吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「教育」迷走イメージの教育再生会議。

2007年05月28日 | Weblog
 政府の教育再生会議の真のネライがわからない。文部科学省の中央教育審議会との違いもハテナだ。教育専門家や文科省官僚スタッフなど「教育」の理論の殻に閉じこまれている識者より、広く各界の教育に限らない識者の意見を取り入れようと考えた教育再生会議なのかと素人考えして理解していたが、最近の動きを新聞読みすると、分からないのだ。専門外の人が”いいように見える”程度では、結局専門家以上の議論や成果が期待できないのかも知れない。

 気になるのはやはり”親学”を中心とする家庭教育への”入れ込み”だ。介入とまでは言わないが、ただ「いまの親は、なっていない」という短絡で、家庭教育というより"親学”しようなどということに再生会議、第2分科会の方々が一致していたとなると、”何か、迷走しているな”と思ってしまうのだ。早寝早起き、朝ご飯、一人(バラバラ)食事、テレビ見ながらの(ながら)食事など”子育て”しつけがいたっていないことを、”親の親としての不足”を親学して改善しようということらしい。こんなことに”政治や法律”が介入している姿が、コッケイに思われるのだ。

 現在子育て真っ只中にいる”園児や小学生を持つ”親世代は、まさに団塊ジュニア。団塊の世代の方々が高度経済成長期のエコノミックアニマルをしながら育てた子供たちだ。どこまで”汗し、いまの日本づくり”を背負ってきた団塊世代を責め続けるのか、団塊ジュニアの”いま”をもたらした責任まで指をさされている感じなのだ。

 確かに、教育は国の将来をつくる。25から30年のサイクルで、その時期の重心世代が”国の姿や悩みや問題”をつくっているとすれば、700万人の団塊世代は、700万人の団塊ジュニアに問題を積み残し、700万人の団塊ジュニアはその子供たちの将来に影響する”いまの教育や家庭での子育て”に責任を負っている。現在の小学生700万人、園児300万人あるいは5~14歳の人口1200万人が牽引する25~30年後に対する責任は、この世代だけの責任や問題ではないのだ。

 だからといって、いまの教育再生会議に委ねることの”安心”が得られない最近の教育迷走を放置できそうもない。先の第2分科会の提言に対しては、伊吹文科相も”あまり適当ではない・・・”とコメントしていた。貴重な政府や関係協力者の時間と予算をより有意義に、成果でる方向で使ってほしいと思う。中教審と再生会議のあり方や分担、コンセプトやテーマおよび目標の違いを分かりやすく説明してほしいと願うこの頃です。
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ヒット性の高い安倍首相の「美しい星50」戦略

2007年05月25日 | Weblog
 24日(2007年5月24日)、安倍総理が発表した「美しい星50」に大賛成。久しく国(日本)のトップが、地球や人類視点の構想を発表したりしたことが嬉しい。安倍首相自身が着想し、構想したのか、官僚や側近スタッフが発案したのかなど、どちらでもいい。このような人類共通の地球(環境)的問題を、世界(各国)共通の課題にしようとしていることに敬意を抱く。

 北海道洞爺湖サミットに向けての花火でも、日本のCo2や温室ガスの排出量削減技術や省エネおよび低炭素社会化技術の(他国への輸出)経済貢献を展望してでも何でもいい。地球(環境)の持続可能性を高めることは、全(世界)人類共通の願いだからだ。

 日本がリードした京都議定書が米国など主要エネルギー消費国兼二酸化炭素排出国が入らなかったり、排出量削減努力が不十分だったりしたことを反省、実行性や実効性のある枠組みや合意を見出そうとしている姿勢にリーダーシップ性を感じる。発議した自国(日本)ですら、例えば京都議定書の2012年目標戦略(90年比6%削減)すら、その達成が展望できないようでは”美しい星”というより”美しい国”の標榜もできない。

 2050年までに「全世界の二酸化炭素など温室効果ガス排出量を半減させる」ことを世界共通の目標にし、すべての主要排出国が参加できる枠組みを提唱したいとする安倍首相に拍手を送りたい。

 まずは、日本は京都議定書で約束した自国の目標(12年までの排出量6%減)を、”排出量取引”などを考えず達成して、他国の範にならなければならない。主要排出国からも、途上国からも、尊敬される”実績”をもって、世界の環境(保全)リーダーになりたいと思う。
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三マ世代とも言われるアクティブ・シニア世代

