吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

①目覚めよ②遊びじゃない③シゴトしろ!(TBS5/29時事放談)浜さんの痛快

2011年05月30日 | Weblog
だいたい日曜日の朝は、TBSの時事放談で起きる。よく出演される毎回のレギュラーゲストに賛意しているわけではないが、絶妙な御厨さんの司会がいい。気持ちよく日曜日のその日がスタートできる番組の一つだ。

昨日5/29(日)のゲストは、元総務大臣の増田寛也さんと同志社大教授の浜 矩子さんでした。先の震災や原発事故への政権や菅総理の対応などと、ただいまの政治や時事(G8)などについての思いやご意見を聞かせてもらいました。

バランスのいいお二人ですから、あまり批判や非難はないのですが、浜さんの”これだけは言っておきたい”に出てきた3つが印象的でしたので、ブログしておきたい。ただいまの世の中のリーダーたちにも言っておられるようだが、いまの政治家の皆さんへの厳しいメッセージ、つぎの3点だ。

①目覚めよ!・・・政治家が国民から選挙で選ばれ、政治(立法)を依頼された公僕であるという点、サービス・ワーカーであるということを忘れるな。そのようなシゴトを委託されて、これに汗して、税金から報酬が支払われているのだ。ご主人は国民なのだということを自覚しなさい、と言っておられる。政治のプロであるということに目覚めよということか。プロとしてのスキルやプラクティスを磨きなさいとも言っておられるようだ。

②遊びじゃない!・・・会議ごっこやお誕生日会などをしての”お遊び”をいさめていらっしゃるとガテンした。お給料をもらってプロとしてのスキルやプラティスを勉強させるために投票したのではありませんよ。スキキライで集まり散じたり、お勉強会をして遊んでもらうために選ばれたのではありませんよ。

だから③シゴトしろ!と言われたのでしょう。・・・目の前の事故災害やリスクに対処することも大事だが、少し先の国のあるべき姿を提示し、合意を確認し、その方向にどのような道筋で行くのかをリードすることが、政治家とくに総理やリーダーに求められる。行政の役人官僚や国をリードする財界や経済の人々をリードし、コトを推進することに汗してください。ときには、作業着に長靴で被害地や現場を見聞することも大事だが、国会でのやるべきシゴトをしてください、ということだろう。

自分へのいましめにもなるので、(翌)早朝ブログし、ご紹介しておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポスト311、「何ができるか」を探しながらの日々。

2011年05月29日 | Weblog
衝撃的な311の翌日、まずはということで東北のNPOに義援の小額を振り込んだ。何がしかのボランティアリクルートの足しにでもなればと思った。所属している協会のメーカー各社に、支援物資のお願いをメールした。

テレビが伝える被災状況に再びの衝撃。想像を絶する巨大津波の災害に加えて、福島第一原子力発電所の事故被害だ。原発半径20kmの方々の避難が急を要した。水素爆発と海水注入作業や報告される放射線量が、コトの重大さと危機を煽った。福島、宮城、岩手の太平洋岸に目が集中した。

そして間もなく、自分の出身地、茨城北部あたりに目が行った。海岸線の津波被災に加え、その周辺地域の地震災害が目立った。約100軒と勘定される全棟崩壊や道路や橋の崩落が確認された。10軒に1軒ほどの瓦屋根の崩落も見られた。少しテレビやマスコミの報道視線から外れた地域にどのような支援ができるか悩んだ。日常が過ぎた。

出身市に急ぎの義援金口座を作っていただいた。日赤や中央募金会の義援金が届かないかも知れない。届いてもいつになるか、心もとない。自分が事務方をさせてもらっている同窓会の有志あて、義援支援の呼びかけDMを発信した。約100人のかたに送らせていただいた。

2011年5月11日、3月11日からちょうど2か月。100人のうち22人の方からの義援金計270万円の振込みがあったとのご報告を得た。市が作ったこの義援金口座全体の義援金合計額2190万円(125件)からすれば僅かだが、ささやかに成果したことがうれしかった。

ただいま勘定されている死亡者行方不明者約25000人、現時点での避難生活者105、000人は膨大だが、テレビや新聞の目が届かない”被災”にも目を向けたいと思う。小人には小人なりの”できること”を探し続けていきたいと思うこのごろは、梅雨の入り口です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高度ゴミ情報時代のがれき情報の撤去。

2011年05月28日 | Weblog
四半世紀前、高度情報社会(?)といって描いていた社会が幻想だった。いわゆる情報化やIT社会化が進展すれば進展するほど、”安心安全社会”が遠くなっていくような感じだ。情報や通信およびITが高度化し、同期化がすすめば進むほど、不便と不安が増殖していくようだ。

ソニーグループの個人情報データベースの漏えいや崩壊と大手銀行のシステムダウンは、われわれ一般人が心配していた不安や不信を高めた。東日本大震災の住宅や街のがれき化は、地震と津波という自然がもたらしたものだが、日々増大するゴミ情報やがれき情報は、人災だ。福島第一原子力発電所の事故災害と同じだ。

ゴミ情報やがれき情報の襲来は、スポットではない。日々毎日だ。とてつもなく便利なケイタイも、新しいライフスタイルを届けてくれたパソコンも、高度な情報を扱ってくれてのことだ。ときどきは混じって入る誤情報や不十分情報も、上手に処理してくれる。21世紀のライフスタイルや文化を創出し、プレゼントしてくれたケイタイやパソコンとインターネットだが、これらが災いのがれきゴミ情報も生んだ。情報のゴミやがれきの撤去は、日々の生活効率を悪くしている。

インターネットやメールに流入してくるゴミとがれき情報をあげればキリがない。完全無修正保証や世界一安い裏DVD、★=★バイアグラやViagra/Pill,etc.、Swiss/Replica WatchesやRolex.com/ 、Gift/報酬/当選や無料、無利息、現金および円高の今こそ!!などに加え、知らない国や所からくる英文のメールなど、エロやエッチ的なゴミやがれき情報は多い。毎日だ。

迷惑情報処理をこまめにしていてコレだ。このような高度情報ネットワーク社会を推進してきたのは誰だ。通信やデータベースを誰かに委ねれば委ねるほど、情報漏えいやシステム崩落のリスクが高まる。主宰者や管理者の意識や政府の規制などで、これらのゴミやがれきが撤去される展望はない。何とかしてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世話役人生のおせっかいな一コマ・・・『おかしな刑事』(TV)予告

2011年05月24日 | Weblog
 ふるさとを同じくする友人に、梶間俊一さんという映画監督がいる。年に一二度しかお会いしない方で、勝手に友人呼ばりさせていただく。茨城は同じ常陸太田市という田舎市の出身(大学も同じ)なのだが、難しい町の名前にもかかわらず自分の出身村の隣ということで、よく記憶される町名だ。中利員町、皆さん読めますか。なかトシカズちょう。

 郷里市の観光大使ならぬ常陸太田大使を拝命されている仲間でもある。その梶間俊一さんよりテレビ朝日系土曜ワイド劇場『おかしな刑事』放映のお知らせをいただいた。この6月4日(土)の午後9時~だ。わたしが、ふるさと高等学校の同窓会などの事務局長などという世話役をやっているがために”知ること”になった任侠映画監督として有名な方だ。ヤクザ映画の大御所といった方がいいかもしれない。お見掛け以上にやさしい方だ。

 ぜひ、見てやってください。わたしの好きな女優の一人、羽田美智子さんと伊東四郎さんの父娘コンビを中心にした典型的な刑事ものだが、一時大震災や津波、原発事故被災の世情を忘れられるかも知れない。かようなおせっかいをするのも、自分がいろいろな世話役人生をして、いろいろな方から元気をシェアさせていただいているからだ。

 ふるさと高校首都圏支部(京浜鯨岡会)の事務局長は、次世代に繋ぐ努力が欠けてもう20年近くになる。日本豆乳協会や日本豆乳公正取引協議会の事務局長もすでに3期の6年だ。災害復旧資材協議会(事務局長)など、あの山古志村新潟地震のときからだが、特段の活動もしていない。もう10年にもなる筑波大との産学連携やいくつかのベンチャー起しの世話役も、貢献の2文字もないまま過ぎている。

 このようにケセラセラで過ごしている還暦後の人生だが、梶間俊一さんのヤクザ映画ならぬやさしい会話力には、何か郷愁みたいなものがある。この6月4日(土)は、ぜひ『おかしな刑事』をみてください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年の夏市場に向けてのヨロシク。

2011年05月20日 | Weblog
 節電ならぬ消費節約ムード一色だ。GDPが昨対マイナスになったとか、日経DIが大きく下落したという報告が紙面をかざる。東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の影響が、ふだんや一般の消費需要に大きく反映しているようだ。

