吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

コレステロール奮戦記

2009年05月29日 | Weblog
 仕事(日本豆乳協会)で『コレステロール』という言葉が多くでる。善玉と悪玉があるといわれ、LDL(低比重リポたんぱく)やHDL(高比重リポたんぱく)などとそれらの働きの説明を聞いたりするが、よく分からない。ヒトの生命維持に欠かせないもの(成分)だなどと聞かされるから、余計分からなくなる。

 血中コレステロール(LDLコレステロール)が高くなり過ぎると動脈硬化を引き起こし、心筋梗塞や脳梗塞など心臓や血液(血流)などに関係するいろいろな病気になるという。恐ろしい。

 このようなコレステロールや中性脂肪などの脂質(脂肪分)が、正常と考えられる範囲を超えた状態が高脂血症といわれている病気だ。高脂血症は動脈硬化を進行させ、心筋梗塞や脳梗塞などを誘発させるというから、恐ろしい。もっともこの高脂血症、高コレステロールだけが原因というわけではない。

 いわゆる中性脂肪が高い場合も、高中性脂肪血症といってコワイ高脂血症らしい。血液中の中性脂肪濃度が高くなり、供給過剰(糖質や食事のとり過ぎ)になると、そのまま肝臓に運ばれ、貯まり、肝機能代謝機能を低下させ、糖尿病や胆石などさまざまな合併症を誘発するという。

 この中性脂肪の供給過剰は、肝臓でワルサするばかりではない。皮下や内臓に蓄積され、いわゆる肥満になるだけでなく、善玉(HDL)コレステロールを減少させたりする(相対的に悪玉LDLを増やす)ので、動脈硬化にも関係する。

 糖質のとり過ぎやカロリーのとり過ぎに注意し、適度な運動をしてカロリーや中性脂肪の燃焼を高め、コレステロールのバランス(余分なLDLコレステロールを回収して、善玉HDLコレステロールを適度に保つ)に注意することが、健康管理の要点だという。

 コレステロールの心配ゼロだけでなく、血中脂質のコントロールに有効だといわれているリノール酸やレシチンおよびサポニンやビタミンE,B群など栄養バランスにすぐれた大豆製品の代表「豆乳」を普及させる仕事について2年、幾分でもヒトの健康にかかわるシゴトができることを幸せに思い、感謝している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国や社会づくりの根本は、人口問題。

2009年05月24日 | Weblog
 今世紀終わりぐらいまで、世界の人口は増えつづけるのかも知れない。食糧自給率(エネルギーベース;40%未満)問題に見られたように、日本は国土狭小にして資源のない国だ。無い資源を外国に依存することを避けて通ることはできない。資源の基礎の人口も、世界ではじめて減少に入った。

 人口減少社会に入っても我々の”幸せ”が、拡大成長モデルでしか得られないのであれば、この国に住んで働いてくれる外国人を増やすしかない。ただいま約200万人(総人口比1.6%)しかいない登録外国人を増やすような施策に力を入れるしかない。ぜひ、日本に住んだり日本に永住したいと思う人々が増えるような施策や広報に傾注することが求められる。

 現在、子供を育てている中心世代は、いわゆる団塊ジュニア(35~44歳)だ。これから先の10年20年、子供を生み子供を育てていく世代の人口は只今の30代前半と20代や10代で、世代人口が大きく減少している。しばらくは、少子化はつづくのだ。高齢化社会における死亡者数は年々増える一方、生まれる子供の数は年々少なくなるわけだから、人口は減少するしかないのだ。加えて、年々高くなる初婚年齢(男性31歳、女性30歳)は、この半世紀で平均5歳高くなり、いわゆる生涯未婚率も男性15.6%、女性7.0%とこの半世紀で男性は10倍に、女性も5倍になっている。晩婚化、非婚化と女性一人あたりの出生子供数の少子化で、人口減少は避けられなくなっているのだ。

 グローバライゼーション(国際化)は、人々の移動にも及ぶ。おそらく、住む場所や国についての考え方や行動も変わるだろう。しばらくはつづくであろう地球の南北格差や地域問題の解決を少しづつでも進めるために、外国人を希望的に受け入れることも必要だろう。

 言葉の問題やそれぞれの国特有の価値基準や文化に対する理解なども求められるだろう。外国に居住地を移す日本人も増えるだろうが、まずは海外から日本に移住し、日本で働き、日本で暮らしたいと思う人を増やすことや、そのような人々をサポートする施策が求められよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしの「ダ・ヴィンチ」こと谷内田さんとのランチde オシャベリ

2009年05月22日 | Weblog
 現代日本の「ダ・ヴィンチ」こと谷内田孝さんとお会いするのは、ほぼ1年ぶりだ。敬愛する岡田良一さんと3人、谷内田さんちの近くは南青山5丁目でのオシャベリ・ランチになった。(2009年5月21日)

 ご自分のデザイン会社をやめてからの谷内田さんは、現役(?)時代の何倍も仕事している感じだ。今朝も午前3時に起床し、朝食を挟んで先ほどまでシゴトしていたのだという。午後11時就寝し翌3時または4時ごろ起きてシゴトしたり、墨彩画を描いたりするのが”ふだん”だというからスゴイ。

 和食のおサカナ・ランチは、アジやタチウオの焼き魚がメイン。ここ「ありそ亭」のお料理は、控えめの味付けがおいしい。昨年奥様とのモロッコ旅行の話を楽しんだばかりなのに、つい最近はフランクフルトからポルトガル、スペインを旅して来たのだという。わたしのあこがれポルトガルの話題に花が咲いた。

 わたしが勝手に決めている「ダ・ヴィンチ」谷内田さんは、もしかしたらドイツの天才ゲーテ似ではないか。オシャベリ上手なネゴシエーター・万能天才ゲーテのほうが彼をしてダ・ヴィンチというより現代日本のゲーテと言えるのではないかとも思ったが、やはり「ダ・ヴィンチ」だ。絵がうまい、墨彩画タッチの筆使いで描く書き物が他にない。ただいまの彼・谷内田孝さんは、専らHITACHI は日立ハイテクの那珂事業所のシゴトだという。

 具体的なデジタル精密医療機器などハイテク製品を開発するシゴトも彼のテリトリーだが、多くの博士号を持った研究者や幹部スタッフを前に、禅宗や曼荼羅のお話を交えて、スタッフ・ワークや開発研究作業などのあり方やその会社のそのようなことの方向性などについて熱弁している姿のほうが強くイメージされる。

 いつもそうだが、オシャベリの大半を彼にオンブして久しぶりの知的で楽しい南青山のランチを終え14時、表参道から地下鉄は半蔵門線に乗った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーPB食品売り場の見えない罪

2009年05月21日 | Weblog
 行きつけのスーパー食品売り場(品揃え)の縮図が、家庭の冷蔵庫の中だと思っていた。お客様の希望を最もよく反映した品揃えをしているのが、スーパーの食品売り場だとも思っていたが、どうも最近は様子が違うようだ。スーパーのマーチャンダイジング(品揃え)は、スーパーの都合で決めるようになったらしい。とてもお客様の生活や希望をマーチャンダイジングしているとは思えないのだ。

 むかし、スーパーのMD(品揃え)マネージャーは、まるで生活民俗学者のように商圏内のお客様の冷蔵庫や台所の探査に出向いた。他人には見せることがためらわれる冷蔵庫のなかを丁寧に観察させてもらっていた。お年寄りの世帯の生活や台所から、結婚したばかりの世帯の冷蔵庫の中まで、見せてもらっていた。

 自分たちのスーパーや店の品揃えや商品の陳列売り場が、お客様の冷蔵庫の中や生活とズレていないか、冷蔵庫のプロジェクション(反映)になっているかどうか、毎日考えていた。自分たちの食品売り場の品揃えが、お客様の希望を品揃えしているかいないかを、いつも考えていた。いまは、違う。

 スーパーの食品ショウケースを冷蔵庫代わりにしているイメージの消費者も多い。自宅の冷蔵庫の中の食品模様とスーパーのそれが似ていると思っていたからだ。いまは、違う。とてもスーパーの品揃え陳列食品と自分の冷蔵庫の中のイメージが違いすぎるからだ。最近のスーパーの食品は、プライベート・ブランド一色なのだ。自宅の冷蔵庫の中をあるスーパーのPBパッケージ品一色にすることなど、とても出来ない。

 ふつうのご家庭の冷蔵庫のなかには、約50から80ぐらいの食品があり、これがそれぞれ違った顔(メーカー、ブランド、デザイン、彩色)をしているのが、それがふつうでドアを開けたとき”ほっとして”楽しいのだが、これがあるスーパーのプライベートブランド一色になった光景は、殺風景で空おそろしい。

 スーパーの食品売り場はスーパーのもので勝手だが、PB一色の食品売り場にして、顧客消費者のいろいろな商品から得る情報や楽しみや発見を奪うことがいいのかどうか、スーパーさんに考えてほしい。スーパーのプライベートブランド戦略やその姿勢が、ただいまの消費者のスーパー離れを加速させているとは思いませんか。一番お客様の近くにいて、一番お客様の生活を考えていないスーパーの最近が、ただいまのスーパーの下降を招来しているとは思いませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近のスーパーは、プライベートブランドしか品揃えしないのですか。

2009年05月20日 | Weblog
 わたしはアラフォー。まだ30代ですから若いアラフォーで、小学生の子供もいますが、団塊の世代より少し高齢の父、母がいます。会社勤めをやめているので、主婦業が専門(プロ)です。価格は、安いほどいいと思っています。

 先日、母の日のプレゼントとお誕生日が母の日に近い父のバースデイプレゼントを買おうと近くの大型スーパーに行きました。片方の店にはトップバリューとかいうプライベートブランドが、もう片方の店にはセブンプレミアムとか pbi とかいうプライベートブランドがたくさんありました。いや、そのようなプライベートブランドの商品しかありませんでした。

 少しむかしは、グンゼとかコスギとかレナウンなどがたくさんあったお店です。スポーツブランドやちょっとした海外ブランドもあったのですが、いまはそのスーパーのPBばかりでした。確かに"安い”のですが、買うのをやめました。デパートや原宿まで買いに行くほどの思いはないのですが、スパーブランドのパジャマや下着などをプレゼントする気にはなりませんでした。

 プレゼント品に限らず、ふだんの買い物でも似たような気分になる最近です。同じカレー(即席ルー)や総菜だからといって、安いからといって毎日スパーのPBを買おうとも思わないのです。主人のトランクスや靴下だからと言っても同じです。スーパーPBを買って”安かったから、コレ”と主人にあてがうことは出来ないのです。でも、高くなく安いものを探して買い物しているのです。

 むかし、3990円のジーンズでセンセーションを巻き起こしたユニクロが、990円のジーンズ(g.u.)を市場最低価格戦略とばかりに出しました。490円のTシャツ、990円のポロシャツといままでのユニクロの半値です。ユニクロやH&Mにやられてたまるかとイトーヨーカドーやイオンなどのスーパーもほとんどの品物の値段を30%ほど値下げしました。

 いまや、スーパーは”値下げ品”と”PB品”だけのお店になったようです。”安い”ことはいいことなのですが、何気ない安心と満足(感)がないのです。品質が取り立てて悪いことはなさそうなのですが、こんなにいいというところもないのです。買ったとき、着たり食べたりしたとき、いままで何となく感じていた満足(感)がないのです。

 昨年暮れ(12月3日)の日経MJの「2008年ヒット商品番付」の横綱は、東がユニクロ・H&M、西がセブンプレミアム・トップバリュでした。Wii Fit やブルーレイなども大関や関脇に入っていましたが、東の大関の小型パソコンや小結の円高還元セールなど価格訴求ものが目立ちました。

 小売り流通の王・スーパーが、ただデフレスパイラルの呼び込みに貢献するような結果にならないよう、もっと冷静に”いまの消費者”や”ちょっと先の社会”を探求(究)して欲しいと思っています。もっとも、PBにするからと今日あるメーカーの定番を外し、また明日復活したいと勝手横暴をするのがスーパーの王たるゆえんだといわれれば、仕方がありませんけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いめぐらす心を持たない人たちの見えない暴力

2009年05月18日 | Weblog
 ヒトや何かに思いをめぐらすことが出来ない人たちが世の中を闊歩する。公的で人や国のために働いていると思われる人が、人を思う心に欠ける。弱い人々の弱いところに思いが及ばない。

 お役所の通知や告知などの文書がそうだ。健康保険や市民税などの振込みや支払いを催促する文書や通知が典型的だ。何も思い巡らすこともなく、「何日までに納めなければ、差し押さえする」とゴシックや赤い文字で書く。どうしようもない事情で、払おうにも払えないヒトや事情がたくさんあることを知らない。思いめぐらすことをしない。今回の定額給付金などいい例だ。世の中には、自分を証明したり、役所への何かの手続きさえ出来ないヒトがたくさんいることに思いがめぐらない。コピーすら出来ない事情にあるヒトを想像もできない。

 長いことその銀行を利用し、出し入れしていたお年寄りの預金通帳に、1年も2年も記帳がなくても放置する。そのような通帳の裏側のお年寄りの生活などに思いをめぐらす仕組みもヒトもいない。お年寄りがなくなったり、病気になったり、預金通帳を失くしたり、あるいは認知症になったりしているかもしれない。

 健康でふつうに暮らしているなら1年も2年もお金の出入りがなかったり、記帳がないことはないであろうことに、そのウラ事情に思いを巡らさない。そのような銀行が、国(税金)の支援を受け、赤字であろうが世間レベルを大きく上回るボーナスや給与を社員に払っている。自分たちの不合理に思いをめぐらしたりしない。

 そのような口座振替えで電気料金を支払っていたお年寄りのところに、「引き落としが出来ませんでした。いついつまでにお支払いがないと電気をストップすることもあります。」というような通知がくる。お年寄りがその通帳をなくしたりしたことや認知症になりわからなくなっていることなど、思いもしない電力会社や生活インフラ会社だ。

 振込み用紙が来たら、銀行かコンビニで振り込めばいいなど思えるのは、都会で暮らすヒトや現役で活動しているヒトぐらいなのだと思わない。銀行やコンビニが近くになかったり、あっても利用できない事情にあるヒトがいることなども思わない。明日にでも何とか振込みたい、支払いをしたいとヒステリックに方策を考えようと電話したりするが、自動応答システムについていけない。もしも、電気が止まったらご飯も食べられないと心を痛めるヒトに思いがめぐらない。

 官僚や役人および銀行や公共サービス機関などからの通知や文書の”してやる”調子や”上から目線”文書を拾ってみるがいい。思いやるどころかヒトや弱者に思いをめぐらすカケラもない。総ざらいしてほしい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

販促ポイント制などしてお遊びしているほど政府はヒマなのか。

2009年05月16日 | Weblog
 自分は長いことマーケティングを専門にしてきた。いままで一度も”ポイント制”という販促をすすめたことがない。ゴミやムダ需要を創出しているようで気がすすまないのだ。ポイント・システムをやる予算があるのなら、その分価格を安くすることをすすめる。

 このような偏見(?)を持っているわたしには、このたびの政府の家電「エコポイント」はどうしようもなく”ロクでもない”施策の印象だ。このようなことが、政治のシゴトなのかと呆れる。省エネ性能を持っている(家電)製品にエコマークを与え、エコマーク製品を買ったらエコポイントを与えるのだという。

 環境に配慮したエコ製品といっても”電気”(エネルギー)を喰う。大量のエネルギーや資源や電力を使ってエコ製品を生産する。エコポイントで釣ってたくさん買わせる。まだ、(製品)寿命がある現在使用製品の使用をやめ、急いで新しい製品を買わせる。社会的、地球的には、資源やエネルギーの消費や廃棄を加速させ、地球資源やエネルギーの枯渇を加速させる。

 このところの経済危機・景気後退を、家電をはじめハイブリッド車などの拡販需要喚起をして消費購入を活発にし、景気向上をはかるのだという。環境を破壊し、地球資源やエネルギーを大量に消費する製品を早めに余分に買い、使いすてる(リサイクル)ことを政府がすすめる。

 エアコン、冷蔵庫、地上デジタル対応テレビなどにエコポイントをセットして、そのエコポイントで省エネ家電製品だけでなく、環境に配慮した商品を交換対象にし、そのポイントで販促応援をするという。こんなところが、経済産業省や政府が考えている経済政策なのかとガッカリする。

 このようなことにアタマを使い、エネルギーを使い、そして予算(2900億円)を使う。どれほどの成果がどのように期待、展望されるかも知らない。省エネ製品を認定し、エコラベルを付与し、交換商品を審査したりするために、また”天下り先団体”を創ったりする。手間と経費がヤタラにかかり、効果もシュミレーションされていない施策(?)だ。役人の習性丸出しの施策政治ばかりが元気だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夏に堤俊作(俊友会管弦楽団)さんのベートーベン第九

2009年05月11日 | Weblog
 2009年5月10日(日)、東京芸術劇場大ホールの俊友会管弦楽団第43回定期演奏会は、堤俊作さんのベートーベン・交響曲第9番がメインだ。早めの昼食をとり地下鉄で池袋に向った。

 年に一度か二度ほどは堤俊作さんのオーケストラやバイオリン協奏曲などの演奏会を楽しませてもらっているが、今日はまた特別のようだ。俊友会結成以来ときどき演奏に参加されている皇太子殿下がヴィオラの演奏で参加される。俊友会管弦楽団(常任指揮者 堤俊作)名誉団員の徳仁親王殿下のヴィオラだ。

 ベートーベンの第九(交響曲)は、年末やクリスマスあたりの定番と思っていたが、初夏の陽気が暑いぐらいのこの5月のオーケストラに第九なのだから、ビックリサプライズの母(父)の日プレゼントだ。第一楽章、第二楽章のイントロ第九は、第三楽章から第四楽章に入るとやはり佳境になる。

 バックのコーラスもいつもの年末イメージだが、東原貞彦さんのバスと水口聡さんのテノール、ソプラノやメゾソプラノの野田ヒロ子さん、向野由美子さんたちの独唱や合唱がよかった。第四楽章が第九の高ぶりを演出してくれた。

 チェロとコントラバスに出番の多い第一、第二バイオリンが怒りや叫びや喜びを奏でるが、時々の打楽器がこれらを強める。少々控えめに顔をのぞかせる皇太子殿下のヴィオラが味(?)を添えているのかも知れない。激しい曲にもかかわらずやさしく穏やかな顔立ちで演奏されていた皇太子殿下にことのほか拍手が鳴り止まなかった。

 実は、わたくし好みで言えば最初のベルリオーズの序曲「海賊」作品21の堤俊作さんが、短い演奏ながら第九の第1や第2楽章あたりより好きだ。5月10日午後から夕方にかけてのちょっとした憩いの時間でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いまはやりの検疫と疫学考

2009年05月10日 | Weblog
 このところ毎日のように”検疫”という言葉に触れる。新型インフルエンザの国内への侵入や広がりを防ぐには、何と言っても水際対策であり、検疫の体制や方法が”水も漏らさぬ”ように出来ているかいないかなのだ。2009年5月8日の帰国入国者の検疫で3人の新型インフルエンザ感染者が確認された。日本初の感染者を”水際”で検疫捕捉したことになる。

 カナダはオークビルから米国デトロイト経由で帰国した大阪の高校生3人が、成田機内検疫で感染の疑いが出、9日国立感染症研究所のウィルス遺伝子検査にて、新型インフルエンザの陽性反応がでたという。ノースウエスト航空25便乗客で彼らの近くにいた(濃厚接触者)49人が空港周辺施設(ホテル)に隔離ステイさせられたという。日本の検疫体制がしっかり出来ていることを示した初事例だ。

 このように完全確立しているような日本の検疫体制をもってしても「完全」はない。今回でさえ、接触の疑いのある同乗帰国者の何人かを”水際”スルーさせている。これらのヒトも含めて”必要と思われる”同乗者が、全国自治体や保健所を通じて向こう10日ほど健康観察がなされるというが、それでも検疫スルーするウィルス(ヒト)があることを否定できない。

 むかしは検疫というとギョウザなど輸入食品の検疫(厚生労働省)や動物植物の検疫(農林水産省)など空港・港湾の検疫がイメージされたが、ただいまはウィルス検疫や検疫ネットワークなどインターネットやパソコンへのウィルス侵入防御がイメージされるようだ。実は植物や動物などについて入ってくる病原体や害虫やウィルス以上に、渡航し帰国したり、入国したりする人間がカラダにつけて持ち込む病気や病原菌の方がよほどコワイのだ。

 この検疫は、ある意味で疫学的検査とも言える。実験科学や臨床科学のように二つの事象(原因結果)の因果関係を直接的に検証することではなく、何らかの事象の原因や発生条件を統計的に明らかにしたり、二つの事柄の蓋然的関係を明らかにする疫学や疫学的検証は、大変有効な方法なのだ。病原体の有無の診断や調査などは検疫と同じなのだが、これをいろいろな集団や特性の人々をカバーして調査し、病気、流行、公害や変容などについて(仮説)要素間の因果・蓋然関係を明らかにすることは大変効率効果のいい方法だと思う。

 国民の健康、地域の環境、病気や暮らし方などの問題の分析や解決処方を考える上で疫学がより体系化され、より積極的に使われるようになることを希望する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つもり違い」の自戒の日々

2009年05月09日 | Weblog
 自分のことは、よく知っているつもりで知らないことが多い。自己認識や自覚など自分をID(認識)することが、世の中や多くの人々と上手に付き合っていく原点のように思うのだが、これが出発点で間違っていることが多い。ふだん、控えめでいつも人の意見やリードに従っているように見えるヒトが、あるとき大変な積極性や固くなさを見せたりする。

 世の中結構多いのが「つもり違い」だ。あの人は信頼できる、彼は裏切らないと言って付き合っていてある時、アイツは信用できない、居ないところで何言っているかわからないなどと言っている人たちも多い。ひとはヒトを”つもり”で認識し、理解し、わかったつもりで付き合う。

 そしていつか、そのヒトを悪くいい、そのヒトの悪口をいう。そのヒトの変節でなく自分の見立て違いや時間の経過で変わった自分のモノサシに原因していることを自戒していない。ほとんどの場合、相手の問題でなく自分の問題なのだ。

 高尾山薬王院発の「つもり違い」十か条がいう。「高いつもりで 低いのは 教養」「薄いつもりで 厚いのは 面の皮」「多いつもりで 少ないのは 分別」。よくよく自戒したいと思う「つもり違い」だ。

 ついでなので、その他の「つもり違い」十か条を7つ掲載すると、次の通り。
「低いつもりで 高いのは 気位」「深いつもりで 浅いのは 知識」「浅いつもりで 深いのは 欲の皮」「厚いつもりで 薄いのは 人情」「強いつもりで 弱いのは 根性」「弱いつもりで 強いのは 我」「少ないつもりで 多いのは 無駄」。

 ほとんどが、ふだんの自分に当てはまる「つもり違い」だが、よく日々の行動やヒトとの付き合いに心したい十か条だ。(この十か条は、大分前わたしの田舎の先輩、井上貞男さんに教わったことを付記し、多謝)

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする