吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

”みどり”豊かな日本にやすらぐ。

2010年04月29日 | Weblog
 みどりは、緑や碧もいいが”みどり”がいい。ミドリもいいが、やはり平仮名が似合う。目にやさしいのは”みどり”(色)だということに異論するものはいそうもない。いまごろの山のみどりは、とくに高速道や列車の窓から見る緑の山々がいい。まっすぐでも曲がっていても、県道や田舎道の両側に見る田んぼのみどりもいい。森林のみどりもいいが、5月の雑木林のみどりは、もっといい。

 5月は、天高く舞う鯉のぼりや吹流しが余計”みどり”を引き立たせる。5月4日は、憲法記念日の祝日5月3日と5月5日のこどもの日の間の国民の祝日で”みどりの日”だという。いつごろからそうなったのか忘れたが、昔は確か4月29日(昭和の日)がみどりの日といわれていたような気がする。どちらでも大きな問題ではないのだが、日本の4月終わりごろから5月中旬あたりの”みどり”はホントにいい。

 わたしたちは、この100年はとくにそうだが、ずっと昔からとにかく文明と便利を求めてきた。文明と便利が増えるごとに”みどり”が減った。”みどり”が減るだけ、地球が壊れ、自分たちの住まい環境がわるくなっていると認識し出したのは、つい最近だ。地球温暖化ガスCO2も文明や便利のせいだが、結局はみどりが減って問題化したのだ。

 いっそこれ以上文明や便利を求めることをやめようとしても、まだ少しも文明や便利を享受していない国々やそこの人々からの賛同は得られそうもない。文明先進国の多い北半球の国々の経済状況もよくない。経済や暮らしの向上に目を向ければ、どうしても文明や便利をすすめることになる。”みどり”を減らさないようにしたり、緑を増やすようにしつつ、経済や暮らしをよくする方策をとグリーン・ニューディール(政策)が推奨された。

 オバマ米国大統領のグリーン・ニューディールと日本版グリーン・ニューディールの違いはあるが、どちらも”みどり”をテコに、経済と暮らしをよくしようとしていることには違いない。エコポイントやエネルギー源や環境技術売りを訴求する日本版だが、環境省と経済産業省と内閣が連携し、経済界や国外の国々と協調して進めてもらえれば、成果も大きくなるだろうと思う。きょうは、みどりの羽根をつけようと思う。あるかな?
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政治や政治家が”ツイッター”(つぶやき)では困る。

2010年04月24日 | Weblog
 コンテンツ時代だからといって、広告やCMのように訴求キイ・ワードだけを並べ立てられるのでは困る。何かを言ったり、情報や主張を発信するのであれば、そのことに責任を持ってほしい。事実や真実に正確な情報を発信してほしい。政治やマスコミは、とくにご自分たちの世の中に対する影響を自覚してほしい。

 特別”ツイッター”を悪者扱いするわけではないが、国のトップの鳩山総理や情報や通信も扱う総務大臣、原口さんなどが、時代性に敏感なのか鈍感なのか分からないが、ツイッターでご意見を発信していると聞くと、何か寒気を感ずる。簡単で、リアルで、思いが発信できるし、多くの人々と意見交流ができますよといわれると、余計気が滅入る。

 ワンワードやコンテンツだからシンプルで情報や意見が発信できるということでしょうが、その程度のことならテレビや新聞の見出しやPR広告のキャッチフレーズで十分。首相や国務大臣や政治家のみなさんには、そのように法律や施策を決められた理由やそういうことに賛意されている理由とそれが私たち国民や国の将来づくりにどのようにかかわってくれるのかを聞かせて欲しいのだ。

 たまには、140文字以内でそのことについての事実背景やご自分の認識や思考を伝えられることもあるとは思うが、ただいまのような複雑な世の中では、140文字に収まる”つぶやき”ではとてもそうしたことについての理由や思考を述べることができないと思う。とにかく、壁に向っていう独り言を聞きかじらせて、斜めに意見というより”好み”をオシャベリするような仕草を正当化しないでほしい。

 ツイッターは、事実や事象を端的に正確に伝えることに貢献するだろうが、それは正確な”口コミや風聞”や何かをやったことややっている事実をただ知らせるには向いているかも知れない。しかし、かようなコンテンツ情報は新聞やテレビで十分だ。おそらく芋づる式に増殖するであろうツイッターに、政治家さんがやたら乗る軽薄さに呆然とする。ゴミ情報洪水が危惧される時代に、思いを巡らせてほしい。

 政見や政策は、事実(認識)や理由をつけた記名式で述べてほしい。責任を持って、限りなく正確な情報や意見の発信につとめてほしい。できれば、ツイッターなどよりメールマガジンやブログなどを利用してほしいと、これはわたし1人の願いかもしれない。
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大好きな香川照之だが、彼の岩崎弥太郎は嫌いだ。

2010年04月18日 | Weblog

 香川照之。2010日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を「剱岳 点の記」でとったただいま売れっ子の男優だが、プレ団塊世代のわれわれには、あの猿之助と浜木綿子の間にできた男の子というイメージが残る。現在放映中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、岩崎弥太郎を熱演している。

 NHKの大河ドラマで育ったようなイメージの香川照之だが、彼の演出力や演技構成力はいろいろな方面で光る。ご両親からのDHAなのか彼の学習成果なのか分からないが、ただの”助演男優”の気がしない。脚本家でも、演出家でも、監督でも、総合プロデューサーでも一流のような気がする。

 デビュー作(?)NHK「春日局」の小早川秀秋を皮切りにしたNHK「利家とまつ~」の秀吉も、NHK「坂の上の雲」の正岡子規もよかった。映画「ディア・ドクター」や「HERO」など、彼の全部の作品を見ているわけではないが、すべてにかれの演出的演技やニオイが出ている。

 このたびの『龍馬伝』も主役の龍馬(福山雅治)が霞むほどの熱演だが、”汚すぎる”などとのクレームっぽい反響も多いと聞く。成り上がっていく様の熱演や好きになれない弥太郎の性格をにじみ出させる演技自身は熱演以上に敬服するのだが、わたし個人はそのような岩崎弥太郎が好きになれない。

 たまたまのヒトとのつながりや縁を材料に”お金や稼ぎ”を求め、ひたすら金権追求する姿は、お家(土佐)やお国のためでもない。お金亡者だけだ。幕末から明治の成り上がり起業家なのであろうが、時局や政局を見る目に優れ、動乱に便乗した”政商”だとしか見えない。

 いつの世でも変わらないのが、国難や模索および改革やよい国づくり期にアタマをもたげる利権政治家や政商企業家だが、この地球や人類の近い未来をうかがいこの日本のすすむべき方向を諭し、リードしてくれる政治や政治家の出現を切に希望する。
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地球の異常と4月17日の41年ぶりの東京の雪

2010年04月17日 | Weblog
 2010年4月17日(土)の朝、雪を見た。一昨日から昨日にかけての寒さは異常だ。その前が25℃にもなろうかという暖かさだったから、余計このところの4月半ばの冬戻りが寒い。冷たい。わが家の長女の41歳の誕生日が昨日、4月16日だ。41年前の4月16日の翌日の真っ白な外の雪景色がよみがえった。けさの雪景色と同じ(東京)だった。

 この40年の異常気象(?)の元をエルニーニョ現象だとばかり、異常をふつうだと思って過ごしてきたが、少々見方を変えた。このところ頻発する大地震や昨日あたりのアイスランドの火山噴火などを見るに、地球の内部や核心からの怒り爆発のような気がする。季節の変わり目の”せき”とばかり決め付けていたわたしのそれも、どうやら黄砂のイタズラのようだ。いままでと、目やノドの感じが違う。

 台湾の大地震につづいた中国は青海省辺りの大地震から、アジア地域の地震大陸などをイメージしたが、ついこの間のチリーにつづくハイチの大震災を目にしたことで、地球がいたるところで怒っているのだと感じた。プレートがどうの、活断層がどうのという以上に、地球内部での怒りが爆発している近年なのだ。アイスランドの火山爆発噴火も地球からの警告の感じがする。サステインナビリティ(持続可能性)やサステインナブル・アースなどと言っていては、私たちの行動が遅いのかもしれない。

 黄砂につづくアイスランド火山噴火の大火山灰が、地球や大気の視界不良を高めている。世界や国の体制や政治経済の視界も不良だ。世の中の動きや人々の考えも何となく視界不良なのは、なぜなのだろうか。地球や環境や気象の変化などが、いままでや人々の予想を超えて起こってしまうことと符合しているのだろうか。ひとり自分のなかで、静かに考えを巡らすしかないと思っている。
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始末算用才覚へのプラスα

2010年04月15日 | Weblog
 始末算用才覚、どこかの商店の家訓のようだが、これは”あきない”の三々九度の一節だ。商いの要諦は、始末算用才覚だということだが、実際はアトサキ逆で「才覚をめぐらし、算用を立て、始末しなさい」ということだ。

 才覚が先んじすぎて独断や思い込みで、自分の着想や構想から離れられないヒトも多く、これがいろいろなヒトとチームで何かをなそうとする時の妨げになることも多い。よくよく思いつきや考えを繰り返し思考することが大事なのだが、もっと大切なのはこだわる「その考え」や構想にたどり着いた思考過程を開示したり、そのように思考した背景や現象の事実を客観的に添付することだ。だれもが納得する事実を添付することが”調査”やリサーチのシゴトとも言える。

 何をやるにも大事なのは、プランをたてること。ここでいう「算用をたて」とは、いわゆるマイルストーンのある計画を立てるということだが、こうなりたいという状態を目標というなら、これを具体的に誰にもわかるように表現し、この達成を示すモノサシや状態をつけることが大事になろう。多くの場合、思うとおりに進まないことがふつうだから、途中の道はずれや想定外の現象に対する臨機応変の処置をつけることも忘れてはいけない。

 何事もそうだが、「やりっぱなし」はよくない。必ず、結果や進捗のチェックをすることが大事。単に決算することで終わりにせず、ならなかったり、なったりした原因や行為を探求し検査しておくことが大事です。これを「始末する」という。

 このようにすることが大事だと、商いの”三々九度”が言っているのだが、どうもこの三々九度は、一本調子すぎるようだ。いつも前進だけしているようで、何かが欠けていそうだ。始末算用才覚でも、才覚算用始末でもいいのだが、才覚をめぐらす前の事実や現象の調査や分析やそのデータや情報の取得などへの思いが希薄だ。また、立てた計画や算用自身を反省したり、やり直したりすることにも思いが欠けているようだ。

 昔みたいに単純でなく、複雑極まりない今の時代は、ちょっと違ったり間違ったりしたら、臆面も無く反省し再考し、自分の違いや変わりを告げることが大事だ。いつも、自分の不十分をさらすことが、何人かで何かをする者や時に求められるのだと思う。
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地球的時代的テーマ『Sustainability』(持続可能性)抄考

2010年04月11日 | Weblog
 ただいまの地球的時代的テーマを一言でいえば、サステインナビリティ(持続可能性)だ。5~6年前からアメリカ発で出てきたコンセプトだが、日本においてはLOHAS( Life-Styles of Health and Sustainability ) で紹介された時代表語だ。

 ときどき、「頑張らないや無理しない」と曲解されたりしたが、まずはわたくし達が暮らす”地球(環境)”の持続可能性を維持向上させることを私たち人類の第一義のテーマにしようということだ。人類と共存する小さな生き物も含め、地球を構成する化石燃料や金属や大気などの環境を保全することなどについて、日常の食料や環境の持続可能性を確保することも含まれる地球環境そのものの持続可能性を維持し、高めることが最も優先されるテーマだということを提示している。

 この(2010年)3月10日11日行われたアメリカLAはアナハイムのSoyFood 2010 でのカンファレンス・テーマも中心は、サステインナビリティであった。ちなみに、過日のバンクーバー・オリンピックのメイン・コンセプトも”Sustainability" だったのだ。日本においても地球温暖化ガスCo2 の25%削減が政府提示されているが、より広く社会や企業や人々の生活活動全体のテーマとしての”サステインナビリティ”コンセプトを浸透させることが大事だ。

 人類や共存する生き物や環境を包括する地球のサステインナビリティ(持続可能性)を維持、向上させるコンセプトを浸透させるポイントは、みんなの共感であり、縛られないつながり感だ。人類全体の食糧の確保や公平な分配、争いや紛争のない社会づくりや貧困の偏りをなくす文化的快適な暮らしの共有など、共感や一人ひとりの感情にフィットさせる活動の集積が大切だ。

