吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

超経済コンセプトの構築を。

2014年02月24日 | Weblog
長いデフレや景気経済の低迷が、産業や経済の活性を求める。環境や貧困などの問題を先送りし、まずは経済再生や産業の活性を優先させる。これまでやただいまの豊かさを維持したい、もっと豊かになりたいと施策する。目先の元気と豊かさを求め、マネー経済施策をする。世界のリーダーたちの政治だ。

夏のビッグ台風豪雨やこの冬の多頻度低気圧豪雪などの異常気象に合い、これだけ苦労しても、これだけの温暖化異常を経験しても、私たちのリーダーは経済や富や文明をよりどころにしている。大多数の国民や人々が、そのような富裕をのみ求めていると思っている。ただいまのライフスタイルや文明の維持こそが、政治の目標だと信じている。

これだけ地球が壊れても、解消されない貧困と格差があっても、これらの解決を第一の優先にできない。人間や生き物が住めない地球になりそうだというのに、温暖化対策問題を棚上げし、日々まとめを先送りする環境会議などをしている。生き方や文明そのものを改編しなければどうしようもない状況を直視しない。相変わらず国家間の狭量な争いや経済関係で政治している。

ただいま格差と偏在解消は喫緊の課題なのに、これが世界政治のテーマにならない。貧富格差や文明格差が、所得格差や経済格差からのみ来ていると思っている。地域(南北)格差や宗教や民族対立など経済や所得では解決できない問題であるところに思いを寄せていない。イデオロギーや人の尊厳視などの違いを越えられないのだ。

もう一度、少し前の温暖化削減への取り組みやLOHASなどへの取り組みを再興してほしい。対立や偏在の解消問題に取り組んでほしい。経済再生や産業活性を越えた文明ルネッサンスを起こしてほしい。(老人余話)
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ビッグ サイト

2014年02月22日 | Weblog
ことし初めてのビッグ・サイト国際展示場。2月19日(水)新橋より「ゆりかもめ」で向かった。2/19,20日行われているIMEC&メディケアフーズ展2014に出展しているからだ。このところ、何々フェアや○○ショーなどというと千葉の幕張(メッセ)で なかなか足が向かなかったが、お台場あたりなら、時々足を運びたいエリアだ。「春告げる ビッグサイトに ゆりかもめ」。

前日の搬入やきょう早朝からの展示準備など いろいろお世話になったが、なかなかの演出でいいブースになっていた。あまり飾り立てもしないシンプルな演出が奏功していた。日本豆乳協会という社札も、手作りっぽく映らずよかった。顔見知りのお隣りさん(CADO)とのすり合わせもいい。”豆乳”広報活動の一環での出展だが、目的的に成功しそうだ。

ゆるきゃらならぬ豆乳容器スタイルのマスコット「ちょうせい豆乳」君も出動。たくさんの観客誘致が達成できたのも、多くのみなさんのご協力の賜物だ。多謝。お隣の空気清浄機、加湿器、ウォーターサーバー屋さんのHOME TOFU MAKER も、なかなかの評判だったようだ。多くの観客が栄養士さんや医療関係および介護関係の方々だったようで、フィットしたのかも知れない。

2/20(木)は、東京マラソンEXPO2014と重なったことも奏功し、昨日同様の盛況。新橋周りを避け、豊洲からのゆりかもめにして会場入り。ちょうせい豆乳君にも楽しい”ゆるきゃら”友達ができ、エンジョイした。「ゆりかもめ ビッグサイトに 春運ぶ」。
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2014年2月は、雨水(2/19)が食育の日(毎月19日)。

2014年02月17日 | Weblog
雨水(2/19)は、”あまみず”ではない。“うすい”といって、立春(2/4)と啓蟄(3/6)の間にある二十四節気のひとつ。立春を過ぎても降る雪が、雨に変わり雪解けが始まる日。暖かい春の気配に草木が芽吹き、雪や氷が雨になり、土に鍬し、種まきなどを始める日頃なのだ。

「雪雨水 緑風胸に 土を鋤く」「雨水とて 解けぬ雪道 空ぶかし」。田の神さま(2/4初午)に挨拶もできず、雨水(2/19)になっても田畑に入れぬ2014年(関東)は、つぎの啓蟄(3/6)あたりまで待つのかと、こたつの休日。早く来い春よ来いと願う。

カレンダー、雨水の隣にある「食育の日」。毎年6月が、食育月間だと聞いていたが、毎月19日が食育の日だとはこの頃知った。この「食育の日」、農水省あたりが所管しているのかと思ったが、実に広い。栄養問題あたりがテーマなのか厚生労働省が、食事様式や食教育あたりがテーマなのか文部科学省が、TPPや食料確保がテーマなのか内閣府が、食料農業の農林水産省が”食育”にかかわる。

知育、体育、徳育などを教育とまとめたのかと思ったらの”食育”なのだが、こうなると何でも○○育になる。あまり”詰め込まない”でほしいと願うが人間、とにかく何かを”食べなければ”生きていけない。
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ティーン エイジャー讃歌!

2014年02月15日 | Weblog
このところの希望は、ソチ オリンピックにおける日本の若者の活躍。みなさん、ティーン エイジャー。久しぶりの”ティーン エイジャー”(13歳~19歳)、20世紀末の7年間に生まれた世代だ。1994(H6)年生まれの19歳から1999(H11)年生まれの14歳に、2000(H12)年生まれの13歳までだ。

節分立春を過ぎた日本、至るところ異常南岸低気圧の襲来で大雪豪雪に見舞われているこの時期、ロシア南部のソチからTV中継される電波に日本の若者の活躍が乗る。スノーボード・ハーフパイプの平野歩夢君(15才)や平岡卓君(18才)。オリンピックの重圧にメダルを逃した高梨沙羅(17才)さん。フィギュア・スケート金メダルの羽生結弦君(19才)や村上佳菜子(19才)さん、角野友喜(17才)君も、みんなティーンエイジャーだ。

ただいまティーン エイジャー(13~19歳)にある若者たちは、男女あわせて830万人。わが国の総人口12,750万人の6.5%だから、老若男女100人に6~7人いる世代になる。彼らの親御さんは、いわゆる団塊ジュニア。ただいま40代半ばや後半の世代。バブル景気経済へのエコノミック・アニマル団塊世代の子供世代だ。

”子育て”に一家言ある団塊親で育ったジュニア親世代に育てられたただ今のティーン エイジャー。恵まれて育つ中、一芸や専門分野指向に邁進して成果した世代ともいえる。多動性児童、モンスターペアレンツ、道徳教育などが喧噪される教育界だが、ほんの少し前を想起し、これからの子育てや教育を熟慮してほしいと願う。
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田の神さまをお迎えできない春の大雪

2014年02月14日 | Weblog
ことし2014年は、初午が2月4日の立春と重なった。前日の3日が節分だったのだから、文字通り一番早い午(馬)の日。お馬さんを従えお稲荷さん(稲荷神社)をお参りする日だが、わたしの田舎では、田の神さまをお迎えする日。農作業を始める日だ。

お稲荷さんというと、コンコンきつね(狐は、稲荷神社のお使い)がいたり、お馬を引いてのお参りする神社。農家では初午のこの日、ことし初めての農作業をする。一種の鍬入れ儀式。ことしは大雪豪雪がつづき、農業や種蒔きどころではない。田の神さまをお迎えしなければ、農家の新年にはならない。「こんこんこん 狐と合唱 初午雪」。

それはそうと、天の神さまが何故京都の伏見稲荷に馬に乗って光臨されたのか知らない。なぜ、お稲荷さんが正一位稲荷大明神といわれるのか知らない。何故、狐が油揚げが好物なのか、いなり寿司が狐に供えられるようになったのか知らない。神様に供えるキツネ寿司ではないのか。

とにかく日本には、いろいろな神様がいる。八百万の神の国なのだが、とくに農家にとっては、田の神様と山の神様が大事だ。田の神さまにその年の五穀豊穣を祈らなければ、耕しや種まきもできない。春の大雪や豪雪が恨めしいのだ。春よ来い早く来いなのだ。
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奇数(七・五・三)もいいが、偶数(八・六)もいいよ。

2014年02月10日 | Weblog
ことし2014年の正月より俳句をはじめた。五七五だからだ。小学校のころ、一・二度国語の授業か作文のとき詠んだ記憶があるが、以来60年俳句などしたことがない。甲午のことし、何かをしようと思い立ったのが俳句だ。五七五 七七という和歌(31文字)より、字数が少ない五七五の俳句(17文字)のほうがラクだろうと、俳句にした。

一ヵ月を過ぎたいま、自分の短絡さを猛省している。短いということ、使う言葉が少ないということの”難しさ”を実感している。最少限の言葉で何かを表現することのむずかしさを実感している。何かにつけ、五七五と俳句しているこの頃なのだ。奇数というか素数なじみの自分には、結構合っているのかも知れない。この一ヵ月で、20句ぐらい詠んでいる。

奇数と違うが、このところよく聞く”美の黄金比”(1:1.618)5:8や日本建築(五重塔)や紙サイズ(A4)の白銀比1:√2(1:1.414)などへの羨望ではないが、8や6などの偶数形もなかなかいい。八角形や六角形の建造物も多い。映画『天心』(岡倉天心)や大観の六角堂など、大変落ち着く。五浦(いずら)に六角堂なのもいい。

六角を六角ボルトや人の名前(氏)や料理屋(魚和食酒房)の六角などと想起していると、八角が彷彿する。トクビレ(カサゴ科)というオイシイお魚も八角と言われるが、多くのひとは八角というと中華料理の香辛料を思うだろう。(スター)アニスなどともいわれる少々甘いトウキミ(八角形の実)を乾燥させた香辛料だ。

六角(六根六欲)も八角も、人の欲望をベースにしていることが、なじむ心をくすぐるのかも知れない。
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2014春の45年ぶりの大暴雪(東京都心)

2014年02月09日 | Weblog
昨日は、13年から30年振り45年振りになった春の大暴風雪。立春を過ぎた日本列島は真冬以上の激寒だが、2月8日(土)は季節外れの大豪雪。少し前なら、針供養の行事や参拝帰りの着物姿の女性がまぶしかったが、最近はとんと見かけない。成人式や針供養の日は、なぜか雪景色になる。

供養といえば、多くが祖先や死者に対する追善供養をさし、水子供養や永代供養などが法要になっているが、結構ペットなどの生き物や生活仕事上の道具などの供養も多い。代表が針供養だが、鐘供養や万灯供養やその他竈や農具などの供養行事も多い。針供養に集まる女性をお針子さんと言ったが、雪景色に映えた彼女たちの着物姿が記憶に残る。「お針子さん どこに消えたか 針供養」。

早朝から降りつづく雪は、昼を過ぎても夜中になってもやまない。南方からの低気圧のロシア寒波へのイタズラだという豪風雪が、顔に痛い。外出を控える週末の一日ながら、近場や街路の景色が見たく 外に出た。街道街路は、横殴りの豪雪、自宅前の道路はパパと遊ぶ小さなお子さんがたくさん。元気にはしゃぐお子さんたちが、希望的に映る。「春雪や 幼子とはしゃぎ パパ笑顔」。

きょう9日(日)は、東京都知事選挙。明後日11日の建国記念の日を前に居住地東京のリーダー選び。建国という言葉の定義も定まらない日本なのだが、神話でも史実がどうでも”実態のないもの”を祈り記念する国民を誇りに思うから、不思議だ。スベる雪道を投票に行こう。
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”責任”という言葉が乱舞する世の中

2014年02月03日 | Weblog
うちは責任野党だ。責任野党とは議論する。果ては、責任与党というような会話が国会である。野党も野党だ。このような政権側の使用言葉に”反応”している。どのような思惑や野望で、このような言葉合戦になっているのか理解できない。責任イコール義務の意識なのか、連帯や分担の認識なのか知らない。

同じ与党公明党に、政権与党安倍自民党が”責任与党”としての振る舞いを求めれば、われが責任野党だとみんなの党や日本維新の会がいう。批判や反対ばかりをいう野党は、無責任だから議論や答弁の対象にならないという。政治や国会はつねに建設的、肯定的、前進的であらねばならないと政権与党が叫ぶ。

①自分の分担や任務、②失敗や不結果の損失や制裁を引き受けることが、辞書でいう”責任”だが、これは義務をシェアすることだ。協力し、分担し、協働することだ。批判したり、反抗したり、妨害したりする行為は、”責任”ではないのだ。責任政党や責任マスコミや責任野党が、建設的なのだ。

このような風潮や世の中が、いつか来た道に向かう。責任をシェアするということは、結局”翼賛”なのだ。つねに、権力者や為政者の政治に同調し肯定的に振る舞うことなのだ。自由や民主主義を断念することになる。明日は、立春(2/4)。あたらしい出発にしたい。
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節分は、豆で”厄除招福”して迎春。

2014年02月02日 | Weblog
季節の変わり目を節分という。季節を分ける日として、立春、立夏、立秋、立冬というそれぞれの季節が始まる前日をもって、節分という。とくに年の初めとして立春(2/4)の前の日を、”節分”(2/3)と言った。年の初めを祝おうとしたらしい。

いろいろある邪気を払って新春を祝うために”豆撒き”をしたようだが、田舎の我が家などでは、まず邪気(厄)が入らないようにと玄関戸に「いわしの頭を柊の小枝に刺して」それを飾った。そして、大豆を炒って豆撒き用のマメを用意した。魔目を射るには、マメを炒らなければいけないのだ。魔(厄)を滅するためだ。

玄関戸に刺す”いわしの頭”も焼いてあるニオイがきつく尖っていなければ、鬼は逃げない。鬼(厄)が侵入しないようにガードすることが大事なのだが、入った鬼(厄)は、マメを投げつけて追い出さなければならない。ともに、一家の主人や男性のシゴト(役目)。家の間取りによってマメの撒き方や順序が違うのだが、終わったら蒔いたマメを集めて、家族でそれぞれの年の数を食べるのだ。

むかし、わたしの田舎では”恵方巻きを食べる”ことはなかった。関西の方の風習が一般化したらしいが、この”恵方”(方角)毎年違うというのだ。鬼を追う方向としての鬼門と同じような方向が、福を呼び込む恵方(干支X十干)らしいのには驚く。ことしは、甲午で東北東の方だという。毎年の今夜は、「節分会 マメを隠すや 恵方巻」なのだが(?)。いざ、厄除招福して迎春。
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