2007年05月20日 | Weblog
 5月20日朝のテレビ番組(ザ・サンデー)で竹村健一先生が、いまおよびこれからの高齢社会は三「マ」世代がリードするという。マネーの「マ」、暇(ヒマ)の「マ」、仲間(ナカマ)の「マ」を称して、3マというらしい。ずばり、高齢社会の担い手・アクティブシニア世代の特性を言い得ている。

 団塊の世代が高齢者の仲間入りをする2013年になる前の2007年、プレ団塊世代(昭和15-19年生まれ)は、すでに高齢者。この世代から団塊世代まで、すでに現役を引退し半分、悠々自適なアクティブ・シニアライフをしている人口は2600万人。高齢者と言われる現在(2007年)の65歳以上人口が3000万人(うち、65-74歳のいわゆるアクティブ・シニア人口は1400万人)でだが、その手前にいるプレ団塊と団塊世代人口が、合わせて1900万人もいる。

 人口(総人口)減少社会に入って、アクティブ・シニアおよび高齢者人口が増え続けている日本社会は、否が応でも高齢(者)社会問題へどのように対応するかが、問われている。その牽引の中心世代が、3マ世代というわけだ。

 大手銀行や郵政族が、目の色変えてその”獲捕”戦略を練る団塊世代1000万人(昭和22-24年生まれの700万人が中心)の退職金やタンス預金。この団塊世代とプレ団塊世代が最も他の世代と異なる「ヒマや悠々自適」という時間市場、およびリタイアを機に需要増の「仲間づくり」というレジャー、趣味、生涯学習、ボランティアなどの市場。世代市場マーケティングの魅力マーケットなのだ。

 健康(ヘルス・ケア)や生きがいが、ライフスタイルやデイリーライフの中心課題になるアクティブ・シニア世代は、まさに三「マ」世代なのです。多くの企業のネライをよそに”悠々自適”してほしいアクティブ・世代です。
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「歩く」姿がみせるライフスタイル!

2007年05月17日 | Weblog
 人は、立位で二足歩行する。一日の3分の1ぐらいの睡眠と、座して働いたり、休んだりする3分の1を省くと、人は毎日8~10時間ぐらい歩いている。
 歩く姿や歩き方に、その人のライフスタイルが見える。いつも、急ぎ足の人もいれば、遅い人もいる。歩行が速い人は食事の食べ方も速そうだ。ゆっくり歩く人は、食事の食べ方もゆっくりしているのかも知らない。肩をいからして歩く人、足をハの字にして大股で歩く人、歩幅が小さく足早の人やいつも下を向いて何かを考える風に歩いている人など、人さまざまだが、それが”その人”のようだ。

 早足がすすむと歩くは、走るになる。四足の動物と違って二足の人間は、どおも”右回り”が苦手らしい。徒競走など走るスポーツのトラックのほとんどは、"左回り”だ。多くの人が、右利きで右が外に向いている方がいいのかと思ったら、どうやら左利きの人も、左回りのトラックがいいらしい。心臓が左側についているからなのか、脳の働き(右脳、左脳)の関係なのかわからない。

 悩んでも考えても仕方のないことを考えたりするのは、やはり年のせいかと思うが、”歩くことやウォーキング”に関心を持つ年齢になったということかも知れない。高齢者の健康管理のポイントは、"足やひざ”らしい。足や膝を動かすことが減った現代人や高齢者は、まず"足や膝”を動かすことに努めることが大事だと、筑波大の宮本俊和先生が言っていた。

 映画(鑑賞)やカラオケの参加人口は、それぞれ約5000万人だといわれる(社会経済生産性本部「レジャー白書」)のに、スポーティブなジョギング・マラソン人口やハイキングや(屋外)ウォーキング人口は、それぞれ2~3000万人と屋内メイン・レジャーの半分ぐらいなのだ。もっともっと、ウォーキングやマーチが盛んになり、クルマや電車移動が日常化している人々が職場や家の近くでのウォーキングを日課にするようになればいいと思う。

 「ウォーキング」のターゲットは、団塊世代だなどと言わず、もっと高齢者や若い人にも、中年の人にも、男女を問わず広く多くの人がウォーキングされればいい。毎日のウォークやウォーキングに、シューズやウェアなど思い思いのファッションや自分表現をしてみるのも楽しいではありませんか。
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チャン・ツィイーの「女帝」エンペラー