 このようなコンセプトを人々や政府の活動に委ねるだけでなく企業の日常のマーケティングに取り入れることが大事だ。ふだん地球に暮らす多くの人々が Agree with(共感) を感ずるようなそのような活動が求められる時代だと思う。
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政党名ぐらいは、マジメにつけて・・・

2010年04月10日 | Weblog
 「たちあがれ日本」を立ち上げたという。平均年齢69歳のオトシヨリ議員が、いまの政治を憂い、いまの日本を憂いて立ち上げたという。平沼赳夫衆議院議員を代表に、与謝野馨さんたち5人の結党だ。仲間なのか応援団長なのか分からないが、石原東京都知事がこれを支持、つよく声援している。

 呼びかけているような、それでいて当事者意識が感じられない、半ばNPOか草の根ネットワークの方々の台詞のようなこの名前を、作家先生出身の都知事殿は”いい名前だ”と自賛している。自主憲法をと保守本流っぽい念仏を唱えてもいるが、段階的な消費税アップで健全財政をと言ったり、全国一律の(日本)郵政サービスや中福祉中負担などを言っているが、まるでアンチ巨人のノンポリのようにただ”反民主”を錦にしている結党だ。

 それにしても、この「たちあがれ日本」の前は、「みんなの党」だ。脱官僚を錦の御旗に保守自民を脱藩した渡辺喜美議員を代表に、江田憲司さんたち衆議員5人と川田龍平参議院議員の6人がメンバーらしいが、ただいまつぎの参議院議員選挙への公認候補集めに汗している。公務員の天下りや渡りの廃止や脱官僚は、わたしたち庶民の願いでもあるが、それでも「みんなの党」はないだろうと思う。どのような人たちを支援するどのような人たちの党なのか、ハッキリさせてほしい。1億2~3千万みんなの党でもないでしょうに。

 むかしも日本新党や新進党などのように”何したいのか”ハテナの党があったが、このところの「みんなの党」や「たちあがれ日本」党にはあきれる。自立できない若者や他人任せの人々が増えている象徴のように、リーダーシップや自己決定力のない総理が批判されているが、一人鳩山さんだけのことではないようだ。新しい政党を立ち上げようとする先生方でさえ、このような政党名をつけて自己満足している始末なのだ。

 お断りしておくが、何も自民党や民主党のように漢字で名づけてと言っているわけでもない。コンセプトや主義主張やビジョンなどが伝わってくるようにしてくださいとお願いしているのだ。
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注意していたのに、・・・という無責任。

2010年04月04日 | Weblog
 このところ、幼い子どもの不幸が多い。ほとんどの場合、親やオトナの無責任が原因の不幸だ。クルマが炎焼して車中に閉じ込められていた幼い命が失われる。子どもだけの留守中の火災で幼い子どもが焼死する。ちょっと親が目を離したスキに、幼い子どもが線路に出て電車に跳ねられ、死亡する。

 「1人で道路に出てはいけませんよ。ライターをいじったり、火遊びはいけませんよ。」と何度も何度も注意していたのに、「もしかしたら、ライターで遊んで・・・、火災を招いたのかも知れない」などという。すべて、子どもから目を離し、パチンコや井戸端会議に夢中になっていた親、子どもたちの手が届くところにライターを放置していた親の無責任が、不幸の原因だ。

 800兆円とも1000兆円とも言われる借金(国債などの債務)を子どもたちに残したりして、子ども手当てや高福祉(?)をいま享受しているオトナも同じだ。少子化や人口減少に傾向しているのも今のオトナで、人口や資源が少なくなって、一人ひとりの負担増を受けるのはいまの子どもたちなのだ。

 ずっと、何度も何度も注意していたのにという親やオトナの無責任をどのようになくすかが、いま大切なのだ。子どもたちの周囲や生活環境を安全に、不幸が起こらないようにどうするかが施策されなければならない。子ども手当ても、無いよりはあった方がいいのかも知れないが、手当てやお金より大事な子育て環境づくりに、より配慮してほしいと思う。

 この10年やその前の10年が、いまの親やオトナをつくった時代環境なのだから、いまの親やオトナをして”どうあってくれ”と言っても所詮むなしいのかも知れないが、ただいまのアラサーやアラフォーの親世代の方々に、とにかくご自分たちへの責任意識を高めてくださいとお願いする。
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