吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

ムダな組織や機構や独法ほど、廃止が難しい。

2011年01月27日 | Weblog
一度できた役所や公的組織を廃止することは、大変難しい。大変有能で、私たちの何倍もアタマのいい官僚が長く築いてきた彼らの帰属社会だ。一番チカラの出る”生きるため”の知恵の結集が、役所や行政組織だからだ。選ばれた自分たちとそのあとにつづく選ばれる官僚たちの帰属社会を特別に作り上げたのだ。

ときどき選挙で選ばれ、一定期間しか議席を保障されない議員、代議士や大臣たちとは大違いなのだ。Ⅰ種公務員試験を通り、公務員としての採用を通って国や自治体の役所に雇用されると、定年まで雇用が約束される。よく働いている人間も、適当に過ごしている人間も、定年まで給料や賞与がもらえる。定年近くになると、ナカマのいる独立法人や何とか機構に天下りできる。天下りできないクラスの人も、何かのシゴトが紹介されたりする。安心できる安定した帰属社会なのだ。

それを、一時の思いつきで、事業仕訳けされたりするのだから、帰属社会の見えない自己防衛力が作用する。名前を変えたり、別の組織にナカマを吸収したりするチカラは見え見えだが、大きな組織や機構は絶対これを廃止などに持ち込まない。”廃止”を実行するには、膨大な費用や負担や時間や手間がかかることになる。法律改正という手続きが必要なようにできている。この手続きは役人自身がするのだ。自然、時間をかける。

法律を立法する国会議員は、短期だ。内閣や与党だって、すぐ変わる。人の考えもすぐ変わったりする。何かを廃止することによる膨大な雇用人員は、ただヤメロなどとは言えない。建物や施設だって簡単に転用できない。どのように廃止しようかなど騒いでいるうちに5年や10年が過ぎる。いつの間にか、名前を変えて(実質)存続する。

もっとも単純な方法は、これから先、国や自治体の外郭団体や独法などを一切
つくらないで行政するという法律を作ることだ。それでも権益や天下り先をつくるだろう。私のしごと館の「雇用・能力開発機構」の廃止がなかなか進まないのは、いい事例なのだ。
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世界的な原料穀物資源の価格高騰を、どう乗り切るか。

2011年01月23日 | Weblog
アメリカや日本は、デフレ回避や脱却に躍起だ。いきおい他国や世界経済に与える影響を軽視し、自国の利益や景気経済の回復を願う。政府や金融当局の金融の量的緩和というヤツだ。呼応するように、食料や資源などへの投機マネーが動く。

ただいまの食料や資源などの原料高、世界的な天候不順や中国インドなどの新興国の原料需要増ばかりが原因ともいえない。世界人口の増加や新興国の食料需要増は、すでに誰もが認識しているとおりだ。ことしやこれからの10年に急変する需要ではない。

予想外の豪雨や悪天候が、原料生産の縮減や供給不足をもたらす。需要増や不足を見込んで投機マネーが動く。生産供給減がもたらす価格上昇に、投機マネーが拍車をかける。レアメタル/レアアースや天然ゴムなどの値上がりも目につくが、何といっても原油価格の不安定が、その他の原料や穀物価格の高騰に重なっているようだ。

じわり価格上昇をつづける砂糖が、多くの食品や各国の食生活に影響する懸念がつよい。小麦、大豆、トーモロコシやコーヒー豆などの主な食品原料の値上がりが大きい。このところ急成長する新興国の原料需要増に悪天候による農作物不作が重複しての結果だが、投機マネーの影響も大きい。自国擁護ナショナリズム投機のようなものも見え隠れする。

地球天候の不順や環境悪化のなか、原料穀物の安定的増産をどのように確保するか、先進国と新興国の協議が急がれる。原油や原料資源および穀物の増産やそれらの備蓄など、先進国や新興国および資源原料産出国の協議が開催されることを望む。TPPなど以上に急ぐテーマだ。
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何でもビルトインや多機能のおせっかい。

2011年01月22日 | Weblog
世の中、何でも便利機能付きだ。便利イコール機能追加だ。2つを1つにしたものもあれば、1つに3つを付けたものもある。へア・シャンプーとリンスをあわせたリンスイン・シャンプーも、乳液とローションに何かをつけた”これで十分”も少々むかしのことだ。

