教えている。黄金比ずばりの面長顔とややぽっちゃりカワイイ顔の白銀比の間あたりをみているところもいい。

 少し前(2009年5月)森永乳業が調査した美人顔イメージ調査の1位は、香椎由宇(体形では、藤原紀香)らしいが、調査外の後藤久美子なども黄金比美人率のような気がする。松島菜々子(3位)やモナリザなどやや面長形なのは、限りなく黄金比的に近いかも知れないが、少し前の美人顔の気がする。わたし的にはもう少し白銀比に近い感じが好みなのだが、日本人DNAだからなのかも知れない。

 要の数字{√5±1}÷2や1:1.618 などうまく利用して物事を考えようと思い立ったのも、土門さんの『美顔率』がキッカケだ。それにしても黄金比屈指の美しい絵の代表が、日本が誇る世界的風景画・北斎の「富嶽三十六景」のように見えるのはトシのせいかも知れない。
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勤労感謝の日に”労働・雇用”を思う

2009年11月23日 | Weblog
 11月23日は勤労感謝の日。勤労や生産・収穫できることに感謝しようと1948年、国民の祝日として制定された。昔の新嘗祭である旧暦の11月の2回目の卯の日が新暦11月23日だったらしい。もともと新嘗祭は、宮中儀式のひとつでしたが、勤労を尊び、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝することをもって国民の祝日になったという。

 この勤労感謝の日を前にした政府の”デフレ”宣言は、雇用されて働く多くの労働者や国民に、すぐの"年越し”と生活の厳しさをイメージさせた。昨年(2008年)末の派遣切りや日比谷の派遣村騒ぎ以上の”年末”になりそうな気配だ。5%を越えた完全失業率は、350万人とも400万人ともいわれる。自民党政府から引き継いだ雇用調整助成金への申請が、人数にして240万人もいるといわれているから隠れも含めた(完全)失業者は(350万+240万)590万人にもなる。5%どころか9~10%近くにもなる。米国の失業率10%などを他山の石などにはできない日本の雇用経済事情なのだ。

  日本の労働力人口は大体6650万人だから、590万人はほぼ9%、10人に1人が失業状態なのだ。最近はフリーター(約200万人とか400万人といわれている)や派遣(380万人)やニート(64万人)などという言葉がよく聞かれるが、フリーターや派遣と言っても、この方々のどのくらいの人が失業にカウントされているか実働(就業)にカウントされているのか定かでない。派遣(登録)労働者(380万人)の35%(3分の1)が実働しているという。3分の2の250万人が未就業(失業)とみられる。それでも、派遣(登録)でしか就業できない日本の雇用実情なのだ。

 15歳~34歳を対象にする就業も就学も職業訓練や勉強もしていない、いわゆるニートと呼ばれている若者が64万人といわれているが、ふつうの(2人以上の世帯)世帯の世帯主の失業者が88万人(およそ2%、H21年9月)と多く、一年前より27万人も増加していると聞く(総務省労働力調査)と、雇用と生活問題の深刻さがわかる。ふつうの家庭(世帯)でさえ、50軒に1軒が”失業”しているのだ。

 きょう寝る住まいもなく地下街や公園にダンボール住まいをするホームレスの方々やネットカフェに難民する人々などに、派遣村や炊き出し以上の緊急施策をしなければならない(この年末20~25万人になると予想される)政府や自治体に、生活保護の対象にならないふつうの世帯で失業状態にある方が約100万人(世帯主)もいることにも施策してほしいと願う。

 このところ増加している学卒未就職者(5~6%)も派遣やフリーター増加とシンクロしているが、非自発的失業者の増加(97年24%、05年34%)に対する施策こそ求められる。派遣と契約切れや勤め先の倒産や都合(リストラ)による失業を食い止める施策が急を要する。

 勤労を感謝しようにも、働く場所がなくては”働けない”世の中をどうにかしなければ、勤労感謝の日の意義が薄れる。誰もが何かのシゴトにつける日本にしたい。新しい政権政府にお願いする。
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科学者たちの高慢と傲慢

2009年11月21日 | Weblog
 このたびの事業仕分けが国民に教えてくれたことは多い。利権や既得権や埋蔵金の発生源を教えてくれた。官僚たちの予算の取り方や理屈づけの方法も公開された。天下りや渡りのなくならない背景や官僚たちのポスト公務員生活づくりの仕組みなども教わった。

 最も驚いたことは、事業仕分けに対する説明や不満を語る官僚や何々理事長や研究所長など、ふだん私たちがインテリ知識人や科学者と尊敬していた人々の高慢や傲慢だ。科学立国や先端科学技術をリードしてくれているノーベル賞科学者や大学研究所の科学者たちが見せた、「科学の科の字も知らないオマエたちに科学や日本や世界の将来がわかるか」という態度だ。幻滅この上ない。

 確かに、将来にかかわる科学や教育の大事さを数字的に示すことは難しい。難しい宇宙や次世代スーパーコンピューターの重要性を私たち国民に優しく解説することは難しいかもしれない。あまり勉強や学問を探求したりして来なかったであろう自分の子供世代的事業仕分け人に、プロジェクトや事業の生産性や予算適正などの追及を受けるのは受容しがたいことなのだろう。

 膨大な国の予算税金を使う特権にいて当然と思って過ごしてきた自分たちに、その合理性や有用性を説明しろと言われても「そんな侮辱を受けたこともない」わたしたちに、いまさら何をいうかということでしょう。宇宙飛行士の日本科学未来館長 毛利衛さんやノーベル賞物理学者の益川さんなどの短絡感想に、少々落胆した庶民の一人だ。

 きょう世界一の何々施設や技術でも明日20番目や30番目になるのは、世界一の高さを競って建設されるビルやタワーと同じなのに、そうすることが科学や技術をリードすることなのだという古い価値観にしばられている科学者や知識者たちのようだ。膨大化する理化学研究所を国立だ国策だと放置させられている文科省や政治家たちに、何故すべての化学や科学を、何故和光や筑波や横浜や神戸などをして、ひとつの膨大な組織にして置かなければならないのか、何時か説明してほしい。

 できるだけ私たちに解るように丁寧に説明してほしい。そうすれば、わたしたちがもっともっと熱意を持って科学立国を支持できるようになるでしょう。
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マラソン先生に学ぶ小地球市民。

2009年11月18日 | Weblog
 2009年11月17日(火)茨城北部中山間地の常陸太田市はこの季節にしては冷たい小雨の一日だった。常陸太田市生涯学習センターさんの依頼で『地球市民としてのライフスタイル』という講演をした。大方、わたくしより年上の方々がこの日の聴講生だ。小難しくしゃべる私より、はるかに世の中や世界のことを知っている方々30人を前に、少々硬くなって講演した。

 ただ、世の中の変化や世界の様子を紹介するようになってはいけないと、私なりの考えやライフスタイル基準を入れた。理解の助けになりそうなデータや地図や画像をパワーポイント・スライドにして解説したが、どうやら私の話しぶりが理解を妨げたようだ。聴講してくれたほぼ50年も前の恩師のコメントに助けられ、約2時間の講演を終えた。

 実は本日のブログは、ここからが記したい本筋だ。私の50年も前の高等学校時代の先生、西野義雄さんは世界に名だたるマラソン先生だ。来年80歳になる先生だがマラソン現役なのだ。講演を終えた帰りは先生のクルマで送っていただいた。先日のニューヨークシティ・マラソンの話が聞きたいとお願いをしての先生の運転だ。市街丘の上の母校までの20分では終わらず、母校の同窓会事務室にまでハナシが延びた。

 ボストンやベルリンのマラソンも欠かさず参加する先生だが、昨年までのニューヨークシティ・マラソン(年齢の部)4連覇はすごい。大体のタイムは、いつも4時間を切って、3時間50分台の75歳越えの優勝タイムだ。この先生が昨年のニューヨークシティ・マラソン後カラダを壊した。職業病的な腸閉塞で、昨年2度の手術入院をしたが快癒。ことしに入り、周りのアドバイスも聞かずジョギングから再びマラソンを始めた。

 来年の80歳を前にした70代最後のニューヨークシティ・マラソンにエントリーOKになったことを契機に、5月、6月頃よりならし始めたマラソンは10月はじめには35KM走OKにまで回復、ニューヨーク5連覇の夢は膨らんだ。そして、10月半ば大量の吐血で知る腸閉塞の再発、ドクターストップ。予約したニューヨークへの成田を明日にしても 再たの痛みで”キャンセル”覚悟の早寝をした28日だったが、よく朝10月29日、”オナカすっきり”の感じで、覚悟して成田よりニューヨークに向かったのだという。

