吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

没後50年の横山大観展!

2008年01月25日 | Weblog
 2008年1月25日、六本木の国立新美術館で「横山大観」を観た。何回も観た絵が半分以上だが、大観の絵はいつも新しい。明治、大正、昭和の激動3世代を力強く絵筆で生き抜いた迫力があるのにやさしい。

 本当は今日の国立新美術館は、「旅展ー異文化との出会い、そして対話」を見るために来たのだ。友人の日本画家、谷中武彦君から招待(券)を受けていたのだ。文化庁の芸術家在外研修制度40周年を記念した展覧会。いま、中堅として日本の画壇や芸術を引っ張っている芸術家たちおよそ100人の絵などが壮観だった。

 異国の風土、文化や芸術に接し、異国の人たちと語り、ともに学び、そして描いた絵に、それぞれのアーチストたちの文化観や生き方などが感じられた。異国との接触や体験をベースにした交流が、相互の理解やお互いのアイデンティティ確認を成果にもたらすように感じられた。やはり40年の成果だ。

 100人100点の個性的なアートに疲れて一休みしていて目に入ったのが、ただいまの国立新美術館の目玉「没後50年ー横山大観展」だ。まだ11時、せっかくだからということで、大観展の切符を買った。入ってすぐ、荘厳さと威圧みたいなそんな感じを肌に感じた。そして、いつもやさしいのが大観の絵だ。シンプルで華麗で、そしてやさしさを感ずるのが大観。人にも自然にも、やさしい目が感じられる大観の絵だ。

 カゼ気味で少々疲れたが、いい気分での昼食をとり、事務所に帰った。2008年の1月25日だった。
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見えないモノを見せて売るビジネス。

2008年01月24日 | Weblog
 米国をはじめとする世界経済もそうだが、このところの日本経済の低迷は著しい。景気後退以上のスタゲフレーションだ。BRICSの代表ロシアや中国からの大寒気団だけの影響でもない。原油やガソリン価格の高騰や原料資源価格の高騰だけが悪者になっているが、それだけではない。

 企業も(地方)自治体なども同じだが、最大の理由は”バブル”の崩壊というか、少し前のバブルへの”悪乗り”だったようだ。右肩上がりの景気経済の中に”悪玉”(バブル破り)を隠し、設備投資や多角化に自分丈を越えた投資をしてきた。地方自治体も同じだ。10億円の投資事業による国の補助5億円より、100億円の事業を企画し50億円の補助を得たほうが45億円も得だと、50億円を(実)投資した。経営も回収展望も出来ないハコもの事業やレジャー事業に投資したのだ。バブルがはじける/はじけないということではなく、出来ないことに出来ない相談で投資したのだ。当然の報い(結果)なのだが、隠し事が続かず決算してみて、いま困っているのが実情なのだ。

 デパートやコンビニも、ファミレスや居酒屋も、海外旅行や国内温泉旅行も、ビールやソフトドリンクも、ラーメンや蒲鉾も、自動車や電気製品も、衣料品や日用雑貨品なども、昨対倍増だ、シェア何ポイントアップだと増産し、拡販してきた。世の中、モノで溢れ返っているのに「モノ」をつぎ込んだ。モノでビニール袋(バブル)が破れた。破れたビニール袋は、何の役にも立たない。モノ食傷になった。

 EDLPや価格(廉売競争)破壊でシェア奪取と頑張ったが、付加価値は年々下降、いまやゼロに近い。P/LやB/Sという経営諸表の左右合わせが精一杯で、雇用者のフトコロ(賃金)には届かない。消費経済の低迷や後退が常態化した国内の市場経済だ。

 このような時に、モノ売りやモノづくりは駄目だ。モノでないもの、目に見えないものはいかがだろうか。代表は空気、酸素や二酸化炭素や水素だ。気体は目に見えない。大気(空気)からCo2二酸化炭素だけを摘出できれば、Co2温暖化ガスで悩むこともなくなる。摘出したCo2は、見えない器かパイプラインで火星にでも売ればいい。海水や水から水素だけを摘出プールできれば、水素燃料エネルギー問題は解決できそうだ。見えないモノは、まだまだある。