テレビにビデオやDVDデッキをつけたりしたものは当たり前だが、逆もある。何かに時計やタイマー機能を付けたものは、大変便利かもしれないが、腕時計に歩数計やGPSその他たくさんの機能が付いたりすると、ウルサイ。しかし、たくさん過ぎる機能があってなお”便利”と、ますますの受容を得ているものもある。ケイタイについているメール機能や検索機能いろいろだ。最近のスマートフォンなど、昔の十徳ナイフを超えている。お年寄りには、大変ウザイ多機能かもしれない。

最近の住宅もしかりだ。これでもかこれでもかとビルトインする。住宅の購入決定者だという主婦がターゲットで、つぎつぎの機能ビルトインをする。こんなに便利と、付加機能を売る。キッチンまわりや主婦関心の機能付加が多い。オーブンレンジや食器洗い機あたりのビルトイン・キッチンは、当たり前。対面式キッチンや床暖房や空気清浄システムに加え、最近は太陽光発電システムまで、ビルトインだ。

ビルトインされた浄水器などの多くは、2~3年もすると”苦情”の温床になる。濾過膜の目詰まりやサビや汚れを何とかしたい。この浄水器を外したいと思うが、何とも外したあとがウマクいかない。10年も経たないのに、何か暖まらない床暖房。床下で何かおかしいがわからない。エコだ太陽光だと太陽光発電システムにしたが、屋根の汚れや傷みがヒドイ。リフォームしたいが、むしろ外したい契約やシステムが面倒だ。

ビルトインや多機能への反省がつよい。多機能が、本質機能を無機能化している。シンプルや専一単機能がなつかしい。いまから10年後のこのごろです。
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第二次菅改造内閣への希望

2011年01月15日 | Weblog
2011年1月14日、第二次菅内閣が発足した。43歳の蓮舫大臣や46歳の枝野官房長官が入閣しているが、アラカン(60前後)越えのアラセブン(70前後)高齢内閣の印象がつよい。

先の第一次内閣組閣スタート時、強い財政、強い経済、強い社会と有言実行内閣を所信表明した菅首相だが、どのくらい有言実行したかは、人々の知ることろだ。政治主導で最小不幸社会をつくると、よくわからない改革を唱えていたが、何がどう改革されたのか、どのような改革方向に向いているのかわからない。迷走の感がつよい。

有言実行と言って、言うだけでやらない。政治主導と言って、いつの間にか官僚主導になる。強い財政と言って、借金拡大財政を予算組みし、強い社会(保障)と言いつつ、年金の制度改革の方向も見えない。社会保険方式の税方式改革をマニフェストにしたと思ったら、社会保険方式主張の与謝野馨氏を入閣させた。

改革、改革と叫び、変化の兆しも見せない有言不実行は、やめてほしい。社会保障制度改革だ、税制改革だと唱え、ビジョンや審議方向も出せないどころか、最近は T P P 経済連携と農地改革をお出しになっている。この狭い世界全体の0.3%しかない我が国の農地農業をどう改革しようというのか。

広大な農地を持ち、機械化だろうが経営規模拡大や競争力増強だろうが自在にできるアメリカ、ロシア、中国やオーストラリアの農業と”競争するのだ”と、本当に思っているのだろうか。この狭い国土や農地の日本の農業に、企業参入や規模拡大で、競争力がつくと思っているのだろうか。この国の農業の役割をどのように理解しているのだろうか。食糧自給率や競争力はほんの一部なのだということをお分かりになっていない印象がつよい。

いまになっても、成長モデルでしか展望できない経済社会づくりや財政と国づくりの基本概念を再考してください。改革を唱えるなら、その哲学や展望も示してください。わたくしたちにわかるように説明してください。理解できるように、納得できるように”変化”の方向を提示してください。政治とカネ問題や日米安保沖縄普天間問題も棚上げにしないのが、多くの国民です。希望を展望させてください。
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新成人のMEN’S WAVE MOTION を期待!

2011年01月12日 | Weblog
 2月10日は、成人の日。各地で新成人のお祝いが行われた。晴れ着姿の女性の華やかさが目立ったが、多くの男子は黒ネズミだ。儀式やフォーマルでの男の人は、大体クロだから仕方がないがこの対照、結構最近の世の中をあらわしている。

 最近の若者男子を表象するはやり言葉は、草食(系)男子。戦後の洋風肉色化は、女性において進展したようだ。居酒屋などで焼き鳥や肉系ディッシュをとり、ジョッキやワインを手にしている若い女性が目立つ。女子会というやつかも知れないが、実は最近の女子会は、居酒屋というより隠れ小料理屋やグルメ・レストランが多いという。

 いままで、会社接待交際費のシェア恩恵に預かってきた中高年オジサンたちのテリトリーはいま、多くがアラサーやアラフォーの女性に占拠されている。ゴルフや釣りなども、オジサンたちより若い女性たちを多く見かける。ゴルコンや釣りガールは、山ガールなどと並んではやり言葉だ。

 若い男性諸君は、どこで何をしているのだろうか。朝から晩まで、シゴトシゴトなのだろうか、それともパソコンだけのオタクになっているのだろうか、毎日就活に足を棒にしているのだろうか。テレビなどにでている視聴者ゲストや有名なアーチストのライブ会場も、若い女性ばかりだ。いまや、女子会は海外旅行にまで広がる勢いだ。

 ここまでくれば、女性の社会進出や男女平等など騒がなくてもいいかなどと思っていたら、このところの若い女性の多くは”結婚”希望なのだという。キャリアをめざすより、婚活なのだという。若い男性諸君もそうかと思うと、こちらは40歳、50歳になっても独身を通しているものが急増らしい。面倒な暮らし方を敬遠してのことらしいが、所帯を持っての将来設計に自信がないからだなどという。

 国が示してくれていない近い将来の国の姿や人々のライフスタイルだが、ただいまの若い人たちや昨日成人の日を迎えた人たちで考えるしかないだろう。ここは、ひとつ新成人を核にしたMEN'S WAVE MOTION を起こしてほしいと思う。女性でなく男性のパワーをうねりにして欲しい。そうすれば、結局は女性のシアワセに重なるのではないかと思う。
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公益と私益の譲り合い

2011年01月11日 | Weblog
自宅の近くに老人ホームができそうだと聞いて反対する。隣に保育園ができると聞いて反対する。自宅の前や角にゴミ集積場ができそうだと言っては反対する。静かな我が家が”うるさくなる”と言って反対する。周りの空気や環境が汚くなると反対する。

国民の公益指向が高くなってきていると、役所(国民生活白書)が発表しているが、ご”自分”の家や周辺のことになると違う。私益というか利己丸出しになる。知らず知らずしている自分の世の中や他人への迷惑を忘れ、自分が迷惑や被害を受けることを拒む。

保育園も幼稚園も足りない。建設や事業の規制を緩和しても、施設がつくれないという。必要としている地域や場所は、土地価格が高いばかりでなく、近隣の理解や協力が得られないのだという。夫婦で働かなければならない世の中や子育て支援が必要な世の中にして、保育園や幼稚園がつくれないのだ。

政府や自治体は、ソリューション施策が浮かばない。規制をゆるめ補助金や助成金をセットするだけ。ゴミ焼却場や老人ホームなどの建設反対などに対する施策や対策も同じだ。高齢化でますます必要になる介護や福祉の施設建設なども進まない。刑務所や矯正施設なども同じだ。公益と私益の折り合いがつかない。

人々の権益指向はつよい。資本主義や私有財産制という体制がそうさせたのか、個人主義や自己管理ということがそうさせているのか知らない。飛行場やダム建設のすべてが公益などとは思わないが、身近な地域や生活インフラの多くは、誰もが必要だと思っている。にもかかわらず、隣に病院や保育園が建つことはイヤなのだ。

ある面では、沖縄の普天間米軍飛行場の辺野古移設問題も同じだ。公益の大きい小さいやかかわる私益の性格の違いはあるが、公益と私益の相互譲歩を意識的に高めるところあたりにしか解決処方はなさそうだ。妥協とも違う”ゆずりあい”精神をどのように高めていくか、模索していきたいと思う。
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コピー社会

2011年01月10日 | Weblog
どのようにコピーを利用するか。コピーする書物や資料をどのように探すか。自分自身で考えたり、課題の解決や論理構成をする労力を惜しむ。もともと、考える力をつける努力もしないで過ごしてきた。最近の卒論や学位論文だけのハナシではない。どこかの大学の教授あたりの学術論文や投稿論文にまで見られる他人著作権の侵害やコピーだ。

中国の日本アニメやC Dの海賊版やどこかの公園のガンダムやキャラクター人形の複製模倣などの中国非難ばかりを責められない。昭和20年代から30年代の日本の復興発展は、それこそ模倣やマネをベースにしていた。先進国欧米をマネし、模倣し、コピーして進歩、発展をしてきた。コピーや模倣こそ、技術や進歩および創造やオリジナルの文字通りの”オリジン”なのだ。

活版がタイプライターやワープロになり、そしてパソコンになったのはついこの間だ。謄写版が複写機になり、PCにリンクしたコピー機になり普及したのもついこの間なのだが、いまやi Phone やスマートフォン の時代になりつつある。そして、自費出版を超えそうな”自炊”ばやりの予感だ。

むかしであれば、書き写しや写経だが、いまはスキャンやデジカメがある。写真とパソコンこそ、著作権や知的所有権侵害の犯人のような気もするが、ただいまやこれからの高度情報社会のインフラのような気もする。写し、模写、複写、模倣、模造、複製、、コピーなどまるで知的所有権や著作権などがなくなりそうな雰囲気だが、このような時代にあってこそ知的所有権やオリジナルが尊重されてほしいと思う。

コピー社会だからこそ、オリジナルや創造に努めてほしいと思う。知識を離れ、ハダカで”考える”ことを鍛えてほしいと思う。ひとにそうしてほしいなどいう前に自分自身、無から考えることに汗したいと思う。
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求められる『個人社会』体系の構想

2011年01月09日 | Weblog
2010年12月26日、朝日新聞朝刊が、”孤族”という造語から、ただいまとこれからの社会的課題を提起した。孤族という言葉やイメージがどうのこうのということを超えて、時代的今日的テーマを提起してくれたことに敬意を抱く。

新年早々で恐縮だが、あまりにも目立つ子ども虐待、行方不明や失踪のお年寄り、お年寄りの孤独死などの報道。高齢者の死別、中高年の離別などに加えて最近よく見る50歳や生涯未婚者の増加など、無縁社会や家族崩壊にかかわる新聞や雑誌記事が多い。

ときどきテレビ・ドラマやバラエティ番組などに登場するおじいちゃんおばぁちゃんやたくさんの子供さんもいる大家族が、家族のイメージになることはないが、ふつう”家族”といえば、夫婦の父母と2人の子どもさんあたりのいる風景の標準世帯だ。いわゆる核家族という世帯だ。

そして、半世紀をこえるわたしたちの日本は、この(標準)世帯家族を構成要素とした政治や社会体系を基盤に進展してきた。戸籍簿や住民世帯票や所得税金などの捕捉や役所などからの連絡管理などを見ればわかる。年金、医療、介護など社会福祉の多くが、世帯や家族にオンブした施策で過ごしてきたのだ。

ところが、この”家族”が崩壊、すでに機能不全になっているという指摘だ。いまや、家族といいながら、そのなかにいる構成員が個人で、家族という絆機能はなくなっていたりしているという。もちろん、子どもの独立や夫婦一方の死別などによる高齢者単身世帯や増加する未婚や非婚者による単身世帯など”一人住まい”が急増しているのだ。

近い将来2030年あたり、人口の半分ちかくが高齢者になり、50歳になっても結婚しない人が3人に1人ぐらいになると、人口1億人5000万総世帯の半分以上が”一人世帯”家族になるのだ。ひとりで住み、自分が失業したり、病気になったり、事故やケガで動けなくなって、『だれが、ケアしてくれる』のだろうか。家族単位の社会体系や価値基準を、個人単位のそれに”チェンジ”した社会・政治体制を提示してほしいと願う。明日10日は、成人の日。(KY)
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2011年わたしの養生訓ならぬ摂生訓

2011年01月04日 | Weblog
 お正月の挨拶(年賀状)に、友人より貝原益軒(江戸時代の儒者)の摂生の七訓をいただいた。毎月のように何か”いましめ”訓を送ってくれるありがたい先生友人なのだが、ことしはお正月にいただいたそれをそっくり、ことしの自分のそれにしようと思う。要は、摂生即ち養生ということだ。

 一には、言少なくして内気を養う、こと。自分のように少々オシャベリが過ぎる者には、ミミの痛いことだが、なるほどオシャベリするにもエネルギー使うし、やや寡黙気味のほうがエコ・ライフで、長生きできるのかも知れない。余分なオシャベリを慎もうとする次第だ。

 二には、色欲を戒めて精気を養う、こと。シゴトがらは言い訳だが、自分のまわりは結構女性が多い。大方アラフォー世代で若い。いましめなければ、少々色欲に誘惑されそうな環境だから、このいましめは適時打かもしれない。

 三には、滋味を薄くして血気を養う、こと。それでなくても、田舎出身の自分は少々塩味が濃すぎる嗜好だ。出来るだけ薄味嗜好にチェンジすることがカラダのためだろう。豆乳(協会)というヘルシーを訴求するシゴトがら、薄味クオリティを高め、これをすすめる傾向を高めたいと思う。コレステロール・フリーを探索したい。

 四には、津液(つば)を飲んで臓器を養う、こと。見方を変えれば、ツバは滅菌作用や抗菌作用があり、食べ物を受ける臓器にとり大変つよいゲートキーパーだ。口腔を清潔で潤いがあるようにすることは、よいツバを醸成するコツだ。それと、おいしい水をたくさん飲む習慣をつけることが効果するのかも知れない。水は個人的にも地球的にも大切さを高めるだろう。

 五には、怒りを抑えて肝気を養う、こと。何事においても、ストレスや怒り気が多くなる時代や年代だが、これをおさえることが大事だという。肝臓や胃臓にとってストレスがもっとも悪いらしい。できるだけ、怒らないよう努める2011年にしたい。

 六には、飲食を節にして胃気を養う、こと。これは、キビシイ。2010年の12月など、毎晩の忘年会だ。お酒つきの暴飲暴食を楽しいと思う性癖があるからか、胃を酷使して過ごした2010年だが、脱却かチェンジかしたい。2011年、飲食を節にしたいと、多くの方のご協力をお願いする。

 七には、思慮を少なくして心気を養う、こと。いつも”思いめぐらす”ことをモットーにしている自分には、キツイお言葉だが、要らぬほどの思慮というか、気使いや気配りや思い過ごしあたりを戒めてのことだろう。肝心な時やことにあたり思いめぐらせる心のキャパを持って過ごせということだと理解したい。

 このような先人の摂生・養生訓なりをいただいた。大変ありがたい。感謝申し上げ、これを2011年の私の戒めとしたい。皆さんはいかが。

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2011年日本のリバイバル

2011年01月01日 | Weblog
2011年初め(元)の朝(旦)にあたり、2011年への希望と願いをメモしたい。お屠蘇は、まだだ。

2011年10月15日、わたくしは『2010日本の迷走』(湘南社)を上梓した。模索なのか、過程なのか、停滞や漂流なのかわからないが、希望が幻想に変わったような政治・社会の日本で、”迷走”以外形容することができなかった。そんな2010年の日本だった。

虚偽社会か不信社会か何とも言いようがなかった2007年、文字通りの短期内閣、不安定政府で不安社会や漂流社会としか表現できなかった2008年、何とかリアリティやそれぞれの存在を確認して暮らしたいと願った2009年も雇用調整などで失政し、そして迎えた2010年だったが、幻想で終わった。

小沢に始まり小沢に終わった以外の印象がない2010年の日本の政治。国民の生活第一を標榜する民主与党が、国民の生活不安を増殖した2010年。外交など世界の中の日本をアイデンティテイするシゴトもさぼり、近い将来の国の姿についての展望も示さず、政局や政争で過ごす政治家さんたちの時間浪費が目立った、2010年の日本でした。

日本をリバイバルしてほしい。日本の政治をリバイバルしてほしい。わたくしたちも、活力を取り戻したい。経済を元気にし、雇用を高め、格差の小さな中流社会日本をリバイバルしたい。そろそろ恐ろしい2013年が間近かだというのに、政府は”そのときやその後”の財政的展望も示さない。一番国民が心配していることへの展望や対策を示さない。

2013年(S23年生まれ65歳)から2023年(団塊世代75歳)および2030年あたりへの財政展望や”安心”設計こそ、もっとも国民の生活第一だろうに、ずるい。2011年、これからの10年の団塊ジュニア、アラフォー問題への対応も重要なテーマだ。国の活力の支点にいるアラフォー世代の元気設計こそ、ただいまの政治視座になければならない。

民主与党の通常国会から始まる2011年。政治と経済のリバイバルを期待したい2011年だが、ただいまの続きにどれだけの活力を期待できるか、心もとない。国会や政治家の皆さんの奮起を期待する。

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