2007年05月15日 | Weblog
 2007年5月9日、よみうりホールでの試写会は、女帝「エンペラー」。ストーリーや展開などどうでもいい。何しろ、チャン・ツィイーねらいだ。シェークスピア「ハムレット」の中国版だというが、中国オリジナルの感じだ。

 ファン・シャオガン監督の演出がすばらしかったのか、共演したイケメンのふたりの男優がよかったのか、ふだんのイメージ以上にチャン・ツィイーの美貌というより”美しさ”が光った。

 女の仮面や女の復讐、愛する夫(皇帝)を殺されたり、密かな想いが激しい義理の息子の暗殺を企てる夫・新帝リーへの憎しみ的復讐劇が、父の仇を討つ皇太子と
交錯。盛大な夜宴の夜が思惑どおり、ハッピーエンドにならない。
 
 どのような役でも、チャン・ツィイーの妖艶な美貌が、いやみなく”美しい”のだ。ありがとう!王妃ワンのチャン・ツィイーさん。バックの真紅や真っ赤なバラが浮かぶ浴槽を泳ぎ、濡れ顔をみせるチャン・ツィイもいい。アジアの宝石とは、言い得て妙以上だ。

 映画でも、美術でも、このようにすばらしい中国だが、DVDの海賊版や遊園地の知的所有権の無視などはいただけない。脱皮が早いことを希望する。

 

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「越境」が問題を起こす?

2007年05月13日 | Weblog
 戦争や民族紛争による”避難民”の越境、資源開発や経済活動の越境、公害の越境、そして高野連が攻められている全国高校球児の越境、野球やスポーツの特待生問題も”越境”をどう考えるかの問題のようだ。

 夏の季語でもあるような「甲子園」は、高校生球児の祭典というより国民的なお祭りだ。四国、九州や関西方面の学校が強いことを、気候環境条件による練習量の違いだなどと憶測したのは10年以上前のこと。高度経済成長やバブル景気などに乗るようにして経営や規模収益的成長を求めた全国の私立高校(学校法人)は、野球やスポーツに力を入れた。ここ10年の甲子園の優勝校は、いつの年も”私立”高校だ。有名になり、いい生徒が集まり、経営的発展をもたらした。

 そのような高校に入ろうとする中学野球少年たちや子供に夢を託す親たちと、優秀な野球少年を確保しようとする高校(学校)側の思惑の合致が、野球やスポーツの特待生という制度に(高校野球憲章を読んだこともない)高校や親たちを駆り立てた。九州や沖縄から北海道や東北の高校に入学する生徒のほとんどが、スポーツや野球少年であることは、高野連の方々もほとんどの国民と同じく知るところだ。

 越境しても、その高校がある地域がフランチャイズだし、母校だ。地方の都会との地域格差問題の反動をこうしたことを知った上で、出身地や立地高校の甲子園での応援をするのが、おおかたの市民なのだ。この夏の”奮起”熱戦を期待する。

 この”越境”以上に深刻なのが、公害の越境だ。今月9日の西日本を中心とする例年より早く、強い光化学スモッグは、どうやら日本海を隔てたお隣・中国オリジンの高濃度オゾンの東シナ海渡りの”越境”が原因らしい。それだからと言って、すでに工業化やモータライゼションを経験した日本が、いまその真っ只中にある中国に「少し控えてほしい」とも言えないのです。黄砂も海上海岸汚染物も同じたぐいなのだ。

 あらゆる分野における”越境”問題は、ただ「控えたり、自分の領域に留まる」ことで解決するものでもない。隣人や隣国あるいは遠くは地球の反対側の人々や国々とも、よい関係や率直に話合いができる関係をつくり、協議し、知恵を出し合って、人類共通の財産、生活空間である地球の持続的可能性を文字通り共通の価値基準にしたいと思うばかりだ。
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わたしの「セカンドライフ」考。

2007年05月10日 | Weblog
 いま「セカンドライフ」というと、米国発の仮想空間またはその仮想空間での生活を言うらしい。ネット上の仮想空間(セカンドライフ)における生活は、自分が「アバター」(仮想分身)になってネット上の仮想空間に入ればいい。世界中のいろいろな人たちが「アバター」になってネット(バーチャル)コミュニティをつくり、現実の生活と同じように暮らす。いわば「セカンドライフ」という仮想社会または仮想世界あるいは仮想コミュニティがあると思えばいい。

 「セカンドライフ」専用の通貨(リンデン・ドル)で、自分の分身アバターが家や家具および暮らしに必要なあらゆる商品が買える。お店の経営や仕事に就いて収入を得たり、貯金したりもできる。現実の世界では出来なかったようなこと(夢生活)が出来るかもしれない。この「セカンドライフ」(米国)は、現在580万人の住民(登録会員)が暮らす。月間50~100万人の人口増(ログイン)というから、現実(日本)の人口減少社会問題のシュミレーションというわけにはいかない。

 自分が自分のお金(リンデン・ドル)で、自分の考えや知恵でアバター(分身)の生活デザインをし、より便利だったり、より価値的だったり、他の人々が欲しがる商品などを作ると、著作権やロイヤリティ収入も得られる。買い物や生活デザインを相談できるコンサルタント(サービス)などもいて、仮想空間社会でのクリエイティブな生活が体験できる。日本にも紹介され、サービス開始間近かだ。

 この仮想空間(セカンドライフ)における人々の生活および価値表現や価値観などが、現実の社会市場にある企業(マーケティング)にとって大変学習になることや新しく考えた(企業の)商品やサービスの生活ラボラトリー的テストや評価シュミレーションなどが出来るということで、企業や広告マーケティング会社の関心が高い。

 楽しい夢実験のセカンドライフ(ネット仮想空間)だが、現実の企業がいろいろな形で、検証用刺激情報やモデル・シュミレーションなどが入り込むことで「夢」やネット上の仮想のわたくしの生活が壊されたりしないことを祈りたい。

 このネット上のセカンドライフ、まだ私のセカンドライフになってはいない。ちょうどこの5月の誕生日で満65歳、100%年金・高齢者の仲間入りをする自分だが、65歳起点の現実のセカンドライフ「どのように暮らし、どのようなことを生きがいにするか」など、構想やプログラムはまだ”おぼろげ”だ。いつまでも若く、青二才をつづけようと思ってはいるが、自分の身体や気力がどこ(何歳)までつづくか、神のみぞ知るということか。

 現実生活でも、ネット(仮想空間)生活でも、”セカンドライフ”が楽しく、創造的で、生きがいを感じさせてくれるものになることを願っている。
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犠牲者(事故)を見なければ、何もしない事業者やお役所!

2007年05月09日 | Weblog
 死亡事故に遭遇してはじめて、深刻に、真剣に考えることでは”遅い”のですが、遊園地の事故やプールの事故。JR西日本は、西宮の福知山線の脱線事故で、点検整備や運行のマニュアルを改訂し、経営マネジメント・システムの改変をしました。そこではじめて、安全を最優先する業務や経営にしたらしい。

 第二次超高層ビル建設のはしりになった六本木ヒルズは、自慢の大回転ドアでつまずいた。子供の死亡事故が起こってはじめて、安全への配慮の無さというか欠如を意識した。世間の批判をあびて結局、回転ドアを撤去した。シンドラー社のエレベターの事故も同じだ。死亡事故が起こって、安全管理や点検およびそのマニュアルが問題視された。

 子供たちの夏を象徴するプールも同じ。ふじみ野市営のプールの死亡事故により、下請け業者まかせの点検や日々の安全管理の杜撰さが浮き彫りになった。大阪は、吹田市のエキスポランドのコースター事故はこれらの”集大成”のようだ。
 集大成などと言っては、批判をうけるが、法定点検や整備、マニュアル点検、日常の操業開始点検の作業やそのマニュアルのいい加減さが指摘された。

 事業者側も、業者や担当者も”法定”(法律や条令)の内容も知らない。必要な点検や整備の処方すら知らないで、危険を操業している。命にかかわる遊技やサービスを事業にしていながら、安全に対する認識もないのだ。あきれる。

 国の許認可や法的規制または自治体の条例などが守れればいいというわけではない。より事業者や企業としてモラルや最低限しなければならないことの認識が問われる。このような経営や企業ミニマムも出来ていない事業者や企業にコーポレートガバナンスやコンプライアンスなどと言って欲しくない。

 「安全に優先することはない」という認識を持って欲しいだけなのだ。
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アフターケアもお役所仕事のポスト・グリーンピア

