吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

小さな所有欲からの解放

2011年07月18日 | Weblog
まだ戦後がつづく1950年の早朝。早朝といってもまだ薄暗さが残る午前4時過ぎ、そっと起きる。イタズラっ気の残るわたしの小学校入りたての頃。ふだんなら、前夜仕掛けたうなぎのウツボ上げに向かうが、今朝は奥の山に向かう。わたしが何かにつけ敬愛するイトコと一緒だ。

30分から一時間近く山道から灌木や雑木林を歩き、つい2~3日前も来た山頂近くの雰囲気のいい低木あたりに着いた。まだ、6時にならない。つれて来たオトリ・メジロの鳥かごをかけ、トリモチを小枝に巻きながらオニギリを頬張る。2本ぐらいのトリモチ枝を低木にセットし、その場から少し離れてイキを殺す。

一時間ほどしたころ、メジロが飛来した。群れから数匹ほどが低木に来た。トントンと枝を渡り、二羽がトリモチ枝に付いた。逆さになったメジロ二羽を鳥カゴに入れ、またオニギリを頬張った。こうして、捕ったメジロやヤマガラを飼うことが、小学校入ったころの私の楽しみだった。熟した柿をエサにしたり、蒸して冷ましたサツマイモをエサにしたり、ヤマガラに芸を教えたりして、自慢気に過ごした。

友達より多くのキレイなメジロを持っていることやゲームで勝ち取ったたくさんのビー玉、ベーゴマやメンコを持っていることが自慢だった。小さな何かをヒトより多く持っていることや、ヒトが持っていないものを持っていることが、自慢だった。こうして、私のモノを多く持つことへの欲や価値が生まれ、そして世の中のモノ社会化に馴染んだ。

社会人になってからは、エコノミック・アニマルをし、物欲を高め、そろそろ50年になる。やっと、モノ離れできそうになってきたこの頃だが、幼いころの性のつづきから解放されたいと願う昨今でもある。
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