 代表は、「香り」だ。ニオイも同族だが、悪臭や嫌な臭いがあり、匂いや香りとは区別したい。しかし、この嫌な臭いや悪臭も、これを掴んで摘出できれば、あとの悪臭やいやなニオイのない清浄でさわやかな空間が売れそうだ。もっとも、何のニオイや香りもない空間ってどんな感じだろうか。想像できない。
 むしろ、何か感じのいい自分をいやしてくれるような香りのある空間のほうが、自然だ。ほのかに自分好みの香りがある、そんな空間がいい。たまにしか散策できない森林やお花畑やバラ園などにいるような、そんな香り空間がいい。自分のTPOに合わせて欲しくなる香りを届けてほしい。手軽で、キレイで、かわいい何かに託してくれてもいい。

 いま、そんな空間というか、ライフスタイルを提供する、そんなビジネスモデルを思慮している自分だ。思いつきで、すぐ止めるかもしれないが、2008年のひとつのテーマにしている。
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「わが国の経済は底堅い」と静観していていいのですかー世界同時株安。

2008年01月22日 | Weblog
 2008年1月21日の東京株式市場の終値535円安は、ショックだ。前週からの米国株安の影響などと静観できない様相だ。米国のサブプライム関連金融不安に端を発する米国の景気後退に対するブッシュ政権の景気対策が"刺激”としても不十分という評価なのだろうが、もっと根が深い気がする。

 米国住宅ローン債権を含めたモノライン金融保証会社大手の格下げと今回の景気刺激策の低評価が重複して影響したと見られる21日の株価低落は、日本、EU,アジアの株価同時安を招来した。米国の経済と世界の経済が一連托生の関係にあることの表れだが、だからと言って政権と政府の長たる総理が「わが国の経済は、底堅い」などと静観を決めていていいのか。

 日本の景気経済を示す大幅で引き続く株価下落は、ただ米国サブプライム関連金融の波及した問題だとして捉えると大きく誤る。一向に改善の兆しがない庶民のフトコロ(賃金所得)や雇用低迷に追い討ちをかけるような原油価格の高騰や原料資源価格の高騰を理由にした消費物資の”値上げ”傾向は、完全な日本経済のスタグフレーション状態を表明している。

 政権与党や政府が、ガソリンに”油まみれ”(給油+暫定税率25円)になっている場合ではない。”油まみれ”を文字通り揮発油かガソリンで急ぎ洗浄し、大きく手足カラダを動かし、この経済危機社会を克服する対策を講じてほしい。静観したり、時が過ぎるのを待つことが政治ではあるまい。

 サブプライムローンを知恵で解決したように見せかけた「モノライン」は、もともと近いうちに”ショック”を起こす要因を内在していた。日本においても、リボルビングなどという現状を隠すことで金融拡大させる消費者金融とその債権不安問題をネタにツメをのばした大手銀行の消費者金融抱かえ込みも、カジノが来ないうちにとハイテクで射幸性を高めるパチンコ市場への金融機関の入れ込みも、それぞれの”バブル”がはじけてみると、日本経済全体の景気後退に埋没する。大手銀行や政府財務当局が、貸金業法改正や監視を強めたなどと”部分”を言っていられる場合ではない。

 「暫定税率やガソリン価格をどうする」「年金問題や年金制度をどうする」「介護や高齢者医療問題をどうする」ということも大事だが、”部分解”で解決できるような景気経済や国民生活の状況および地球的問題の現状ではない。政権与党や野党も含む政治家と官僚や政府の皆さんの大いなる奮起を希望する。知恵と汗を出し切って今日の難局打開の処方箋を出してください。
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偽装でも”環境訴求”が売れる!

2008年01月19日 | Weblog
 古紙使用率偽装は、ハガキや日本製紙だけではなかった。日本製紙も含む大手製紙5社は、揃って古紙配合率偽装を認め、謝罪した。謝罪すれば”みんなやっていたのだから、仕方ない”という態度や釈明が相次いだ。

 「古紙を使用しろ」「品質(白さ)を高めろ」とグリーン購入法を翳せばいい役所(官公庁)や大手ユーザーは勝手だと云わんばかりだ。古紙100%再生紙を見本提示すると、「こんな紙(用紙)では使えない」といわれる。それにもかかわらず、100%古紙配合再生紙のコピー用紙などが購入基準になる。白さや品質を古紙配合を低くして高め、配合率を高く”偽装”するのだ。バカバカしいが、偽装しないと、売れないのだ。

 環境だ、エコだ、基準だという購入利用者側はいい。基準をかざし、そして白く高い品質の再生紙を求める。だから、偽装しないと売れないのだという。このような競争市場で日夜悪戦苦闘して営業競争している自分たちが被害者だと云わんばかりなのだが、船場吉兆やミートホープとどこが違うのか説明してほしい。