2007年05月04日 | Weblog
 巨額の年金資金がつぎ込まれ破綻した大型保養施設「グリーンピア」。もうこれ以上の年々の赤字補填は、国民の支持が得られないとの批判を受けた年金基金が、この大型施設や土地(跡地)を売却した。ほとんど”ゼロ円”に近い金額で地元自治体や民間に売った。

 補修や事業転換などで幾分のお金(投資)がかかったとはいえ、タダ同然で大型施設や跡地を入手した地元自治体や民間事業者。跡地の利用や大型施設の利用の多くは、グリーンピア時代の延長や経費縮小型だ。ホテル事業、レジャー保養事業、スポーツ施設事業や市民の健康増進事業などが、再開経営された。

 地元自治体が経営することになった11施設の再開経営の2004年から2006年の収支決算は、直営の9施設事業すべてが”赤字”だという。赤字補填という名目でつぎ込まれた公費(税金)は、トータルで概算8億円だという。宮城県岩沼のようなとび抜けた赤字施設(3億円の赤)を除いても、それぞれの地元自治体は平均3~5000万円の赤字補填をしている。財政規模もそんなに大きくない自治体にとっては大変な負担(税金投入)だし、これがつづきそうな気配なのだ。

 そこに土地(立地)があり、ハコ(施設)があり、”保養施設”などという祝詞(のりと)がある大型施設(立地、ハコもの)をただ”安く買った”自治体は、事業家でも実業家でもない。ビジネス・モデルやマーケティング戦略を考えたりできる人たちでもない。「予算」という税金の”使い方”だけを考えることが得意な人たちなのだ。

 ひとつの引継ぎ施設事業に、市民が50人働こうが100人働こうが、事業が採算とれずの”赤字”では、雇用の場や地域経済効果などとは言っていられない。公費(税金)補填をつづけるのでは「グリーピア」と同じだ。どのように赤字が解消できるのか、どのように黒字転換ができるのか、黒字の展望が得られなければ、事業(継続)を断念するのが常道だ。毎年”赤字”を見込み、毎年公費補填を続けることは、市民や納税者への背信なのだ。

 よくよく、事業性およびリバイバル可能性とその達成戦略を考え、シュミレーション検証し、確かな展望をし、地元自治体に収益還元できないまでも、迷惑(補填)をかけることはないという現実性のある構想を立て、開示してほしい。よくよく地元市民に説明し、承認支持が得られたら、事業の継続とそのサクセスに向け汗をかいてほしい。
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2007年5月3日、朝日新聞の「提言」特集社説21の示唆

2007年05月03日 | Weblog
 2007年5月3日の憲法60年を記念する特集社説21提言「日本の新戦略」は、圧巻だ。個別のテーマと提言については少々の異論ありだが、このような特集はやはり”新聞”ならではだ。

 「新戦略」と銘打つほどではない気もするが、21世紀これからの日本が向かうべき方向について、5月26日の世界的識者を集めてのシンポジウムに寄せる方向性仮説としての社説とみられる。「地球貢献国家」なるコンセプトを総論として示すことも含め、地球と人間、グローバル化とアジア・イスラム、憲法9条と平和・安全保障および日本の外交について、21論にブレークダウンして社説している。

 地球の持続可能性を、温暖化防止(Co2排出削減)や省エネなどだけではなく、消費や食料およびエネルギー問題との関連で分かりやすく提言。加えて、戦争や破壊的行為や対立的文明など包括的に”気配り”解説していることに敬服した。

 現実は、原子力利用(原発や核拡散)に関わる問題、化石燃料の危機とバイオ(植物)燃料や農業・食料の安定供給問題、技術革新や高度情報化に置き去りされるアフリカ諸国ならびに中国、アジアのバブル的経済発展の問題など解決しなければならない課題へのソリューション仮説があいまいだ。グローバライゼーションなどについても、これを受け入れ活用することを是とした”対処”だけでは、問題を積み残すだろう。

 憲法60年の慶事感覚からか、憲法前文の理念「人間の安全保障」や9条の「平和ブランド」性を、この60年、日本社会がつくり上げてきた資産だと評価。その継続的方向を希望提言しているようだが、国連PKOや国際社会関係および日米安保やアジア関係などと日本(国)のあるべき、期待される”姿”ベースとしての憲法に触れていない。

 21世紀の日本が世界の他国から信頼され、世界平和や地球の持続可能性に貢献できる道しるべを、ぜひ期待したい5月26日のシンポジウムだ。
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