吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

2007年は、品格と徳のある政治家を再生する年にしよう!

2007年01月29日 | Weblog
 まだ記憶に新しいというより、痕跡のこる山の上の豪華ホテルや保養施設およびハコものに象徴される社保庁や厚労省の年金ムダ使い。雇用保険金をふんだんに利用し建てた官僚天下り施設やモノづくり大学らしき施設と役人の保養施設。役人天国、国民地獄を”ぶっ壊して”くれるのかと期待させた小泉改革内閣。道路公団や郵政公社の解体、民営化を起爆にして、浪費と利権や特権のもとの公社、公団や行政法人を解体し、税金の浪費や汚職を払拭してくれるかもしれない期待した。そして、またも裏切られた。

 岐阜県、福島県、和歌山県や奈良県の逮捕や警察のお世話になった知事さん方も、初めて当選したときは皆、(前)知事の腐敗や汚職を断つと公言し、期待された。その彼らにして、そのほとんどが、談合入札収賄、業者との癒着、汚職、腐敗なのだ。みなさん、官僚から転出したエリート知事だ。宮崎県も例外ではない。

 そのまんま東氏が、予想を上回る得票で官僚出の保守系の候補を破り当選した。まぁ、4期5期連続で当選する知事当たり前のなか、宮崎県のこの半世紀は、たったの二人の知事で過ごして来たのだから、権限の集中、利権や人事権の知事への集中および癒着構造が出来ないのがオカシイぐらいだ。東国原知事の誕生が、これらの断絶の契機になることを期待したい。

 このような慢性的スキャンダル・シンドロームは、どうも安倍内閣にも引き続いているようだ。本間税調会長につづく佐田行革相だけかと思ったら、水谷建設がらみのキナクサさ。民主党の先生方も大同小異の松岡農相や伊吹文科相など与党古参議員さん方の事務所費や政務調査費問題。政治資金規制法とか言って自らを律した装いの法律は、文字通りザル法。いっそのこと、事務所費や政務調査費など領収書も要らない支金などは、一律いくらとして歳費に入れてあげたらどうだろうか。

 2007年、新しい年が明けたと思ったのに、まだ2006年のつづき。2月如月からは、品格と公職人資質の向上、政治家教養”再生”の2007年にすべく、仕切り直しのスタートをしよう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道北見市のガス漏れ事故から

2007年01月21日 | Weblog
 1月19日(18~20日)の北海道北見市のガス漏れで、3人の犠牲者がでた。病院に運ばれたり、避難した人も大勢になったが、ガス会社や市および消防などの危機対応の稚拙というか、お粗末はお話にならない。

 北見市のガス漏れ事故は、他人ごとではない。全国のどこででも、また明日にでも起こる問題だ。ガス、電気、水道や電話など交通も含め、社会的インフラが、整備されてから、どこも20~30年経っている。地中に埋められ、配管されているガス管その他の痛みが限界に来ているのは、どこも同じだ。

 一斉点検しても、不足する何かがある。どのように、補修したり、置換したりするかの技術や計画が出来ていないばかりか、十分なリフォームの予算措置もできていない。
 革新や進歩および先端的新しい街づくりも大切で、魅力あるが、超高層ビルも、すばらしい町並みも、その基盤たる地下インフラが危ういのでは、すべてが砂上の楼閣になるでしょう。地震や台風および火事などの震災への備え以前の問題なのだ。夕張市で普段の行政や首長たちの怠慢が指摘されているが、地方の市や町および県や国の社会基盤に対する配慮をチェックすることが大事だ。

 というと、すぐに公共事業や工事の復刻版を「そうだ、そうだ」と発想するのが、この国のお役人や政治家さんなのだから困る。

(ここのところ、ブログの更新をサボっていますが、昨年の分の単行本化の編集に入っていますので、このようになりました。少々お時間をいただければ幸いです)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバリズムの中のナショナリズム

2007年01月13日 | Weblog
 21世紀の政治的、経済的思考基盤は、グローバリズムにあると思っていたのだが、最近やたら”ナショナリズム”についての書物や討論を見かける。姜尚中先生の「ナショナリズム」(岩波書店)あたりが火元のようだが、どちらかというと、覇権主義や帝国主義イメージを強くした国体ナショナリズム化への警鐘のようだ。
 
 確かに、日本の歴史や戦前への回帰的傾向は、心するところでしょうが、少々の隣国や世界の軍事(核など)傾向に気をもむ人々が台頭しているようだが、あまり心配する必要はないでしょう。なぜなら、日本人の多くは戦争を経験している人も、戦後を経験している人も、そして戦後しばらくしての高度経済成長を経験している人も、”戦争のない平和”がいかに大切であるかを知っています。軍事的解決や覇権や自国の利己からは、何も解決できないことを世界で一番知っている国民がいまの日本人だと思えるからです。

 島国の小さな国で、資源らしい資源がなく、すべて地球上の他の国を頼り、貿易立国するしかない日本が、他国が”嫌がったり””不安に思ったり”する覇権や帝国主義的行動やそのための軍備などに向かうことはありえないと思うのです。

 むしろ、やたらグローバリズムやグローバルスタンダードといって、自国の権益やリーダーシップをかざすアメリカや常任理事国なる国々に、地球上のあらゆる民族や人々が”平等”なのだということを自覚して欲しいと思っています。多数の民族や宗教派が混在し、国や国家の”まとまりや統一”が出来ずに苦しんでいる多くの国々が考えるナショナリズムと、国家や国の体制が出来上がっている国々のそれとでは、目的的な違いがあると思う。国づくりのナショナリズムが、心の広いグローバリズム傾向のなかで”よき”方向に作用するよう見守り、支援していくことのほうが、ただ批判するより大切なのではないでしょうか。

 グローバリズムも、そのなかでのナショナリズムも政治や体制の問題というより経済的なコンセプトや行動に関わる問題なのだといったら、”ぷちナショナリズム”の兆しだと批判されるかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大企業や政府の施策市場と大衆の現実市場のズレ。

2007年01月12日 | Weblog
 100円ショップや(生鮮)100円コンビニとユニクロやしまむらのマーチャンダイジング(品揃え)は、”ただ、安い(100円)だけ”が受けているわけではない。一度も行ったことや利用したことがないというリッチ指向の人(プチ富裕層?)がいたら、ぜひ一度行ってみるといい。オドロキや発見満載なのだ。

 いまはやりの大型SCやモールおよび広い店舗フロアが自慢のGMSといわれるスーパーマーケットなどでは、とても見られないような素敵な商品や初めて見るような商品が、数多く品揃えされている。売り場にある商品というか品揃えそのものが、情報であり、発見や知識だ。情報性や発見性が顧客を誘引しているので、そのお店にいくことに期待感が膨らみ、そしてその期待を超えたオドロキに出会うのだから、楽しくなる。

 2006年、日経MJの「ヒット商品番付」の横綱に”ショッピングセンター”(SC)がきている。確かに2005年から2006年にかけ、日本各地に多くの大型SCが誕生した。イオングループやセブンアイホールディングスが、競争するようにSCを開発出店したからだけでもない。都市部のウォーターフロントやダウンタウンの再開発および地方の共同SCや中規模のSCも数多く誕生した。「広すぎて疲れるから、買い物どころではない」と、そろそろ”もみじ”マークを返上しなければならないお年寄りや「お年寄り」に向かう人口が激増しているにもかかわらず、地方にあって、身近で、便利な、買い物しやすいと彼らの小さなお店(生業)を奪ってまで、”広大なショピングセンターをつくり”危なっかしいクルマ客を遠方から呼び寄せているのだ。

 高齢化が進み、任天堂DSライトなどの脳ゲームや脳を鍛えるグッズや本などが売れているさなか、都会では、丸ビルや六本木ヒルズに表参道(エチカ)などが出来、地方や郊外ロードサイドには多くのSCやモールなどの建設が目立った2006年。”疲れを取る酸素”やGABAやCoQ10など多くのサプリメントが売れるわけだ。

 ”いざなぎ”を越える好景気の継続が、フリーターやリストラされた人々、仕事に就きたくてもつけない人々やニートと呼ばれる人々を増やし、生活保護を受けなければならない人々を増やしていることと”すりあわない”のは何故か。

 政府も企業も、より確かな目で”現実の世の中”を見、多くの下層中流階級(?)にいる大衆の生活を観察し、”希望していること”や”困っていること”を受けとめた施策を考えたり、議論してほしいと思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロストジェネレーション世代への応援歌