 環境エコの代表「リサイクル」は、家庭電気製品のリサイクル回収製品の横流し(リサイクル料金の横領)や今回の古紙配合率の偽装など、企業が消費者や世の中を欺き”環境エコ”を虚偽訴求している実態を晒した。エネルギーやガソリンを扱う企業も、温暖化ガスCo2排出がない新エネルギーをうたう企業もみんな”環境迎合”訴求しているが、実質の環境貢献や低炭素社会化貢献をシュミレーション検証しているのか疑わしい。

 虚偽やことば訴求ばかりが先行するのは、世の中の競争社会化や情報社会化が大幅に進展したからだろうか。市場原理に委ねる経済社会が、結果としてもたらす姿なのだろうか。商人(あきんど)精神は、遠い昔になってしまったのだろうか。
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温暖化ガスの排出量(取引)市場の構築を急げ。

2008年01月16日 | Weblog
 地球環境(破壊)問題の主犯は、二酸化炭素などの温暖化ガスの増加であるということに疑義を挟む者はいない。世界の定説であり、常識だ。温暖化ガスの増加は、気候異常による大きな洪水と渇水(水不足)の両方をもたらし、氷河の崩落消失や海面の上昇、農作物耕作への影響や感染症被害などをもたらす。人類の住まい生活環境の悪化に拍車をかけるのだ。

 石油や電気使用などのエネルギー効率を高めるエアコンやテレビなどの電気製品およびガソリン使用効率の高いエコカーや使用量を抑制するハイブリッド車などの開発が進む日本の企業だが、新(次世代)エネルギーの開発など、より高いレベルの技術革新や省エネ活動や運動(ムーブメント)が進まない限り、2050年までの温暖化ガス排出量半減どころか、京都議定書の目標達成すら危うい。

 日本においては、排出量削減やその企業への割り当て(排出枠)の賛成・反対議論がたけなわだが、EUなどが先行している排出量取引についての積極的な取り組みを早期に進めることのほうが、実効が上がるのではないかと思われる。単純には、企業別06年比での排出量(削減)目標を設定し、具体的に取引市場をつくってみることで排出量取引の市場性や削減貢献が検証できるのではあるまいか。

 そのような意味で、今回の東証と東工取の排出量(取引)市場研究や整備方向の検討には、希望が持てる。何でも市場原理に委ねる傾向には異議を持つ自分だが、こと温暖化ガスの排出量(取引)市場の構築やトライには、大いに賛同したい。
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1月14日(成人の日)は、薔薇の日(?)だという。

2008年01月14日 | Weblog
 今日1月14日は成人の日。国民みんなで新しく成人になる人を祝おうという国民の祝日で、お休みだ。毎年のようにテレビ報道される成人式や成人式後の街のトラブルは、ことしも沖縄・那覇市だが、その他の成人の日ニュースや報道は少ない。街を行き交う振袖姿の成人女性の華やかさも、少し控えめの感じだ。さびしい。

 かわって、ROSE DAY(薔薇の日)や今夜9時のドラマ「薔薇のない花屋」のコマーシャル報道などが目立つ。バラの季節でもないからか薔薇の日に”バラのない花屋”とは、恐れ入る。

 私ごとだが、一昨日夕方「薔薇のパルファム」(求龍堂、2005年4月)の著者・蓬田勝之さんとオシャベリした。ビールした。千駄ヶ谷小学校裏の舶来亭という居酒屋だからか、途中から日本酒や焼酎になった。パフューマリーケミスト蓬田さんの”薔薇”のはなしは奥深い。専門家なのに、お話が謙虚であたたかい。40年も香りを研究し、この20年で1000種以上のバラの香りを分析、研究している薔薇の香りの権威だ。

 薔薇の香りやバラの花にまるっきり音痴な私だが、友人に頼まれて「薔薇の香り」を事業化しようと思っての相談だ。これから半年か一年、あるいはその後もずっと、薔薇やバラの香りを教わることをご快諾いただいた。花の形や姿からラ・フランスやティ・ローズ系のバラが好きだが、センチフォリアやダマスセナのような”かわいい”系もいい。果たして、どのような”香り”が好きになるか、未知との遭遇を楽しみにしている。

 バラの日(1/14)を前に得た”新しい勉強できる環境”を有効にしようと思う。新しい香りの世界やバラの香りの生活や空間を提供できるようになるといいと思っている。上質で品のいいプレミアムな薔薇のパルファムを探求したい。2008年の仕事の一つだ。
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大学や教育(制度)の動きや方向は、いずこに。

2008年01月13日 | Weblog
 政治や国の政策は、いつも時代に後れる。変化や時間が先を行く。国や社会を規定する人口や税収の変化を(推計)展望している行政や政府なのに、社会の変化方向を読めていない。人々の価値基準の変化と時代の変化が読めていない。だから、いつも後追いになる。

 人口増加社会や経済の高度成長期が終わっても、相変わらず”いままでと同じ”発想や思考から抜けきれない。教育もそうだ。経済成長期社会において、雨後のたけのこのごとく創ってきた高等学校や大学が、対象人口減少で”過剰”になった。さんざん煽ってきた教育学習競争の反動なのか”ゆとり教育”を試みたりしたが、学力の低下や教養水準のそれを指摘されたりすると、教育再生(会議)を議論する。そして、いつのまにかトーンダウンする。

 教育制度や教師の質問題などが聞こえたり、教育(知)の国際競争力や教職員大学院などが議論されたりして、その結果や展望が聞こえない。2004年に法人化した国立大学(法人)が、どのような成果をあげ、どのような問題状況にあるのかも伝わって来ない。産学連携やインキュベーションが増えていればいいという問題でもあるまい。

 大学院大学に入る社会人(学生)の数が増えている傾向は、望ましいように見えるが、どの程度、どのように社会づくり貢献しているのかわからない。”9月入学”(制度)などがどの程度普及し、どのような受容を得ているのかもハッキリしない。情報公開や行政の透明性をうたうが、大方の大事なところは見えないのだ。

 ここ3年、月に一度大学の若い研究生(大学院)たちとの議論に参加している自分さえ、この程度の理解だ。産学連携の成果を求め、通い続けているが、ひたすら親子ほどの年齢差を埋めるオシャベリや食事を楽しんでいることをお許し願いたい。石の上にも3年、ことしこそ具体的な成果をあげたいと思う。
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すでに人生100年社会なのに、その構図がない。

2008年01月10日 | Weblog
 一昨年から昨年の日本の社会は、不透明で不確かだった。今年こそは確かで再活性が感じられる年になれと、2008年を迎えた。希望が持てる年になることを祈願した。

 あれほど欺瞞と偽装を曝け出した2007年は、終わった。上と下、右と左、対立や抗争と競争がマスコミされた2007年が去った。格差という言葉も後退している。お正月のめでたさは、ときに私たちの目を事実や真実から遠ざける。当面や近い将来の問題や課題化さえ忘れさせる。

 福田総理と民主党小沢代表の党首討論さえ、お正月ボケした。ともに、いい人ぶったご挨拶ごっことご理解ごっこだった。補給支援特措法や国際関係、洞爺湖サミットや地球環境問題などにもクリティカルな差異や方向性が見えない。年金や介護医療や格差といった国民的問題への処方箋も見えない。お互いが”ムーディ勝山”なのだ。

 年末年始、このお正月にお亡くなりになった方の多くが、85歳、90歳、100歳だった。ほとんど、驚くほどご高齢の方々だった。自分の周りだけでもないことは、新聞の訃報欄をみてもそうだ。90歳、100歳前後の超高齢者のご逝去が目についた。65歳高齢者基準が遠い昔の感じになる。

 文字通り、人生100年社会だ。100歳前後の祖父母を持つ父親や母親は、70から80歳。その子供が社会の中心の40から50歳だ。子育て真っ最中の世代で、社会の働き手の中心世代だ。ポスト団塊世代のこれらの世代の方々への社会的な負荷負担は大きい。この世代に続く30代から40代を含め、青年壮年世代への”手当て”が急務のような気がする。下に子供(子育て、教育)を持ち、上に高齢者の父母(60~80歳)とその上の超高齢者(80~100歳)を抱かえる世代だ。

 人生100年社会の構図(国の姿)は、大変難しいと思う。しかし、今日にもその構図が示されなければ、希望が持てる社会はまた遠くなるのだ。
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52年ぶりの恩師にお会いできた2008年賀詞交歓会。

2008年01月05日 | Weblog
 小学6年(13歳)の時の担任・山本寿夫先生にお会いした。52年ぶりだ。自分は13歳の時、父を亡くした。職業軍人(海軍)だった父は、わたしが物心ついたときすでに病床にあった。戦争(ガダルカナル海戦)でカラダを壊した父は、終戦後10年、自宅療養をしただけで私が小学校6年生を終えようとしている頃帰らぬ人となった。その当時のクラス担任の先生が、瑞宝双光章を叙勲された。叙勲祝賀会も兼ねるという故郷・常陸太田市の新年賀詞交歓会への出席は、昨年暮れ案内をいただいてすぐに返信した。小学校時代の恩師にお会い出来そうだからだ。

 昭和24年に小学校に入学した自分たちの小学校は、ゴムぞうりからやっとズックの運動靴になったころ6年生だ。カラダを壊した父についてこの山奥の中山間地に来た私の母は、横浜育ちのOL(海軍工廠)だったから、米や麦の何たるかも知らないで農業に就いた。その父が亡くなったあとは、長男の自分が少しでも母の手助けをしなければならない。義務教育という言葉はあったが、自分はそのようなことを考えてなどいられない立場になった。小学3年の弟と1年生に入る妹が下にいたのだ。

 そのような生活環境にいた自分の担任の先生が、当時40少し前の山本先生だった。勉強以上に精神的な励ましをくれた恩師だった。その先生に52年ぶりにお会いできた。自分が敬愛する高校の大先輩・宮田欣三さん(旭日小綬章)ほか7人の叙勲を受賞された方々にもお会いできた。故郷、自分が3歳から18歳までの多感な少年時代を過ごした中山間地の農山村や古い町(佐竹公、光圀公)は、人と人の関係がいい。あったかい。やさしい。

 キレイな緑と空気と川(河ではない)、それに田畑や山のカタチがいい。地域の人々の見えない繋がりややさしさがいい。自然にも、人にもやさしいこの地の人々が浮かぶ。川遊び、山遊びと季節ごとに異なる田んぼ遊びの小学校時代だが、農作業や家事においても立派な労働力でもあった自分の小学校6年だった。その時の恩師は、90歳前後だと思う年齢なのだが大変”お元気”だった。52年経ってまた”力”をいただいて帰った2008年1月5日でした。(大きな手術を終えてお元気だった高等学校時代の恩師、中村洋一先生にお会い出来た感謝を記述しなかったことをお許しいただきたい。)
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2008年、穏やかで「希望が持てる」社会がつくれますように!

2008年01月01日 | Weblog
 2007年は、問題が問題のまま先送りされた”不作為”の年でした。ウソやごまかしで偽装された社会でした。政治も企業も人々にも、気配りや目配りを欠いた行為が目立ちました。真実から目をそらした虚偽社会でした。そのような2007年からサヨナラし、問題や真実に真正面から向う希望の持てる社会になるような2008年にしたいものだ。

 そのように思うのだが 2008年は、問題山積の年。国内も国外も環境、経済、政治など多くの問題を抱かえている。年明け早々に取り組まなければならない温暖化環境(低炭素社会づくり)問題。日本は日本なりに省エネCo2技術革新をしてきたと言っても、現実は京都議定書の目標さえ達成できていない。90年比、6~7%も排出Co2を増加させているのだ。ドイツやイギリスが15%、スエーデンやデンマークが7%ほども削減できていると言うのに。夏の洞爺湖サミットでの日本の役割は大きい。世界の低炭素社会化をリードしてほしい。

 8月の北京オリンピックや11月のアメリカ大統領選など大きなイベントが控えているが、米国のドルの動向や世界経済の動向などにより日本の経済や社会も大きく影響されよう。2008年春夏あたりの総選挙によっては日本の体制や選択も大きく変わってこようが、ロシアを中心とするBRICSや中国を中心とするアジア経済などと日本のそれとの関係も重要になろう。すべてが地球や世界の中での日本なのだということをつよく意識することが大切だと思う。

 自分自身の2008年もこのような環境と無関係ではないが、身近なテーマを探求して行きたいと思っている。さしづめ”環境”と”健康”へ関与するテーマを仕事にするつもりだ。環境テーマは、ナノテク・ゼオライト成果の事業化(環境貢献)関係だが、健康テーマは、厚労省の新健康フロンティアとの連携推進も含め、健康の3要素・運動、休養、栄養への取り組みだ。豆乳需要市場の活性化やコエンザイムQ10、カルニチン、α リポ酸のエネルギー産生3要素の最適なバランス探求およびウォーキングやセルフケアによる健康維持、増進問題などに取り組みたいと思っている。

 年金記録の照合や将来の年金体制や介護、医療問題および防衛や国際関係などについては、それこそ政府や政治家の皆さんにお任せするしかないのですが、北朝鮮の拉致やアフガン関係なども含め、問題が問題のまま先送りされないで解決されますよう希望している。

 2008年、穏やかで”希望が持てる”社会になることを願っている。ことしも、「吉澤兄一のブログ」でお付き合いください。 
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