田舎(茨城北部)の大きな渋柿に数えきれないほどの赤い実。このような庭先や家の周辺の光景が目につく。2011年11月25日の田舎の風景だ。
大きな高い柿の木だけではない。低木のそれも似たように、もぎ取ってもらえない柿の実がたわわだ。この日、わたしが60年ぶりに手伝いした干し柿づくりの柿剥きの200個は、ほんの一部だ。モッタイナイからどうしても干し柿にしたいという超高齢の母の願いに協力したのだ。何十倍の赤い柿が、あちこちになったままの風景が残る。
わたしたちが子供のころの昔は、冬の甘味といえば干し柿や干し芋とみかんだった。ただいまのように、いろいろな甘味菓子やケーキやスイーツがあったわけではない。だから、山村田舎の干し柿づくりは、晩秋初冬の風景だった。住宅の2倍以上に高い柿の木だから、もぎる人もいない。登れないし、落ちたりするリスクが高い。野鳥でさえ食べきれない赤い柿が、晩秋の風景をつくる。
甘い柿、小粒の柿、大きな柿や渋柿だけが 時代を象徴しているわけではない。山の杉やヒノキだって、だれも切り出ししない。する人がいない。建材に国産の樹木が使われない。山林が荒れ放題になる。楢やクヌギの落葉樹だって、荒れ放題だ。山に入り、炭焼きをする人がいない。秋たけなわのきのこや自然薯をとりに、山に入るヒトもいない。ヒトが入らない山は荒れる。
自然との共存が崩れる。山や原野を手入れし、自然を保守し、自然の恵みをいただく、自然や天を畏怖し感謝し、残りや落ち葉や枝葉を自然に帰し、自然と共存する風景がなくなる。何でも加工する。加工のおいしさに慣れる。そして、自然のおいしさを忘れる。ナントも淋しいこのごろの世の中だ。
2011年11月26日、50年ぶりの高校同窓会をしてまた、東京に戻る。