2007年01月06日 | Weblog
 バブル崩壊後の経済停滞期を「失われた10年」と言っているが、「ロストジェネレーション」とは、年明け1日(2007年1月1日)の朝日新聞で知った。この「失われた10年」に少年期(デジタル・ゲーム、プリクラ世代)を過ごし、いま「25歳から35歳」になっているいわゆる団塊ジュニア世代は、約2000万人(より厳しくみると1800万人)だが、実は彼らは日本が最も”ゆたかな時代”に生まれた世代だ。その頃、子供を持つことになった”結婚したばかり”の世代の中心が、団塊の世代なのです。ゆたかな”ニューファミリー”とも重なるこの世代の申し子たちが、その直後より急激に失速した経済社会で成長し、そして第二の就職氷河期に大学を卒業することになった。

 終身雇用体系が崩れはじめ、派遣社員やパートおよびフリーターなどで(職業)社会に出る若者が増え始めた時期だ。急速な情報化、パソコンやインターネットの普及といった”デジタル化”が進展、その前と後の世代の”価値基準の違い”の狭間に30歳前後になった”ひきこもりやニート”と呼ばれる人たちの多くも、この年代層からでている。ニートやフリーターも、”そうならざるを得なかった”事情と”そうなること”を甘受する生き方が混在している。

 朝日新聞は、このロストジェネレーション(25-35歳)を、踏み台世代、転身世代や反乱世代とみたり、世直し世代や自分探し世代および消耗世代と分析している。希望(正社員かフリーターか)と現実(フリーターか当座職か)のズレを受け入れたり、自分の”したいこと”と”したくないこと”を交錯、甘受する仮面世代とも言っているが、この連載に併せて行ったこの世代(25-35歳)の人たちへのアンケート(世論)調査からは、特別この世代だけが、他の世代と異なった価値観や社会観を持っている姿は、摘出できていない。
 この世代の上の世代(ハナコ世代やニューファミリー世代)とも、彼らの親世代(団塊の世代)とも大きく異なった社会観や価値観を持っているとは、到底言えない調査結果だ。当然といえば当然の結果という気がする。わずかに、”格差”についての認識や懸念および再チャレンジや努力の”報われ度合い”などについて、相対的に高く出ているようなこの年代層だが、これとて統計的に有意な差とは言えない。

 やたら、勝ち組や負け組などという言葉が新聞やマスコミに毎日出たり、ニートや正規/非正規およびIT長者やその”悪さやせこさ”などが、日々報道される世の中にあって、「自分のことは自分で」や「頼れるのは自分」および「キャリア(アップ)」や「自分の適職を」などと助言したところで、これらが政府や成功者の”なぐさめ”にしか聞こえないのが現実だろう。

 彼らの親、団塊の世代が”ゆたかな経済社会”の消費世代であった反動が、子である団塊ジュニアたちをして”限られた富や時間”の消耗世代として分析表現されている(2007.1.6朝日新聞)。たまたま、バブル期(景気経済)があり、バブルがはじけ、ロストジェネレーションと呼ばれる景気経済停滞期に成長し、社会に踏み出すタイミングに居ただけで、どうしようもない世代間の”不公平”がこの世代につよく見られるなら、これを解消することは政府や社会の責任だろう。その上で、いつの時代やどの世代にも”不公平”や何らかの”障壁”があるということを認めることが大切だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然主義(ナチュラリズム)が高まるか?2007年。

2007年01月03日 | Weblog
 2005年、日本の人口は減少に転じた。有史以来、幾度かの内戦(戦国時代など)や大きな戦争および天変地異的災害のとき以外、減少知らず増加し続けてきた日本の人口は、2004年12778万人をピーク(極大社会)に、2005年12776万人と、”減少”を記録した。国民の(平均)寿命の延びによる高齢化も急激だが、それ以上に出生率の低下による少子化傾向がつよく、日本全体としての人口は今後、減少傾向を強めるとみられる。文字通りの「人口減少社会」突入だ。

 それでも地球規模的には依然、人口増加(2005年65億人)傾向がつづき、有限な地球資源の消費は続く。石油や鉄鋼や希少金属などの地下資源だけではなく、森林や動植物や魚などの海洋資源の消費(需要)増はつづき、資源の減少傾向は強まるでしょう。とくに、まだ開発途上にある中国や東南アジアおよびアフリカや中南米諸国などの工業化の進展や経済発展の勢いは、それぞれの国の人口増加に見合ってつよく、限りある地球資源の枯渇対策は、地球全体としての問題になっている。
 工業化(資源消費、モノづくり)による産業経済の発展過程において、散々地球資源を大量に使用(消費)してきた先進諸国が、いくら自分たちのいままでの過程の反省を言ってみたところで、多くの開発途上国の地球資源の消費や急激な工業化の抑制を促せない状況にある。限られた地球資源や地球の生態系の永久的な存続を考えることは、私たちの最大の課題なのです。