 そして、ニューヨーク。アシックスのスタッフの方々やニューヨーク在住の友人たちに昨日、昨夜の病状や小回復を語らずにグイ飲みしたビールが、オナカにしみわたり閉塞を開放してくれたようだと気力をみなぎらせて参加、出走した。途中いろいろ語ればきりがない2009年11月1日のニューヨークシティ・マラソンは無事完走。年齢の部4位で今までより約1時間オーバーの4時間53分だったという。バンザイ万歳だが、80歳代はもう少しご家族や周りの人々の忠告に耳を傾けて、カラダをいたわってほしい。

 ニューヨークやベルリンなどへ行っても、タクシーより進んで地下鉄を利用される地球市民の西野義雄先生を習いたいと思う。
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「事業仕分け」の成果考

2009年11月14日 | Weblog
 政権交代で見えてきた”政治”のウラや実態が新鮮だ。長い間の自民党政治は、官僚と族議員および財務省での予算化の繰り返しで過ぎたようだ。国民の目に触れない政治や予算が、多くのムダや埋蔵金をつくってきたことが白日化した。

 このたびの「事業仕分け」、目的や目標でもめたり、人事で与党幹事長が怒鳴ったりと難産したが、かなりの成果を上げていると正直思う。どのように進め、どのような着眼と着地を狙っているのかハテナだったが、実直で地味な作業をしている姿は、パフォーマンスと言われたりしているが、”働く政治家”が浮かんで好感が持てる。

 モレているものがあるとはいえ、447もの事業が事業仕分けの対象に上がり、これを限られた時間で仕分け検討するのだから、1事業一時間もない。説明できない、理解されないと言われ、こんな短い時間で裁判みたいにやられて不満やるかたないと官僚や行政担当官のストレスは大きいと思う。

 しかし、今回の事業仕分けが私たち国民に教えた成果は、計り知れない。3日間の削減対象事業が、ほぼ7000億円出たことや16兆円もある地方交付税まで抜本的見直しに入ったことなどの金額的な成果は別にして、多くのムダや埋蔵金が生まれる原因や背景を教えてくれた。いままで”エライ人”で国民の税金を食べていた方々が、事業仕分け人や国民に晒され誇りや権威が折られる姿がイタイタしい。

 政治や官僚の”手の内”も見えてきた。何々事業、何々基金という名前で予算化される税金の使い方だけでは不足と、事業や基金の前にいろんな形容詞をつけて尤もらしく装う。支援、助成、補助と推進、整備、導入などだ。予算どりには欠かせないワードのようだ。

 事業仕分けも道半ばだ。全部の仕分けが終われば、さぁ政府や財務省の現実の削減や廃止および予算の概算策定が待っている。2010年度の予算がどのようなビジョンと方針で出てくるか期待している。
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ムダと天下り先創出の公益法人づくりがシゴトの官僚たち。

2009年11月08日 | Weblog
 国家公務員は、ひたすらお国のために働く人たちだと思っていた。総勢370万人余と言われている公務員は、国家公務員が25万人の自衛官も含めて65万人、地方公務員が305万人だ。1億2500万人の国民30人に1人が公務員だが、もっとビックリするのは、約3400から3700万と思われるふつうの世帯(一般世帯/普通世帯)10世帯に1人、公務員がいることになる。

 アメリカ(70人)、イギリス(75人)やドイツ(55人)などに比べれば日本の公務員の数(人口1000人あたり30人)は少ないのだという。公務員の労働生産性が高いと自慢する霞ヶ関のキャリアや人事院だが、ムダという予算の使い方や公益法人などという天下り先の作り方も超一流のようだ。

 2007年現在の公益法人の数は、全国に約26000ほどある。これらの財団法人(12990)や社団法人(12850)に再就職する官僚(公務員)は、年間25000人から30000人いるといわれている。ほぼ総公務員数370万の100人に1人、霞ヶ関(非現業)30万人キャリアの10人に1人が毎年の枠だ。各省1人の事務次官に行かなかったり、行きそうもない部長、局長や審議官などの55歳前後は、この天下り先への予算づけや関心が高くなる。

 国と地方(都道府県ほか)に分ければ、国所管の7000法人と地方所管の19000法人になる。うち、独法(独立法人)といわれる病院、学校などの230法人を別にすると約100法人ほどある。多くのその他は、協会、協議会、機構などと称している。1法人や天下り先にどのくらいの天下り理事や役員がいるのかよく分からないが、3~4人としても計26000法人で約10万人近くになる。

 これらの天下り先への補助金や基金なる予算額も気になるが、10万人への高額人件費や渡りの退職金も大きい。事業仕分けに隠れるムダとも言えるが、まずは、この26000法人二つをひとつぐらいにし半減すれば、天下り理事や役員数も半減するし、使われる予算も3分の2ぐらいにはなろう。ただの仕分けで終わらないよう汗と智を注いでほしい事業仕分けだが、7人程度の切り込みで本気ですか。
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タバコのある国とタバコのない国と、どちらがいいか?