 ただ、少し救われるのは未曾有の地震津波災害と原発事故災害を受けていながら、経済景気指標の落ち込みや消費需要の実績ダウンが、リーマンショック時並みかそれより少し低いらしいことだ。リーマンショックは、米国や外国からの情報カゼが影響しての消費市場の落ち込みだったが、今回は日本が発信源でのそれだ。自分たちが主体的に動くことで情況がよくもわるくもなるということだ。

 平常や3.11 震災前への早期の”戻り”を希望する雰囲気も高いが、どうもそのような思考や策略ではかなわんようだ。大震災や未経験の(原発)事故というショックが、人々の価値基準や(消費者)市場の雰囲気まで変えているように思われるからだ。人々の経済市場や政治や国のあり様に対する考えそのものが変化したと思われる。

 国や政府が叫ぶ節電やエコと人々が受け止めている節電やエコが必ずしも刷りあっていないからだ。景気経済からみれば、節電を需要にしたいとクールビズをスパークールビズにしたいのだろうが、失業や時短の消費者からみれば、ミニマムライフの必需にとどまりそうなのだ。このような時期には、ロジカルに思考しようとせず、雰囲気やムード起しを考えた方がよさそうだ。

 風評が大きく消費や人々の購買・非購買に影響したことをよく学習すべきだ。投資や体質改革や戦略性をどうするかより、市場や商品カテゴリーのムードや空気を、広がるダイナミズムにしようと傾注することだ。そのようなスタイルをしたい、そのような食事をしたいと思う空気作りを支援することがいい。復旧復興も急がねばいけないが、日々の消費者市場や経済の雰囲気づくりも大事だと思うこの頃だ。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年5月14日のわたしの誕生日は、古希。

2011年05月15日 | Weblog
ついこの間、還暦だから”数え直し”新しい人生のスタートなどと、何かといままでとどう違うかを考えていたがすでに10年、変化(チェンジ)もままならず過ぎた。来年70歳だから古希などとケセラセラしていたら、お誕生日オメデトウ”古希のお祝いを何時どうしましょうか”というメールが舞い込んだ。そうか古希は、数え70歳69歳のことかと知った昨5月14日わたしの誕生日でした。

むかしは、古来希れの70歳だったのでしょうが、まだ還暦10歳の小学生。最近の日本の平均寿命83歳(男女平均)まで13年もある。もう古希と思うか、まだ69と思うかは、それぞれの自由なのだろうが、”まだ”と思って還暦後のつづき人生をつくろうと思う。5月14日(土)、遅い朝食後11時地下鉄に乗りJRを経由して、12時ちょうどの上野発スーパーひたちで水戸は常陸太田市に向かった。

つい一か月前の田舎(常陸太田市)行き(4/16)と同じ景色の水戸から常陸太田駅までの水郡線だ。10軒に1軒のブルーシートと土(砂)嚢の屋根は、まだ取り除かれていない。逆に、ブルーが濃くなっているようだ。道路や橋梁は別にしても、土塀や(大谷)石塀の崩壊は、直接の当座の暮らしには困らなくても、屋根瓦や屋根の崩れは明日の暮らしを不安にする。梅雨や台風シーズンを前に不安増この上ない。

午後2時過ぎ常陸太田駅から、友人が経営しているホテル釜万に入った。同じ高等学校を卒業し50年の級友たち50人近くが集まった。この度の東日本大震災で中止延期した去る4月16日予定だった卒業50周年のお祝い行事をいつ、どうするかの打ち合わせ会議だった。大方は、地元居住の実行委員の方々が検討を重ね考えてくれているので、いつどこでするかだけを決めれば、あとは久しぶりの談笑でいい。

夕方5時前、久しぶりの親友に水戸まで送っていただき、6時少し前のフレッシュひたちで上野に向かった。午後8時すぎの帰宅の2011年5月14日、わたしの誕生日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目にあまる社会的インフラ族の公害

2011年05月13日 | Weblog
 日本は、教育国だという。官僚国家だとも言われる。一般の庶民から見れば、高い教育を受けたエリートが支配する民主自由国家なのだ。自由で民主的に施政される国の代表国だとも言われる。公平に負荷された税金を納めていれば、だれでも国会議員に立候補できる。だれでも、市長や知事にさえなれる。

 だが、現実は違う。行政を支配する役人官僚になろうとしても”試験”がある。公平だというが、高いレベルの受験校から東大や国立大を出たようなヒトでなければ合格できない試験がある。いわゆる環境やお金がなければ、とても届かないハードルだ。そういうハードルで自分たち種族を作ってきたのが、いわゆる官僚やエリート帰属社会だ。二世三世になろうとしている代議士も、官僚も、このたび世の中を騒がせているインフラ族も”仲間”なのだ。

 このような方々の得意が”想定外”。この度の大震災や福島原発の大事故も”想定外”なのだ。想定外なのだから、想定の責任をとれといわれても取れないのだ。想定して、想定内で想定したシゴトをちゃんとしてきたことが評価されて、当たり前なのだという。いわゆるエリートは、学者や科学者でも役人でもインフラ企業の経営に携わる人々でも”条件や想定”をセットする。想定外を無視し、考慮外にし、想定内のことを”自由に”行う。平気で”人間は神様ではないのだ”という。そして、想定内のことを自由気ままに利己的に”担当”するのだ。

 この度の原子力や電力会社にかかわってテレビや新聞に出た人々の何と高慢で不遜なことか。少し昔の航空会社や郵便会社の人々もそうだった。その前の鉄道や高速道エリートの方々も、そんな感じでした。道路や公共事業を担当する国土交通省や農業や林業水産業などを所管する農水省のお役人もそうでしたが、国の公共インフラ関係者の不遜は、一般庶民への目線だけではない。原子力や電力に天下る経済産業省官僚も彼らエリート族の典型だ。自然や港湾やみどりの環境に対しても高慢だ。自然のチカラを勝手に見積もるのだ。

 自然に聞いたり、庶民に聞いたり、被災者に聞くことを怠る。聞けという何気ない言葉を耳にすると、アンケートをする。自分たちの机上で質問と回答肢をつくるのだから、”イタイところはおろか被災者が願っていること”にも迫れない。高慢で不遜な自分たちを自省することも想定外だから、汚染土や被災がれきの感覚すらつかめない。イマジネーションというか想像力欠乏種族なのだ。

 官僚だけを云々しているのではない。東電などをはじめとする社会的インフラ族の方々が、早く自然や環境や一般の人々の声に謙虚になってくださることをお願いする。

 被災者の特によわい、上からでは目の届かない人々の様子を、ご自分たちの目や足で掴んで手当てしてください。お願いする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

景色が変わった。

2011年05月08日 | Weblog
ついこの間言われていた”変化”は、世の中や価値基準だ。体制と言ってもいい。米国では、歴史上はじめて黒人の大統領が生まれた。その大統領オバマさんが、チェンジ(変化)を謳った。日本でも、当たり前に思っていた保守自民与党にかわって、民主党政権が誕生した。

変化が希望に変わることを期待した国民だったが、この間の政治や社会に変化はなかった。この50年の昔と少しも変わらない政治や生活だ。希望が後退した分、昔よりわるくなった感じだ。そして、3.11だ。東日本大震災津波災害に加えての福島第一原子力事故というトリプル・パンチが、”いままで”を崩壊した。景色が変わった。

ここ2~3年も含め、ずっと変わることがなかった5月(連休、子どもの日)の田舎への景色が変わった。いままで、田舎への民家の屋根高くそびえていた鯉のぼりがなくなった。直接の津波や地震被害を受けなかった水戸から常陸太田あたりへの家々の屋根瓦が10軒に1~2軒崩れていた。ブルーシートと土(砂)嚢が、鯉のぼりにかわっていた。地形や景色が変わったのは、東北3県だけではないのだ。

この20年、日本の子ども人口は大きく減少した。20年前1250万人ぐらいだった9歳以下の子どもの数は、ただいま約950万人ほどだ。300万人の減少だが、19歳以下の人口まで巾を広げると2850万人が約2050万人と、800万人も減少している。その分、高齢者人口が大幅増加しているのだ。

75歳以上人口でみても、20年前の700万人が1700万人と1000万人も増加しているのだ。ちなみに、昨年高齢者入りした方々が生まれた1945年の65歳以上人口は400万人と、ただいまの3000万人より2600万人も少ない。

高くたなびく鯉のぼりが減った以上に子どもの人口が減っているのだ。小さな子供や孫に”希望”をみる者にとって、この景色の変わり様は、大変さびしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多くの場合、専門バカの意見こそ本質だとは思いますが・・・。

