吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

時節閑話

2015年04月26日 | Weblog
毎年のことだが、惜春と新緑のいまごろ4月下旬。菜種梅雨が明け、青天のさわやかさが続く時節になると、郊外や里山が恋しくなる。5月初めのゴールデン・ウィークをどう過ごすかと悩む時期でもある。

ことし2015年のわたしは、勤務する業界団体(日本豆乳協会)の事務所の移転準備でテンヤワンヤ。連休前の引っ越し連休明けの事務所開所で、ゴールデン・ウィークどころではない。まずはということで、昨5/25(土)休日出勤。新事務所でファイリングする書類や資料とここで廃棄するそれらとの選別作業に、丸一日。3分の2の書類や資料などを廃棄処理した。

外は、四季この時期の草木や花爛漫。紅白や黄色に加えて、ムラサキが増える。王者は、藤棚。文字通りの藤色の房花の下や庭隅に広がる紫すみれや十二単(アジュガ)などがやさしい。ふる里田舎のひたち海浜公園のネモフィラもすてきだ。青天の日ネモフィラの丘に立ち眺望する太平洋は、この時期のストレス発散薬になる。 『 青一色 ネモフィラ丘と 空と海 』。

好天がつづきそうなこの5月の連休、多くの人々が自国の四季や自然を共感してほしいと願う。私も、加わりたいと思っている。
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日々楽観的に過ぎて・・・赦してください。

2015年04月15日 | Weblog
やはりトシのせいか、年々楽観的になる。企業や社会のかじ取りは、あまりトシ寄りに委ねてはいけない気がする。先が短くなるに従い、あまり先のことを考えなくなる。世の中の先行きに対して無責任になりそうで、こわい。

国や社会の大きな変革は、60年周期飢饉説と同じくほぼ60年サイクルで来るというらしいが、そのように考えるとヒト一人の人生”いいこと、わるいこと”一回づつしか経験機会がなくなってしまう。さびしい。世の中や景気の山谷を、もう少し短いサイクルで経験したくもなる。

そのような目線で、ここ100年ほどの経済や景気をざっと眺めた。そして、ラフにみつけた私の”景気30年サイクル”説。景気の上昇傾向や下降傾向が、ともに25~35年間隔で周期しているのだ。景気のピークも大体30年前後で来ている。ただいまを2015年とすると、直前の景気のピークは25年前の1990年だが、そこを基準に30年プラスすると、つぎのピークは2020年になる。2010年代は、景気上昇期ということになる。最近の2万円株価で言っているのではない。

1980年代の前の景気上昇期は、1950年代(ピーク65~70年)だから、どうも25~30年周期の景気は、人口減少による影響を越えてサイクル化するようだ。要は、このように楽観視して”暮らす”のも、トシ寄りには合っているのかも知れない。少々、若い人たちや子供孫にはスマナイと思っている。ヒトそれぞれ、それぞれの年代や暮らしがある。自分にいいように考えてください(ちょっとした見方を提示してみました)。
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俳句づくり閑話

2015年04月11日 | Weblog
ブログをはじめて10年近くになる。文章は雑だが、毎回A4一頁ブログを980回投稿発信している。詩歌や和歌や俳句のような、いわゆる韻文と違い散文は適当な文章や作法でもいいだろうと”拙い”コラムやエッセイを発信してきた。

その作法の反省もあって昨2014年元旦、わたしは俳句を始めた。一人屠蘇で何もすることがなかったからでもあるが、31文字の和歌より17文字の俳句の方が”楽”のような感じがしたからだ。ただ続けることしか能のない自分だが、この一年と3か月の間、500句以上を詠んだ。

昨年の2月より朝日カルチャーセンター(金子兜太教室)を通じ、武田伸一先生の添削指導を月5句お願いしている。毎月アカ字でうめられて戻るが、褒められた句は、ほとんどない。年間(60句添削)平均すると、A-B-C-DのBが60%、残りの半分がCとAだ。結構甘い査定だから、一ランク落して考えた方がいいと思っている。

種田山頭火の自由律俳句は、極めた先の”自由”だろうが、わたしのそれはただ”初歩や約束事”が分かっていない自由。季語が抜けたりダブッたりすろことはしょっちゅうだし、ブツブツ切れや説明語入りなども多い。「かな」や「や」などの使い方も適当だ。景色や絵などをみて”すぐ”(詠む)というのを避け、ちょっと見て、ゆっくり見て→一句、遠くを眺め、足元をみて→一句や、生き物を見て、何かを見つけて→一句などを心掛けている。

ヒトに情景をイメージしてもらうというより、音や香りや色彩や新鮮さややさしさなどを感じてもらえる句づくりをめざしている。山頭火の「すべってころんで山がひっそり」の心境で、これからもつづける。
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気持ちわるい「ドローン」

2015年04月04日 | Weblog
トシのせいか、高度技術革新に抵抗がある。世の中、いま以上”技術”革新をしないでほしい。これ以上、情報化や監視社会化を進めないでほしい。現在の水準で”充分”。

子どもの頃の忍者ごっこは、”ドローン”と言って隠れたり消えたりしたものですが、この頃の「ドローン」は突如、空から現れる。無人航空機というと、空飛ぶ自動航空機のようで 人工衛星やロケットなどをイメージするが、いま言われているドローンは、もっと小さく 手で持てるような自動無人で飛ぶ小型ヘリコプターのようなもの( Drone )。

このドローン、すでに子どもの玩具にもなっているし、あらゆる場所で活動している。もともと 軍事目的の空撮や偵察および無人爆撃機のような活動に供されたものだが、いまは災害救助や無人物流などに使われている。一見 平和社会貢献のようにみえるが、実は大変オソロシイ代物なのだ。空撮や偵察で空から敵国や地域社会を観察監視できたり、化学薬品や情報を散布したりできる。

機密や人のウラ側をのぞいたり、偵察捜査監視したりできる。戦争や監視用に使われる可能性が大なのだ。平和や効率や便利を運ぶ無人航空機だというが、墜落事故や操作ミスや電波異常などでの事故も多い。どこかでヒトが、無線ラジコン操作したり、予めヒトがプログラム・ソフトを組み込む。うしろで操作する”ヒト”の意思や技量が、飛んだ先での事件を起こすのだ。

このような便利機やハイ・テク機は、ない方が安心できる。何でも技術革新する姿勢を、取り下げてほしい。多くの技術革新は、もう不要だ。ハイテク社会より、やさしい社会がいい。
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