2009年11月07日 | Weblog
 タバコをやめて20年以上になる。何となく”健康”を考えたつもりだったのだが、本当はハテナだ。世の中の流れや雰囲気に追従しただけなのかも知れない。タバコがやめられないようでは、何をやっても目標や希望に届く自分ができないのではという不安からだったような気がする。

 おかげさまで大分ココロ休まるライフスタイルが得られたような気がする。毎日買っていたタバコ二箱(40本)への出費がなくなった。タバコを買いに行ったり、自販機を探したりする煩わしさがなくなった。吸殻の始末や他人の目を気にしたりする必要もなくなった。この度のように身勝手な政府の税金政策による影響をストレスに感ずることもなくなったし、そのことによるフトコロへの不安を心配する必要もなくなった。

 にもかかわらず政府や権力のイタズラを思わざるを得ない。税収不足をタバコへの増税で補おうと企てているからだ。300円が500円ぐらいになるのだという。たばこ税全体の税収が大きく減収になるのではなどと言われて、国民の健康や環境を守りたいからなどという。国民の嗜好などに政治や行政が入るのをヨシとするなら、いっそ憲法でタバコ禁止、たばこの製造、販売、喫煙をすべてお止めになったらいかがですか。

 法律でタバコを禁止すれば、麻薬などと同じように、脱法や違法行為を取り締まる体制や経費が大幅に増えるだろう。健康のためといってタバコ喫煙率を下げるのだといって増税をし、大幅にタバコの価格をアップする方向はタバコ禁止、タバコのない国だ。法律や権力が横行する昔の社会主義的大きな政府作りなら、いろいろ思いつきや目についた分野を規制したり、課税したり、増税したりすればいい。

 封印したような消費税についてもハナシのテーブルにのせればいい。税を賦課したり増税をしたり減税をしたりの思いつきを机上シュミレーションした装いで、施策することが政治なのですか。官僚や元役人しか人材接点のない人たちの政権印象を、何とか払拭してほしいと願う。これ以上、ガッカリさせないでほしい。
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五十年ぶりのイトコ会

2009年11月04日 | Weblog
 先日亡くなった沼田の叔母さんの墓参りに行かないという妹からのメールが、ほぼ50年ぶりのイトコたちの集まりになった。母方(横浜)の従兄弟(従姉妹)たちとの思い出は、ずっと昔のことしかなかった。父方の故郷で少年期を過ごしたこともあって、母方のヨコハマの叔父叔母イトコたちとの交流はほとんどなかったからだ。

 母と伯母は二人姉妹なのだが、ふたりが3歳1歳の時すでに実の父母はこの世にいなかった。関東大震災が幼子二人を残し、父母を奪ったのだ。別々の叔父伯母に別々に育てられた母や伯母には、血のつながりではない兄弟姉妹がいたこともあり、ヨコハマ地域にはイトコが多い。

 2009年10月31日(土)、わたしを含め6人のイトコたちが東急線・白楽駅でおち合った。亡くなった叔母の一番下(実際は下から3番目)の息子のコウちゃんの案内で、白幡は山の上のお寺のお墓に参った。神奈川は亀住町の叔母の家で遊んだ自分の少年期と今日のコウちゃんを想い出した。茨城の田舎から遊びに来ては往復の交通費以上のお小遣いをもらったオバちゃんを思い出した。

 そんなオシャベリをしながら六角橋か白楽かハテナのコウちゃん予約の寿司屋さんに着いた。50年ぶりのイトコ会が始まった。コウちゃんの一番上のオネェさんのミッちゃんや母方の二人の従姉妹にわたしの妹の6人のオシャベリ会になった。やたらなつかしい昔話ばかりになったが、楽しい一日に癒された。

 このつぎは、ほぼこの倍ぐらいの人数になるイトコ会にしようよ、などと暗黙の約束をし、日吉の妹宅を経由して帰路に着いた。
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