吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

ささやかだが、まずは「食べ残し」ゼロを運動しよう!

2008年05月29日 | Weblog
 ここ10年、食育ばやりだ。「食」に関する知識を習得し、健康的に生きるため自分の食事をどう(選択)するかの判断力を身に付けなさいということらしい。H17年成立の食育基本法による食育推進基本計画の「食育」で、主に食事バランスガイドや日本型食生活の見直し普及および”もったいない”や地産地消などを進めている。

 食料自給率39%(カロリーベース)と際立って自給率が低い日本。食の欧米化が、食の自給率低下に拍車を掛けてきたようだ。食事型別におおよその自給率をみると、和食63%、中華食33%、洋食28%(農水省「我が国の食料自給率/H20年2月」より)なのだ。出来るだけ米(ごはん)中心の和食をすすめようというわけだ。

カロリーベースの食料自給率は39%だが、実は穀物自給率(量ベース)は全体で27%ぐらいなのだ。小麦13%、大豆5%、油脂類13%などと、ほとんど外国頼りの現実だ。肉類(55%)や魚介類(59%)でさえ、年々低下している自給率だ。とても、食育のテーマ”地産地消”あたりでは解決しないのだ。

 日本人のほとんどは、毎日”満腹”に食べているが、世界にはほとんど何も食べられず”餓死”していく人たちが多い。食糧難や栄養失調で亡くなっている人が、一日2万5000人もいるというのだ。世界的にみれば、年間の餓死者は900万人もいる勘定だ。にもかかわらず、日本人の日々の”食べ残し”や"廃棄”など食品のロス率は、平均3.7%(42g)にもなるという。

 じゃがいもやごぼう大根やりんごなどの”皮剥き”がヘタで、食べられる身をごっそり削ってしまうムダ(過剰除去)が約2%、調理の失敗や作りすぎや賞味期限切れなどによる(直接)廃棄が約1%で合計全体で3.7%のロス率は、知識や技術を教育することで成果するだろうが、まずは毎日毎食の”食べ残し”(約1%)ぐらいは、なくしたいものだと思う。

 ちなみに、レストラン(外食)などでの”食べ残し”は、和食4.3%、洋食3.0%、中華2.9%(農水省「H18年 食品ロス率統計調査報告」より)と、意外にも和食で多い(漬物や佃煮?)のだ。日本型食事とこういう問題をどのように食育すればいいのか考えどころだと思う。
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海や川の水も、空気も、リッターいくらになって幸せ?

2008年05月27日 | Weblog
 学生時代信奉して勉強したケインズが、今世紀のような金融資本主義になるなど、予想もしなかった。何から何まで”売り買う”という(先物)相場市場になることが進歩のように思うことがイヤなのだ。

 いつの間にか水がリッターいくらで買うようになったと思ったら、空気(正確にはCo2)まで排出権などといって売り買いされるようになった。約20%の酸素(O2)や78%の窒素(N2)というより、わずか0.03%の二酸化炭素を主とする温暖化ガスの(非)排出権が売買の対象になったのだ。

 窒素(農業)や水素(エネルギー)だけでない。酸素だって、酸素マスクや酸素ボンベだけでなく、いろいろ価格付きの商品になっている。神や天地宇宙が与えてくれたものではないのだ。無限にあったり、誰もが自由に使えるものではないということだ。田舎にいる子供時代の川や井戸の水とも違う。都会に来て、ひねるとジャーの水道で、代金が取られるのにびっくりしたのはもう昔だ。

 ペットボトルのミネラルウォーターや名水や何とかの天然水ばかりではない。海からの水や河川からの農業用水が売買されていたオーストラリアでは、水の先物相場が成立しているという。

 2050年や今世紀半ばにはと言って温暖化ガス半減を言っている洞爺湖サミット派は、のん気なものに映る。この間の京都会議や京都議定書と同じ次元。大体、50年後あたりの展望や基準を云々していて、”そうなること”はまずないのだ。せめて、10年後、20年後、30年後、40年後にブレークダウンしてくれと言いたい。

 何とか、二酸化炭素や水までもが先物(相場)取引の対象になることを止めて欲しいと誰に言えばいいのか、わたしは知らない。 
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田舎の高校卒業後47年目のクラス会(囲碁会)は、筑波山。

2008年05月25日 | Weblog
 あまりプライベート過ぎる自分の生活や非日常をブログすることは馴染みませんが、お許しを得て記録しておきたいと思う。

 高等学校卒業25周年と50周年の同窓会は、記念行事として全クラスを対象に行われている。この卒後50周年の記念同窓会を3年後にしているS30年卒のわれらだ。昨日一昨日(5/23)の3年5組のクラス会は、いつもの世話役鯉渕・菊池君が共に晴れ男だからか、夏日の好天に恵まれた。5組以外から強力な助っ人2人が参加した。アマチュア茨城囲碁のチャンプ小祝正盛君と大観二世評を欲しいままにする画伯(日本画)谷中武彦君だ。

 隣の区(練馬区)ながらごく近所(北町)に住むクラスメイトの菊池進君をピックアップして、新大宮バイパスから外環に入ったのは朝7時半(5/23)。途中、谷田部東PAで軽い朝食を摂り常磐道は桜土浦ICを下りたのは8時を20分ぐらい過ぎたころだ。筑波大学を左にみる東大通り(55号)を一路筑波山に向った。

 5月23日午前9時、つくばねカントリークラブに到着。すでに47年ぶりの昔・大車輪(鉄棒)男、温情校長の生徒評を浴びるほど受けて退職した松本宏君とJFES系の会社の元社長 生天目優君がすでに到着していた。ついこの間までこの近くのキャノン阿見工場長をしていた鯉渕光喜君のクルマで到着した俳人井村敦君(語学春秋社社長)を入れ、2組でつくばねCCのインコースからスタートした。多くはリタイア後の週一ゴルファー、私だけが年一のゴルファー(?)だ。


 すでに筑波グランドホテルの一室で碁盤に向っているであろうアマ(茨城)囲碁元チャンピオン小祝正盛君と安健(元JT東京工場長)や佐川勝三(元日立製作所)にジョイントすべく、夏日のつくばねCCをホールアウトするとすぐ汗びっしょりのままホテルに向った。昔3年5組のクラスメイト10人揃って、ホテルの大浴場や露天風呂で汗を流し浴衣に着替えた。

 懇親囲碁競技につづくゴルフの反省ならぬ批判会と、これが(目的)本番かと思われるカラオケつきの宴会食をとり終えたのはすでに10時。それからのつづきは省略したほうがよさそうだ。一泊して翌日、遅い朝食を摂って散会し常磐道に帰路をとった。
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基礎年金6万6千円(現行水準)の不思議もそうですが・・・

2008年05月20日 | Weblog
 誰(政府)が、いつ、どのような基準で、どのような算出で決めたのか、6万6千円(基礎年金額)。生活保護費にさえ届かない水準額なのに、コンセンサスを得て決まったような額。まるでいつもスタンダードのように話す不思議だ。

 昨日(5月19日)発表された社会保障国民会議の”試算公表”にしてそうだ。年金(6万6千円の基礎年金)財源を全額消費税にしたら、どのくらいの負担(税額)になるかを試算し、これを公表したのだ。

 全額税方式で基礎年金を現在の給付水準(6万6千円)を維持して給付して行く場合、概ね一世帯平均月1万円の負担増(税)になるという。現行水準(6.6万円)の50%増(プラス3万3千円)を給付水準にすると2万円ぐらい、給付水準を2倍(プラス6万6千円)にすると3万円ぐらいの一世帯平均の負担増になるという試算を公表したのだ。負担全額を消費税にしたらという試算だ。

該当対象者が約6万円(現在より)増額して基礎年金をもらえるようにすると、満遍なく一世帯平均約3万円の負担増になり、約3万円増額だと一世帯約2万円、現行水準維持だと一世帯約1万円の負担増(消費税)になるという試算なのだ。これを消費税にすると、9.5%から18%になりますということの公表なのだ。

 試算公表の意図がわからない。保険料徴収を税方式か消費税に変えたいということなのか、やはり現行の保険料方式がいいというのか、政府や社会保障国民会議の意図がわからないのだ。おそらく、試算は誰がやってもこのようになるのだろうし、社会保障国民会議はこのような試算をだせばいい会議ではないだろうし、今回の発表の意図を教えてほしいと思うのだ。
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消費者庁がわからない。

2008年05月18日 | Weblog
 冷凍ギョウザや聖火リレー(北京オリンピック)でも問題を積み残したままの福田政権。四川大地震の震災事後支援で何とかカタチをつくったものの、道路特定財源の一般財源化についての信頼がない。昔は守旧派といわれた道路族と革新派を装う若手自民党員の調整ができない。リーダーシップというか指導力がないとも言われている。しかし、リーダーや党首の指導力や信頼感という点について言えば与党も野党も五十歩百歩だ。帰属集団というか地方の党員や支持者頼りのささやかさなのだ。

 ”目玉”のない福田政権。公務員制度改革も消費者庁もイメージがわかない。消費者に関係するであろう法律を一元化、これを所管する役所(省庁)をひとつに”まとめる”のだという。まとめたり、一元化することが、どのように私たちや国民消費者を利するのかわからない。

 一昔前スタートした国民生活センターや内閣府構想スタートの時とどう違うのか
わからない。いまの内閣府は、かなりの部分で消費者庁(構想)のようでもある。この拡充なのか、全く違うのかわからない。PL法なども含む消費者関連法や個人情報保護法および食品安全基本法などを所管している内閣府。そのスタート当時でさえ、厚生労働省や農林水産省および経済産業省や公正取引委員会などの消費者関連法の移管と(内閣府への)一本化が議論された。結果がいまの内閣府だ。

 いま、当時と同じような省庁・法律と金融庁(貸金業法や金融商品)や国土交通省(住宅や旅行)などをあわせ、6省2庁1公正取引委員会の25~30本の法律を消費者庁に移管し、一元化しようとしているらしい。分野ごとの産業経済やカテゴリー市場および業界や企業とそこの技術専門性などは必要ないらしい。消費者(保護)行政は、とにかく産業や業界から離れて行うことがいいのだという。

 産業や業界よりになる役人や行政から”引き離すこと”が大事なのだということだろう。だから、各産業所管省庁から消費者関連行政とその法律を切り離し、消費者庁に一本化するのだという。そういわれても、本当にそうしたほうがいいということがわからない。一元化することの”よくなると思われる点”(メリット)と問題が残るまたは問題がおきる点”(デメリット)を説明してほしい。

消費者庁のなかに、内閣府課、農林水産省課、厚生労働省課、国土交通省課、公正取引委員会課や金融庁課などができるだけのようになって欲しくないと思うのは考えすぎだと言ってほしい。

 また、後期高齢者医療制度(説明不足)の二の舞にならないと、具体的に政府や福田総理のご説明をうかがいたいと思うのです。
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大自然と地球が大激怒している。

2008年05月14日 | Weblog
 人類は飽くなき欲、便利文明のモノづくりに邁進している。自然を破壊し、地球や宇宙を損壊し、環境をゴミ汚染している。年々排出する温暖化ガス、二酸化炭素は削減できる気配もない。

 地球のイカリは、天候、異常気象に表れているが、もっとインパクトを大きくしないと人類は心にしみないのかもしれない。大爆発、大暴発、大災害の連続を出して警告している。緊急反省、回復の手立てをせよと。

 ことしに入ってすぐ、チリー南部のイスルガ火山が大噴火、大爆発。地球の反対側の文字通り対岸の火事風にしているところに、ミヤンマーの大サイクロン襲来だ。ミヤンマー イワラジデルタ地帯を中心に32000人余りの死者、3万人の行方不明者を出している。死者・行方不明者は合計10万人を越えるだろうと言われている。

 ミヤンマーのサイクロン被災の支援がどうのこうのと言ってる最中の12日、中国は四川の大地震だ。死者12000人余りに加え、6万人の行方不明者といわれている。家屋の損壊は、346万戸と途轍もない。3年ほど前の米国のハリケーン・カトリーナや少し遡ったバングラデッシュのサイクロン災害の爪跡が消えていない地球・自然のイカリだ。

 北海道洞爺湖サミットのメイン・テーマを地球温暖化ガス対策をなどと、ノンビリしてはいられないのだ。いかに年々増すCo2二酸化炭素を削減するかの議論をしていると、排出Co2 は地球深くに貯蔵してしまえばいいなどと、核燃料再処理後のどうしようもないゴミ、高レベル放射性廃棄物の最終処分みたいなことをいう。貯蔵や保蔵が”最終”にならないことを知っての話だ。

 大自然や地球に対していま人類がとるべき態度は、ひとえに謙虚さなのだ。技術や自分たちのハイテクなど、大自然や大地球の力に比べれば”ちっぽけなモノ”だと自覚することが大事なのだと思う。
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米寿の母の日のプレゼント

2008年05月13日 | Weblog
 ことし米寿の母は、いまも一人中山間地の田舎暮らし。毎年のことだが、母の日などのプレゼントで悩む。一人田舎が好きということをそのまま受け取っている負い目もある。

 2007年現在の後期高齢者(75歳以上人口)は、1200万人。10年前に比べ500万人増だ。いまから10年後の2015-6年あたりの75歳以上人口も1700万人と500万人増える予測だ。後期高齢者問題は、年々問題を大きくしているのだ。医療費やその負担などという問題はほんの一部なのだ。人口統計や抽象的な施策構想を並べて議論したりしている虚しさを感じる。

 一人暮らしの高齢者(65歳以上)もただいま450万人。年老いた夫婦二人の世帯も550万人。一人暮らしが身近な人たちだ。いずれ1000万人の一人暮らしの高齢者に目配せしなければならない時代は真近なのだ。

 後期高齢者の米寿の母に何をプレゼントしようか。ことしはいつも以上に迷った。足が悪く、100メートルぐらいもキツイ様子は知っていた。それでも健康維持を考えれば”少しづつの日々の歩行”が大事と思うが、気軽に移動できることも大事な気もする。結局ふだんの本人の希望もあり、シニア用の電動カートをプレゼントすることにした。

 ちょっとしたお出かけを気軽にやってほしい。ゲートボールの会場まではカートで楽に行ってほしい。でも、毎日少しでも"歩く”ことに努めてほしい。何よりも坂道や狭いところや曲がり道などで事故ったりしないよう気をつけてほしい。後ろから来るクルマや自転車に気をつけてほしい。

 日曜日(母の日)の翌日、近所の輪業店から電動カートが届き、いま操作や運転のインストラクションを受けたという、それはそれは明るい声が届いた。とにかく「よかった」と思うことにした。
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サイエンス・ハイテクノロジー時代についていけない私の関心

2008年05月09日 | Weblog
 化学や科学には程遠い自分。大学も文系で、世の中に出てもずっとアナログタイプで、科学的アプローチや論理が苦手。感覚人間というより科学的に検証したりする行為そのものが”面倒な”手抜き人間なのかもしれない。これだけサイエンスやハイテク時代だというのに自分の目や肌で感じたことしか”実感”できないのだ。

 その反動なのかも知れない。最近の自分は、肌着や靴下だというのに医学や科学に近い先生や研究生の助勢を借りようとしている。スポーツ医学や人間科学を専攻している方々の治験や分析や意見にすがる。ど素人のクセに、ヒトの細胞の働きやエネルギー産生を考えたり、ニオイや香りを科学的に捉えることに関心が高い。

 にもかかわらず、化学や科学的アプローチをするようになったのかといえば逆だ。最後は感覚や体験や主観頼りだ。サイエンスやテクノロジーに弱い自分は、なかなか科学が信用できないのだ。試験や実験、ナノテクや高分子、イオンや電子などに弱い。自分の目で"見たことがない”からだ。

 しかし、最近言うところの”ニセ科学”のせいではない。厚労省や農水省および公正取引委員会などのお役人さんも案外科学やハイテクなどに”アレルギー”なのではないかと思う。公正取引委員会が昨年一年間に出した56件の排除命令の多くの製品が実は、”ニセ科学訴求”製品なのは悲しい。

 マイナスイオンで燃費が向上するというモノ。超音波で蚊が寄らないという蚊とりやゲルマニューム物。銀イオンや納豆菌でのカビ防止剤などはまだしも、たばこのニコチンがビタミンに変わるというシロモノなど”眉に唾”したくなるものの多くが排除命令を受けた。

 現在自分がかかわっているゼオライトやナノテクなどでさえ、超微細分子の動きを自分はみたことがない。ましてや電子線によって変わると言う電子の進行方向変更や散乱やスピン現象など、自分には実感できない世界だ。

 自分の目や感覚や主観での納得や理解しか信じられないなら、自分はサイエンスやハイテクに近づいてはいけないのではないか。そういわれても、直ぐにナノテクやハイテクの話に乗る自分を寛容に受け入れてくださるよう世の中の人々にお願いしたい。
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子供の日(5月5日端午の節句)雑感

2008年05月05日 | Weblog
 15歳未満の子供の数は、約1740万人(H19年4月現在)。1980年代半ばより四半世紀、日本の子供人口は毎年1~2万人減りつづけている。人々の長寿高齢化とあわせて「少子高齢化社会」といわれるゆえんだ。

 平成18年でみると、生まれる子供の数が109万人、亡くなった人の108万人だから、ほぼ出生数と死亡数が同じなのだ。この年ごろより、少子高齢化社会とあわせ、人口減少社会に入った日本なのだ。

 長命のためか総人口でみると、女性(6545万人)の方が、男性(6230万人)より人口数が多い。しかし、15歳未満の子供についてみると逆に、男の子(891万人)の方が女の子(847万人)より多いのだ。

 家計調査(総務省)などにみる子供服の購入支出額(1世帯平均)もここ10年毎年低減。2000年・年平均16,900円が、2006年13,900円とこの6年で300円(平均)も減少している。市場規模も推定だが、約8000億円(00年)が約7000億円(06年)へと1000億円も縮小している。ミキハウスやナルミヤや西松屋なども苦戦している。

 男の子女の子に共通している”宝物”は、ゲーム機やアンパンマングッズなのだが、子供たちが好きなキャラクターは男女共通した”それいけ!アンパンマン”を別にすると、男の子はポケットモンスター、ドラゴンボール、仮面ライダーシリーズやドラエもん、女の子はプリキュアシリーズ、たまごっち、ハローキティやきらりん*レボリューションなどだ。

 「必要か必要でないか」問題になる携帯電話は、高校生になると”ほぼ全員”が持っていると思われるが、小さい子供をみると、小学校に入った頃の子供で約1割、小学3・4年で約2割、小学5・6年の高学年になると約3割がもっているようだ。子供ながら、子供向けケイタイはイヤで、大人向けのケイタイを求める子供が多いのだという。

 5月5日、こどもの日(端午の節句)。少子化のなか、国の将来を託す子供たちが健やかに育つことを祈るが、このところの”子供”環境が必ずしもよくないことに心を痛める。出生率の低下も、結局は”子育て”に対する安心や希望が低いレベルにあることが背因のように思う。こどもの日を、大人たちが”子供”のことにもっと深く心する日にしたいと思う。
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GWの5月3日の東山魁夷(生誕100年)展

2008年05月04日 | Weblog
 2008年連休後半の5月3日は、前々日あたりの初夏の紫外線と暑さが何処へ行ったかと思わせる低気圧小雨の朝だ。特別連休後半の予定を組んでいなかったのが幸いした。雨の休みは、美術館や博物館に限る。

 ラッキーにも国立近代美術館の(生誕100年)東山魁夷展のチケットが二枚あるという妻と地下鉄に向った。地下鉄竹橋で下車。国立近代美術館まではまだ雨の歩道だ。ヒトは似たことを考えるらしく、結構な傘の波が美術館までつづいた。

 東山魁夷というと、すぐ淡い青グリーンやキレイな白(白馬や雪)などをイメージする程度の自分。紅葉のアカや落葉や夕焼けの秋色などに感動的衝撃をうけた。繊細さと雄大さと荘厳さに感激し、頭を垂れた。青緑にも、アカ紅にも、黄色や白にも、金色にも、静寂や荘厳と真実や美しさを探求する姿を感じた。絵画や芸術にオンチな自分をして、このように意識したり感じたりをくれた東山魁夷画伯に感謝した。

 みどりや水辺の朝の白馬や照紅葉や秋寂びなどもよかったが、あらためて「道」が自分に与えてくれた示唆に多謝だ。ささやかに、自分のポスト還暦に勇気をくれた。

 いく分気分が満たされるとすぐお調子にのる自分。カレンダー休日を無視して仕事場の事務所(平河町)に向った。書類の整理や少々の残務をして、こっそりビールしたりの2008年5月3日の午後でした。
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