2011年05月02日 | Weblog
何も政治家やお役人のカタを持つわけではないが、多くの人々の会議や合議で何かを決め、多くの人々の協働でコトをなそうとする人々は、結構バランス感覚がよく、広い視野で物事の本質をつかんでいることが多い。根回しや妥協ばかりが、彼らのシゴトとは言えない。

4月30日、原子力安全学(?)を専門とする東大大学院教授の小佐古敏荘さんが、内閣官房参与を辞任したという(朝日新聞、5/1朝刊)。福島第一原子力発電所事故問題最中のこの時期、エライ先生が自ら”ヤッテラレナイ”と辞表を提出したらしい。専門家であればこそ”いろいろの意見”がありそうだと、多くの方々の意見を広く求めて何かを決定したいと、内閣官房参与をセカンドオピニオン集団化している菅内閣なのだろうに、困惑されていると思う。

確かに、素人の私たちには文部科学省の設定した「年間被曝線量20ミリシーベルト以下」という校庭利用基準が妥当なのかどうかはわからない。より低く厳しくすることが安全であろうことはわかるが、最大年間5ミリシーベルト望ましくは年間1ミリシーベルトあたりでGOすべきだと先生はいう。ご自分の主張が採択されていない不満が辞表提出の理由らしい。原子力安全問題をご専門にされる第一人者のご意見を役人やほかの専門委員の方がただ無視しているとは思えないのだが、不思議だ。ほかの先生方の多くは、この基準に賛同されているらしいからだ。

もちろん、お役所や内閣府の方々は、ただ形式的に”専門家”利用しているわけでもあるまい。本当に、当該する問題が専門的で難しいから、参与や委員をお願いしているのが実際なのではあるまいか。その辺の事情を分かっていて”参与”をお受けになったのではないだろうか。それを、ご自分以外の方々はみんな”専門知らずのバカ”感覚での辞表とは、ナサケナイ。いずれ、20ミリシーベルト以下が、10ミリシーベルトや5ミリシーベルト以下に改められても、先生の高慢はあとあとまで記憶されるでしょう。

これからも多くの専門家の方々の意見やアドバイスが求められる世情や時代だと思う。積極的に国家や人間の課題にかかわってほしい専門家の方々ですが、素人の庶民にやさしく教え続けてほしいと、お願いする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3.11東日本大震災によって流喪失した500km2 の大きさ

2011年05月01日 | Weblog
この度の震災で失った岩手、宮城、福島を中心とする太平洋岸域の面積は約500km2 といわれている。日本全土の面積(37万8000km2)の0.13%だが、この面積は国内でいえば弘前市や石巻市それぞれの全面積に相当する。自分の身近でいえば、東京都23区(622km2)の面積に近い土地が流喪失したことになる。

海外にまで目を向ければ、この度の東日本巨大地震津波によって海面下になった土地(500km2)は、パラオやモルディブ の倍以上シンガポール(700km2)やバーレーン(750km2)のそれに近い。いかに広い土地が奪われたかがわかろう。

地球上の世界全土地面積(136,133千km2)のわずか0.28%しかない国土に、全世界人口の1.8%(1億2700万人/69億700万人)も住んでいる日本の人口密度は、336人(人/km2)だ。全世界平均(50.7人)の6.6倍の混雑(?)ぶりだ。この人口密度でこのたび流喪失した土地500km2 に居住する人口を計算すると、16万8000人(分)になる。

この度の震災で亡くなった方(4/30現在)14,600人と、まだ行方不明の方11,100人(計25,700人)に、避難生活者127,500人を合計すると15万3200人になり、上記の16万何がしかに符号する。このように、広大な土地の流喪失が、このたびの震災からの復旧復興問題を難しくしている理由なのだ。

何のお断りもせずに使ってきた人口密度だが、これは実質住めないような土地も含め土地 1 km2 に何人の人が住んでいるかという指標だ。日本は 1 ㎞X 1km という面積の土地に336人(平均)という人数が住んでいるということになる。広大な土地(国土)で、 1キロ・スケア メーターに1人か2人ぐらいしか住んでいない(1.7人)モンゴルやオーストラリア(2.8人)がある反面、シンガポール(6861人)や香港(6422人)のような国もある。

エネルギーや食料(自給率)や経済など、国の姿を考える大事な問題項目も多いがこれらも含め国民は、国土あっての土の上に居住しているのだということを肝に銘じてほしい。海面隆起も含め津波とともに原発事故の放射線が加わって失う土地が恋しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする