吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

始末できないゴミやがれき

2011年07月03日 | Weblog
一説によると、今回の東日本大震災津波がもたらした(瓦礫)がれきは、ただいまの地方自治体のゴミ焼却処分施設のキャパシティでは、100年分もあるのだという。まだ、処分焼却の見通しすら立っていない。

片づける、運ぶ、集める、また運ぶ、焼却すると思っても、焼却できない姿カタチや成分性質のものも多い。どのように処分するのかもわからない。埋め立てる場所もない。かなりの放射能などが残っているものもあろう。被曝汚染水同様、行く先のあてがないがれきやゴミも多そうだ。

ただいま、太陽光熱や風力などの自然エネルギーが再生可能(エネルギー)という言葉で注目されている。エネルギーの中心的原料の原油や石炭などが、限られた地球地下資源で”消費して終わり”の性質だったことの将来を心配してのことだ。限られた資源ではあるが、原子力発電のためのウランやプルトニウムは”半永久的に”使い回しができる。

石炭や石油のようにしょっちゅう”燃料”補給しなくていい。一回くべれば1~2年ほっておいてもいい。使用済の原料がまた使える。効率と横着をきめこむ者にはもってこいの資源だったのだ。横着と効率と便利を求める人種が採用したのだ。そのような傾向への戒めというか忠告が今回のFUKUSHIMAなのだ。

使用済核燃料の最終形や放出飛散させたり、させる放射能の消去最終形を考えてほしい。50年や100年の”安全”見通しで、口約束の安全宣言などしないでほしい。おそらく1万年や2万年ぐらいは目減りせず”生き続ける”かもしれないウランやプルトニウムをもっと畏敬して取り扱おう。最終始末できないゴミ扱いは、やめよう。がれきゼロを早めよう。
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