吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

政治は、すべての”安全”を保障するのが、シゴト。

2010年11月28日 | Weblog
北朝鮮による韓国・大延坪島への砲撃は、衝撃だ。両国が主張する国の境界線が異なったままなのだから、起こるべくして起こった事件かもしれない。両国や周辺国との平和条約が締結されていない状況が、”戦争”的情況を継続させているのだろうが、軍事的な砲撃はイケナイ。事由を問わない。

この前の黄海限界水域あたりでの韓国潜水艦の沈没や先の北朝鮮のウラン濃縮施設報道なども憂慮を大きくする。東アジアや先の尖閣列島なども含めた東南アジア海域が不穏だ。具体的に境界線などが見えるわけでもない海洋域でのトラブルや事件をどのように避けるか、知恵を出し合ってほしい。

国家の安全保障こそ政治の根幹だと思うのだが、このところの”政治”に、そのようなイメージがわかない。国家の中心はもちろん国民だろうが、国民が暮らす国土を保障することも、その前提だろう。尖閣や北方領土や竹島など不安定な保障情況をどう確かにするかも大事だ。沖縄普天間や徳之島問題なども含め、”島”の安全をどのようにするかは、島で構成される日本の最もこころしなければならない視点だ。

国土や国民の安全保障と共に大事な安全保障は、国民の生活の安全保障だ。雇用や所得も含め、最低保障する生活の安心・安全の保障と年金や介護など、現役を退いた高齢者の生活を保障する福祉政策などが、展望できなくてはいけない。少子化でなくても、この世に生まれた小さないのちを守り育むシゴトも、大事な安全保障だ。

あらゆる”安全”を担保,保障する政治を一刻も早くわたくしたちに示してほしい。お願いする。
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ストップ・ザ”崩壊”連鎖

2010年11月23日 | Weblog
このところ、”崩壊”列島の感の日本。群馬県桐生市の小学6年生の自殺(10月)が見せた小学校の学級崩壊。昨22日は札幌の女子中学生のいじめに起因する自殺報道もあった。近くは、お年寄り姉妹の白骨化死体発見に見られる家庭崩壊や地域コミュニティの崩壊だ。

高齢化が急激で、ひとり居住者や孤立生活者が急増している。少し前、子どもの成長や自立して新しい家庭を持ったりしていくことを喜んでいた親たちだ。社会が”夢”のようにまで思い込んでいた核家族化が、幻想だったことに気づいた。自立は孤立に他ならないことを、現実をみてわかったのだ。学級につづき、家庭とコミュニティが崩壊していた。

もっとも問題なのは、雇用の崩壊かと思っていたらトンデモナイ、国会崩壊だ。柳田法相の国会軽視発言が典型のようだが、”根”はもっと深い。失言や軽口ではないということは、そのあとの”より慎重に誠実に答弁して、国民の信頼を回復したい”的な言葉に見られる。”答弁”の仕方などに起因している問題ではないことをお分かりになっていないのだ。

このところの菅総理のリーダーシップの無さは、あまりにもヒドイが、総理を取り巻く官房長官や国務大臣の軽口や思慮の低さも異常だ。総理や与党民主党のビジョンのなさ、目標のなさ、決心のなさ、リーダーシップのなさには、あきれるが、もっともリーダーの資質を構成する”人望”や”思考力”のなさが問われているのだ。

答弁がシゴトのように思っている大臣やヒステリックに失言や軽口などをのみ咎めている国会議員を送り出している自分たちがナサケナイ。先生や親に向かって、うるせい!、せんこう!、くそばばぁ!と悪たれをつき”崩壊”を遊ぶ子供たちと同じレベルの国会議員の方々に落胆する。

国会に行くようになったら、少なくともデジタル・ゲームやツイッターなどをおやめになり、ご自分の思考力を養うことに汗してください。人々の暮らしや世界のいまを広く深く観察することが、思いめぐらす力を高めてくれるでしょう(蛇足)。ガンバッテください。
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「たすけっこの会」賛歌

2010年11月21日 | Weblog
はじめて、奈良さんにお会いした。「たすけっこの会」の創始者、事務局長の奈良哲紀さんだ。2010年11月18日(木)突然、ただいま羽田に着いたと、わたしの小さな事務所(平河町)にタクシーで直行して来られた。午前11時ごろだ。わたしに彼を紹介したいと、羽田に出迎えに行ったMY氏の計らいなのだ。

奈良さんの「たすけっこの会」については、かなりの程度知っていたつもりだが、世の中にはこのようなボランティアもあるんだと大変勉強した。”たすけ”という昔ながらの”あそび”や、東北というか青森の方言”・・っこ”などを教わった。ただ、”助け”っこぐらいに思っていた自分の浅さを自省した。ただ小さな”呼子笛”を作り、これを配り、小さないのちを守ろうとする会とは違っていた。

2001年6月8日のあのいまわしい大阪(教育大付属)の池田小学校の無差別児童殺傷事件が、青森の奈良さんをして「たすけっこの会」のオリジンだという。小さな呼子笛の手作りと手渡しが、”たすけ”遊びの”たすけにいくよ・・”のこころなのだ。同じ世代ではあるが、わたしの学童前や小学分教場ごろの遊びに”たすけ”はなかったが、近い鬼ごっこ風の遊びはあった。そのやさしい心が、よくわかった。

とても、自分には出来ない社会活動だが、あと押し的な応援ならできそうだ。昼食をともにしただけでは飽きたらず、近くのちゃんこ「竹とんぼ」で夕食を共にした。はじめてお会いした方と、このようなスキンシップをとったのは久しぶりだ。忙しい合間のさわやかな興奮でした。あれから10年、当の犯人宅間は、すでに死刑の判決を受け忘れられているが、少子化という世にあって、小さな命を大切にしようというこのような連鎖活動が広がってくれることを祈る。

世の中への浸透や人々の賛同が得られる社会活動は、オリジンが小さければ小さいほど大きく膨らむような感じを、わたしに教えてくれる。この「たすけっこの会」を、ひろくご紹介したい。(KY)

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ダンジャリアン・ロハシストのすすめ

2010年11月13日 | Weblog
断捨離が、ことしの流行語大賞にもなりそうだ。「断捨離のすすめ」を書いた川畑のぶこさんややましたひでこさんがオリジンの言葉やライフスタイル本のようだが、アラフォー・ウーマンの生活バイブル本なる勢いだ。

”ゆたかさ”や”クオリティ ライフ”の定義が変わったことが、流行の背因のようだ。地球資源の有限性を認識するようになったことが、”モノ”離れ価値基準を浸透させた理由かもしれない。足の踏み場もカベも見えないほどにモノにあふれて暮らす私たちの生活。わたくしたち自身が、”ノー”を突き付けたのだ。

この何年か一度も袖を通さなかった衣類や一度も履かなかった靴下や靴。台所や物置の品物の半分以上は、この一年不使用の品だ。十年に一度も使わなかった日用品などまで家庭内在庫だ。便利希求や”あればいつか”の幻想を後生大事にしたモノ依存体質を反省しての”断”なのだろう。多くを”捨てる”ことも大事だが、要は”モノ離れ”することがコンセプトなのだろう。

遅ればせではあるが、この一年のアメリカの友人たちとの議論は、サステナビリティだ。あらゆる行動の礎にサステナビリティ(持続可能性)コンセプトをおこうということが、流れだった。人々の生活からみれば、ロハス(LOHAS)なのだろうが、主題はサステナビリティだ。このサステナビリティ・ライフへの一里塚に断捨離があるのかもしれない。個人の断捨離が社会や地球の断捨離にオーバラップすることを願ってやまない。
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尖閣中国漁船衝突DVDインターネット流出問題の教え

2010年11月07日 | Weblog
情報化がすすみ、インターネット社会や高度情報社会と呼ばれる世の中になって、社会に出回る情報の質がわるくなった。知的情報や知識情報も多くなったが、これら以上に悪意情報やノイズ情報も多くなった。正確な事実情報でさえ、出し方や表現の仕方によっては、悪意な情報になる。

情報化に先立ち、政府や企業家たちは”個人”を守るという誰もが反対できない祝詞で、個人情報保護法を流布させた。上から目線で”守る”と言って”制約”した。政府や大企業やお役所だけが、自分たちの裁量で”有利”できる法律や条例を補則し、小企業や個人の自由行動を制約した。戸籍簿でも住民票でも”役所”はタテヨコに自由閲覧できるのに、個人や民間を制約した。

ついこの間の警察の情報漏えいも今回の尖閣海保のDVD情報漏えいも、問題の本質は同じだ。漁船追突当初に撮影ビデオを公開すべきとか、ずっと秘匿すべきか等の問題は、政府および政治や外交の問題だが、今回のDVDユーチューブ漏えい問題とは違う。国家や政府の機密や情報の保護やその責任の問題だ。どこから、だれから、どうして、どのレベルが漏れたのか、および情報や機密を管理するシステムや体制がどのように欠損していたのかという問題は、究明されなければならないが、究明して終わる問題ではない。

政権や政府にあるものは、このような問題をシステムや担当者の”欠損”に原因を求め、危機管理と機密管理など管理問題にすり替える。おそらく、総理や官房長官や海保担当の国土交通大臣および検察や裁判所あたりの”責任”問題なのに、誰もが責任者を逃れる。

国家の情報をどのように扱うかは、国を守り国を運営する基本だ。インターネット高度情報社会における国や行政や民間の情報のありかたについて、広く英知を結集して考えてほしいと願う。安心と暮らしやすさを設計してほしい。
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チェンジ(変化)の支点が違う民主党政権

2010年11月03日 | Weblog
ちょうど一年前、チェンジがやってきた。半世紀以上つづいた保守自民党政権が民主党のそれに変わったのだ。体制が変わり、革新というか変化という希望が舞い込んだ。掲げられたマニフェストだけが希望ではなかったが、変化することが期待された。

大きな裏切りではなかったのだが、確かさと実行力のない鳩山政治に国民の”ノー”が突き付けられた。政治とカネ問題をひきずる小沢さんも一緒に後退した。そして誕生した菅政権だが、いままで経験のない政府運営に迷走した。まるで民主党が変節したような情況だ。

有言実行を謳い、”強い”何々を標榜して、そして何もしない。出来ない。内閣を構成する各大臣は、首相と言うことが違う。思い思いに思いつきをいい、国益もリーダーシップもない。政治主導は言葉だけで、官僚の脚本どおりに過ぎる。官僚や役所をリードする姿も見えない。

当初のマニフェストとやることが違う。どこに行ったか避けているような普天間移転と辺野古や八ツ場ダム。青天井のように言っていたムダからの財源が大きく後退し、チラつかせる消費税増税。高速道路無料化もどうなるのやらわからない。カベが見えると試算のし直しやテストに逃げる。対中国やロシアとの外交の危うさ。農家所得保障と違うであろうTPP参加問題など、迷走だけが目立つ。

閉塞感つき迷走は、変化や改革の“支点”の違いからきている。というより、支点と力点が明確でない迷走なのだ。国や国民をどのような世の中や生活に導くのかのビジョンがないのだ。早く行方を明確にしないと、国民のストレスが爆発しますよ。与野党の政治家さんにお願いする。
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