 自然や地球を大切にするということは、”自然に生きる”ということ。生きるということを、とくべつ虚飾し説明することなく、”生きたいように生きる””あるがままに暮らす”という姿です。人間は、与えられた環境や空間の中に生き、存在するわけですから、環境や空間を”あるがまま”に受け入れ、その環境や空間に合わせて生きることが”自然”です。
 自然主義(ナチュラリズム)は、”あるがまま”の自然や地球および環境を受け入れて暮らすことを価値の源泉とするでしょう。全人類の資産である地球や自然(環境)をあるがままに保全し、維持することに”価値”の源泉を見出すことを探求していきたいと思う、2007年のはじめです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年問題の年の元旦。明けましておめでとうございます。

2007年01月01日 | Weblog
 2007年問題は、団塊の世代第一年生、昭和22(1947)年生まれの人たちが60歳になる年。ほとんどの勤労者が、定年退職する年だ。総合計すると巨額の退職金がでることに併せて、”まだまだ働ける”60歳という若い人たちが”働くことをやめる”年でもある。年金税収すなわち年金の”入り”が、階段状に減り始める年でもある。2008(昭和23)年生まれ、2009(昭和24)年生まれと、年金税収の大幅減収がつづく。

 団塊世代の中心は第二年生、昭和23(1948)年生まれの人々で、この人たちが65歳になる年が問題の2013年だ。第一年生の厚生年金や国民年金の支給が、2012年に始まり、2013年は最大の”塊”年代(昭和23年生まれ)の人たちへの年金(大幅増額)支給が始まる。昭和22年生まれの人たちがリタイアする2007年から昭和24年生まれの人々のリタイアまで、とにかく年金税収は大幅に減る。この減収が2010年(昭和25年生まれが60歳)から2012年までつづき、そして支給開始増加のピーク2013年を迎える。
 年金財源を心配する政府と対象層の団塊世代の人々に加え、年金や福祉の後退や削減を不安に思う国民が、2007年/2013年問題症候群に陥るかもしれない年が、2007年なのだ。

 団塊世代の中心、昭和23(1948)年生まれの人々が満5歳の年の昭和28年初めて、テレビ放送が開始され、彼らが満10歳の昭和33(1958)年にはテレビの普及台数が100万台を突破、長嶋茂雄が巨人軍ジャイアンツに入団しました。ALWAYS三丁目の夕日の年です。政府が戦後復興経済を謳うも、外貨や資本の不足が景気の足を引っ張り”なべ底”景気などと言われた年は、まだ高等学校への進学率がやっと50%になった年。長嶋(ジャイアンツ)の出現は、中学や高校を出て”すぐ働く”ことが当たり前だった庶民に、貧しい暮らしながらの”夢と希望”を与えました。
 やがて、彼ら(昭和23年生まれ)が17~8歳になり高等学校を卒業するころ、新幹線や東京オリンピックの開催をキッカケに、日本は高度経済成長期にはいります。この世代の夢や希望は、彼らの親のそれとともに大きく膨らみ、多くの人々が高等学校から大学へ進学するようになるのです。

 この団塊世代の人たちが、昭和40年代から50年代の日本経済の高度発展を牽引することになりますが、企業や経済のリーダーは、彼らの前のプレ団塊世代(10年ほど前に生まれた年代層)の人たちでした。彼らの構想や方針および”こうしなさい”という指示を、作業的に実行することが団塊の世代の30代40代でした。政治や経済およびマネジメントなどへの関心より、ファッションや音楽やアニメおよび趣味などに強い関心を持つ世代です。市場や社会のトレンドをリードした世代だとも言えます。

 この1947年生まれの団塊世代の人たちも2007年、ちょうど60歳。バブル(経済)がはじけた彼らの50代の10年、2度目の”なべ底”経済期にあって、企業や経済の再活性や再生に挑戦してきて、”達成感”を得ないままリタイアする彼らのポスト・リタイア生活が、とにかく”幸せ”でありますよう祈る2007年元旦です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする